オホーツクの暁鐘 ~アイヌと極寒の諸民族を導き巨大連邦国家を創る~   作:サウス

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初投稿です。続くといいなぁ。

アイヌの歴史って面白いんですよ。
稲作の到来により弥生時代に入り、中央集権から国が成立していった本州。

一方、稲作が到来しなかった北海道(ヤウンモシㇼ)は続縄文文化へと違った歴史を歩んでいきます。

北海道は開拓地じゃない。
遥か前から人の暮らしがあった。
それがそのまま近代の波に飲み込まれず続いていたらなぁ・・・、というそんなIF。


【第1章】大地の秘宝と、知恵の種(1656年秋〜)
第1話:吹雪の記憶と、絶望の棚卸し【1656年 秋】


 雪の匂いは、前世も今世も変わらない。

 

 肺の奥まで凍りつかせる鋭い冷気。視界を白く塗り潰していく吹雪の轟音。あの白さはただ冷たいだけではない。輪郭も音も息も少しずつ削り取り、最後には何もかもを呑み込んでいく。死の色だった。

 

「……あ、計算……合わない、な……」

 

 それが、前世の最後の記憶だった。

 

 横断歩道の途中で足の感覚が消え、アスファルトに突っ伏した。頬に雪が叩きつける。冷たいはずなのに、もう痛みすら遠い。

 

(また、数字が合わないまま終わる)

 

 父は札幌で小さな下請け会社を経営していた。バブルが弾け、連鎖倒産の波に呑まれ、連帯保証の判を押していた父は事務所の床で脳出血を起こして死んだ。雪の降る夜だった。

 

 残された息子は大学を中退し、就職氷河期のどん底へ放り出された。潜り込んだ中小企業で経理・総務・在庫管理を一人で回し、終電を逃しては会社の床で眠る日々。親会社からは毎期、理不尽な単価の切り下げが降ってくる。どう帳簿を組み直しても利益が出ない。働けば働くほど搾取され、末端の人間から凍え死んでいく構造。

 

 誰も止められない。誰も助けてくれない。

 

 薄れゆく意識の底で、強烈な無念だけが胸を灼いた。

 

(……もし、もう一度やり直せるなら)

 

 誰かの叫ぶ声が遠のき──世界が、暗転した。

 

 

 

 

 

 

「ハルコル! あぁ、カムイよ……! ハルコル!」

 

 ふたたび耳に届いたのは、救急車のサイレンではなかった。

 

 泣き叫ぶような、掠れた女の声だった。それに混じる、鼻をつく煙の匂い。獣の脂の臭い。どこか甘い、焦げた樹皮の香り。

 

 重い瞼をこじ開けると、すすけた太い丸太の梁と、茅葺きの天井が視界いっぱいに広がった。煙が薄く這い、その向こうで囲炉裏の火の粉がパチパチと爆ぜている。窓のない薄暗い空間を、赤い光だけが照らしていた。

 

「……あ……」

 

 声を出そうとしたが、喉が割れるように痛んだ。口の中が干からびた土のように乾いている。全身が鉛のように重く、背中の下に敷かれた毛皮が汗でじっとりと湿っていた。

 

「熱が……熱が下がった! 気づいたかい、ハルコル!」

 

 見知らぬ女性が泣き崩れるように抱きついてきた。顔立ちの彫りが深い。口の周りにうっすらと青黒い入れ墨がある。骨ばった腕がハルコルの背を包み、涙が首筋に落ちて、熱かった。

 

 彼女の発している言葉は日本語ではない。だが、なぜかその意味が痛いほど自然に理解できた。

 

(カムイ……? ここは……チセか)

 

 自分の小さな手を見る。水疱の瘡蓋が残る、浅黒い子供の手だった。

 

 そこで、濁流のように今世の記憶が脳内へ流れ込んできた。

 

 自分の名前は「ハルコル」。年齢は六回目の秋を越し、七回目の冬を迎えるところだ。ここはアイヌモシㇼ(人間の住む大地)。その南、サㇽの日高の地にある小さなコタン。抱きついて泣いているのは母のトゥレㇷ゚。少し離れたところで腕を組み、安堵の息を吐いている屈強な男が父のペカンクㇽ。このコタンをまとめるコタンコㇿクㇽ(村長)で、自分はその跡継ぎだった。

 

(トゥレㇷ゚──冬を越す澱粉になる、あの百合の球根と同じ名だ)

 

 その名のとおりなのか、母は何日も息子の枕元で看病を続けていたらしい。氷水に浸した布を絞り続けた手のひらの皮が、ふやけて白くなっていた。

 

 数日前から続いていたひどい高熱と、全身に広がる吹き出物。生死の境を何度も彷徨っていたという。

 

 前世の記憶が薄れていくのと同時に、極寒の地で熱に浮かされる今世の意識が重なった。極限の高熱が引き金となり、二つの魂が結合したのだ。

 

 ハルコルが罹っていたのは、ただの風邪ではない。和人との交易によってこのアイヌモシㇼへ持ち込まれ、猛威を振るっている死の病──天然痘だった。

 

