オホーツクの暁鐘 ~アイヌと極寒の諸民族を導き巨大連邦国家を創る~   作:サウス

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幕間5:大目付の文箱【江戸・松前泰広視点】

 寛文三年(一六六三年)、初秋。

 

 江戸城外堀の内側、旗本屋敷が連なる一角に、松前泰広(まつまえやすひろ)の借り受けた屋敷がある。

 

 その狭い書院で、泰広は、文机の灯を前に、一通の書状を繰り返し読んでいた。

 

 舅(しゅうと)からの、文(ふみ)であった。

 

 

 

 大目付・北条安房守(ほうじょう あわのかみ)氏長。

 

 慶長十四年の生まれで数えて五十五。後北条の血脈──曾祖父に北条綱成、外曾祖父に北条氏康。小田原で家を潰され、父は岩富の家督を奪われて失意の中で亡くなった。その遺児が五百俵から身を起こし、鉄砲頭・持筒頭・新番頭を歴任して大目付にまで累進した。甲州流軍学を修め、北条流兵法を立てた兵学者。従五位下・安房守。──そして、泰広の妻の父。

 

 文には、こうあった。

 

 「内々に、話したき儀あり。明日、辰の下刻に」

 

 御役儀の伝達であれば「仰せ渡し」と書く。大名の糾察であれば「御用の儀」とある。──だが「内々に」とだけ。役目の顔か、舅の顔か。その境が曖昧なのは、氏長の常套であった。

 

 (安房守様は、書き方一つで、人を量(はか)るお方だ)

 

 泰広は、文を畳み、懐に入れた。

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 

 秋雨はやんでいたが、空はなお灰色に低く垂れ込めていた。

 

 泰広は、儀礼の脇差だけを差し、供の若党一人を従えて、外堀沿いを北へ歩いた。氏長の屋敷は、泰広の住まいから四半刻ほどの距離にある。

 

 

 

 玄関で名を告げると、若い用人が、すぐに奥へ通した。

 

 客の座ではなく、氏長の用部屋だった。

 

 

 

 炭の匂いが、まず、鼻に触れた。

 

 良い炭だ、と泰広は思った。泰広の屋敷の雑炭(ざつずみ)とは違う、樫炭(かしずみ)の澄んだ匂い。大身旗本の用部屋に相応(ふさわ)しく、秋雨の冷えを払う大ぶりの火鉢には、鋳物の足に家紋が刻まれていた。

 

 ──三つ鱗(みつうろこ)。後北条の紋。

 

 その紋は、泰広の妻の打掛にも入っている。

 

 文机は広く、磨かれた板の上に、二枚の書付が、墨の匂いを漂わせて置かれていた。

 

 

 

 氏長は、文机の向こうに坐していた。

 

 泰広より十六も年嵩(としかさ)。髪は薄く、頬には深い皺が刻まれているが、目は鋭い。鉄砲を撃ち、絵図を読んで生きてきた目であった。

 

「──来たか」

 

 低い声。

 

「おはようございまする、安房守様」

 

「まあ、坐れ」

 

 茶が、すでに用意されていた。泰広は座に着き、茶碗を受けた。湯気が細く立ち昇る。舅と婿の、初秋の茶──もし書付の二枚がなければ、穏やかな朝であったろう。

 

 だが、文机の上の紙が、穏やかさを許さなかった。

 

 泰広は、何気なく──しかし明確に──二枚の書付に目をやった。一枚は松前家の花押が入った正式の届、もう一枚は町方のらしい写し。

 

 氏長は、泰広の視線に気づいたのか、茶碗を置いて、右手の指で一枚目を引き寄せた。

 

「──これは、そなたが取り次いだものだな」

 

 松前家が御公儀へ上げた、山焼の注進状であった。

 

 

 

 

 

 

 注進状の表書きには、「松前志摩守在所山焼申儀注進之事」とあった。

 

 泰広が今年の夏、松前家の名代として老中へ届けた書付の控えだった。

 

