オホーツクの暁鐘 ~アイヌと極寒の諸民族を導き巨大連邦国家を創る~ 作:サウス
海を渡ってきた紙は、乾いても潮の匂いが抜けない。
杉山八兵衛吉成は、書付の束のいちばん下から、夏に届いた一通を抜き出した。折り目が白く毛羽立っている。この秋、幾度開いたか知れない。
松前家四代当主・高広、文月五日、福山館にて卒去。享年、数えの二十三。
(──父も早かった。子も、早い)
海峡の向こうの島主の血は短い。跡を継ぐのは、江戸の藩邸にいる七つの男児だという。家督の御礼だ御目見えだと、松前の家老が献上の品々を抱えて江戸へ渡ったという報せも、すでに入っている。
書院の障子は、朝の光で白かった。庭で、落ち葉を掃く音がしている。刈り入れの済んだ津軽野では、今ごろ籾殻を焼く煙が幾筋も立っているだろう。実りの秋だ。
江戸屋敷を焼いた大火の借財は、八年経ってもまだ利ばかりを食っている。城下の商人には御用金を重ね、在の百姓には年貢の他に夫役を課した。実りの秋に蔵が軽いのだから、笑い話にもならない。
後見役だった信英さまが身罷って、この秋でちょうど三年になる。若い殿は、おのれの手で政の手綱を握り直そうとしている。番方を編み直す、騎馬の組を一門に預ける──そんな話も、ちらほらと聞こえ始めていた。
吉成は文机の上に、別の束を引き寄せた。こちらの紙は、潮の匂いではない。土と、汗の匂いがする。
北から戻る草の報せは、渡り鳥と同じ頃に帰ってくる。春に海を渡り、松前の城下や蝦夷地の浜で夏を稼ぎ、雪の前に津軽へ戻る出稼ぎの男たち。その中に、吉成の飼う草が幾人か混じっている。男たちが目と耳で拾ってきたものが、こうして秋の文机に積み上がる。
北の海の門は、もともと津軽の湊だった。
北の商いを束ねた安東の家は去り、その代官に過ぎなかった蠣崎が太閤と神君の世をうまく泳いで、蝦夷地まるごとの商いを御墨付きで囲い込んだ。
以来、北の海の門は松前にある。津軽の湊は、門の外だ。
奪われたのは、富だけではないと吉成は思っている。門番の役ごと、持っていかれたのだ。北で何が起きているか。蝦夷が何を思い、山がいつ焼け、異国の船がどこまで来ているか。それを知る役が、門とともに海の向こうへ渡った。
吉成は、この津軽の地で生まれた。
父は、杉山源吾と名乗った。その前は、石田重成と名乗っていた。治部少輔三成の次男。関ヶ原の年に佐和山が落ちると、同輩だった津軽の御曹司の手引きで北の果てへ逃れた。
吉成は、その逃避行を知らない。生まれる前の話だ。父が語った、物語として知っているだけだ。
蔵の奥の葛籠には、祖父の陣羽織が一領、眠っている。会ったことのない祖父。天下の政を担い、天下に負けた男。その血が、いまこの北の城で一門の重臣に列し、北の海の帳面を検めている。
父は津軽の禄を食み、吉成は先々代・信枚公の姫を娶って一門に連なった。いまの若い殿から見れば、叔母婿に当たる。滅んだ家の血が、北の大名の縁続きになった。
縁は、それきりではない。父には、辰姫という妹がいた。太閤の御正室・高台院様の養女に上がり、この津軽へ輿入れした叔母。神君の御養女が後から入られると、叔母は正室の座を譲り、上州大舘で若くして世を去った。だがその腹の御子が先代・信義公となり、血は、いまの若い殿へと続いている。
(──滅んだ家の血も、六十余年経てば、雪国の水に馴染む)
馴染んだと、思っている。だが北からの報せを読む夜、胸の底が微かに疼くことがある。疼きの名を、吉成は考えないことにしていた。
廊下の奥で、大広間の襖を開け放つ音がし始めた。今日の評定には、殿が出座なさる。隣の島主が代わったのだ。北に関わる家中の耳目を一度に揃えるには、それくらいの構えでちょうどいい。
◆
昼を過ぎて、大広間に家中の顔が揃った。
上座に、四代藩主・津軽越中守信政。後見の亡きあと、おのれの手で政を握り始めた若い主君である。その下に、殿の弟・津軽玄蕃政朝。叔父の大道寺隼人為久と、津軽喜左衛門為節。勘定を預かる北村弥右衛門宗好に、湊と町方を見る進藤庄兵衛。そして末席に、服部小平次。
