オホーツクの暁鐘 ~アイヌと極寒の諸民族を導き巨大連邦国家を創る~   作:サウス

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第38話:白い冬と、鋼の産声【1663年 冬】

 鉄の匂いが、濃い。

 

 工房の戸を押し開けた途端、熱い空気が顔を打った。外は白一色だった。沙流川(サㇽ川)の岸辺に張った氷が日ごと厚みを増し、夜明け前の雪原には獣の足跡ひとつない。息を吐けば白い塊が胸の前に滞り、しばらく消えない。だが工房の中は別の季節だった。炉が赤く膨れ、鉄の匂いと蝋の甘い香りが混じり合い、天井の梁に煤が黒く這っている。

 

 

 

 炉の前に、カニタがいた。

 

 床に座り込み、膝の上に布を広げている。布の端が油で黒ずんでいた。鑢で削った鉄粉が布の繊維に入り込み、炉火の赤を受けて微かに光っている。手の甲に擦り傷がいくつもあった。爪の際に鉄錆が染みて、洗っても落ちなくなっている。何日もこの姿勢で過ごした体の匂いがした。汗と、鉄と、蝋と、炭。工房に棲みついた男の匂いだった。

 

 ハルコルが声をかける前に、カニタは振り向かず言った。

 

「……見てくれ」

 

 作業台の上に、一挺の銃が横たわっている。

 

 銃身の先が炉火の赤を映し、鈍い光を帯びていた。ミズナラの銃床は蝋で磨かれ、木目が波のように浮き出ている。握りのあたりにカニタの掌の脂が染み込み、木が少し深い色に変わっていた。銃尾の肩当てにはエゾシカの皮が縫い付けられ、まだ獣の脂の匂いが残っている。縫い目は細かく、皮の端がほつれないよう革紐で二重に巻かれていた。

 

 ハルコルは黙って手を伸ばし、台の上から銃を持ち上げた。

 

 ずしり、と重さが両手に乗る。だが一号のときの、前につんのめるような偏りがない。重心が手元に寄り、肩に据えると銃身がすっと前を向いた。

 

(軽い。──いや、軽くなったんじゃない。重さの置き場が変わったんだ)

 

 銃身に指を這わせる。薬室の根元は太い。指先に鉄の冷たさが食い込む。そこから中ほどにかけて、掌が追うごとに筒が細く絞られていく。銃口の手前で、わずかに太さを取り戻す。一号の一本調子の筒とは、指の下の稜線がまるで違う。

 

「三段に削った」

 

 カニタが鑢を置き、布で手を拭きながら言った。

 

「薬室は圧が一番かかる。太く残す。中は弾が走る道だ、細えほうが軽い。銃口は弾が最後に抜ける場所──ここが薄けりゃ、弾がぶれる」

 

「一号の試射のとき、カニタが言っていた形そのものだ」

 

「ああ。あのとき頭にあった形を、そのまま鉄に彫った」

 

 触れ穴に目を寄せる。一号では少し大きすぎた穴が、今度は針先のように細い。火皿の側を広く、薬室の側を狭く、漏斗のように段を付けて削ってある。

 

「薬室側は針で突いたくらいの穴でさあ。そこからちぃっとずつ広げて、火の抜けと粒の零れが釣り合うところを探った」

 

 カニタの指先が触れ穴の縁を撫でた。何度も何度も鑢を当てた痕が、爪の先に残っている。

 

 撃発機構の蓋を起こす。瑪瑙の顎が一回り小さくなっている。板バネの張りも軽い。指で弾くと、しん、と細い音がした。

 

「当たり金の角度も変えた」

 

 カニタが指先で当たり金の面を撫でた。鉄と瑪瑙が擦れ合う微かな音。

 

「前のは、瑪瑙がまっすぐ叩きつける角度だった。今度は少し寝かせてある。打つんじゃねえ。擦る。カントが言ってた『銃が動く』って話──あれは瑪瑙が鉄を打つ衝撃でさあ。擦りに変えりゃ、揺れが減る」

