オホーツクの暁鐘 ~アイヌと極寒の諸民族を導き巨大連邦国家を創る~   作:サウス

19 / 37
お気に入り登録、感想ありがとうございます!
励みになってます。


第16話:暗闇の密貿易と、牙を研ぐ夜【1659年 秋】

 サㇽ・ペッ(沙流川)の河口から少し離れた、人を寄せ付けない切り立った崖の下。

 波の荒い隠し入り江には、骨の髄まで凍りつくような、冷たい秋の嵐が吹き荒れていた。

 

鋭い岩の陰で息を潜めるハルコルとペカンクㇽ、そして数名の屈強な若者たちは、容赦なく吹き付ける氷雨に獣皮の外套を濡らしながら、じっと暗い海を睨みつけていた。

「……遅いな。風にあおられて座礁したか、それとも、松前の見回り船に拿捕(だほ)されたか?」

 若者の一人が、ガチガチと歯を鳴らしながら不安げに呟く。

 無理もない。沖合の漆黒の暗闇には、時折、松前藩の巡視船が掲げる松明の灯りが、亡霊のように不気味に揺らいで見え隠れしているのだ。松前藩は近年、アイヌ同士の抗争による情勢不安を理由に、海上の警備を異常なほど厳重にしている。

 

「静かに。喋るな」

 ハルコルが鋭く囁き、手で制した。

 ギイッ、ギイッ……と、重い艪(ろ)が波を掻く音が、不気味なほど近くから聞こえてきた。数十メートル先の海上を、松前の巡視船がゆっくりと通り過ぎていくのだ。松明から漂う松脂の燃える匂いと、和人の水夫たちが交わすくぐもった話し声までが、風に乗って鮮明に下りてくる。

 もしここで誰かが咳払い一つでもして、この密貿易の現場を押さえられれば、サㇽの村は松前藩の武力によって火の海にされる。失敗すれば一族が滅びる、まさに首の皮一枚の綱渡りの夜だった。

 

やがて、巡視船の灯りと音が、嵐の向こうへと完全に遠ざかる。

「……よし。あの灯りの死角を見るんだ」

 ハルコルの声と同時に、真っ暗な波間から、突如として別の巨大な影が浮上した。

 帆も艪も黒く塗りつぶされ、波音に紛れるように艪に厚い布を巻きつけた一隻の和船が、岩礁を擦るような危うい操舵で音もなく滑り込んできたのだ。

 

「……へへっ。待たせたな、ペカンクㇽ殿」

 船べりから闇の中に姿を現した津軽の密貿易商人は、全身に冷たい波しぶきを浴び、塩にまみれていながらも、その顔には死線をくぐり抜けた者特有の不敵で狂気じみた笑みが張り付いていた。

 

「今年の松前の監視は、尋常じゃねえぜ。海沿いが戦火でピリついてるせいで、少しでも怪しい動きを見せた船は、問答無用で拿捕されて調べ上げられる。……だが、俺たち津軽の海駆けを舐めちゃいけねえ。わざと目立つ空の囮(おとり)の船を岬の向こうに走らせて、さっき上を通った松前の船の裏を綺麗にかいてやったのさ。生きた心地がしなかったがな」

「命知らずな奴らだ。だが、その度胸と操船術には感服する」

 ペカンクㇽが短く応じると、商人は冷えた手を擦り合わせながらニヤリと目を細めた。

 

「度胸と船の腕だけで飯は食えねえよ。さあ、約束の品は船底にたっぷりと積んである。……あんたらはどうなんだ? あの猛吹雪の夜に強引に前払いさせられた禁制品の『対価』、松前を出し抜くほどの極上の富を、本当に用意できたんだろうな?」

 

 商人は、疑心暗鬼と期待の入り混じった目を向けた。ただのアイヌの村が、松前を通さずにそれほどの富を用意できるはずがない、という常識がまだ彼の頭の片隅にこびりついているのだ。

 自信満々に胸を張る商人の目の前で、ペカンクㇽが背後の若者に顎でしゃくった。

 シュボッ、と音を立てて松明に火が灯される。

 