「……よかった。お前までカムイの国へ旅立ってしまったらと……」

 

 ペカンクㇽが太い手で顔を覆い、むせび泣いた。あの屈強な体が、子供のように震えている。

 

 喉の奥が、熱くなった。

 

 ハルコルは重い体をどうにか起こし、毛皮の寝床から這い出した。汗に湿った毛皮がぺたりと肌に貼りつき、剥がすだけで腕が震えた。

 

「ハルコル、まだ動いちゃダメよ!」

 

 トゥレㇷ゚の手が肩を掴んだ。力が強い。何日も布を絞り続けてきた手だった。

 

 その制止を振り切り、ふらつく足でチセの入り口の筵をまくる。

 

 冷たい秋の風が顔を打った。高熱で火照った肌に、痛いほどの冷気が突き刺さる。

 

 茅葺きのチセが六棟、身を寄せ合うように建っていた。その先はもう、深い森と灰色の空しかない。

 

 広場から、悲痛な泣き叫ぶ声が飛び込んできた。顔を覆って泣き崩れる村人たちの姿があった。

 

 ハルコルは一命を取り留めた。だが、免疫のないアイヌにとって天然痘はあまりにも致死率が高い。体力の少ない老人や幼い子供たちが何人も命を落としていたのだ。

 

 遺体の傍らでは、アイヌの葬儀が行われていた。死者がカムイモシㇼ(神々の死後の世界)で困らぬよう、生前使っていた小刀マキリや木鉢、装飾の首飾りタマサイなどが石で叩き割られていく。道具の魂を解放し、死者と共にあの世へ送るためだ。

 

 バキリ。バキリ。

 

 道具が壊される鈍い音が村人たちの慟哭と混ざり合い、秋風に乗って灰色の空へ昇っていく。

 

(……前世も今世も、同じだ)

 

 雪の降る夜、事務所の床で倒れていた父の姿が脳裏をよぎる。

 

 理不尽な力。抗えない波。備えなき者がいともたやすく命を落としていく。

 

 ハルコルは割れそうな頭痛に耐えながら、流れ込んだばかりの記憶を手繰った。

 

(天然痘だ。蝦夷地で何度も流行した記録がある──だが、いつの流行だ)

 

 それだけでは年は絞れない。だが、子供の記憶の中に別の糸口があった。

 

 囲炉裏を囲んだ夜。父が村の男たちと低い声で語り合っていた場面が浮かぶ。毛皮にくるまって半分眠りに落ちていた幼いハルコルの耳に、二つの名がくり返し届いていた。

 

 オニビシ。シャクシャイン。

 

 浜を挟んで東と西で睨み合う大きな首長たちの名。ついこの間、松前が間に入って和議を結んだという。だが小競り合いは続いていると、父は眉を寄せていた。

 

 和人と大きな戦になったという記憶はない。

 

 前世の記憶が、その名を捕まえた。

 

(シャクシャインの戦い──一六六九年。松前の仲裁で和議を結んだ直後。和人との戦はまだ起きていない。……一六五六年といったところか)

 

「……嘘だろ。最悪じゃないか」

 

 ひび割れた唇から、掠れた声が漏れた。

 

 あと十三年。

 

 一六六九年、シャクシャインの戦いが起きる。アイヌは松前藩の圧倒的な武力と卑劣な騙し討ちの前に惨敗し、その後に待つのは「場所請負制」という名の、終わりのない搾取だった。

 

(前世の言葉で言えば──逆らえない親会社による、永遠の下請け搾取の始まりだ。生かさず殺さず、帳尻の合わない予算で命をすり減らす地獄)

 

 前世では理不尽な経済の波に飲まれ、父が死んだ。今世では理不尽な武力と病に故郷が滅び、このままなら新しい家族も皆殺しにされるか、搾取の対象にされる。

 

(二度も同じ目には遭わない)

 

 ハルコルはゆっくりと筵から手を離し、チセの奥へ振り返った。

 

 高熱の余韻で体はまだ震えていた。だが、その目には深夜のオフィスで理不尽な要求を跳ね返すために帳簿を合わせていた時と同じ、冷たい光が宿っていた。

 

「母さん」

 

 はっきりとした声で言った。

 

「木札と、小刀を持ってきて。村の倉にある食べ物の数を、全部数え直す」

 

「え……? ハルコル、何を言って……まだ起き上がるのは早いよ」

 

「いいから! 天然痘で人が減って、この冬を越すための働き手も足りないはずだ。どんぶり勘定じゃ、冬の間に飢え死にする。まずは村の『在庫確認』だ」

 

 魔法などない。

 

 あるのは泥臭い実務経験と、二度と身内を失わないという執念だけだった。

 

 

 

 

 

 

 熱が下がった翌日。

 

 ハルコルはふらつく足で、コタンの高床式倉庫プーへと向かっていた。心配そうに後ろをついてくるトゥレㇷ゚と、何事かと目を光らせる父を尻目に、彼は無言で小刀を握りしめ、平たい木札を削り出していた。

 