 

 ハルコルは銃を構えた。銃床に肩を当てると、浅い窪みが自然に肩の窪みに嵌まった。頬骨に冷たさが触れ、蝋の匂いが鼻に届く。伏せても、立っても、銃口の向きがブレない。照星は鑢で根元を残して細く削り直され、照門の溝も一段深い。

 

(銃床の角度。三段削り。触れ穴。撃発の衝撃。照準の突起と溝。そして火皿用の細粒を別にする工夫。──一号からの課題を、全部、この一挺に入れた)

 

「カニタ」

 

「なんだ」

 

「二号じゃない。──試射が残ってるが、これで完成でいいと思う」

 

 カニタは布で手を拭きながら、少しだけ口の端を上げた。唇の端に炭の粉が黒く残っている。笑ったのか、ただ口元が緩んだだけか、炉の赤い光の中では分からなかった。

 

「方針はとっくに決まってた。あとは形にするだけだった」

 

 

 

 カニタが銃に布を被せかけたとき、戸口に影が差した。

 

 トゥイマだった。

 

 いつもは炉の前から動かない男である。カニタが銃の仕上げに掛かりきりの間、製鉄の炉はこの男に任せていた。夏の噴火の後、秋から落としたままだった火を冬に入れ直し、炉で鉄を鍛え出す仕事を黙々と回していた。その男が、汚れた手を布で拭きながら戸口をくぐった。額に汗が光っている。外の冷気と炉の熱を交互に浴びた肌だけが持つ、赤黒いつやだった。

 

「相談がある」

 

 カニタが手を止めた。トゥイマが自分から話を持ってくるのは、一人では判断しきれないことがあるときだけだ。

 

「火を入れ直して、最初の何回か、鉄の取れ方がよかった」

 

 トゥイマは淡々と言った。声に焦りはない。炉の前で何回も反芻してから来た声だった。

 

「同じ砂鉄を入れて、同じ炭を使って、同じだけ風を送った。だが最初の三、四回だけ、鉄塊が大きかった。鉄滓も、いつもより軽くて、流れがよかった」

 

「今は」

 

「戻った。いつもの取れ方に」

 

 カニタが眉を寄せた。

 

「炉は二つ回してるな。両方ともか」

 

「いや。片方だけだ。奥の炉だ」

 

「もう片方は」

 

「最初から変わらない。いつもの取れ方だ」

 

 カニタが立ち上がった。

 

「見に行く」

 

 

 

 三人で製鉄場に向かった。戸を出ると冷気が喉を刺した。吐く息が互いの肩の上に白く残り、すぐに散った。

 

 製鉄所──奥の炉の前に立ち、カニタが鉄滓の塊を手に取った。最初の数回分と最近の分を並べ、割って断面を見た。割れた面から、鉄の匂いとも石の匂いともつかぬ乾いた気配が立った。

 

「……色が違う」

 

 最初の鉄滓は灰色がかって軽い。最近のものは黒ずんで重い。カニタが両方を掌の上で秤にかけるように持ち替えた。

 

「いつもの鉄滓は黒くて重えんだ。鉄が残ってる。だがこの最初の頃の滓は灰色が強くて軽い。鉄が滓に逃げてねえ」

 

 

 

 カニタは鉄滓を置き、炉の内壁に手を当てた。指を離すと、かすかに白い粉がついていた。

 

 目が細くなった。

 

「……この白えの」

 

 壁にかすかにこびりついた粉を指先で擦った。鼻に近づけ、匂いを嗅いだ。乾いた匂い。焦げた石と灰の中間のような、鋭い匂い。カニタの鼻翼が小さく動いた。犬が獲物の匂いを拾い分けるような、職人の嗅ぎ方だった。

 

「石灰だ。──この炉、夏の間に石灰を焼いてたな」

 