 氏長が、低い声で、注進状の概要を確かめていく。短い問いを、一つずつ、炭の爆ぜる間に置いた。

 

「虻田の浜で、灰が三丈」

 

「はっ。山の麓から、壮瞥(そうべつ)の辺りまで、三丈余りの堆積にございました」

 

「十勝の野にまで、灰が降った」

 

「十勝のみならず……弘前では空が暗くなり、毛のようなものが雪のように落ちた、と」

 

 氏長は軽く頷いただけだった。だが、泰広は、舅の目が注進状の文字を追いながら、別のものを読んでいるのを感じた。

 

 (……安房守様の頭の中には、絵図がある)

 

 兵学者は、報告書を読みながら、頭の中で地形を描く。虻田から十勝まで──蝦夷の南岸を東へ走る海岸線を、氏長は、灰の降った幅として、脳裏に刻んでいるのだ。

 

「浜の蝦夷が、五人、家ごと焼かれて死んだ、と」

 

「左様にございまする」

 

「──で、あの地には、今、蝦夷が何人おるのだ」

 

 泰広は、一瞬、間を置いた。

 

「……それがしには、正確な数は」

 

「分からぬか」

 

「現地の差配は、家中の蠣崎の者どもの掌中にございまする。それがしの管掌は、江戸表のみにて」

 

 氏長は、ちらりと婿の顔を見た。

 

 泰広は、その視線を受け止めた。弁解ではない。事実だ。松前家の重臣──蠣崎蔵人広林(かきざきくらんど ひろしげ)、蠣崎広隆の一族は、現地で蝦夷との交易と浜の差配を握っている。蠣崎から上がる数字が、どれほど正確で、どれほど歪んでいるか。泰広にはそれを検めるすべがない。

 

 (蠣崎の家の者どもが、浜で蝦夷から何をどう取り立てておるか。──それがしは知らぬ。いや……知らぬことに、しておる)

 

 氏長は、それ以上、追わなかった。

 

 

 

 

 

 

 氏長が、もう一枚の書付を引き寄せた。

 

 町方の筆跡で清書された、漂流人の口書の写しだった。

 

「勢州松坂の廻船問屋の沖船頭。──安五郎、と申す者」

 

 泰広は、その名に覚えがなかった。

 

「一昨年、蝦夷地より北の島に漂着し、島伝いに南へ下って十勝の浜に辿り着き、松前を経て江戸へ戻った男だ」

 

 氏長は、口書の一節を、指で叩いた。

 

「択捉。国後。そこから蝦夷地の東の海岸を、七十日かけて辿っておる」

 

 泰広の背筋が、かすかに伸びた。

 

「──あの地を、己の目で見た和人は、数少ない」

 

 氏長は、そこで初めて、舅の顔を脱いだ。大目付の目が、婿をまっすぐに見た。

 

「一昨年、この男の口書が町方に上がった折、写しを取り寄せた。──山が焼けた今、改めて読み直しておる」

 

 (──御公儀の目が、北を向いている)

 

 泰広は、茶碗の縁を指で撫でながら、胸の奥で、その一語を反芻した。

 

 (山が焼けただけではない。二年前の漂流人の口書まで引き出して、蝦夷の地を、知ろうとしておられる)

 

 

 

 

 

 

 氏長は、口書の写しから、一節を読み上げた。

 

「『蝦夷人、木綿を盗り、ラッコの毛皮一張を置く。和人、これを得』」

 

 泰広は黙って聞いた。

 

「さらに、こう書いておる。『蝦夷人、その掟あり。和人の理(ことわり)、彼方に通ぜず』」

 

 氏長は、紙から目を上げた。

 

「──この船頭は、蝦夷の掟に、畏れを持っておる」

 

 低い声だった。だが、その声の底にある読みは、船頭が込めた意味とは、まるで別のものだった。

 

「我らの法に縛られぬ者が、蝦夷地には、おるのだな」

 