 その揺らめく炎が照らし出したのは、雪の積もり始めた岩場に小山のように積み上げられた極上の毛皮(ヒグマ、テン、キツネ)の束だった。

 そして――商人の視線は、その頂上に無造作に置かれた「布」に釘付けになった。闇夜の中でも妖しい光沢を放ち、金糸で編まれた龍が炎に照らされて躍動する、極彩色の絹織物。大陸の清王朝からもたらされた、幻の超高級品『蝦夷錦(えぞにしき)』だった。

 

「な……っ!? え、蝦夷錦!? 嘘だろ、本当に手に入れてきやがった……!?」

 商人は一瞬、呼吸を忘れたように驚愕に目を見開いたが、すぐに商売人としての鋭い貪欲さを取り戻し、雪の上に転がるように駆け寄って絹織物を撫で回した。

「くくっ……はははっ! こいつはすげえ、本物の清国の絹だ! 手触りがまるで違う! 江戸の豪商に売り捌けば、これ一枚で蔵が建つぜ! あんたら、いったいどんな手を使ってこれを手に入れたんだ!?」

 

「我らサㇽの信用は本物だと言ったはずだ。我々の作り出した『富の力』だ。……さあ、船底の荷を下ろせ。夜明けが来る前にすべてを運ぶぞ」

「おうよ! 野郎ども、急いで荷を下ろせ! 濡らすんじゃねえぞ!」

 

 商人の威勢の良い、しかし声を押し殺した号令で、水夫たちが慌てて舟から重い木箱を次々と運び出す。

 ハルコルは雨が入らないよう気をつけながら、その木箱の一つの蓋を開けた。鼻をつく独特の硫黄の臭いと、白く結晶化した硝石の粉。そして別の箱には、武器や道具の材料となる質の良い『鉄塊』がぎっしりと詰まっている。

 ハルコルはその白い粉(硝石)を指ですくい、そっと舌先に乗せて特有の冷たく苦い味を確かめた。

(完璧だ。これだけの量があれば、いつでも「あれ」が量産できる。……アイヌモシㇼの歴史が変わる火種だ)

 

商人は蝦夷錦を大事そうに油紙で包み込みながら、ペカンクㇽに向き直って鋭い視線を向けた。

「あんたらの働きぶりと信用は本物だ。これで俺たちは一蓮托生だな。だがペカンクㇽ殿、今回は囮を使って上手く出し抜けたが、次はどうなるか分からねえ。松前も馬鹿じゃねえから、警備はさらに厳しくなるはずだ。ぶっつけ本番で海を渡るには、いささか危険が大きすぎる」

「どうするつもりだ?」

「次は船を出す前に、身なりの目立たねえ使者を一人、和人の猟師を装って密かにそっちの村へ寄越す。いつ、どこで、どうやって荷をやり取りするか……風向きから月の満ち欠け、狼煙(のろし)の合図まで、事前に綿密な『打ち合わせ』が必要だ。この極上の裏道を、松前に嗅ぎつけられずに長く生かすためにな」

 

 ペカンクㇽが深く頷くと、商人はさらに目をギラつかせた。

「それから、次回の注文だ。この蝦夷錦も極上だが……次は『クロテン(黒貂)』の毛皮を可能な限り揃えておいてくれ。江戸の偉いお武家様たちが、あの黒く輝く毛皮を襟巻きにするために喉から手が出るほど欲しがっててな。揃えられた分だけ、言い値で買ってやるぜ」

「よかろう。クロテンだな。我らの猟師の腕を信じて待っていろ」

「交渉成立だ。また来年、必ず連絡をつける!」

 

 商人はホクホク顔で舟へ戻ると、手慣れた操舵で再び波の荒い闇の海へと消えていった。

 命の危険を冒してでも手放せないほどの莫大な利益。その強烈な麻薬のような魅力を、ハルコルは津軽の裏商人たちの脳に完全に植え付けたのだ。

 

 

 数日後。

 松前商人から合法的に「エモで生み出した毛皮」を対価にして引き出し、津軽商人から非合法に蝦夷錦を対価にして得た、大量の鉄、木綿、米俵、そして火薬の原料。それらが若者たちの手によって次々とニプタイの要塞の地下にある隠し蔵兼、工房へと運び込まれ、うず高く積まれていく。