 ハルコルが頷いた。噴火の降灰で酸性化した畑を中和するために、火を落としていた製鉄炉を借りて石灰を焼いた。焼いた塊は畑へ運ばれ、炉は空になったように見えていた。

 

 カニタがトゥイマを見た。

 

「お前、この炉に火を入れる前に、壁を掃除したか」

 

 トゥイマが首を横に振った。

 

「していない。塊は出ていた。炉は空に見えた」

 

「石灰を焼いてたことは」

 

「知らなかった」

 

 カニタが唸った。噴火後の立て直しで皆が手一杯だった。石灰を焼いて、製鉄の前に壁に付着した石灰を掻き落とすつもりだった。だが炉の火を再び入れたのはトゥイマで、手順が伝わっていなかった。

 

「つまり、壁に残った石灰が、最初の何回かだけ砂鉄に何かしたってことか。使ううちに石灰が減って、効き目が薄れた」

 

 トゥイマが低い声で言った。

 

「炉の音が違った」

 

 その一言に、カニタの手が止まった。

 

「最初の何回かだけ、滓が流れる音が軽かった。水が細い溝を走るような音だった。今は重い。砂利を引きずる音に戻っている。──だから、何かが変わったと思った」

 

 カニタが低く笑った。

 

「炉の音で聞き分けたか。──大したもんだ」

 

 トゥイマは何も言わなかった。ただ、炉の壁についた白い粉を見つめていた。職人が炉の前で過ごした日数だけが、あの耳を育てたのだ。

 

 

 

 ミナを呼んで、帳簿を広げた。炉ごと、回ごとの鉄の量を並べると、差は明らかだった。奥の炉の最初の三回だけ、鉄塊が一割ほど多い。ミナの指が数字を追い、墨をすった筆が新しい行を加える。手袋を外した指先が冬の空気に赤い。

 

「この差は、まだ小さいわ」

 

 ミナは数字の列に目を落としたまま言った。

 

「でも、再現できるようなら、回数を重ねるごとに、効いてくる」

 

 ハルコルは口を開いた。

 

「これを狙って入れるのは、まだ早い。どれだけ入れれば効くか、入れすぎたらどうなるか、分からない」

 

「だが、偶然でも、鉄が増えるのは助かる」

 

 カニタがトゥイマに向き直った。

 

「あの炉は当分、壁を掃除するな。少しだけ石灰を壁に塗ってみろ。──ただし、入れすぎるなよ。滓の流れが変わったら、すぐ止めろ」

 

 トゥイマが頷いた。短く、深く。カニタに似た頷き方だった。

 

 

 

 

 

 

 十日後の夜明け前。

 

 空はまだ暗く、東の山の端にかすかな灰色が滲んでいるだけだった。

 

 カント、カニタ、ミナ、ハルコル。選抜した若者二人。荷を背負ったウタ。七人が雪を踏んで、崖に囲まれた谷間に向かう。一号を試射したのと同じ沢だった。

 

 雪が深い。足首を越え、脛の半ばまで埋まる。踏むたびにきゅっ、きゅっ、と乾いた音を立てた。前を行くカントの足跡だけが暗い穴になって雪原に連なっている。

 

 息が白い。睫に霜が降り、瞬きのたびに微かに引っかかる。ハルコルは手袋越しに雪を握った。きゅ、と鳴って砕けた。指を開いても雪が指の形のまま崩れない。水気のない、骨のような雪だった。

 

(氷点下。──この寒さで鋼が割れなければ、冬の戦場でも使える)

 

 標的は四つ。五十歩、百歩、百五十歩、二百歩。凍土に穴すら掘れず、石を積んで板を立てた。二百歩先の板は霜の靄にけぶり、輪郭がかすんでいる。

 

 

 

 カントが銃を受け取った。

 

 両手で重さを確かめるように持ち替え、肩に据え、降ろし、もう一度据える。手袋の上から銃床の角度を体に馴染ませていた。何も言わない。だが指の動きが丁寧だった。初めての獲物に触れる猟師の手つきだった。

 

