オホーツクの暁鐘 ~アイヌと極寒の諸民族を導き巨大連邦国家を創る~   作:サウス

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第35話:有珠山寛文噴火【1663年 夏】

 大陸の東の縁に、島が、連なっている。

 

 南へ南へと、弧を描いて連なる、その島々の、北方。寒流の洗う海に抱かれた、大きな島が、ひとつ、横たわっていた。深い森と、長い川と、火を孕んだ山々を、その身に負った島だ。古くからこの島に住む者は、それを、アイヌモシㇼ──人間の、静かな大地、と呼んだ。

 

 その島の、西の海の縁に──ひとつの山が、坐っていた。

 

 ウㇲ。──入江、という名だ。

 

 山の裾に、海が深く切れ込んで、静かな入江を抱いている。その入江を見下ろす山だから、人は、入江と山とを、同じ名で呼んだ。海の幸を採る者も、山の背後に住む者も、皆、その名で呼んだ。ウㇲ。

 

 だが、山がどのようにして、その姿になったのかを、古くからこの島に住む者──アイヌも南方の島に住む和人も、誰一人、知らなかった。

 

 頂が馬の蹄のように開いて窪んでいるのは、かつて、そこが、内側から崩れたからだ。

 

 

 

 この山が生まれたのは、人の数えられぬほど、昔のことだった。

 

 まず、もっと大きな大地の腹が、裂けた。山ひとつぶんどころではない、一際大きな大地が、内側から崩れ落ちて、巨大な窪みを作った。その窪みに水が溜まり、丸い湖になった。湖の真ん中には、後から押し上げられた島が、ぽつりと、浮かんだ。

 

 その湖の、海側の縁に──ウㇲは、後から、せり上がってきた。

 

 地の底から、熔けた火が、昇るたび。山は太り、丈を伸ばした。何度も、何度も。人の祖の、祖の、そのまた祖が、この大地にようやく来た頃には、ウㇲは、海を見下ろす、一個の山に、なっていた。

 

 だが、太りすぎた山は、自らの重さに、耐えかねた。

 

 ある時、山の南の半身が、まるごと、崩れ落ちた。

 

 崩れた土と岩は、川の水よりも速く、坂を下った。木をなぎ倒し、丘を呑み、海へと雪崩れ込んだ。海に届いてもなお止まらず、海の底を這って、入江の形を、作り変えた。大小の土の塊が、なだれの止まったところに、点々と、小山になって残った。──今、入江のほとりに、こぶのように散らばっている、いくつもの小さな丘。あれは、その時の、山の、屍だ。

 

 南の半身を失った山は、頂を、馬の蹄のような形に開いたまま、静まった。

 

 そして、眠った。

 

 

 

 その眠りは、長かった。

 

 どれほど長かったか。──人の言葉では、数えきれぬ。

 

 海の向こうの大陸で、王朝がいくつも興っては滅び、文字が生まれ、紙が漉かれ、火薬が練られ、銃が作られた。海の南の島で、稲が植えられ、城が築かれ、刀が打たれ、戦が幾百も起こって、幾百も終わった。

 

 その長い長い間、ウㇲは、ただ、眠っていた。

 

 馬蹄に開いた頂の窪みには、草が生え、木が根を張った。崩れた半身の傷跡にも、森が、戻った。鹿が斜面を駆け、熊が木の実を漁り、鷲が頂の上を、ゆっくりと、旋回した。山は、すっかり、ただの山の顔を、していた。

 

 人々は、その山が、かつて南の半身を投げ捨てた山であることを、忘れた。

 

 いや──忘れたのではない。最初から、誰も、知らなかった。

 

 山が最後に咆えたのは、人の記憶が口から口へと渡される、その鎖の、いちばん遠い端よりも、さらに昔のことだったからだ。

 

 最も長く生きた老人の、その曾祖父の、そのまた曾祖父の、誰の記憶にも、ウㇲが火を噴いた夜は、刻まれていない。語り部の語りの中に、ウㇲの名は、ない。

 

 言い伝えの、ない山だった。

 

 

 

 

 

 

 その山が、眠りの底で、寝返りを打ち始めたのは──木の芽の膨らむ季節の、ある夜のことだった。

 