襖の外には、近習も置かない。北の海の話をする時の、この家の作法だった。
小平次は三十の半ばを過ぎた男で、膝の上に手を置いたまま、置物のように動かない。目だけが、座に並んだ書付の数を静かに数えている。
(──康成どのの孫も、もうこの歳か)
服部の家が津軽に入ったのは、関ヶ原の後だ。初代の康成は、大垣攻めの陣で召し抱えられた──と、表向きはなっている。裏の役目を、家中の年寄りで知らぬ者はいない。三成の遺児を匿った津軽を、関東の御下命で見張るために据えられた男。禄の一部は、江戸から出ていた。
その康成は、見張るはずの家中で奉行を務め、筆頭家老にまで上った。城を築き、湊を開き、無類の良臣と呼ばれて死んだ。三十年前のことだ。見張りに来た家は、三代を経て、津軽の柱の一本になった。いまも江戸へ上る書付は服部の手を通るが、古い名残はそれだけだ。通るのは、藩が通すと決めた紙だけ。書くのは弘前で、封をするのも弘前で。
(──父を見張った家の孫と、見張られた家の孫が、同じ座敷で北の海を見ている)
妙な縁だと思う。悪い縁だとは、もう思わない。
「まず、松前の代替わりにございます」
吉成が切り出すと、北村が書付を繰った。
「家督の儀は、江戸にて進んでおる由。家老が二人──役方の蠣崎主殿と、番方の蠣崎蔵人が、揃って海を渡り申した。献上の段取りは主殿が仕切り、その供揃えも行李も、長逗留の構えであったとか。儀が済んでも主殿はそのまま江戸に詰める肚ではないかと、城下では言うておりまする。福山へ戻って蝦夷地を押さえるのは、蔵人の方かと」
「二人して、海を渡ったか」
「は。城下の噂では、主殿は発つ前に、知行主どもの上納帳を検め直したとか。来年から蝦夷との割りが変わるらしい、という囁きも聞こえまする。──絞る、ということでございましょう。大火の借財と、砂金の目減りと、代替わりの物入り。台所の苦しさは、どこも同じで」
「──絞る、とな」
上座の声は、まだ若い。若いが、座を静めるだけの重さは、もう具わり始めている。
「代替わりの物入りを、蝦夷に払わせる腹か。手堅いのう、松前は」
進藤が薄く笑った。
吉成は頭を下げた。
「恐れながら」
「家老二人の名と、仲の善し悪し。上納の割りが、いつ、どれだけ変わるか。浜の蝦夷が、それをどう呑むか。──ひとつ残らず、帳面に載せまする」
「うむ」
松前の家の内証など、十年前なら紙の無駄だと笑われた。だが吉成は書かせ続けてきた。帳面は、すぐには役に立たない。立たないまま厚くなり、厚くなった頃に、初めて使い道が見えてくる。
「次に──抜け荷の首尾にございます」
座の空気が、わずかに締まった。
抜け荷は、表向きは商人どもの罪科だ。松前の海で松前の許しなく商えば、見つかれば船も荷も取り上げられ、命も危うい。だがその商いの帳尻を藩が知らぬ顔で検めていることは、この襖の内だけの話だ。外で口にする者はいない。商人の儲けは御用金の形で蔵に還り、商人の見聞は書付の形でこの城に還る。
進藤が書付を開いた。
「今年の便は、都合六つ。出稼ぎの船に人と荷を紛れさせたものが三つ。時化に流されたと装い、西蝦夷地の浜に上がったものが二つ。夜の沖を走って、余市まで直に渡ったものが一つ。──いずれも松前に悟られず、戻っております」
「西の浜々では、古着、鍋、塩、酒。引き換えに毛皮と干し魚。小口ながら、堅い商いにございます。浜の蝦夷は、松前の商いより津軽の抜け荷を歓ぶと。──値が、まだしも人並みゆえ」
殿が小さく笑った。声だけの、乾いた笑いだった。
進藤が書付の頁を繰った。
「なれど、飛び抜けておるのは──やはり、沙流の村との商いで」
そこで、進藤の目が吉成に向いた。
「その村の商いは、服部が束ねて検めております。──小平次、申せ」
末席の男が、初めて口を開いた。
「今年の便にて渡した品は、鉛、銅板、真鍮、それに鑢と鏨。受け取った品は、クロテンを頭に上物の毛皮。相も変わらず、目の玉の飛び出るような上物ばかりにございます。──相手は、変わりませぬ。沙流の村。長は、ペカンクㇽと名乗る蝦夷で」
吉成は目を閉じた。あの村との商いは、七年になる。
