オホーツクの暁鐘 ~アイヌと極寒の諸民族を導き巨大連邦国家を創る~   作:サウス

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第15話:黄金の要塞と、日の当たる富【1659年 秋】

 サㇽ(沙流)の森が、燃えるような赤と黄金色に染まる季節。

 アイヌモシㇼ(蝦夷地)の秋は、豊穣と厳しい冬への備えの季節である。しかし今年のニプタイ(二風谷)の村の光景は、過去のいかなる秋とも、そして他のいかなるコタン(村)とも全く異なっていた。

 

「よし、土留めの丸太をしっかり打ち込め! 秋雨で崩れるぞ!」

「堀の底には鉄のツルハシで削った木の杭を隙間なく敷き詰めるんだ! 獣一匹通すな!」

 

 活気に満ちた男たちの怒号と、重い土を打つ音が響き渡る中、ニプタイの村は劇的な変貌を遂げていた。

 かつて村の入り口に築いた防衛用の柵は、今やその原型をとどめないほど巨大な構造物へと飲み込まれている。来るべき西のオニビシ軍との本格的な衝突に備え、ハルコルが防衛線の徹底的な強化を指示したのだ。

 

 海沿いの戦火から逃れてきた同盟コタンの難民たちを、新たな労働力として完全に吸収したニプタイ。彼らは広大なエモの畑と集落全体をすっぽりと包み込むように、大人が縦に三人入っても届かないほど深く険しい『空堀(からぼり)』を周囲に巡らせていた。

 掘り出した大量の土を高く突き固めた土塁の上には、先端を鋭く削った極太の丸太の柵が、蟻の這い出る隙間もなくびっしりと連なっている。要所要所には、森の遥か遠くまで見渡せる物見櫓がそびえ立ち、昼夜を問わず強弓をつがえた若者たちが鋭い眼光を光らせていた。

 外敵の侵入を物理的かつ徹底的に拒む、完全なる『難攻不落のチャシ(砦)』の誕生である。

 

 

 その厳重な要塞の門をくぐり、一団の若者たちが帰還した。夏に北の巨大勢力へと放たれた使者たちだ。

 

「戻りました、長(エカシ)! そしてハルコル様!」

 イシカㇼ(石狩)の大首長・ハウカセの元へ向かっていた使者の長・ウタが、過酷な大雪山系の山越えの疲労を滲ませながらも、力強く平伏した。その衣服は泥と擦り傷にまみれ、道中の過酷さを物語っている。ヨイチ(余市)へと向かっていた別の使者たちも、帰路で合流して共に無事を報告していた。

 

「イシカㇼのハウカセ殿は、我らの使者を大層歓迎してくれました。……ですが、あの御方は底知れぬ古狸です。我らの持ち込んだエモを口にするなり、すぐさまその軍事的な価値を見抜き、『サㇽが東のシャクシャインと西のオニビシの防波堤になるなら、いくらでも交易してやろう』と笑いました。我々を新しい勢力と認めつつも、自らの手を汚さずに南の戦火を抑え込む『都合の良い盾』として利用する腹積もりでしょう」

 

 ウタの報告に、ペカンクㇽは「違いない」と鼻で笑った。

「北の覇者がそう簡単に他人に首を垂れるはずがない。だが、それでいい。向こうが我らを利用するつもりなら、我らもまた、奴らの交易網を存分に利用させてもらうまでだ」

 

「そしてハルコル様、こちらがヨイチの首長・ハチロウウエモン殿からの返答です」

 ウタと共に帰還したヨイチへの使者が、大事そうに抱えていた獣皮の背負い袋を解き、中身をチセの床に広げた。

 薄暗いチセの中に、まるでそこだけ太陽の光が差したかのような色彩がこぼれ落ちる。目を射るように鮮やかな金糸、極彩色の龍が躍る滑らかな手触り……海の向こうの大陸(清王朝など)から、長い山丹交易の果てにもたらされた最高級の絹織物、『蝦夷錦(えぞにしき)』である。

 

「おお……!」

 そのあまりの美しさと妖しい光沢に、周囲の者たちが思わず息を呑んだ。

「ハルコル様が求めておられた蝦夷錦、確かにヨイチから引き出してまいりました。しかし、その条件は『エモの現物』との交換だけではありませんでした。ハチロウウエモン殿は、『この枯れない魔法の糧の栽培方法を教えろ。さもなくばこの絹織物は渡さん』と条件を吊り上げてきたのです」

 

 使者が背後の男たちを振り返る。

「彼らは、ヨイチから遣わされた監視役です。我々の技術を学び、ヨイチへ持ち帰り大地をエモで埋め尽くす腹積もりでしょう」

 