 倉庫の重い扉を開けると、冷たく乾いた空気がまず鼻を突いた。獣の脂と干し魚の匂いが層になって沈んでいる。奥の暗がりでは古い毛皮が黴と脂の臭いを放ち、天井から吊るされたサッチェプ(干し鮭)の束が、かすかに揺れていた。

 

「ハルコル、まだ外に出るな。まずはカムイに祈りを捧げ──」

 

「父さん。悪いけど、そこのサッチェプの束、全部床に下ろして。干し肉と毛皮も。全部だ」

 

「な……何を言うか。神聖な備蓄だぞ。数なら私がだいたい把握している」

 

「『だいたい』じゃダメなんだ! 冬を越す前に死にたくなければ、言う通りにして」

 

 六歳の子供らしからぬ、底冷えのするような声だった。

 

 歴戦の狩人であるペカンクㇽすらも気圧され、言われるがままに備蓄品を床へ並べ始めた。

 

 限られた倉庫は無秩序に物が放り込まれていて隙間だらけだった。ハルコルはまず動線を確保し、品物ごとに木札へ小刀で傷を刻んでいく。

 

 十の位は深い傷。一の位は浅い傷。

 

 前世の経理経験を持つ小さな手が、ただの木札の傷を帳簿へ変えていく。

 

 すべての現物確認を終えたハルコルは、チセの囲炉裏の前に戻り、木札を並べた。

 

「……やっぱりだ。完全に赤字だ。この備蓄じゃ、冬を越せない」

 

「何を馬鹿な。鹿も獲れたし鮭もそこそこ上がった。交易に回す毛皮だってある」

 

「全部、運次第じゃないか。天候が崩れれば獲物はゼロになる。松前の交換比率だって向こうの言い値だ。鮭百本で米一俵──そんな商いに命を預けていたら、大雪が一度来ただけで全員飢え死にする」

 

 ペカンクㇽは言葉に詰まった。

 

 ハルコルは囲炉裏の火を見つめながら、はっきりと告げた。

 

「一番上質なクロテンとキツネの毛皮を全部売り払う。代わりに、和人の松前の商人が『ジャガタライモ』と呼んでいる根菜の種芋を、ありったけ買い付ける」

 

(痩せた寒冷地でも確実に育つ。あの不格好な根菜が、この村の命綱になる)

 

「イモだと? 得体の知れない草の根のために、誇り高き狩りの成果を売り渡せと言うのか! カムイの恵みを粗末に扱う気か!」

 

 ペカンクㇽが声を荒らげた。

 

 だが、ハルコルは怯まなかった。六歳の小さな体で立ち上がり、父を真っ直ぐに見据える。

 

「誇りじゃ腹は膨れない! カムイの恵みを無駄にしないために、計画的に備えを作るんだ!」

 

 血を吐くような声だった。

 

「僕に任せてくれ。必ずこの村を、誰にも搾取されない豊かで強い村にしてみせる。だから、最初の元手を僕に預けてほしい」

 

 ペカンクㇽは黙って息子を見つめていた。

 

 やがて、ゆっくりと頷いた。答えは一言もなかった。ただ、囲炉裏の薪を一本、火に足した。

 

 炎が、少しだけ明るくなった。

 

 小さな手に握られた小刀と、傷だらけの木札を、赤く照らしている。

 

 チセの外では、この秋最初の嵐が山から下りてきていた。




第1話をお読みいただき、ありがとうございます!
本作は「江戸時代のアイヌモシㇼ(アイヌの暮らす世界)」に放り込まれた氷河期サラリーマンが奮闘する物語です。

おまけで作中に登場した重要な用語のサクッと解説です。

【アイヌ・歴史用語】
コタン
アイヌの人々の「村」や「集落」のこと。父系集団で構成され、狩猟採集民だが漁業との関わりが深いアイヌは一箇所に定住する。コタンの規模は5~7軒ほど。

チセ
茅(かや)や笹などで作られた伝統的な「家」のこと。中央に囲炉裏があり、天井には鮭などを吊るして燻製にします。一世帯が暮らす。結婚して独立すると親のチセのそばに夫婦のチセを築く。

コタンコㇿクㇽ
村を持つものの意。「村長」のこと。ハルコルの父親。

サッチェプ(干し鮭)
秋に獲れた鮭を寒風で干し、囲炉裏の煙で燻製にした極寒の冬を越すための保存食。

シャクシャインの戦い(1669年)
史実において、不平等な交易を強いる松前藩(和人)に対し、アイヌの指導者シャクシャインが立ち上がった大規模な戦い。アイヌ側は敗北し、これ以降、決定的な搾取の時代が始まってしまいます。

場所請負制(ばしょうけおいせい)
シャクシャインの戦いの後、松前藩が和人の商人に、特定の地域(場所)での交易権を丸投げした制度。商人は利益を最大化するため、アイヌの人々に極めて不利なレートで労働や交易を強いるようになります。


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2026/3/11改稿
※天然痘の流行を年表に書いてたので反映
・主人公が罹患していた病気を天然痘に変更
・アイヌの葬式の描写を追加

2026/6/1改稿
全面的に描写を見直し
母の名前を明記
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