オホーツクの暁鐘 ~アイヌと極寒の諸民族を導き巨大連邦国家を創る~ 作:サウス
本日は幕間に加えて「環オホーツク・アイヌ歴史年表」も投稿予定です。
蝦夷ヶ島の最南端、和人地の中心である松前。
海から吹きつける冷たい雪風が、冬の湊を容赦なく削っていた。
白い飛沫のような雪が帆柱を叩き、軒先に吹き込み、石畳の隙間にまで入り込む。
それでも港は死なない。いや、死ねない。春の雪解けを待つ本州からの弁才船(べざいせん)が、何隻も帆を下ろしたまま、互いに身を寄せ合うように停泊している。
ここは、この極寒の島において、ただひとつ瓦屋根の立ち並ぶ城下町だった。
蝦夷地の隅々から集められた富がこの小さな町に流れ込み、商人、武士、人足がひしめき合う。
雪に閉ざされた土地であるはずなのに、空気だけは妙に熱い。
それは火鉢の熱ではない。銭の熱だ。欲の熱だ。人の弱みを見つけては、そこへ指を差し込むような、粘ついた熱であった。
「……。何度見ても、惚れ惚れする艶だ」
松前城下に店を構える豪商・勝右衛門は、火鉢で温められた奥座敷で、手元の毛皮をねっとりと撫で回していた。
先日の秋、サㇽのコタンで、あの生意気な子供から巻き上げた極上のクロテンである。
光を吸い込むように黒く、指先に吸いつくほど滑らかで、寒空の下で獲れたとは思えぬほど艶が深い。
「番頭、どう見る?」
勝右衛門が声をかけると、帳面を抱えた番頭が、毛皮を前にして思わず息を呑んだ。
「へえ。これほど見事なクロテン、松前でもそうそうお目にかかれません。京や江戸の公家衆や大名に持ち込めば、金五十両……いや、百両は下らない値がつきましょう」
「百両、か」
勝右衛門の口元が、たまらないというように歪んだ。
百両。
あの泥まみれで、豚の餌にもならぬような「ジャガタライモ」とやらを春に運んでやるだけで、それが手に入ったのだ。
笑いが込み上げるのを、もう隠す気もなかった。
「蝦夷の阿呆どもは、己の獲った毛皮の『本当の値打ち』を知らんからな。そこらのガラス玉や、安物の鉄鍋を見せただけで、喜んで宝を差し出しよる」
勝右衛門は火鉢の灰をキセルでつつきながら、鼻で笑った。
この圧倒的な「情報の非対称性」こそが、松前における和人の力の源泉だった。
相手が持つ価値を相手自身が測れぬなら、値を決めるのは常にこちらだ。
雪深い北の地では、それがそのまま権力になる。
そもそも、この松前藩という大名家は、日の本において極めて異質な存在だった。
冷涼なこの地では、米がほとんど育たない。つまり、他の大名のように石高(米の収穫量)で家臣を養うことができない「無高(むだか)」の藩なのだ。
米を根拠に力を数えることができぬ以上、藩の威信も、城の維持も、家中の暮らしも、すべては『蝦夷地との交易』に掛かっている。
その唯一の命綱が、幕府の威光を背にした、蝦夷地における交易の独占であった。
かつて神君・徳川家康公から与えられた黒印状を盾に、松前藩は蝦夷地に出入りする船や物資を厳しく管理している。
アイヌたちが本州へ自由に渡ることを禁じているのも、そのためだ。
彼らが昔のように自前の板綴り舟(イタオマチㇷ゚)で直接取引をしてしまえば、松前の算盤は一気に狂う。交易の流れを押さえられた瞬間、この寒い城下は、ただの吹きさらしの町に戻ってしまう。
だからこそ、藩は『商場知行制(あきないばちぎょうせい)』という仕組みを作り上げた。
藩主は家臣の侍たちに、知行の代わりとして、特定のアイヌのコタンと独占的に交易する権利を与える。
だが、刀は振れても、北の海を越えて実地の商いをまとめる才覚までは、そう簡単に身につかない。そこで、勝右衛門らのような御用商人が、その権利を金で請け負うのだ。
商人は侍に運上金(税)を納めて藩の財政を支え、その見返りとして蝦夷地で思うままに商う。
侍は商人の上に立つ顔をしながら、実際には商人の金に頼る。
商人は侍の権威を笠に着て、アイヌを買いたたく。
まさに、強欲と癒着の持ちつ持たれつだった。
我々和人が相場を完全に握り、アイヌを「生かさず殺さず」の都合の良い労働力として搾取し続ける。
それが、この吹きさらしの城下町に不釣り合いなほどの富をもたらす、冷酷なからくりであった。
「ところで番頭。あの泥イモ……ジャガタライモの手配はどうなっている? 船底が埋まるくらい、周辺からかき集めろと言っておいたが」
勝右衛門が思い出したように問うと、番頭は手帳を繰りながら頷いた。