 顆粒火薬の粗粒を薬室に流し込み、火皿には細粒を盛る。弾を押し込み、槊杖で突き固めた。装薬は三匁。一号の試射と同じ量だ。

 

 銃を肩に据えた。白い息が照星の向こうに流れ、すぐ消えた。

 

 七人が、黙った。

 

 

 

 風が止んだ。崖の上の木立が動きを止め、雪原の底に沈んだような静けさが降りた。その中で、カントの呼吸だけが小さく白く繰り返される。吸って、吐いて。吸って──。

 

 カチンッ。

 

 パチッ、と火皿が閃き──ドォォン。

 

 引き締まった音が崖に跳ね返り、谷を二度、三度と叩いた。雪の上に薄い煙が棚引き、硝煙の匂いが冷たい空気の中をゆっくりと広がった。鼻の奥に、火薬の苦みが残る。

 

 二百歩先の板が、上端で割れた。

 

 

 

 カントが銃を降ろした。目を細め、口の端がわずかに動いた。

 

「……速えな。引き金から弾が出るまでの間が、前より短え」

 

 カニタが頷いた。

 

「触れ穴を絞ったからな。瑪瑙の当たりも軽くした。揺れが減った分、弾が狙いに近づく」

 

 

 

 カントが構え直し、残りの弾を撃った。五十歩は全弾板の中央を砕いた。百歩も同じ。百五十歩で一発が板の端を削ったが、残り四発は板を穿った。

 

 二百歩。五発中、四発が板に当たった。

 

 一号のとき、二百歩は三発だった。

 

 

 

 ミナが帳簿を広げた。手袋を外した指が赤い。息を吹きかけて指を温め、墨をすり、一画ずつ丁寧に数字を刻んだ。凍りかけた墨が筆の上でじゃりと鳴った。

 

「一号の二百歩が三発。これが四発。──一発、増えた」

 

 カントが銃口を崖の方に向けたまま言った。

 

「照星が細えから、的の真ん中が見える。一号じゃ、突起が的を隠しやがった。──こいつは、狙える」

 

 ハルコルは銃身に触れた。氷点下、鋼は冷え切っている。だが罅ひとつない。指先に伝わるのは、ただ金属の冷たさだけだ。

 

 カニタが銃身を手の甲で軽く叩いた。

 

 キィン、と澄んだ音がした。冬の空気に吸い込まれ、雪原の果てまで届きそうな音だった。

 

「鋼が鳴ってる。──罅はねえ」

 

 

 

「もっと入れられねえか」

 

 弾を拾い終わるのを待たず、カントが振り向いた。

 

「入れられる」

 

 カニタが頷いた。

 

「四匁まで詰めて薬室を試してる。鋼の銃身は破裂しねえ。──まだ余裕がある」

 

 

 

「三匁半」

 

 カニタが量り分けた顆粒を薬室に流し込んだ。

 

 カントが構えた。

 

 誰も声を出さなかった。風すら遠慮している。崖に挟まれた谷の底で、七人の息だけが白く昇り、消えた。

 

 カチンッ──パチッ──ドォォォン。

 

 音が違った。

 

 三匁の引き締まった鳴りではない。腹の底を揺さぶる、地を這うような轟き。崖が鳴った。雪庇から粉雪がはらはらと落ちた。硝煙が三匁のときより広がり、谷の底に白い靄を敷いた。

 

 

 

 二百歩先。板の中央に、丸い穴が開いていた。

 

 カントが二百歩先の標的を見つめていた。その目が、初めて、銃ではなくその向こうを見ていた。弾が板を抜けた先。板の裏。その裏にあるはずの、何か。

 

 五発を撃った。五十歩から百五十歩は全弾命中。二百歩は四発が板を穿ち、うち三発は板を貫通していた。

 

 ハルコルは板の裏に回った。弾が板を突き抜けた穴の縁が外側にめくれ、向こうの雪に弾が半ば埋まっている。雪を掻くと、まだ温かかった。鉛の丸い塊が、指先にじんわりと熱を残している。

