オホーツクの暁鐘 ~アイヌと極寒の諸民族を導き巨大連邦国家を創る~   作:サウス

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書いてたらどんどん長くなってしまいました。
なので、前後編に分割しお送りします。


第24話:春の川底と、最初の鉄【1661年 春】(前編)

 ざあ、と。

 

 サㇽ(沙流川)の水面が、光を弾いていた。

 

 長い冬が終わった。ニプタイの大地を覆い尽くしていた雪が、山の上から順に溶け始めている。細い沢水が、太い流れが、あちこちから地面を割って現れ、やがてサㇽの本流に注ぎ込む。冬の間は氷の甲冑に覆われていた川が、今は青黒い水を轟々と押し流し、両岸の木々を揺らしていた。

 

 雪解け水は冷たい。手を差し入れれば、指先が瞬時に痺れる。だが同時に、その水は大地の滋養を運んでくる。山肌の土を、岩の欠片を、そして──砂を。

 

 川底に沈む、黒い砂を。

 

 

 

 

 

 

「よいしょっ……と。ハルコル様、こいつを見てくだせえ」

 

 カニタが膝まで川に浸かりながら、両手に持った板を掲げた。

 

 長さ三尺ほどの平たい板。縁が少しだけ反り上がるように削られ、底にはアットゥㇱ(樹皮衣)の端切れが敷いてある。冬の間にカニタとハルコルが設計し、村の男たちの手で何枚も作り上げた簡素な道具だった。

 

 板の上に、川底から掬い上げた砂が薄く広がっている。その中に、黒い粒が集まっていた。川砂の灰色に混じって、墨を擂り潰したような重い黒。

 

 ハルコルは岸辺に膝をついて、板の上の砂を指先で触れた。

 

 ずしり、と。

 

 砂のくせに、指に伝わる重さが違う。通常の砂の数倍は重い。

 

「……これが砂鉄だ」

 

 ハルコルの声が、川の音に混じって消えた。

 

(磁鉄鉱。通常の砂の倍以上。水流の中では重い粒が底に沈み、軽い砂は流される。……この原理を利用すれば、特別な道具がなくても砂鉄を選り分けられる)

 

「やり方は分かった。板を緩く傾けて、上から水を流す。軽い砂は流れ落ちて、重い黒い砂だけが布に引っかかって残る」

 

 カニタが板を傾けた。掌で水を掬い、上から流す。さらさらと灰色の砂が流れ去り、板の上に残ったのは──黒い粒の帯だった。

 

「おお……こいつは面白えな。砂の中から、黒い粒だけ選り分けられる」

 

「その黒い粒が、鉄になる」

 

 カニタの手が、わずかに震えた。職人の手ではない。期待に震える、少年のような手だった。

 

 

 

 岸辺では、村の男たちが同じ作業に取り掛かっていた。

 

 ペカンクㇽが約束した通り、人手は惜しみなく出された。十人の男たちが腰まで川に入り、板を操って砂鉄を集めている。水は骨まで冷たいが、誰も文句を言わなかった。冬の間に山際の工房で燃え上がった天秤鞴の火の話は、既にコタン中に伝わっている。「ハルコルが、鉄を作ると言った」──その一言で、男たちは川に入った。

 

「ちっ、手が利かねえ……」

 

 カントが水の中で舌打ちした。巡回部隊長の手は弓を引くための手であって、板を揺するための手ではない。だが文句を言いながらも、板から目を離さなかった。黒い粒が集まるのを、血気のある目でじっと見つめている。

 

「カント、板の角度が急すぎる。もう少し緩くしないと、砂鉄まで流れ落ちる」

 

「分かってらあ。……こういう手仕事は性に合わねえんだよ」

 

「いいから丁寧にやれ。今集める一粒が、やがてお前の武器になるんだ」

 

 カントの動きが変わった。「武器になる」──その言葉だけで、荒い手つきが嘘のように繊細になった。武人にとって、武器に繋がる作業は全て「戦の準備」だった。

 

 

 

「──あれ? こいつは何だ」

 

