オホーツクの暁鐘 ~アイヌと極寒の諸民族を導き巨大連邦国家を創る~   作:サウス

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今回はシャクシャイン視点でお送りします。


幕間3:シペチャリの老雄と、影の参謀

 シペチャリ(静内)の海から吹き付ける初冬の風が、チャシ(砦)の土塁を鋭く撫でていく。

 静内川の左岸(東岸)、標高八十メートルを超える台地の突端に築かれた丘先式砦――『シペチャリ・チャシ』。

 

 もとは三重に掘り巡らされたという深い空堀と巨大な土塁に守られ、眼下の沖積平野から太平洋、そして日高山脈をも一望できるこの堅牢な要塞の頂で、アイヌモシㇼの東の集団・メナシクルを束ねる大首長シャクシャインは、分厚いヒグマの毛皮に身を包み、鉛色に沈む水面を見下ろしていた。

 深い皺の刻まれた顔は、長年の戦いと風雪に削られた古木のような威厳を放っている。

 

 その鋭い眼光の先にあるのは、凍てつく静内川を挟んだ対岸――西岸(右岸)の台地に敷かれた、忌まわしい敵の陣地だった。

 現在、この静内川が東西の勢力を分かつ絶対の境界線となっている。

 

 河口付近の西岸には、西の集団・シュムクルを率いる首長オニビシの軍勢が柵や野営地を築いてこちらを監視している。

 さらに川を遡った中流域でも、西岸にオニビシ方の『オチリシ・チャシ』が、東岸にはシャクシャイン方の『ルイオピラ・チャシ』が築かれ、両陣営が息詰まる睨み合いを続けていた。

 

 「……忌まわしい和人の犬どもめ」

 

 シャクシャインの喉の奥から、低い唸り声が漏れた。

 

 かつて、我らがアイヌは自由だった。

 先祖たちは自らの船で遠く本州の奥州まで渡り、豊かな海と山の恵みを和人の漆器や鉄と対等に交換していた。

 

 すべての歯車が狂い始めたのは、松前藩が「商場知行制」という一方的な掟を押し付け、交易を独占し始めてからだ。

 

 「……まったくですな。この夏の松前の『仲裁』以降、オニビシの奴らはあからさまに和人の山師どもを懐へ招き入れております」

 

 シャクシャインの背後から、皮肉げな和語混じりの声が響いた。

 振り返ると、一人の痩せこけた男が立っていた。

 

 名を、庄太夫(しょうだゆう)。

 

 和人社会から弾き出された彼はシャクシャインにその悪知恵を買われ、あろうことか大首長の娘婿となり、今やメナシクル陣営の参謀(知恵袋)として暗躍する異端の男であった。

 シペチャリのチャシには彼だけでなく、最上の助之丞(すけのじょう)、尾張の市左衛門、庄内の作右衛門など、松前を快く思わぬ流れ者の和人たちが幾人も身を寄せている。

 

 シャクシャインは顔の皺を深くして、ふっと口の端を上げた。

 

 「それにしても、この北の大地には色々な勢力が裏から手を伸ばしてくるものだなぁ。庄太夫、お主、本当の出身はどこだったか? ある者は『越後の鷹待(たかまち)』だと言い、またある者は『出羽国仙北の金掘り』だと言う」

 

 「さて。私のような根無し草の出どころなど、誰も気には留めないでしょう」

 

 「とぼけるな。お主もその出身の藩……たとえば『秋田の久保田藩』あたりと密かに繋がりがあるやもしれぬ、とワシは睨んでおるぞ。松前藩が我らの手で痛めつけられ弱まれば、どさくさに紛れて久保田藩がこのアイヌモシㇼに手を伸ばせるやもしれぬからなぁ」

 

 シャクシャインの鋭い鎌かけに、庄太夫はやれやれと肩をすくめた。

 

 「……またその話ですか、御義父(おやじ)殿。私はただの庄太夫。それ以上でも以下でもありませぬよ」

 

 飄々と躱す娘婿の背中を、シャクシャインは鼻を鳴らして見据えた。

 

 彼の素性が何であれ、松前の腹の内を読み解く和人の知恵は、今のシャクシャイン軍には必要不可欠だった。

 