 

「ハルコル様、こいつはとんでもねえ質の鉄だ! こんだけありゃあ、鍋や鍬(くわ)の修理どころか、俺の腕でいくらでも新しいモンが打てまさあ!」

 地下工房の炉の明かりに照らされながら、村の若き野鍛冶であるカニタが、運び込まれた鉄塊の山を見て目をギラギラと輝かせた。

「松前の連中が持ってくる鉄鍋は、叩けばすぐにパキンと割れちまうもろい鉄(鋳鉄)ばかりだった。だが、この津軽の鉄塊は違う。熱して叩けば叩くほど、飴のように伸びて強くなる『粘り』がある極上品だ!」

「頼むよ、カニタ。春に向けて、君にはその鉄で『雷(カムイフㇺ)』を呼ぶ恐ろしいものを作ってもらうことになるからね」

「へへっ、雷の武器か! どんな図面が出てくるのか、腕が鳴るぜ」

 

 カニタと笑い合った後、ハルコルはその豊かすぎる工房の光景を見届けながら、傍らに立つ父と、若き猟師カントを振り返った。

 

「父さん。僕らが蓄えたこの『圧倒的な富』は、同時に『最大の的(まと)』になる。……冬になれば、東のシャクシャイン軍と対峙して飢え切ったオニビシの兵どもが、血眼になって食糧を探し回るはずだ。少数の略奪部隊が、森に紛れてこのサㇽの奥深くへ侵入してくる可能性が高い」

 

「ああ、その通りだ。腹を空かせた狂犬は、何をしでかすか分からん。冬の森は食い物がねえからこそ、藁にもすがる思いで我々の要塞を嗅ぎつけに来るだろう。要塞に近づけさせる前に、森の奥深くで完全に摘み取る必要がある」

 ペカンクㇽは重々しく頷くと、歴戦の長としての凄まじい威圧感を伴った鋭い眼光を、カントに向けた。

「カント。夏の間、誰よりも早く木札(イトㇰパ)の管理を覚え、村の守りを固めてくれたお前に、新たな役目を命じる」

「俺に、ですか?」

「うむ。今日からお前を、この要塞の外縁と森の奥深くを警戒する『巡回部隊』の長(おさ)に任命する」

 

 ペカンクㇽの力強い言葉に続き、ハルコルが一つの分厚い布包みをカントに差し出した。

「これを、君たち巡回部隊に託すよ」

「こいつは……春の睨み合いでも使い、北への使者であるウタたちにも護身用として持たせた『機械の弓(クロスボウ)』ですね」

 カントが布を解くと、そこには頑丈な木の台座に極太の麻弦が張られ、鉄のカラクリ(引き金)が組み込まれた見慣れた武器が複数並んでいた。

 しかし、よく見れば以前のものよりもさらに洗練されている。これまで実戦や狩りで使ってきた者たちから丹念に使い心地を聞き取り、現場の要望に合わせてさらに使いやすいよう改善が施され、装填のしやすさと雪や湿気への耐久性が飛躍的に向上していた。

 

「うん。カニタに頼んで、君たちの部隊の人数分、改良をしてもらったんだ」

 ハルコルの言葉に、カントはニヤリと笑って真新しいクロスボウを手に取った。

「ありがてえ。こいつの恐ろしさは、俺たち猟師が一番よく分かってますよ」

 カントは先端の鉄の輪に足を掛け、全身の力を使って極太の弦をギリギリと引き上げ、鉄のツメに「カチッ」と固定する。そして素早く短い鉄の矢をつがえ、蔵の奥に置かれた分厚い薪の束に向けて、迷いなく引き金を引いた。

 

 ――ヒュッ、ドンッ!!