 少し離れた場所で板を操っていた、まだ若い男が声を上げた。ハルコルが歩み寄る。男が板の上を指差していた。

 

 黒い砂鉄の帯の中に、小さな粒が一つ、二つ、ぽつりと混じっている。

 

 黄色い粒。

 

 陽の光を受けて、鈍く、しかし確かに黄金色に光っていた。

 

「……砂金だ」

 

 ハルコルが呟いた。

 

 男の顔が強張った。

 

「砂金って……あの、和人が高値で買うっていう、あの」

 

「そうだ」

 

 周りの男たちが集まってきた。カントも、カニタも、板を手にしたまま覗き込む。黒い砂の中に輝く、小さな黄色い粒。

 

(金は、鉄よりさらに重い。比重は鉄の倍以上ある。……比重選鉱で砂鉄を選り分けていれば、砂金も当然一緒に残る。北海道は、金の産地としても歴史が古い。沙流川流域に砂金が出ても、不思議はない)

 

 前世の記憶の隅にあった情報が、繋がった。むしろ、砂鉄を採っていて砂金が出ないほうが、この土地では珍しいのかもしれなかった。

 

「すげえな……。鉄だけじゃなく、金まで出るのかよ」

 

 カントが声を弾ませた。だがハルコルは、慎重に首を振った。

 

「喜ぶのはまだ早い。量が少なすぎる。これだけでは装身具の一つも作れない」

 

「でも、和人はこれを高く買うぜ」

 

「だからこそ、今は黙っていたほうがいい」

 

 ハルコルは男たちの顔を見渡した。

 

「和人の商人が、このコタンで砂金が採れると知ったら、どう動くと思う? 少しでも儲けの匂いがすれば、奴らはすぐに群がってくる。今、鉄作りの最中に、砂金のことで連中に付きまとわれたくない」

 

 男たちが頷いた。

 

「でも、捨てるのはもったいねえ」

 

 若い男が不安そうに言った。

 

「捨てない。別の革袋に分けて、保管する」

 

 ハルコルは腰の革袋を一つ取り出した。空の袋だった。

 

「砂鉄を選り分ける時に、黄色い粒が出たら、こっちに入れてくれ。少しずつでも、積み上げていけばいい。いつか、必要な時が来る」

 

「いつか?」

 

「今は鉄が優先だ。鉄があれば道具が作れる。道具があれば畑が広がり、食い物が増える。食い物が増えれば人が増える。──金は、その後でいい。金でしか買えないものが必要になった時、この袋を開ける」

 

 ハルコルは男の手から砂金の粒を受け取り、空の革袋に落とした。

 

 ちゃり、と。

 

 袋の底で、小さな音が鳴った。

 

(種を蒔く時期を間違えれば、芽は出ない。砂金も同じだ。今、これを使おうとすれば、コタンの形が歪む。……温存する。それだけだ)

 

 

 

 午前中いっぱいかけて、十人の男たちが集めた砂鉄を一つの革袋にまとめた。

 

 ハルコルが袋を持ち上げた。

 

 ずしり、と。

 

 両手で抱えて、ようやく持てる重さだった。だが中身を覗けば、袋の底にたった数掴み分の黒い砂が溜まっているだけだ。

 

「……少ねえな」

 

 カントが呟いた。

 

「十人がかりで半日やって、これっぽっちか」

 

「砂鉄ってのは、そういうもんだ」

 

 カニタが革袋を受け取り、指先で中身を摘んだ。黒い粒を陽にかざす。微かに光る、鉄の砂。

 

「和人がひた隠しにしてきた秘密の一つだぜ、カント。鉄ってのは、こういう地味な砂から生まれるんだ。派手な話じゃねえ。地道に集めて、地道に溶かして、地道に叩く。それだけだ」

 

「だが、それを俺たちが自分でやるってことに意味がある」

 

 ハルコルが静かに言った。

 

「和人が売ってくる古釘や割れ鍋は、向こうの言い値だ。欲しければ頭を下げろ、毛皮をもっと寄越せ──そうやって、鉄で僕らの首根っこを押さえてきた。でも、この川底の砂は違う。これは僕らの川で、僕らの手で拾い上げた、僕らの鉄だ」