 「オニビシの奴ら、砂金掘りの文四郎をはじめとする和人を積極的に護衛し、見返りに大量の鉄と酒を得ております。近頃では河口の少し上流……文四郎の居館の近くに、新たな対前線用の巨大な砦(のちのメナ・チャシ)を築こうと地固めまで始めているとか」

 

 「砂金を漁るために神聖な山を崩し、鮭の昇る川を泥で汚す和人どもを、アイヌの手で守るというのか。オニビシの魂は腐りきっておる」

 

 シャクシャインは吐き捨てるように言った。

 

 松前の搾取は留まるところを知らない。

 かつて干し鮭百本に対して米三十キロを渡していたものを今ではたった十キロまで減らし、交易に応じないコタンからは女子供を人質に取るという暴挙にまで出ている。

 

 今から十年ほど前の一六四八年。

 我慢の限界に達した東のメナシクルは、松前と結託して領分を侵してくるオニビシと全面衝突した。

 

 しかし一六五三年、当時の偉大なる大首長カモクタインは、オニビシの卑劣な騙し討ちに遭い、無念の死を遂げた。

 和睦の話し合いと称して酒宴に呼ばれ、丸腰で赴いたところを、オニビシたちが松前からもらい受けた鉄の刀でなぶり殺しにしたのだ。

 

 (変わり果てた主君の骸(むくろ)を拾い集めた日の、あの血の凍るような怒りを、ワシは生涯忘れることはない。オニビシ……あの男だけは、いかなる手を使おうと必ずこの手で引き裂く)

 

 当時、一介の小使(こづかい)に過ぎなかったシャクシャインは、その絶対的な憎悪を糧に、血みどろの抗争の中で大首長へと這い上がった。

 

 和人を憎みながらも、和人の知恵を借りてでも、カモクタインの無念を晴らさねばならないのだ。

 

 「……しかし、昨年の秋からこの夏にかけては、実に惜しかった」

 

 シャクシャインは、冷たい手すりに置いた拳にギリッと力を込めた。

 

 昨年の秋、一六五九年。

 長年の膠着状態にあった東の陣営のもとへ、西のサㇽ(沙流)の奥地、ニプタイの村から密使が訪れた。

 

 ニプタイを治める首長・ペカンクㇽからの「オニビシを抑え込んでほしい」という交渉と、それに伴う「莫大な物資の支援」の申し出だった。

 

 (ペカンクㇽ……。勇敢な戦士であることは昔から知っていたが、あの男が急に底知れぬ富を持ち、遠く離れたワシに兵糧を流してオニビシの背後を突かせるなどという、狡猾な手を打ってくるとはな)

 

 松前の目が行き届かぬ山奥の村から送られてきたのは、武器となる莫大な量の「鉄」と、飢えを知らぬほどの大量の干し鮭や干し肉だった。

 

 ニプタイからの支援を得たシャクシャイン勢は、一気に西へ進軍し、堂々とサㇽ川の流域まで勢力を伸ばすことに成功した。

 シペチャリ川に次ぐ豊かな恵みをもたらすサㇽ川。

 

 このままオニビシを完全に抑え込める、と誰もが確信した。

 だが、事態は今年の夏、一六六〇年に急転する。

 

 サㇽの河口を任されたオニビシの娘婿・ウタフが、和人から提供された鉄の武具で武装した軍勢を率いて、シャクシャイン勢へ決死の奇襲を仕掛けてきたのだ。

 鉄砲こそ持っていなかったものの、潤沢な和人の武具と執念の反撃を前にシャクシャイン勢は押し返され、血の涙を飲んで再びこの静内川の線まで後退させられた。

 

 そして、川を挟んで再び激しい睨み合いが始まった矢先――松前藩の軍船が静内川の沖合に姿を現した。

 松前の知行主たちは、金づるであるオニビシ陣営が滅びることを良しとせず、圧倒的な鉄砲の火力をちらつかせて強引に仲裁(介入)してきた。

 

 結果として、戦線はこの静内川を境界線として強引に凍結されたのである。

 

 「ペカンクㇽの目論見も、オニビシの執念と松前の横槍で潰れたというわけだ。……庄太夫、お前はあのニプタイの動きをどう見る」

 

 「得体が知れませんな」

 

 和人の参謀は、薄笑いを消して西の空を睨んだ。

 