 

 ミナが帳簿に数字を並べた。

 

「三匁半、二百歩で四発。板を抜く力は三匁より上」

 

 

 

「四匁」

 

 カニタが言った。

 

「まだ入る」

 

 四匁の装薬を詰め、カントが撃った。

 

 ドォォォォン。

 

 反動がカントの肩を大きく押した。だがエゾシカの皮の肩当てが衝撃を散らし、カントは一歩も退かなかった。足の下の雪が、反動でわずかに沈んだだけだった。

 

 

 

 二百歩の板に穴が開いた。だが五発中三発。三匁半より、一発少ない。

 

「四匁は、反動が大きいわ」

 

 ミナが言った。

 

「二百歩で三発。──三匁半の方が、命中は多い」

 

 カントが低く笑った。

 

「三匁半で充分だ」

 

 カニタが銃を受け取り、薬室を覗き込んだ。指で内壁を撫で、目を細め、鼻を近づけて硝煙の残り香の奥にある鉄の匂いを嗅いだ。

 

「歪みはねえ。罅もねえ。四匁でもこの鋼は耐えた」

 

 ハルコルは崖の向こうに目をやった。

 

 二百歩先の板に開いた穴。

 

「三匁半を正式の装薬にしよう」

 

 カントが頷いた。ミナが墨を走らせた。

 

 

 

 

 

 

 沢地から戻った夜、囲炉裏を囲んだ。

 

 炎が薪を舐め、火の粉が時おり天井の煙出しに向かって舞い上がる。顔が赤く照らされ、壁に大きな影を揺らしていた。外では雪が降り始めている。戸の隙間から忍び込む冷気が床を這い、足元だけが別の季節だった。菜種油の灯明が囲炉裏の傍に置かれ、薪の赤い光とは違う白い光を小さく落としている。

 

 

 

 ペカンクㇽが銃を手に取った。

 

 重さを確かめるように二度、三度と持ち替えた。掌で銃身を包み、鋼の冷たさを確かめた。銃床の角度に頬を当て、眉を上げた。

 

「……軽いな」

 

「重さは同じだ。重心を変えた」

 

 カニタが静かに答えた。

 

 ペカンクㇽは銃を台に戻し、ミナの帳簿を覗き込んだ。数字を一つずつ、太い指で追った。

 

 帳簿には五列の数字が並んでいる。一号と二号。三匁と三匁半。五十歩から二百歩。

 

「二百歩で、四発」

 

「三匁半の強い装薬で。板を突き抜けた」

 

 ペカンクㇽの目がカントに移った。

 

 カントは腕を組んだまま言った。

 

「使える。──こいつは、もう、使えるぜ」

 

 ペカンクㇽが黙った。

 

 

 

 囲炉裏の火が爆ぜた。パチリ、と薪が崩れ、火の粉が舞い上がり、煙が天井の煙出しに吸い込まれた。しばらく、誰も口を開かなかった。薪の爆ぜる音と、外の雪が戸を叩く微かな音だけが、静寂を埋めていた。

 

「カント、いくつ要る」

 

「多いほどいい」

 

 カントが即答した。ペカンクㇽが目を動かさずにカニタを見た。

 

「作れるか」

 

 カニタは背筋を伸ばした。炉の赤が、職人の顔に影を刻んでいる。

 

「焦って数を出しゃ、狂いが出る。季節ごとに十挺。──それが今の腕と炉で、狂いのねえ筒を出せる数だ」

 

「十挺」

 

「板を巻いて、鋼を継いで、三段に削って、触れ穴を空けて、撃発を組んで、銃床を嵌める。一挺ずつ手で合わせてる。急いで歪んだ筒を出すより、確かな筒を十挺ずつ積むほうが、撃つ側が信じられる」

 

 カントが頷いた。

 

「十挺ずつでいい。──歪んだ銃は、二百歩先で嘘をつく」

 