 

 誰も何も言わなかった。

 

 カントが砂鉄の粒を一つ掌に載せ、じっと見つめた。それからゆっくりと拳を握った。

 

「……明日も。次はもっと集める」

 

 

 

 

 

 

 砂鉄の採取は、春の日課になった。

 

 朝、男たちが川に入る。昼までに砂鉄を集め、午後は畑と狩猟に戻る。その繰り返しが、一日また一日と積み重なっていく。

 

 最初の三日間で集まった砂鉄は、両手に収まる程度だった。だが男たちの手が慣れてくるにつれ、量は少しずつ増えていった。板の角度、水の流し方、川底を掘る深さ──コツが体に染み込むまで、愚直に繰り返す。五日目には革袋が一つ満杯になった。十日目には二袋。

 

 ミナが帳簿に砂鉄の採取量を記録し始めた。一日あたりの平均量、天候との相関、川の水位による収量の変化。炭の数字が木札に刻まれていく。

 

「水位が高い日の方が、砂鉄が多く流れてくるわ。上流で雪が溶けている証拠ね」

 

「なるほど。じゃあ雪解けが進む今のうちが勝負だ」

 

「もう一つ。川の曲がっている内側に、砂鉄が溜まりやすい場所がある。男たちに伝えておいた方がいい」

 

 ハルコルは頷いた。ミナの計算は、いつも正確だった。感覚ではなく数字で物事を測る。その能力がどれほど重要か、前世で経理を担当していたハルコルには痛いほど分かる。

 

 

 

 半月が過ぎた頃、山際の工房の隅に並んだ革袋は七つになった。

 

 カニタが袋を一つ持ち上げて重さを確かめ、にやりと笑った。

 

「……そろそろ、やりますか」

 

 

 

 

 

 

 製鉄炉は、山際の鍛冶工房とは別の場所に新たに据えられていた。

 

 工房から少し離れた斜面の窪地。カニタが冬の間に設計を済ませ、雪解けと同時に男たちの手を借りて一から造り上げた、製鉄だけのための場所だった。粘土を叩き固め、何層にも重ねて壁を築き、内側には川底から集めた砂利を敷いて断熱層とした。炉の底──湯溜まりと呼ぶべき窪みが掘られ、溶けた鉄がそこに集まるように設計されている。

 

 最大の違いは、羽口(はぐち)の位置だった。

 

「前の炉は、横から風を入れてた。でも今度は斜め下から突っ込んでる。砂鉄が溜まる底に、直接風が当たるようにしたんでさあ」

 

 カニタが炉の口を指さした。粘土で固められた送風管が、天秤鞴から炉の底部へと伸びている。

 

「ハルコル様が言った通り、羽口の角度を変えるだけで火の当たり方がまるで違う。前の炉じゃ、熱が上に逃げるばかりだった。今度は砂鉄の真下から煽る。逃げ場がねえ」

 

「炉の壁は」

 

「粘土を四層重ねた。外から触っても、人肌くらいにしか温まらねえ。これなら崩れねえ」

 

 ハルコルは炉の内壁に手を当てた。滑らかな粘土の表面。冬の間にカニタが何度も塗り直し、乾かし、また塗り直した跡が、層になって見える。

 

(たたら製鉄の原理そのものだ。砂鉄を木炭と交互に重ねて、送風で温度を上げて還元する。……だが、カニタは前世の知識など持っていない。炉の前に座り続けて、自分の手と目で最適な構造を見つけ出した。この男の職人としての勘は、本物だ)

 

「よし。少量で試しにやろう」

 

 

 

 カニタが炉の底に木炭を敷いた。

 

 その上に砂鉄を撒く。黒い粒が赤い炭の上に散らばり、炉の底に薄い層を作った。さらにその上に木炭を重ね、また砂鉄を撒く。木炭と砂鉄の層が、交互に積み上がっていく。

 

「火を入れますぜ」

 

 カニタが火種を炉に落とした。

 

 木炭の表面に炎が走る。赤い火が、じわじわと広がっていく。

 

 カニタが天秤鞴の踏み板に足をかけた。深く息を吸い、踏み込む。

 

 

 

 ゴォォォ──ッ!