 誰も知らぬ地の底で、熔けた火が、ゆっくりと、頭をもたげた。

 

 長い眠りの間に、地の底の道は、固く、塞がっていた。火は、その塞がった道を、押し上げようと、上へ、上へと、力を、溜め始めた。

 

 その力が、まず、地の表に届いたのは──ひとつの、短い、横揺れだった。

 

 その揺れは、海沿いの土を、震わせた。だが、この大地で、地震は、珍しくない。揺れは一度きりで、大地は、また、眠りについた。

 

 ──その眠りが、まやかしの眠りであることを、見抜いた者は、いたのだろうか。

 

 

 

 地の底の火は、それから、二度、月が満ちて欠ける間、力を、溜め続けた。

 

 そして、夏が、来た。

 

 日が、一年でいちばん長くなりきった頃。──地の底の火が、ついに、塞がった道の、最後の蓋を、押し破ろうとし始めた。

 

 

 

 入江のほとりの村──コタンで、水を汲んでいた者が、土鍋の水が、風もないのに、円い小皺を立てて、震えるのを、見た。

 

 次の瞬間、地面が、ことり、と鳴った。

 

 ごく短い、ごく小さな揺れ。──だが、その夜、揺れは、もう一度来た。夜半に、また一度。

 

 翌朝には、揺れは、誰の目にも、明らかになっていた。

 

 朝餉の土鍋の水が震えるたび、人々は、顔を見合わせた。地の鳴るたびに、子どもが遊びの足を止め、不思議そうに、地を見下ろした。

 

 揺れは、止まなかった。

 

 一日に、九度。十数度。──やがて、数えるのを、やめるほどに。日を追って、間は短くなり、揺れは、強くなった。夜になると、人々は、寝つけなくなった。

 

 だが、空は、相変わらず、夏の青を、保っていた。西の空に、雲ひとつ、なかった。

 

 ──地の底の火が、頂のすぐ下まで、迫っていることを、空は、何ひとつ、語らなかった。

 

 

 

 四日が、過ぎた。

 

 その夜半。

 

 地の底で、ついに、最後の蓋が、破れた。

 

 

 

 地の底の道を、塞いでいたもの。それは、地下水を含んだ、冷たい岩盤だった。

 

 下から迫る熔けた火が、その水を含んだ岩盤に、触れた。

 

 水は──ひといきに、湯気に、変わった。

 

 わずかな水が、目に見えぬほどの間に、何百倍もの湯気に膨れ上がる。その膨れる力が、頂の蓋を、内側から、爆ぜ飛ばした。

 

 ずう……ん……。

 

 地の底から、腹に響く、低い音が、湧き上がった。雷のようでもあり、遠い波音のようでもあり──だが、雷でも、波でもなかった。一度鳴って、しばらく止んで、また鳴る。鳴るたびに、地が、震えた。

 

 そして、頂の窪みから──赤い火が、夜明け前の空を、焦がし始めた。

 

 

 

 明けの空が、灰色に、変わった。

 

 頂で爆ぜた地の底の火は、砕けた岩を、細かい粉にして、空へ、空へと、吹き上げていた。その粉が、上空の風に乗って、東へ、東へと、流れ始めた。

 

 やがて、灰が、降った。

 

 雪のように、静かに。だが、雪ではなかった。冷たくもなく、溶けもしない。積もった灰を擦れば、ざらりと、砂のように、指を削った。焦げた石の匂いと、硫黄の、つんとする匂いが、混じっていた。

 

 葉の上に、畝の穂に、茅葺きの屋根に。──山の風下の大地が、うっすらと、灰色に、染まり始めた。

 

 夏の青は、空から、消えた。空一面が、薄い、灰色の幕に、覆われ、太陽は、その幕の向こうに、ぼんやりと、白い円盤になって、滲んだ。昼が来ても、その日は、夕暮れのように、薄暗かった。

 

 

 

 山に、近いほど、灰は、深く、降った。

 

 入江のほとりのコタンは、その日、灰の下に、消えた。

 

 降り積もった灰と、軽い石の粒が、屋根を押し潰し、畑を埋め、人の歩く道を、消した。逃げ惑う者の足元に、空から、爪の先ほどの、白い軽石が、ぱらぱらと、降り注いだ。

 