 

 

 ペカンクㇽは囲炉裏の火を見つめていた。火の粉が最後の一つまで消えるのを待ってから、口を開いた。

 

「やってくれ」

 

 カニタが頷いた。ミナが帳簿に一行を加えた。

 

 筆を置いて、ミナは灯明の炎を見た。菜種油の白い光の中で、帳簿の墨がまだ乾いていない。

 

「十挺ずつ。夏が来るまでに二十挺。──撃つ人の数が足りなくなるわね」

 

 その声は帳簿の数字を読む声だった。だが口元が僅かに緩んでいた。

 

 

 

 

 

 

 ハルコルは工房の入口に近い柱に背を預け、外を見た。

 

 雪が降っている。灰色の空から白いものが静かに落ちてくる。夏に降った灰とは違う。冷たいだけの、ただの雪だった。手を差し出すと、掌の上で一つ、二つ、溶けた。灰は溶けなかった。灰はいつまでも指の皺に残った。だが雪は消える。消えて、水になる。

 

 工房の奥から、カニタが銃身の内筒になる鋼板を取り出す音がした。鉄と鉄がぶつかる硬い音。ユキが撃発機構の部品を布の上に並べている。一つずつ、指先で向きを揃えていた。

 

 カァン。

 

 槌が鋼を打つ音が、工房の土間に響いた。冬の冷たい空気を裂いて、工房の外まで届いた。

 

 カァン。カァン。

 

 一号が沢地で初めて吠えた日から、ひと冬。

 

 あの日、谷に響いた音は、たった一挺の産声だった。

 

 今日から、その声が増えていく。




第38話をお読みいただき、ありがとうございます!

銃の量産開始です!
イメージ画像をAIに作ってもらいました。
(Ai君は、素材のかき分けがなかなかに苦手なようで・・・)

【挿絵表示】




おまけの解説コーナーです。

【石灰石と製鉄】
砂鉄から鉄を取り出すとき、砂鉄に含まれるケイ酸(二酸化ケイ素、SiO2)が厄介者になります。ケイ酸は炉の中で酸化鉄と結合して「鉄滓(ノロ)」を形成します。たたら製鉄では炉壁の粘土に含まれるケイ酸と反応してファイヤライト(Fe2SiO4)という鉱物になり、これがノロの主成分になります。つまり、本来なら鉄塊に残るはずの鉄が、ケイ酸に「横取り」されてノロの側に逃げてしまうわけです。

石灰(酸化カルシウム、CaO)はケイ酸と非常に結びつきやすい性質を持っていて、ケイ酸と優先的に反応してケイ酸カルシウム(CaSiO3)を形成します。これが冶金学でいう「フラックス(融剤・媒溶剤)」の働きです。石灰がケイ酸を先に捕まえてくれれば、その分だけ鉄がケイ酸に奪われず、鉄塊のほうに残ります。結果として歩留まり──回収できる鉄の割合──が上がるのです。

さらに石灰にはもうひとつ大きな効果があります。ノロの流れをよくすることです。ケイ酸だけでできたノロは粘り気が強く、炉の中でどろどろと重たく溜まります。ところが石灰が混じると、ノロの融点が下がり、粘性が下がり、さらりと流れやすくなります。ノロが軽やかに流れれば、炉の中に溜まったノロが鉄塊を汚すことも減り、鉄の質も上がります。

西洋の高炉(ブラストファーネス)では、石灰石をフラックスとして炉に投入するのはごく標準的な操業です。鉄鉱石・コークス・石灰石の三つが高炉の基本原料と言ってもよいくらいで、石灰石なしの近代製鉄はほとんど考えられません。


ただし、砂鉄(特にチタンを多く含むもの)の製鉄では注意も必要です。
石灰を入れすぎると、余った石灰がチタンを含む鉱物と反応し、高融点の化合物を作ることがあります。
こうした化合物が増えるとノロの流れが悪くなり、逆に炉の操業を難しくしてしまいます。



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