 

 

 

 天秤鞴が唸りを上げ、嵐のような風が羽口から炉の中に吹き込んだ。赤い火が一瞬で白に変わり、すさまじい熱波が辺りを満たした。

 

 カニタが踏み続ける。左足、右足。右足、左足。途切れることのない風が、炉の底を灼き続ける。

 

「温度、上がってきやがった……!」

 

 炉の口から吹き出す熱が、顔を焼く。カニタは汗を拭う暇もなく踏み続けた。炉の中の木炭が白く燃え上がり、その間に挟まれた砂鉄が、じわじわと赤く色を変え始める。

 

 ハルコルは炉の口から少し離れた位置で、火の色を見つめていた。

 

(まだだ。砂鉄を鉄に変えるには、もっと温度が必要だ。千二百度、いや千三百度──木炭では完全に溶かすことは難しいが、還元には十分なはずだ)

 

「カニタ、まだ踏み続けてくれ」

 

「分かってますよ……!」

 

 カニタの額から汗が滝のように流れていた。足が重くなり始めている。だが止まらなかった。鍛冶師の意地が、足を動かし続けていた。

 

 

 

 半刻が過ぎた。

 

 

 

 カニタの足が止まった。限界だった。膝が笑い、もう一歩も踏めない。

 

「交代だ」

 

 控えていた若い男が踏み板に飛び乗った。途切れかけた風が、再び勢いを取り戻す。カニタは壁にもたれかかり、荒い息を吐きながらも目だけは炉から離さなかった。

 

 交代しながら、五人の男が順番に天秤鞴を踏み続けた。

 

 三刻が過ぎた頃。

 

「……来た」

 

 カニタが立ち上がった。

 

 炉の口から漏れる光の色が、変わっていた。木炭の白い光の間に、鈍く橙色に光る別の何かが混じっている。

 

「ハルコル様、見えますか。あの色……木炭とは違う光だ」

 

「ああ。砂鉄が還元され始めている」

 

「かんげん?」

 

「砂の中の鉄の粒が、炭の力で純粋な鉄に変わり始めているんだ。……もう少しだ。もう少し、風を送り続けてくれ」

 

(砂鉄は粒が細かい分、大量の風を送り続けないと炉の中で目詰まりを起こす。手押しの鞴では到底間に合わない。天秤鞴がなければ、そもそも砂鉄からの製鉄は始まらなかった)

 

 

 

 四刻目。

 

 カニタが火箸で炉の中を探った。

 

 ガリ、と。

 

 何かが火箸の先に当たった。木炭ではない。砂でもない。もっと硬い、金属的な手応え。

 

「……何か、ある」

 

 カニタが慎重に火箸を動かし、炉の底から塊を掻き出した。

 

 真っ赤に焼けた、不定形の塊。表面に灰と鉄滓(てつさい)がこびりつき、見た目はただの焼け石のようだった。だがカニタの手は震えていた。重さが違う。手応えが違う。

 

 塊を石の台に載せ、水をかけた。

 

 ジュウウ、と激しい蒸気が上がり、視界が白く曇った。

 

 蒸気が晴れた。

 

 

 

 黒ずんだ灰色の塊。親指の先ほどの、いびつな形。表面には鉄滓の殻がへばりついているが、カニタが小刀の先で殻をこじ開けると──

 

 ちらり、と。

 

 鈍い銀色の光が、暗い炉場の中で瞬いた。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 カニタの手が、完全に止まった。

 

 息を飲む音が、炉場に響いた。カニタだけではない。踏み板の男たちも、壁際で見守っていたハルコルも、誰もが声を失っていた。

 

 銀色の塊。

 

 親指の先ほどの、小さな粒。

 

 だがそれは、和人から恵んでもらったものではない。松前の商人が値をつけたものでもない。

 