 その軽石は、驚くほど、軽かった。石のはずなのに、まるで、枯れた木の屑のように。指で押せば、ぷすりと潰れる、泡立った石。──地の底の火が、空高くで泡立ち、冷えて、固まり、空から降ってきたものだった。

 

 ここまで運ばれてくる軽石が、これほど小さく軽いということは──山のすぐ近くには、これより、ずっと大きいものが、降っていた。拳ほどの。人の頭ほどの。それが、山麓の家々の屋根を、突き破り、火を、放った。

 

 逃げ遅れた者が、いた。

 

 入江を見下ろす山の麓で、灰と石に家を焼かれ、五つの命が、消えた。

 

 逃げのびた者は、振り返った。

 

 振り返ると、コタンのあった場所が、灰色の山に、なっていた。そこに、確かにあったはずの、家も、畑も、棚も、何ひとつ、見えなかった。ただ、灰色の、なだらかな丘が、煙を、上げていた。

 

 

 

 二日目。

 

 西の咆哮が、ひときわ、大きくなった。

 

 ずうううん──。

 

 これまでで、いちばん、大きな音だった。地が、はっきりと、揺れた。

 

 そして、その音の後──西の空に、あるものが、立ち上った。

 

 灰色の空の、さらに向こう。西の地平から、巨大な、黒い柱が、まっすぐに、天へ、伸びた。

 

 煙、という言葉では、足りなかった。それは、生き物のように、内側から膨れ上がりながら、空へ、空へと、伸び上がっていく。柱の根元は、墨を流したように黒く、上に行くほど、灰色に、白に、ほどけていく。そして、天の高みで、横へ、横へと、傘のように、広がった。

 

 その柱は、夏の最も高い雲を、軽々と、突き抜けていた。天の、どこまでも、高く。

 

 黒い柱の根元では、ときおり、赤い火が、ちらりと、閃いた。

 

 地の底の火が、もはや、水に妨げられることなく、まっすぐ、頂から、噴き上がっていた。泡立った石と灰を、天まで届く柱にして、ひといきに、吐き出していた。

 

 その黒い柱は、海を渡った遠くの里からも、見えた。南の海の向こう、和人の城下の者が、北の空に立つその黒い柱を見て、不吉な噂を、囁き交わした。

 

 

 

 黒い柱が立ってから、灰の降りようが、変わった。

 

 それまでの、霧のような細かい灰に、より大きな、軽石の粒が、混じり始めた。ぱらり、ぱらり、と。山から離れた風下の大地でも、地面が、一日で、足首が埋まるほどに、なった。歩くたびに、軽石が、ぐしゃ、ぐしゃと、足の下で、潰れた。

 

 灰の害は、山に近いほど、深刻だった。

 

 山のすぐ東、ソペッ(壮瞥)のあたりでは、灰と軽石が、人の背丈ほども、降り積もった。さらに東のシラオイ(白老)でも、地面が、すっかり、灰色に、覆われた。山の南西から東にかけて、広い帯のように、大地が、灰色に、塗り潰されていった。軽石は、遠く、トカプチ(十勝)の平野にまで、達した。

 

 海にも、軽石は、降り注いだ。

 

 軽い石は、水に、沈まなかった。海面に、びっしりと、浮いた。浮いた軽石が、寄り集まり、層を成し、岸から沖まで、まるで、陸地のように、海を、覆った。──岸から、遠く沖合まで。海の上を、歩いて渡れそうなほどに、軽石が、敷き詰められた。

 

 漁の舟は、その軽石の海に、閉じ込められた。櫂を漕いでも、舟は、軽石を掻き分けるばかりで、進まなかった。

 

 

 

 三日目の夜、空から、奇妙なものが、降った。

 

 細い、ガラスのような、金色がかった毛だった。

 

 蜘蛛の糸より、少し太い。長さは、指の節ほど。それが、夜の闇の中を、ふわり、ふわりと、雪のように、舞い落ちた。

 

 手のひらに受ければ、冷たくはなく、硬く、ちくりと、皮膚を刺した。──まるで、極細の、ガラスの針。

 

 熔けた石が、空高くで、風に引き伸ばされて、糸になり、冷えて、固まったもの。髪の毛のような、石の糸だった。

 