 間。

 

 泰広は、その言葉を、喉の奥で受け止めた。

 

 (……違う)

 

 (この船頭は、蝦夷の掟を、そのように読んで欲しかったのではあるまい)

 

 (「通ぜず」と書いたのは、恐れでも警戒でもない。──あれは、畏敬だ。己の理屈が及ばぬ場所があった、と認めた言葉だ)

 

 だが、それを口にすることは、できなかった。蝦夷にも蝦夷の理がある、と言えば──蠣崎の交易が、その理をどれほど踏みにじっているかに、話が及ぶ。蠣崎の所業を咎めることは、松前家の屋台骨を揺らすことだ。

 

 (──舅御の前でも、これは、言えぬ)

 

 泰広は、茶碗を置いた。

 

「……船頭は、驚いたのでございましょう。北の島で、初めて蝦夷を見た者の、素朴な感懐かと」

 

 氏長は、しばらく泰広の顔を見つめた。

 

 何かを測るような、静かな目だった。

 

「──そうか」

 

 一語で、引いた。

 

 

 

 

 

 

「ところで」

 

 氏長の声音が、わずかに柔らかくなった。──舅の顔に、戻ったのだ。

 

「甥御(おいご)の矩広(のりひろ)殿は、息災か」

 

「はっ。五つになりましてございます」

 

「そうか」

 

 氏長は、頷いた。

 

 その頷きの奥に、泰広は、別の問いを聞いた。

 

 (──この家は、大丈夫か。落ちはせぬか)

 

 松前藩主・高広は今年二十一。先代藩主・氏広は若くして逝き、高広が七つで家督を継いだ。高広に万一のことがあれば、次は矩広──まだ五つの幼君だ。泰広は、甥と大甥の両方の後ろ盾であった。

 

 だが、氏長にとっても、それは他人事(ひとごと)ではない。氏長の娘は泰広に嫁ぎ、孫の当広(まさひろ)は松前の分家筋に名を連ねる。松前が落ちれば──旗本身分である江戸の松前も影響を受ける。氏長は家が落ちるということを知っている者だ。

 

 (守るべきは、家の血だ。蠣崎の所業ではない)

 

 泰広の腹の底に、その一語が、つねに沈んでいた。蠣崎の富を弁護する気はない。だが、矩広の──高広の──血脈だけは、何があっても守る。それが、松前の血を預かった旗本としての泰広の一線であった。

 

 氏長は、それ以上、甥御の話を広げなかった。

 

 

 

 

 

 

 泰広が辞去の挨拶を述べた。

 

 氏長は、軽く頷き──それから、文机の上の二枚の書付を、丁寧に重ね、手元の文箱に収めた。

 

 蓋に、墨で一字、「北」とだけ書かれた文箱だった。

 

 泰広は、その文箱を見た。

 

 古い箱だった。蓋の角が擦り切れ、底板に染みがある。──この箱には、前からも何か入っていたのだ。氏長は、蝦夷地に関する書付を、以前から、この箱に集めていた。

 

 (兵学者は──空白の絵図を、捨てぬ)

 

 玄関で、草履を履きながら、泰広は振り返った。

 

 廊下の奥に、氏長の影が見えた。用部屋に戻る、痩せた背。

 

 あの背は、小田原で家を潰された男の背だった。

 

 岩富の家督を争って父を失い、五百俵の孤児から身を起こし、大目付にまで上り詰めた男。──家を失うことの意味を、骨の髄まで知っている男。

 

 (安房守様の血は、それがしの子にも流れておる)

 

 (──家を、小さく。見過ごされるように、小さく。斧を招く何かを、削ぎ落として。……そうして、残る)

 

 泰広は、草履の鼻緒を踏み締め、雨上がりの道へ踏み出した。

 

 

 

 秋風が、頬を打った。

 

 

 

 供の若党が、傘を差しかけてきた。泰広は黙って受け取り、歩き出した。

 