 見慣れぬ身なりのヨイチの男たちが、村の巨大な要塞と見渡す限りのエモ畑を驚愕の面持ちで観察している。

 村の若者たちが「我らの最大の秘伝を奪われるのか」と顔をしかめる中、ハルコルは一切の動揺を見せず、静かに笑みを浮かべた。そしてヨイチの監視役たちに向かって、深く頷いた。

「構わないよ。エモの育て方は、土作りから冬の保存方法まで、包み隠さずすべて教えよう。ヨイチの大地が豊かになれば、僕らとの交易はさらに太くなるんだから」

 

 呆気にとられるヨイチの男たちを尻目に、ハルコルは内心で、さらに巨大な盤面を思い描いていた。

(エモの栽培法を渡したところで、僕らが損をするわけじゃない。……エモが全道に広まり、冬の飢えがなくなれば、子供が死ななくなる。人口が増える。いずれはアイヌが和人を数で飲み込む。今ここで出し惜しみして北との交易を細らせることの方が、よほど損だ)

 

 

 その後も、秋が深まり初雪の匂いが風に混じる頃にかけて、遠方へ散っていた使者たちが次々と帰還を果たしていった。

 

 トカㇷ゚チ(十勝)からの使者は、泥だらけの衣服のまま報告した。険しい日高山脈を越えた先の猛者たちは、エモを一口食べるなり目を変えたという。「これが続けて手に入るなら、我らの戦士と極上の毛皮を動かしてやる」と。力で余る者たちが、食で動く。その言葉の意味は重かった。

 

 ソーヤ(宗谷)からの使者は、霜で赤くなった頬のまま言った。氷海に近い北の首長たちは、「このエモがあれば、冬の交易路をさらに遠くまで広げられる。大陸の宝といくらでも交換してやろう」と、血走った目で大陸への道を語ったという。

 

 ハルコルは報告を聞き終えると、木札にそれぞれの返答を書き留めながら、静かに全体を眺めた。

(皆、エモの価値を理解している。ただし、どう自分たちの利益に繋げるかを考えている。それでいい。……ただ、今だけだ。エモが全道に広まれば、食糧での優位は消える。その前に、サㇽが別の次元の差を作っておかなければならない)

 

 彼は蝦夷錦を力強く握りしめた。これで、津軽の裏商人から次なる時代の原料を引き出す最強の交渉札が揃った。

 

 

 その夜。巨大な丸太の柵に囲まれたニプタイの要塞は、かつてない熱気と歓喜の渦に包まれていた。秋の実りと要塞の完成、そして北の使者たちの無事の帰還を祝う、村を挙げての盛大な祝宴(ウポポ)が開かれていたのだ。

 

 広場の中央には、天を焦がすほどの巨大な焚き火がいくつも焚かれ、赤々とした炎が屈強な土塁の壁を明るく照らし出している。

 

「さあ、食え! 今年のエモは、去年の倍以上の豊作だぞ!」

「干し肉もサッチェプ(乾燥鮭)も、蔵に入りきらないほどある! 今日は腹がはち切れるまで食っていいんだ!」

 

 広場の至る所に敷かれた筵(むしろ)の上には、この秋に収穫されたばかりの無数のエモが、ほかほかと湯気を立てて小山のように積まれていた。

 今年は村の女たちの創意工夫によって、エモの新しい食べ方が次々と生み出されていた。

 茹でたエモを木の臼で丹念に搗(つ)き、ヒグマの脂でこんがりと焼き上げた、もっちりとした食感の「エモ餅」。

 薄く切って天日で干し、甘みを限界まで凝縮させた「干しエモ」。

 鮭の身とキトビロ(行者ニンニク)を煮込んだ熱々のオハウ(汁物)の中にも、ホロホロに崩れるまで煮込まれた大ぶりのエモがたっぷりと入っている。

 

 海沿いの凄惨な戦火から逃れ、着の身着のままでこの村に辿り着いた難民たちは、目の前に広がる信じられないほどの豪勢な食事を前に、声を上げて泣き崩れていた。

 その中に、ボロボロの衣服を纏い、やせ細った幼い娘を抱きしめる一人の母親の姿があった。オニビシとシャクシャインの抗争でコタンを焼かれ、秋の森でどんぐりすら拾えずに凍死しかけていた親子だ。

 

「ほら、お食べ……。温かくて、甘いよ……」

 母親が震える手で、湯気を立てるエモ餅を娘の小さな口に運ぶ。一口かじった瞬間、娘の虚ろだった瞳にパッと生気が戻り、夢中で甘いエモを頬張り始めた。その無我夢中な姿を見て、母親は顔をくしゃくしゃにして泣き崩れた。

「……もう、怯えなくていいんだね。明日食べるものの心配をして、雪に震えなくていいんだ……」

 彼女は娘を抱きしめたまま、しばらく動けなかった。ニプタイの巨大な土塁と、温かい炎と、笑い声が、ただそこにあった。

 