 その金色の毛は、風に乗って、はるか、南へ、運ばれた。海を渡り、津軽まで、届いた。

 

 南方に本州と呼ばれる南北に細長い別の島がある。その北の果てに位置する弘前の城下では、空が、にわかに暗くなった後、空から、長さ三寸、四寸ほどの、毛のようなものが、雪のように、降ってきた。人々は、天地の終わりが来たのかと、恐れおののいた。──地の底から噴き上がった石が、糸になって、海を越え、本州の北の果てにまで、降り注いだのだ。

 

 地の底の咆哮は、音となっても、遠くへ、伝わった。

 

 より遠い盛岡の地でも、庄内の地でも、人々は、北の空から伝わってくる、地鳴りのような響きを、聞いた。誰も、その音が、どこから来るのかを、知らなかった。

 

 

 

 灰は、山を囲む大地の、隅々まで、降り注いだ。

 

 入江を見下ろす山の、東と南。海沿いに点々と連なっていたコタンは、灰と、海の暴れに、ことごとく、呑まれた。倉が潰れ、家が焼け、畑が消えた。──この大地の西側に住む者たちが、ひといきに、住む場所を、失った。

 

 生き残った者は、灰の道を、歩き始めた。全身、灰色に染まり、荷も持たず、ただ、命だけを、抱えて。灰の薄い土地を、目指して。東へ。あるいは、内陸へ。

 

 灰は、東の大首長の領にも、降った。本拠そのものは、直接の灰の害を、まぬかれた。だが、傘下の、海沿いのコタンが、軒並み、灰に覆われた。

 

 西の大首長の領は、さらに、悲惨だった。沿岸のコタンが、灰と、海の暴れに、ことごとく、呑まれた。まとまった力として、立ち直れぬほどの、痛手だった。──この大地の、西の勢いが、ひといきに、傾いだ。

 

 灰は、勢力の境を、知らなかった。東も、西も、アイヌも、和人も、ただ、等しく、灰色に、塗り込めた。

 

 

 

 灰は、それから、幾日か、降り続け──やがて、薄れていった。

 

 山の咆哮が、間遠になった。

 

 地の底の火は、長い眠りに溜め込んだ怒りを、ひといきに、吐き出して、力を、使い果たしつつあった。あれほど高く立ち上っていた黒い柱が、日に日に、低く、細くなっていった。

 

 頂で噴き上げられた、夥しい量の石と灰の一部は、馬蹄に開いていた山の南の口を、再び、内側から、塞いだ。

 

 ──南の半身を失って、馬蹄の形に開いていた頂が、自らの吐き出したもので、ふさがれ、丸い、臼のような窪みに、なった。

 

 和人が、その姿を見て、こう言うことになる。──臼に似ている、と。穀物を搗く臼を、地に伏せて置いたような形だ、と。そして、その音に「臼」の字を当て、臼が嶽、臼岳と、書きつけた。

 

 

 

 そして、ある朝。

 

 灰の幕が、晴れた。

 

 空が、青かった。

 

 久しぶりの、青空だった。太陽が、白い円盤ではなく、本物の、まばゆい光の塊として、東の空に、昇った。

 

 西の地平を見やれば──黒い柱は、もう、なかった。ただ、薄い、白い煙が、ひとすじ、西の山の方角から、立ち上っているだけ。あの、天を突くような、咆哮の柱は、影も、形も、消えていた。

 

 山は──静まった。

 

 七千年ぶんの力をひといきに吐き出して、また、眠りに、戻ろうとしていた。

 

 

 

 灰は、ただ、災いだけを、もたらしたのでは、なかった。

 

 灰には、土を肥やす力がある。降り積もった年は、畑が、痩せる。だが、灰を、土によく混ぜ込めば、年を重ねるごとに、土は、肥える。──生き残り、灰の年を、越えた者の前には、いつか、蘇った畑が、待っている。

 

 だが、それは、すぐには、来ない。

 

 灰に覆われたこの夏の噴火は、後の世の人々が、文献に書き記す、有珠の山の、最も大きな噴火と、なった。

 

 そして、この噴火だけでは、終わらなかった。

 