 サㇽの川底から拾い上げた砂が、カニタの炉の中で、天秤鞴の風に煽られて、木炭の火に灼かれて、この大地から生まれ出た──鉄。

 

「……これが」

 

 カニタの声が掠れた。

 

「これが……自分たちの手で生まれた、最初の鉄だ」

 

 

 

 誰かが、ごくりと唾を呑んだ。

 

 静寂が、炉場を満たした。炉の火がパチリと爆ぜる音だけが響いている。

 

 カニタが鉄の粒を指先で摘まみ上げた。掌の上に載せて、じっと見つめる。

 

「……これが、丸一日踏んだ末の、たったこれだけか」

 

「最初は、それでいい」

 

 ハルコルが歩み寄り、カニタの掌を覗き込んだ。

 

(鉄滓が多い。炭素の含有量も不均一だろう。鋼と呼ぶには程遠い。……だが)

 

「カニタ。この粒を叩いてみてくれ」

 

「叩く?」

 

「金床の上で。いつもやっているように」

 

 カニタが頷いた。火箸で粒を掴み、再び炉に放り込んで赤く焼いた。それを引き出し、金床の上に載せる。

 

 小さな槌を取り上げ、振り下ろした。

 

 

 

 キンッ。

 

 

 

 甲高い、澄んだ音が炉場に響き渡った。

 

 和人から買い叩いた古釘を叩く時の、鈍くくぐもった音とは全く違う。硬く、鋭く、芯のある音。

 

 カニタの目が見開かれた。

 

「この音……」

 

「分かるか」

 

 もう一度、槌を振り下ろした。

 

 キンッ。

 

 同じ音。同じ手応え。

 

「すげえ……。和人の古釘とは比べもんにならねえ。こいつは……こいつは、いい鉄だ」

 

 カニタの声が震えていた。泣いているのではなかった。笑っているのだった。職人が、自分の手で生み出した素材の質に、純粋に歓喜していた。

 

「ただし」

 

 ハルコルが静かに言った。

 

「今の量では、矢じりが二、三本がやっとだ。道具にはほど遠い」

 

「分かってますよ。だが、道筋は見えた」

 

 カニタが鉄の塊を掌の上で転がした。

 

「炉の温度をもっと上げる。送風の時間を長くする。砂鉄と木炭の比率を変えてみる。炉の構造も、まだ改良の余地がある。羽口の角度をもう少し変えれば──」

 

「そうだ。全部、これから詰めていく。何度も失敗して、少しずつ量を増やしていく。急がなくていい。……ただし、止まるな」

 

「止まるわけがねえでしょう」

 

 カニタが笑った。

 

「この音を聞いちまったら、もう止まれねえですよ」

 

 

 

 

 

 

 夜。

 

 地上に戻ったハルコルは、囲炉裏の端に座って火を見つめていた。

 

 炉場で生まれた親指大の鉄は、鍛冶工房に持ち帰られ、カニタの作業台の上に大切にしまわれている。明日からまた砂鉄を集め、炉に投じ、鞴を踏む日々が始まる。

 

 ペカンクㇽが、いつものように隣に座った。何も聞かない。ただ、息子の横顔を見ている。

 

「できたよ、父さん」

 

「鉄か」

 

「ああ。まだ小さいけれど」

 

「……小さな種から、畑は始まる」

 

 ハルコルは少し驚いた。エモのことを言っているのだ。四年前、掌に収まるほどの小さな種芋から始まった畑が、今ではコタンの全員を養い、同盟コタンにまで広がっている。

 

「種芋と同じだと?」

 

「違うか」

 

「……違わないね」

 

 ペカンクㇽが腕を組んだ。

 

「種を蒔いたら、芽が出るまで待つ。焦って掘り返せば、根が切れる。お前は、待つことを知っている。それでいい」

 

 それだけ言って、ペカンクㇽは立ち上がった。チセの奥へ向かう背中が、囲炉裏の光に照らされて大きく見えた。

 