はじまりを、吉成は覚えている。城下の商人が、蝦夷地の噂を拾ってきたのだ。沙流の川筋の奥に、飢えぬ村がある。冬を越して、なお蔵に食い物の残る村が──と。商人どもは欲の皮を突っ張らせて、冬の海を渡った。猛吹雪の夜、沙流の川口の入り江で、その村の者と初めて向き合った。木の枝を割った割符ひとつで、翌年の秋を約した。蝦夷相手の口約束など、と皆が笑った。
翌年の秋、蝦夷は約束の入り江に、蝦夷錦を用意して待っていた。
商人の欲に、それで火がついた。錦一枚で、江戸に蔵が建つ。クロテンは言い値で買っても釣りが来る。以来、便は絶えたことがない。
(──妙な蝦夷だった。はじめから)
値切らない。量らせる。狼煙と月の満ち欠けで段取りを組み、約束の日限を違えたことが一度もない。商いの筋は、下手な和人の店より固い。
そして、求めてきた品が妙だった。
硝石。硫黄。それに、鉄の地金。
七年前、その注文がはじめて上がってきたとき、勘定方は紙を抱えて吉成の部屋に来た。蝦夷に火薬の素を売ってよいものか、と。
吉成は、売らせた。
天下は長い泰平だ。硝石は蔵で古びるばかりで、買い手がつかない。公儀の鉄砲改めも、まだ噂にすらなっていない頃だった。それに──蝦夷が火薬で何をしようと、困るのは松前であって、津軽ではない。
(──あの時は、そう読んだ)
五年前、沙流の川口が塞がれた。西の大きな首長とやり合っているらしい、と商人は言った。以来、商いの場は余市の湊に移った。あの村が、自分から指図してきたのだ。余市の惣大将、八郎右衛門を仲立ちに立てる、と。
四年前──硝石の注文が、倍に跳ねた。
吉成は、そこで絞った。
倍の注文は、一度だけ商人どもに呑ませた。呑ませた上で、打ち止めにせよと申し渡した。言い訳は持たせてやった。蔵が底をついた。公儀の鉄砲改めが近い。次はもう、硝石をまとめて動かす度胸がない──と。半分は、まことのことだ。だが決めたのは商人の度胸ではない。この城の、この文机だ。
(──猟に使う火薬には、限りの量というものがある。あれを越えれば、もう猟ではない)
以後の品は、鉛と銅と鍛冶の道具に替えさせた。鍋釜の材と、細工物の材。表で咎められても、言い抜けの立つ品だ。糸は切らない。太らせもしない。それが、この四年の飼い方だった。
「草の見聞も、揃うております」
北村が束の中から薄い紙を幾枚か抜いた。
「まず和人地。熊石も亀田も、一昨年の山焼けからこちら、浜は不漁続きにございます。鰊も鮭も上がりが細り、和人も蝦夷も痩せたと。福山の城下は代替わりの物入りで、近江の商人からの借銀がまた嵩んだという噂で」
「山焼けと申せば」
為節が腕を組んだ。
「あれには魂消たのう。海の向こうの山が焼けて、この弘前まで鳴るとは」
「夜通し、障子が鳴り申した。地の底で太鼓を叩くような音で」
為久が頷き、北村が続けた。
「畑には、妙な毛のようなものが降りました。灰の糸のようで。拾うた百姓どもが、狐の仕業だの、凶兆だのと騒いだと申します」
「海を隔てて、それか」
殿が短く言った。座が、静まった。
為久が空咳をひとつ落とした。
「──で、金山はいかがじゃ」
北村が次の一枚を抜いた。
「国縫の金山もシベチャリの金山も、金掘りは増える一方にございます。川が濁って鮭の遡りが減り、川筋の蝦夷が金掘りを憎んでおると。──ことにシベチャリでは、東の大将シャクシャインと、西の大将オニビシの睨み合いが続いており、いつ刃傷に及んでもおかしくないと申します」
「──浜が痩せ、蝦夷が痩せ、金山ばかりが肥える。それが、いまの蝦夷地にございます」
「なれど」
小平次が静かに継いだ。
「沙流の村の荷だけは、痩せませぬ。山焼けの年も、その翌年も、今年も。クロテンも毛皮も、涸れたことがございませぬ」
(──帳面を二冊、並べて初めて見える形がある)
商人の帳面には、旨い得意先が映っている。草の帳面には、痩せ細る蝦夷地が映っている。
「蝦夷に、何ほどのことができましょうや」
進藤が扇子の先で膝を打った。
「硝石など、まじないか火祭りにでも使うておるのでしょう。蝦夷が火薬の理屈を知るものですか」