 この少し前、東の駒ヶ岳が、すでに、火を噴き、海を崩していた。この少し後には、北の樽前の山が、また、火を噴くことになる。北の大地の南西部で、山々が、相次いで、咆哮した、その時代。降り続く灰が、大地を痩せさせ、獣を減らし、魚を細らせていく。

 

 その、積もり積もった飢えと、痩せた大地の、苦しみが──やがて、この大地の者たちを、立ち上がらせる、ひとつの、遠い火種に、なっていく。

 

 だが、それは、まだ、先の話だ。

 

 

 

 

 

 

 灰の朝の、青空の下。

 

 灰に覆われた大地の、あちこちで、人が、動き出していた。

 

 灰に埋もれたコタンの跡で、生き残った者が、灰を掻いていた。灰の道を歩いてきた者は、まだ、歩いていた。痩せ細った大地の上を、命だけを抱えて。

 

 その者たちが、どこへ、向かうのか。

 

 灰の薄い土地に、彼らを迎える支度を、整えていた村が、あったのか、なかったのか。

 

 ──それは、灰が晴れた後の、人の、物語だ。

 

 この夏、ウㇲは、七千年の眠りから覚め、咆え、そして、また、眠りについた。

 

 大地に残ったのは、灰色の、天地。

 

 言い伝えの、なかった災いが──その夏、ひとつの、言い伝えに、なった。

 

 備えた者だけが見る、灰色の天地の、夜明けが──白々と、明けようとしていた。




第35話をお読みいただき、ありがとうございます!
今回は人物の出てこない、噴火そのものだけを描いた特別な回でした。


おまけの解説コーナーです。
有珠山一六六三年(寛文三年)噴火について。

【噴火規模──VEI5】
有珠山の一六六三年噴火は、文献に記録が残る有珠山噴火のなかで最大規模でした。噴出した総量は見かけの体積で約二・七八立方キロメートル、マグマに換算しても一・一立方キロメートル。火山爆発指数(VEI)でいうと「5」にあたります。
VEIは0から8までの段階で噴火の規模を表す物差しで、5というのは「非常に大きい」クラス。一九九一年のフィリピン・ピナトゥボ山がVEI6、一九八〇年のアメリカ・セントヘレンズ山がVEI5ですから、有珠の寛文噴火はあのセントヘレンズと同じ桁の噴火だった、ということになります。


【噴火の推移】
松前藩主・松前志摩高広が幕府に提出した報告書(「松前志摩在所山焼申儀注進之事」)に、噴火の経過が驚くほど具体的に残っています。
それによると、旧暦七月十一日(新暦では一六六三年八月十三日)から十三日まで、「無間少宛地震仕候」──絶え間なく小さな地震が続いた。そして十四日(八月十六日)の明け方から山が焼け出し、十五日(八月十七日)にはいよいよ地震が大きくなり、おびただしい灰が降ったと記されています。
地質学の研究でも、堆積物のいちばん下にある層が八月十六日の噴火、その上の最大の層が八月十七日のクライマックスにあたると結論づけられています。これに基づき本文中では、「マグマ水蒸気噴火→プリニー式噴火(噴煙柱)」という二段階で描いています。


【降灰量】
噴火のクライマックスである八月十七日のプリニー式噴火で噴き上がった降下軽石は、上空の風に乗って、ほぼ真東へ流れました。灰は山の西側にはほとんど降らず、東へ東へと細長く広がったのです。
積もった厚さは、噴火湾沿いでは桁外れでした。現在の壮瞥町のあたりで約三メートル、白老でも一メートル。これはもう「降り積もった」というより「埋まった」という量です。家も畑も、文字どおり灰の下に消えました。
そして驚くのは、その広がりです。地質学の調査によれば、この降下軽石は有珠山から東へ二〇〇キロメートル離れた十勝平野の南部でも、はっきりと地層として確認できます。二〇〇キロの地点でも厚さ約四センチ。二〇〇キロというのは、札幌から函館までの直線距離より長いです。一つの山が、それだけの範囲を灰で覆ったのです。
なお、ニプタイは有珠山から約一〇〇キロ。降灰量は約一〇センチと推定されています。