 「松前の目を盗んであれほどの鉄や食糧を隠し持ち、西のヨイチや北のソウヤとも密かに繋がりを持っていると聞きます。まさか私と同じく和人の知恵者が糸を引いているとも思えませんが……少なくとも、ただの蝦夷の村の動きではありません」

 

 「……あるいは、ペカンクㇽ自身が、戦の先に『商い』という名の新たな牙を持ったか、だな。いずれにせよ、我らが飢えずに戦えたのは事実。あやつには、一つ大きな借りができた」

 

 シャクシャインは振り返った。

 

 薄らと初雪が積もるチャシの広場には、いくつもの焚き火が赤々と燃えている。

 火を囲むのは、夏の激戦で傷を負いながらも生き延びた東の戦士たちだ。

 

 彼らは痛む腕を庇いながら、トリカブトの毒(スルク)を丁寧に矢尻に塗り込み、松前とオニビシへの凄まじい復讐の念を刃に込めていた。

 その血気盛んな同胞たちを見下ろし、シャクシャインは静かに目を伏せた。

 

 (ワシは、先代の使い走りの小使から這い上がった男。だからこそ……ワシを信じて血を流すこの同胞たちを、一人残らず食わせ、生かす義務がある)

 

 「和人の理不尽な鎖を、力で引きちぎろうとするのがワシならば……ペカンクㇽは、富と兵糧で鎖そのものを溶かそうとしているのかもしれん。味方のままにしておきたい男だ」

 

 風が強まり、粉雪が舞い始めて視界が白く霞んでいく。

 

 老雄の胸の奥で、決して消えることのない反逆の炎が、静かに、しかし熱く燃え続けていた。

 遠からず、このアイヌモシㇼ全土を巻き込む大戦が起きる。松前か、和人に魂を売ったオニビシか、それとも変貌を遂げたサㇽの戦士か。

 

 「松前の小役人どもよ、せいぜい今のうちに砂金を漁り、ふんぞり返っておくがいい。……我らアイヌの怒りが沸点に達する日は、そう遠くないぞ」

 

 シャクシャインの呟きは、凍てつく初冬の風音にかき消され、シペチャリの深い空堀の底へと吸い込まれていった。




幕間3をお読みいただき、ありがとうございます!

おまけの解説コーナーです。


【和人の浸透:日高ゴールドラッシュと環境破壊】
十七世紀半ば、日高地方(静内川や沙流川の流域)は、未曾有の「砂金ブーム」に沸いていました。松前藩にとって砂金は最大の収入源であり、一攫千金を夢見る和人の山師(砂金掘り)たちが、藩の許可を得て、あるいは密入国に近い形でアイヌの聖域である山奥深くへと土足で踏み込んでいきました。
 作中に登場した「文四郎」も実在の人物であり、彼は現在の静内川上流に居館を構え、オニビシ陣営と深く結託して砂金採掘を行っていました。

しかし、このゴールドラッシュはアイヌの生活基盤を根底から破壊しました。砂金を取るために山を切り崩し、川に大量の泥水を流した結果、アイヌにとっての神の魚(カムィチェㇷ゚)である鮭が遡上できなくなったのです。


【謎の和人「庄太夫」ら流れ者】
シャクシャインの傍らに立つ和人の参謀・庄太夫。史実の記録(『松前泰広出陣書』など)にその名が刻まれている人物です。
 当時のアイヌには、庄太夫以外にも多くの和人が入り込んでいました。その多くは、本州の過酷な年貢や幕藩体制の締め付けから逃れてきた浪人、金掘り、鷹待(タカ使い)といった「社会の流れ者」たちです。

彼らはアイヌの女性と結婚して婿となり、和人の最新技術や文字、そして「松前藩の弱点」をアイヌに伝えました。シャクシャインの蜂起が、これまでの局地的な紛争を越えて「対松前藩」という組織的な大戦争へと発展した背景には、これら和人知恵袋たちの暗躍があったと言われています。
 作中でシャクシャインが冗談めかして言った「秋田の久保田藩との繋がり」も、当時、松前藩の交易独占を快く思わぬ東北の諸藩がアイヌを支援していたのではないか、という歴史ミステリーに基づいています。



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次回からは第三章です。
プロットはできてて書き始めてますが投稿は少々お待ちください。



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