 外堀沿いの道を、南へ戻る。堀端の柳が、雨の重みでしなっていた。

 

 (……舅御は、わざわざ、あの話を、それがしに聞かせた)

 

 大目付が大名家の注進状を旗本に見せる理由は、本来ない。まして漂流人の口書の写しなど。あれを「内々に」と称して、婿の目に入れた。

 

 (──御警告だ)

 

 御公儀が北に目を向けておられる。松前の家中を整えておけ──舅はそう言いたかったのだ。声には出さず、紙を見せることで。

 

 泰広は、歩きながら、頭の中で文を起こし始めていた。

 

 (福山館に、注進せねばなるまい。……漂流人の口書が大目付の手元にある、山焼の注進状と並べて検めておられた、と。御公儀の目が北を向いておる、と)

 

 だが、文の宛先で、泰広の思考は止まる。

 

 藩主・高広に直に出すか。あるいは国元の家老を通すか。

 

 国元の差配を握る蠣崎の家の者どもの顔が、ちらと浮かんだ。蠣崎蔵人広林。蠣崎広隆。──浜の交易を仕切り、蝦夷から毛皮と干鮭を取り立て、松前の蔵を満たしている者たち。

 

 あの者どもに、「御公儀の目が北を向いた」と伝えれば──どう動くか。

 

 泰広には、それが読めなかった。蠣崎の家は、泰広が江戸で生きてきたのとは別の土壌に根を張っている。浜と蝦夷を、己の手で、何十年もかけて差配してきた者たちの勘と驕りが、そこにはある。御公儀の目を恐れるか、それとも「辺境のことなど御公儀に分かるものか」と突っ撥ねるか。

 

 (……それがしには、浜の匂いが分からぬ)

 

 蠣崎の者どもは、泰広を「江戸の旦那」と見ている。松前の血は同じでも、浜を知らぬ者の言葉は、あの者どもには届かぬ。

 

 泰広は、堀端の石畳を踏みながら、去年の夏のことを思い出していた。

 

 参勤交代で江戸に上った高広に、城の控えの間で会った。二十歳の若い藩主。父の氏広──泰広の兄に似て、顎の線が細い。だが、目には、父にはなかった鋭さが、薄く、差し始めていた。

 

 あの時、高広は家中のことにはほとんど触れず、江戸の芝居と鷹狩りの話ばかりしていた。泰広はそれを、若い藩主の気楽さと見ていた。──だが、今になって思えば、あの若者は「江戸の叔父に家中の話はしない」と決めていたのかもしれぬ。蠣崎の差配を、叔父の前では語らぬと。

 

 (……あれは、聡い。このまま齢を重ねれば、いずれ蠣崎の者どもを御(ぎょ)せるようになるやもしれぬ)

 

 だが──もしもの時は。

 

 矩広はまだ五つ。幼い子に、蠣崎の老練を押さえる力はない。泰広が後見として立つにしても、江戸の旗本が福山館の重臣を御せるかどうか。

 

 (──果たして、それがしに、どこまでできるか)

 

 傘の上で、雨の粒が、ぱらぱらと音を立てた。

 

 答えのない問いを、泰広は、堀端の柳と共に背中の後ろへ送った。

 

 

 

 外堀沿いの道を戻りながら、ふと、あの口書の一節が、胸の底で、もう一度、鳴った。

 

 「蝦夷人、その掟あり。和人の理、彼方に通ぜず」──

 

 あの船頭は、いま、どこにいるのだろう。

 

 (──伊勢の松坂か。もう、船を出しているのだろうか)

 

 己の口書が、二年を経て、大目付の文箱に収められたことを、あの船頭は、生涯、知るまい。

 

 

 

 泰広は、一度だけ、空を仰いだ。

 

 灰色の雲の底から、また、細かな雨が落ち始めていた。

 

 

 

 口書だけが、江戸に残っている。

 

 書いた男は、遠い伊勢の海で、別の空の下にいる。




幕間「大目付の文箱」をお読みいただき、ありがとうございます!