「へえ。近隣の百姓どもや、上方の伝手も頼って手配しております。南蛮船が持ち込んだとはいえ、上方から流れてきたものを庭の片隅に植えている者がぽつぽつとおる程度。あんなもの、観賞用か、せいぜい飢饉の時の豚の餌ですからな。二束三文でいくらでも買い叩けます」
「ふん、当然だ。あのサㇽの生意気な小僧が、春にあの芋を船いっぱいに持ってきたら、もう一枚、極上のクロテンの毛皮を渡すと言いおったのだからな。タダ同然で仕入れて、宝に化けさせる」
勝右衛門がほくそ笑むと、番頭は同調しつつも、少しだけ首を傾げた。
「しかし旦那様。少々解せませんな。なぜ蝦夷地の山奥に住む阿呆どもが、『ジャガタライモ』などという南蛮の言葉を知っていたのでしょう? 我ら松前の商人ですら、上方との交易の端くれでようやく知ったような異国の作物ですぞ。しかも、あのような不味い泥イモを、極上の毛皮を出してまで船いっぱいに欲しがるとは……」
その言葉に、勝右衛門も火鉢の灰をつつきながらわずかに眉をひそめた。
美味いものではない。米のように腹持ちが良いわけでもない。そんな草の根を、なぜ積めるだけ欲しがるのか。
薬にでもする気か? それとも、カムイとやらへの珍しい供物か。
あの秋の日、六歳の小僧が見せた、底冷えのするような冷徹な瞳。それが、ほんの一瞬だけ目裏に蘇った。
「……ええい、馬鹿馬鹿しい!」
勝右衛門は、湧き上がる薄気味悪さを振り払うように鼻で笑った。
「蝦夷の考えなど、まともな商人が推し量れるものか。どうせ、無知な土人が珍しい異国の根菜に目を引かれただけのこと。我らは約束通り泥芋を放り投げ、毛皮を掠め取ればよいのだ」
己の算盤の確実さに寄りかかり、勝右衛門は強欲な笑みを浮かべ直した。
「春一番の船が出せるようになったら、さっそくあのサㇽのコタンへ向かうぞ。約束通り、ジャガタライモを船底にたっぷり積んでな。あの生意気な小僧の顔が楽しみだ」
勝右衛門が下卑た笑いを漏らすと、番頭が愛想笑いを浮かべながら手帳を開いた。
「承知いたしました。……ああ、そうだ旦那様。サㇽのコタンへ持っていく、そのジャガタライモの荷造りは誰にさせましょうか。泥まみれになりますし、船頭たちも嫌がるかと」
「あんな泥イモ、誰でもいい! そうだ、あの小賢しいアイヌの孤児……おみねとか言ったな。通詞として拾ってやったが、あのガキに全部運ばせろ。飯を食わせてる分、徹底的にこき使え!」
「へえっ!」
番頭が慌ただしく手配に走っていく。
一人残された奥座敷で、勝右衛門はクロテンの毛皮を抱え込み、満足げに笑い声を上げた。
「蝦夷の毛皮は、残らず俺のものだ。あのガキめ、泣いてすがりついても、もう米一粒たりともくれてやらんぞ」
外はまだ、すべてを凍らせる猛吹雪だった。
松前の商人は、蝦夷の村からすべてを奪い尽くす春の商いに向けて、強欲な笑みを浮かべていた。
――彼はまだ、知る由もなかった。
自分が都合のいい獲物と見下しているあのコタンで、六歳の少年が、自分たち和人を逆に食い物にしようと、冷徹に牙を研いでいることなど。
幕間をお読みいただき、ありがとうございます!
今回は少し視点を変えて、松前の商人・勝右衛門の視点から、当時の蝦夷地における「和人側のシステム」を描きました。
おまけの用語解説コーナーです。
【松前の歴史・制度用語】
松前(和人地)
北海道の最南端にあった、蝦夷地で唯一の和人の城下町です。当時の北海道は、アイヌが暮らす広大な「蝦夷地」と、和人が住む狭い「和人地」に明確に区切られており、アイヌの人々が和人地や本州へ自由に渡ることは厳しく制限されていました。
松前氏(松前藩の一族)
かつて「コシャマインの戦い(第3話参照)」でアイヌを打ち破った武将・武田信広(のちの蛎崎氏)を祖とする大名家。徳川家康から「蝦夷地の支配」と「アイヌとの独占交易権(黒印状)」を正式に認められ、松前氏と名乗るようになりました。
日本の大名は通常「米の収穫量(石高)」で格付けされますが、松前藩は米が獲れない特異な藩(無高の藩)でした。そのため、一族と家臣が生きていくための財源は「アイヌとの交易(搾取)」に依存していました。
商場知行制(あきないばちぎょうせい)
松前藩における非常に特殊な制度です。寒冷な北海道では米が育たないため、松前藩は家臣に、米(石高)の代わりに「特定のアイヌの村(コタン)と独占的に交易する権利=商場(あきないば)」を与えました。侍たちはその権利を勝右衛門のような商人に請け負わせ、利益を吸い上げていました。