 

 弓特有の「ビュン」という大きな弦鳴りの音がほとんどしないまま、短い鉄の矢が薪の束を深々と貫通し、背後の土壁に突き刺さる。

「へへっ、相変わらず恐ろしい威力と静けさだ。アイヌの強弓でさえ、ここまで分厚い木を軽々と貫くことはできねえ。それに……」

 カントは鋭い狩人の目つきになり、手の中の武器を撫でた。

「これなら弓のように、腕をぷるぷる震わせながらずっと弦を引き絞っておく『腕力』がいらねえ。つまり、雪の塹壕にすっぽり潜り込んで、引き金に指をかけたまま『何時間でも獲物を待つことができる』ってわけだ」

 

「その通りだよ。寒さで体力を奪われる冬の山で、無駄な体力を使わずに、敵が雪の中を進んでいるところを音もなく狙撃できる。冬のゲリラ戦において、これほど恐ろしい暗殺武器はない」

 ハルコルが頷くと、カントはふと表情を引き締めた。

「だがハルコル様。いくら武器が凄くても、俺たち自身が雪山の寒さと飢えに耐えられなきゃ、待ち伏せどころじゃねえ。敵より先に俺たちが凍え死にますよ」

「心配いらないよ。君たちが雪の中で『火を使わずに暖を取る方法』と、『歩きながら食べられる極上の飯』も、ちゃんと用意してある」

 

ハルコルが自信に満ちた笑みを浮かべると、ペカンクㇽがカントの肩を太い手で力強く掴んだ。

「この莫大な富と、冬を越す村の皆の命……すべて、お前たち巡回部隊の双肩にかかっている。もしオニビシの略奪部隊がサㇽの森に足を踏み入れたら、一歩も要塞には近づけず、森の中で完全に狩り尽くせ」

 

「……お任せください、長(エカシ)、ハルコル様!」

 カントは、血気盛んな狩人としての眼光をギラリと光らせ、手にした「機械弓」を高く掲げた。

「ハルコル様の授けてくれたその知恵と『見えない弓』、そして俺たちの森の知識があれば、西の狂犬どもなどただの雪の餌食にしてやります。この富には、指一本触れさせやしねえ!」

 

 すべてを呑み込む白い冬が、すぐそこまで迫っていた。




第16話をお読みいただき、ありがとうございます!

おまけの解説コーナーです。
今回は「山丹交易(さんたんこうえき)」についてさらに詳しく解説します。

【山丹交易とは?】
当時のアイヌモシㇼ(蝦夷地)は、南の和人(日本)とだけ取引をしていたわけではありません。
北へ向かえば、カラフト(樺太)のアイヌたちを中継し、アムール川下流域の民族(山丹人と呼ばれたニヴフやウリチの人々)、そしてさらにその奥にいる大陸の巨大帝国(清王朝)と直接繋がる壮大な交易ルートを持っていました。これが「山丹交易」です。
アイヌは海を越えてユーラシア大陸の経済圏にまで食い込む、極めてグローバルで活動的な交易民族だったのです。

【 魅惑の山丹交易品】
大陸からアイヌモシㇼにもたらされた品々は、和人の世界でも滅多にお目にかかれない超高級品ばかりでした。代表的なものを2つ紹介します。

・蝦夷錦(えぞにしき)
鮮やかな絹織物です。清王朝の役人が着ていた豪華な絹の官服(清朝の服)そのものです。アイヌの大首長たちはこれを「権力の象徴」としてまとい、儀式の際の晴れ着として大切にしました。ちなみに、松前藩はこれをアイヌから買い上げ、徳川将軍家への献上品にしていました。それほど価値の高いものだったのです。

・タマサイ(青いガラス玉)
アイヌの女性たちが首飾り(シトキ)として身につける、美しい青色のガラス玉です。当時、北海道にはガラスを作る技術がなかったため、これらはすべて大陸から山丹交易を通じてもたらされたものでした。美しい青玉は、富と魔除けの象徴として非常に珍重されました。

【アイヌから大陸へ渡ったもの】
では、アイヌ側はこれらの超高級品と引き換えに何を渡していたのでしょうか?
それは、最高級のクロテンやキツネの「毛皮」、そして清王朝の貴族が矢羽として愛好した「大鷲の尾羽」などです。

* * * * *
お気に入り登録や評価、ご感想などをいただけますと嬉しいです!
調べきれていない点もあります。ご指摘もお待ちしています!
随時修正もしていきます。

ちょっと今後の展開を見直しているので次の更新まで間が空きます。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。