【軽石ラフト】
松前藩の報告書には、こんな一節があります。山の焼けた灰が、有珠から沖合二千七百間あまり(およそ五キロメートル)まで、「陸地のごとくに成候」──海面が陸のようになった、と。
これは「軽石ラフト」です。軽石は内部に無数の空洞を持つため水に浮きます。噴火で大量に海へ落ちた軽石が寄り集まり、層をなして海面を覆い尽くす。報告書はさらに「足場和らかに候得て、参り難く」、つまり踏むと柔らかくて(舟も人も)進めない、とまで書いています。沿岸で海の幸に頼って暮らす人々にとって、海が使えなくなることが何を意味したかは、想像にかたくありません。


【ペレーの毛】
三日目の夜に降ってきた「金色がかった、ガラスのような毛」。これも記録に残っています。
津軽藩の記録(「津軽家紀」)に、十六日(新暦八月十八日)「辰刻地震、馬頭の鬣の如き物降る」とあります。「馬のたてがみのような物が降ってきた」というのです。これは火山毛、いわゆる「ペレーの毛」と考えられています。ハワイの火の女神ペレにちなんだ名で、溶けた溶岩が空中で風に細く引き伸ばされ、ガラス繊維のように固まったもの。
すごいのは、これが津軽——つまり海を越えた本州の北端、弘前のあたりまで届いていることです。火山の毛が津軽海峡を越えて降る。それだけ噴煙が高く上がり、強い偏西風に運ばれたということです。


【音は庄内まで、揺れは弘前まで】
噴火の轟音も、とんでもない距離まで届きました。松前藩の報告書は、噴火の鳴動が「北国の内、庄内まで響き申す由」——東北の庄内地方(今の山形県)まで聞こえたと記しています。
噴火活動そのものは、八月十七日のクライマックスのあとも一気には終わらず、断続的に水蒸気マグマ噴火を繰り返しながら、八月末ごろ(旧暦七月末)まで、およそ二十日間続きました。


【噴火に伴う山体の変化】
噴火が収まったあと、山頂の地形が変わりました。
それまで南側に開いていた火口が、噴き出した大量の軽石や火山灰で再びふさがれ、現在のような臼状のくぼんだ地形になったのです。


【アイヌの人々への影響】
松前藩の報告書には、短いけれど重い一文があります。「うす近邊之夷之家焼、或灰降埋申候、夷五人立退兼、相果申候」──有珠近辺のアイヌの家が焼け、あるいは灰に降り埋められ、アイヌ五人が逃げ切れずに亡くなった、と。文献に残る、この噴火の死者数です。
しかし、本当に深刻だったのは、直接の死者の数ではありませんでした。

第一に、生活基盤の喪失です。噴火湾沿岸は、アイヌの人々が漁労と狩猟、わずかな採集で暮らす土地でした。そこへ三メートルもの軽石と灰が降り、家も食料の蓄えも畑も埋まった。海は軽石ラフトで使えず、川は灰で濁り、鮭が遡上できなくなる。陸では、灰をかぶった草を食べる鹿が減り、木の実も灰にまみれる。狩る獣も、捕る魚も、採る木の実も、いっぺんに細っていく。これは、その年だけの飢えでは終わりません。

第二に、これがこの時代の北海道で「単発の災害」ではなかったことです。有珠山が噴く少し前、一六四〇年に渡島駒ヶ岳が大噴火を起こし、山体崩壊と津波で多くの命を奪っていました。そして有珠の四年後、一六六七年には樽前山が大噴火します。たった三十年たらずの間に、北海道南西部で三つの大火山が立て続けに噴いたのです。

降り積もった灰は土地を痩せさせ、鹿や鮭といった生き物を減らし、人々の暮らしをじわじわと締めつけていきました。そしてその六年後の一六六九年、シャクシャインの戦いという、アイヌ史上最大規模の蜂起が起こります。この相次ぐ噴火による環境の悪化が、蜂起の遠い一因になったのではないか——そう考えられてもいます。


(参考文献:日本活火山総覧(第4版)(気象庁編、2013)。産業技術総合研究所 gsj地質調査総合センター「有珠火山地質図(第2版)」。新室蘭市史第一巻。中村有吾・松本亜希子・中川光弘「噴出物から推定した有珠山1663年噴火の推移」地学雑誌114巻4号、2005年。松前藩・津軽藩の古文書については同論文および『増訂大日本地震史料』『新収日本地震史料』所収の記録に拠りました)




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