「長(エカシ)、今年の実りと、我らを守るすべてのカムイに感謝を!」

 ペカンクㇽが上座に座り、神聖なイクパスイ(捧酒箸)を手に取った。村の女たちが丹精込めてヒエから醸造したアイヌの伝統的な酒『トノト』の滴を、イクパスイの先から囲炉裏の火の神(アペフチカムイ)へと静かに捧げる。

「アペフチカムイよ。貴女の温もりと恵みによって、我らは今年も飢えを免れました。どうかこの美酒を味わい、我らの声を聞き届けてくだされ」

 神々への祈り(カムイノミ)が終わるのを合図に、祝宴は最高潮に達した。

 

 トン、トン、トトン……! 丸太を打ち鳴らす力強いリズムに合わせ、女たちが炎を囲んで幾重にも輪を作り、アイヌの伝統的な輪唱『ウポポ(座り歌)』を歌い始めた。一人が澄んだ声で歌い出すと、少し遅れて次の者が同じ旋律を追いかける。その呪術的で美しい声の重なりは、木々のざわめきのように森へ響き渡り、人々の魂を激しく揺さぶる。

 ビヨォン、ビヨォン、という竹の口琴(ムックリ)の不思議な音色が夜空に吸い込まれ、若者たちは手拍子を叩きながら、大地を震わせるような力強い足踏みとともに『リムセ(踊り)』を舞った。

 

 

 広場の片隅で、ハルコルは丸太の椅子に腰掛け、燃え上がる炎と人々が笑い踊る光景を静かに見つめていた。気づいたら口にエモを放り込んでいた。甘かった。

 

「ハルコル」

 ふと、隣にミナが座り、焼きたての干しエモを差し出してきた。彼女は、村の女たちが織り上げた美しいアイヌ文様のアットゥㇱを身に纏い、その瞳に炎をキラキラと映している。

「ありがとう。……すごい熱気だね」

「うん」

 

 ミナはしばらく炎の方を見ていた。踊る人たちの顔を、一人一人確かめるように。

「海沿いの村じゃ、今もオニビシとシャクシャインが血みどろの殺し合いをしてるのに……ここだけは、違う」

 

 ハルコルは答えなかった。

 

「……この平和が、どの上に成り立ってるか、みんなは知らないのかもしれない」

 ミナの言葉は責めているのではなかった。ただ、横に立っている人間の言葉だった。

 

「知ってる人間だけが、それを守ればいい」

 ハルコルは、要塞の丸太の柵の向こう、真っ暗な森の奥へと視線を向けた。

(この笑顔を、絶対に守り抜く。……そのためなら僕は、この森に、和人の持つ恐ろしい「雷」の知識を引き込むことも厭わない)

 

 空高く舞い上がる火の粉を見上げながら、ハルコルは静かに、しかし鋼のような決意を固めた。




第15話をお読みいただき、ありがとうございます!

今回いろいろと他の勢力が出てきたので地図を作成してます。
参考にどうぞ。

【挿絵表示】



おまけの解説コーナーです。
今回は、アイヌ文化における「秋の収穫と祭り」について少し解説します。

【カムイノミ(神々への祈り)とトノト(お酒)】
史実のアイヌの人々にとって、秋はサケ(カムイチェプ=神の魚)の遡上や、ヒエやアワといった穀物の収穫を迎える最も豊かで重要な季節です。収穫の喜びは、まず火の神(アペフチカムイ)をはじめとする神々に感謝を捧げる「カムイノミ」の儀式から始まります。
この時に欠かせないのが、穀物から醸造されたお酒「トノト」です。「イクパスイ(捧酒箸)」という美しい彫刻が施された木べらを使い、お酒のしずくを神々へと捧げて豊穣を感謝します。

【ウポポ(座り歌)とリムセ(踊り)】
厳かな儀式の後は、村を挙げての盛大な宴へと移ります。女性たちが輪になって手拍子とともにリズミカルな輪唱を響かせる「ウポポ」や、力強い足踏みとともに舞う「リムセ」が夜通し行われます。これらは単なる娯楽ではなく、「カムイ(神々)を楽しませ、共に喜びを分かち合う」という神聖で大切な意味合いを持っていました。

【トノト】
アイヌの儀式に絶対に欠かせないのが、ヒエ(稗)やアワ(粟)、キビなどの雑穀から醸造された伝統的なお酒「トノト」です。(後に和人との交易が盛んになると、米からも造られるようになりました)。
見た目は白く濁った「どぶろく」のようで、酸味と甘みがあり、非常に栄養価の高いお酒だったと言われています。祭りの数日前から、村の女性たちが祈りを込めながら大きな漆塗りの桶(シントコ)で仕込みました。


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