「祭りに、硫黄は使わぬ」
北村がぼそりと返した。
「では、何に使うと仰る」
「知れたこと。西の首長とやり合うておるのだ。筒の何挺かも、どこぞで手に入れたのであろうよ。北の海の向こうから、山丹渡りの古筒が流れて来ぬとも限らぬ」
為久だった。
「筒があったとて、蝦夷に火薬は作れますまい」
「──和人が、入り込んでおるのではないか」
進藤が声を低めた。
「金掘り崩れか、食い詰めた浪人か。火薬の理屈を知る者が、あの村におる。そう読めば、筋は通り申す」
筋は、通る。通ってしまうことが、吉成には却って引っかかった。
(──松前の家老どもも、同じことを言うておるのだろうよ。蝦夷に何ができる、と)
(──読みが楽な方へ流れる時は、たいてい何かを見落としておる)
「もうひとつ、ございます」
小平次がまた口を開いた。
「七年前の川口で、商人どもと向き合った蝦夷の中に──子供が、おったそうにございます」
「子供?」
「長の傍らに立って、注文の品と翌年の約定を、その子供が決めたと。船頭が、いまも首をひねっております。あれはいったい、何だったのか、と」
誰も、笑わなかった。
吉成は書付の束に目を落とした。商人の帳面。草の帳面。渡した覚えのない鉄。倍に跳ねた硝石。灰の中で肥える村。長の傍らの、子供。
(──読み合うても、埒は明かぬ)
「恐れながら、殿」
吉成は上座に向き直った。
「座して読み合うたところで、埒は明きませぬ。人を遣り、見定めるべきかと存じまする。──来年の便に、服部小平次を乗せまする。商人に紛れ、余市にて、かの村の者と直に会わせまする」
殿は、すぐには答えなかった。
若い目が、末席の小平次を見た。それから、書付の山を見た。
「──小平次。その方が、参るか」
「は」
「八兵衛」
「は」
「北の商いは、もとは津軽の海のものであった。十三湊の昔、蝦夷地の富はみな、この津軽に揚がった。──それを取り戻すのは、この家代々の宿願ぞ。松前の門が緩むなら、緩んだ隙間から、こちらの手を差し入れる。抜け荷とは、そのための指先よ」
座の誰も、動かなかった。
(──天下に負けた男の血が、上座から、北を取り戻せと言うておる)
「沙流の村とやらが何者か、わしは知らぬ。松前を食う虫か、ただの変わり者か。──だが、もしその蝦夷の目が、いつの日か海を渡ってこちらを向くことがあるならば」
若い殿は、そこで一度、言葉を切った。
「津軽には、津軽の覚悟がある。北の門は、この家が押さえる。──見定めよ」
吉成は畳に手をついた。一門が、北村が、進藤が、それに倣った。末席で、小平次が最も深く頭を下げた。
殿が座を立ち、人が引けて、小平次だけが残った。
「そなたの祖父御は、この家中を三十年、見ておった男だ」
小平次は顔色を変えなかった。
「見る目が血で継げるものかどうか。……試して来い」
小平次がわずかに顔を上げた。
「無理はするな。商人の荷の陰に隠れて、目だけ開いておればよい。福山の様子、浜の蝦夷の顔色、上納の割りの変わりよう──そして沙流の村の実。会えるものなら、その長の顔と、傍らに立つ者の顔を、おのれの目で見て来い」
「──は」
◆
夜、吉成は独り、書院に残った。
燭台の火で、江戸へ上す書状を検める。松前家代替わりの子細、御家中静謐の趣、浦々の警固に別条なし。型通りの、薄い紙が一枚。服部の手を経て、江戸の然るべき筋へ届く紙だ。
封をした紙を、吉成は文箱の上に置いた。明日には江戸へ送る。そのまま江戸の誰かの箱の底に納まり、二度と開かれぬのかもしれない。それでいい。
障子を開けると、夜気が冷たかった。月の下に、岩木の山が黒々と横たわっている。あの山裾の先が鰺ヶ沢の湊で、その先が海で、海の先が──蝦夷地だ。
北の海は、まだ静かだ。
吉成は障子を閉め、文机に戻った。北から来た書付の束を袋に納め、自らの腕に抱えた。小姓には、持たせなかった。
冷えた廊下を、燭の火が揺れながらついてくる。
腕の中に、重みがある。
今日また一枚、厚くなった重み。
幕間をお読みいただき、ありがとうございます!