おまけの解説コーナーです。
今回は二人の旗本と、幕府の制度について。


【北条氏長──小田原の血脈が生んだ合理主義の兵学者】
松前泰広の舅、大目付・北条安房守氏長。

北条氏長は慶長十四年(一六〇九年)、江戸に生まれています。曾祖父は北条綱成、外曾祖父は北条氏康──つまり小田原北条の本流の血を引く人物です。ただし、関東の覇者だった後北条氏は天正十八年(一五九〇年)の小田原征伐ですでに滅んでいます。父の繁広は本来、下総国岩富藩主・北条氏勝の跡を継ぐはずでしたが、家中の重臣たちに阻まれ、失意の中亡くなりました。氏長はわずか四歳で孤児になったのです。

ここを救ったのが徳川家康で、幼い氏長に五百俵を与えて養育させました。氏長はその後、小幡景憲から甲州流軍学を学び、これを改良して北条流兵法を創始します。北条流の特徴は、驚くほど近代的です。それまでの軍学につきものだった日取りや方角の吉凶占い──いわゆる軍配の迷信的要素を切り捨て、純粋に合理的な戦略・戦術論として体系化しました。著書『兵法雄鑑』『士鑑用法』など多数。さらに幕府の軍制整備にも関わり、慶安の軍役令の起草に携わったとされます。大目付の在任は明暦元年(一六五五年)から没年の寛文十年(一六七〇年)まで。


【大目付──幕府の「目」】
氏長が就いている大目付(おおめつけ)という役職は、寛永九年(一六三二年)に設置されました。最初の任命者は柳生宗矩・井上政重ら四名で、当初は「惣目付(そうめつけ)」と呼ばれています。将軍家光が大名統制を強化する一環として置いた監察官で、老中の下に属し、大名・高家および朝廷を監視する役割を持ちました。

家光が最初の惣目付に与えた職務は七項目あり、その範囲の広さに驚きます。法度に背く大名・旗本の監視はもちろん、諸役人の勤務態度の査察、軍役の備えの確認、奉公人の身上調査、さらには民衆の困窮の様子まで報告せよ、というものでした。まさに幕府の「目」です。

ただし、ここが大事なのですが、寛文二年(一六六二年)以降、大目付は正式に老中支配に組み込まれ、時代が下るにつれて監察というよりは法令伝達や殿中の礼式・席次の取り締まりを司る式部官的な性格が強くなっていきます。のちの時代には町奉行や勘定奉行を務めた旗本が老年になってから就く名誉職とみなされるようになりました。

ちなみに、大目付は旗本から選出されますが、待遇は大名並みで、享保八年(一七二三年)に役高三千石と定められています。定員は時期によって変動し、家光から家綱の時代は二〜三名程度でした。道中奉行や宗門改、鉄砲改を兼任することもあり、「大名を見張る旗本」という、身分と権限の逆転がこの役職の独特な緊張感を生んでいました。


【松前泰広】
松前泰広。彼は寛永二年(一六二五年)に松前藩第二代藩主・松前公広の三男として生まれています。兄の氏広が第三代藩主を継ぎ、泰広自身は正保三年(一六四六年)に小姓組に列して蔵米千俵を賜り、旗本として幕府に仕えました。松前藩の「中の人」ではなく、幕府直臣としての松前家の一員です。

泰広が松前藩の歴史に深く関わるのは、正保五年(一六四八年)に兄・氏広が死去したことがきっかけです。後継の高広はまだ七歳。泰広は後見人として、江戸における松前家の利害を代弁する役割を担うようになります。

泰広と氏長が舅と婿の関係にあることは、『寛政重修諸家譜』の系図から確認できます。氏長の別名が「正房」であり、泰広の正室が北条正房の娘と記録されていることから、氏長の娘が泰広に嫁いだと考えられます。



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なお、本日は夕方にもう1話更新します。
それをもって第三章は終幕。
第四章に進みます。
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