(この父がいなければ、何も始まらなかった。人手も、時間も、この父が与えてくれたものだ)

 

 

 

 筵(むしろ)を分けて、ミナが座った。手に帳簿の木札を持っている。

 

「今日の記録。砂鉄の投入量に対して、取り出せた鉄の重量はこれくらい」

 

 木札を見せた。投入した砂鉄の量に対して、取り出せた塊のうち、叩いて使えそうな鉄は一割にも届いていない。残りの大半は鉄滓の殻と、炉の底にこびりついて取り出せなかった塊だ。

 

「本当なら、もっと取れていいはずなのよね。砂鉄には、もともと半分以上は鉄が入っているはずだって、ハルコルが言っていたでしょう」

 

「ああ。理屈の上ではね」

 

「でも、実際に取れたのはこれだけ。……残りは全部、鉄滓に混ざってるのかしら。それとも、炉の底にこびりついて取り出せていないのか。このままだと、鍬一つ打つのに何日もかかる」

 

「最初はそんなものだ。炉の温度が足りていないのと、砂鉄の中の不純物が多すぎるのが原因だと思う。温度が上がりきらないと、鉄が鉄滓と綺麗に分かれずに、一緒くたになって流れ落ちる。カニタが炉を改良するたびに、この数字は良くなっていくはずだ」

 

「じゃあ、毎回の数字を全部記録しておく。炉の改良と鉄の量の変化を追えるようにしておけば、どの改良が効果的だったか分かるでしょう」

 

「……頼む」

 

 ハルコルは小さく笑った。ミナの提案は、いつも的確だった。

 

「ねえ、ハルコル」

 

「ん?」

 

「今日の鉄──小さかったけれど、みんなの顔が変わっていたわ。カニタさんだけじゃない。踏み板を踏んでいた男たちも。……カントも」

 

「カントが?」

 

「帰り際に、小さな声で言っていたの。『あの音を、もう一度聞きてえ』って」

 

 ハルコルは火を見つめた。キンッ、というあの音が、耳の奥で鳴り続けている。あの音は、ただの金属音ではない。この大地で、この民の手から生まれた鉄の、産声だった。

 

「……ミナ。帳簿に項目を一つ追加してくれ」

 

「何を?」

 

「『鉄の品質』。叩いた時の音と手応えを、カニタの言葉で記録していく。数字では測れないものもある。でも、職人の感覚は嘘をつかない」

 

 ミナが少し考えて、頷いた。

 

「分かった。カニタさんに毎回聞くわ」

 

 

 

 囲炉裏の火が、小さく爆ぜた。

 

 ハルコルは炉場の方角へ目をやった。窓の向こう、夜の闇の中で、カニタの炉がまだ赤い光を放っている。明日からまた、砂鉄を集め、炉に火を入れ、天秤鞴を踏む日々が始まる。

 

 今日生まれたのは、親指ほどの鉄だった。それを何十倍、何百倍に積み上げなければ、鍬にも、鉞(まさかり)にも届かない。道は、長い。

 

 

 

 サㇽ川の水音が、夜の闇に溶けていく。

 

 その川底で、まだ無数の黒い粒が、次に掬い上げられる日を待っていた。




第24話前編をお読みいただき、ありがとうございます!


おまけの解説コーナーです。

【北海道の砂鉄資源】
「鉄を作る」と聞くと、巨大な鉄鉱石の鉱山をイメージしがちですが、日本の伝統的な製鉄は川や海辺で採れる「砂鉄」を主原料としてきました。
 実は、火山大国である北海道は砂鉄の宝庫です。火山の岩石に含まれる鉄分(磁鉄鉱)が、長い年月をかけて風化し、雨や雪解け水と共に川へと流れ込みます。沙流川を含む日高地方や、太平洋沿岸(のちの噴火湾周辺など)には、極めて良質な砂鉄が大量に堆積していました。


【比重選鉱(ひじゅうせんこう)】
鉄は普通の砂の2〜3倍の重さがあるため、水の流れを利用することで軽い砂だけを洗い流し、重い砂鉄だけを底に残すことができます。



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