今回のおまけは津軽藩の人物紹介です。
杉山八兵衛吉成(1610〜1672) 実在。
石田三成の次男・重成が津軽へ落ち延びて杉山源吾と改名し、その長男として津軽に生まれた人──つまり三成の男系の孫です。二代藩主・信枚の姫を娶り、藩主一門に列しました。
津軽越中守信政(1646〜1710) 四代藩主。
1665年の時点で数え二十。のちに新田開発や治水で藩の全盛期を築き、「名君」と呼ばれることになる人です。そして本編で触れた通り、母方をたどれば曾祖父は石田三成。
辰姫 三成の三女。
太閤の正室・高台院の養女となり、信枚の正室として津軽へ輿入れしました。のちに家康の養女・満天姫が正室として入ると側室に退き、上州大舘の地で三十二歳の若さで世を去ります。けれどその腹に生まれた子が三代・信義となり、血は主家に残りました。
津軽玄蕃政朝(1648〜1705) 殿の弟。
幼名は仙千代。一門筆頭格・津軽百助家の先代(信隆)の跡目を継いだ二代当主で、本編の時点で数え十八。
大道寺隼人為久と津軽喜左衛門為節
どちらも二代藩主・信枚の子、つまり殿の叔父たちです。為久は大道寺隼人家を、為節は津軽喜左衛門家を、それぞれ継ぎ・興しました。藩主の子が分家や重臣の家に入って藩の柱になる──外様四万七千石の家の、一門による守りの形です。
北村弥右衛門宗好と進藤庄兵衛正次 どちらも実在。
北村宗好は、のちのシャクシャインの戦いに際して、松前方面への密かな人員派遣や情報収集を指示した記録が残る弘前藩家老です。進藤庄兵衛正次は、のちに剛直な人物として「鬼の庄兵衛」と呼ばれました。
服部康成(1566〜1635) 実在。
服部半蔵の一族と伝わり、弘前藩の筆頭家老にまで上って「無類の良臣」と称された人です。「三成の遺児を匿った津軽を見張るため、関東が送り込んだ」という説があり、本作はこの説を作中の真実として採用しています。見張りに来た家が六十年で藩の柱になった、という服部家の来歴は、この説の上に組み立てた本作の解釈です。
服部小平次
今回の顔ぶれで、ただ一人の架空の人物です。康成の子がそのまま津軽藩に仕えているという記録があったことから、孫の世代の実働の男、として造形しました。実在の家の、記録の隙間に立ってもらっています。
投稿が遅くなり申し訳ないです。
実在の人物の血縁関係や名前、官職名、通称の精査に時間がかかりました。
さて、本作を執筆するにあたって、驚いたのがこの津軽藩。興味深いです。
石田三成と津軽家は三成が便宜を図ったことがあったことから関係が深かったようです。
そのため関ヶ原の戦いの後、子供らを匿いました。
石田三成の娘と息子が匿われ、娘は津軽藩主に嫁ぎ、孫は仕えて重臣となります。
ちなみにこの石田の流れをくむ杉山家は幕末も存続しており、箱館戦争で新政府方として活躍し、明治になっても教育面で大いに貢献しました。
服部家についてもです。それも「康」を与えられている、それなりの立場の者が幕府から派遣されていたようです。藩として忍者集団をもっていたりもします。
読者の方々はご存知でしたでしょうか?
もしご存知であればなかなかの歴史マニアと言えるのではないでしょうか!
というか、江戸初期も十分面白い。
各藩を掘っていくと、有名な戦国武将の子孫が活躍してたり、お家騒動であちこち揉めてたり、調べる手が止まりません。
戦国時代ものだけではなく、江戸初期の小説がもっとあってもいいんじゃないだろうか・・・。
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誤字報告もありがとうございました。