最大限かつ最大級 作:萩の月
やや傾いた、十月の陽光を頬に浴びながら、若い夫は妻の語りを、噛みしめるように聞き終えた。
短い沈黙の後「・・・なるほどね」と彼は吐息と共に呟く。
「つまり、オレは中身が『妖怪』なのに、『母を認識し愛する』という『人間』の感情を手に入れたのは、父の手による、生後すぐの刷り込みだった、と」
「ちょいと蔵馬!! 言い方ってもんが!!」
「『秀一さん』でしょう」
妻、ぼたんは顔を赤くしてぐっと言葉に詰まる。そんな様子を愛おし気に見下ろしつつ、
「コエンマが、人間に戻したあなたを、俺に押し付けてきた理由の一端がここにもあったんだな」
と、南野秀一は得心の弁を述べる。
ぼたんは自身の顎を軽く摘まんで、考える。
「まあ――、縁ってやつかねぇ」
「そうじゃなくて」
小首を傾げる妻に、彼は微笑みを向ける。
「責任をとらされたんですよ、ぼたんは。
オレの人生の方向性を決める片棒を担いだ――というより、むしろ主犯なわけだから」
「ええ!?」
「だってそうでしょう。
オレを、母親愛の『一点』において他の誰より『秀でた者』にしたのは父だ。
でも、そのお膳立てをしたのは――
ぼたん。あなた自身に、他ならない。違います?」
ぐうの音も出ず頭を抱え、ぼたんは苦笑いを浮かべた。
「・・・確かに、あんたは三界一の母孝行者さね。本当に。
そっかぁ――初めてあんたと関わった、あの時――閻魔様のお宝に手を出させたのも、元をただせば、そこに行きつく訳さね・・・
何てこったい――」
天を仰ぎ、ぼたんは「はぁぁ〜」と大きくため息を吐き、俯く。
しょげてしまったぼたんに、秀一が声をかけようとした瞬間、
「何してるの!!」
開け放ったドアの向こうから、母――志保利の鋭い声が、ふたりの間を切り裂くように飛んできた。
「まさかあなた達、ずっとここに、こうしてたの!? 秀一、窓を閉めなさい!」
ぽかんとしながら、はい、と秀一は出窓を閉める。
「ぼたんちゃん! そんな薄い靴下で! 上靴あるから履きなさい!
あと、羽織るものはある?」
気まずそうに「いえ・・・」とぼたんが答えるや否や、志保利はすたすた近づき、着ていた自分のカーディガンを、問答無用で彼女の肩に巻き付ける。
「信じられないわ。とりあえず座んなさい」と声を荒げながら、二人掛けの小さなソファに、ぼたんの肩を抱えて押し付けるように座らせ、上靴を履かせる。
「この時期の気温は、夕方前からぐっと冷えるでしょう。それを窓開け放して二時間も・・・
一階でうっかり、うとうとしちゃってた私も悪いけど」
妻の両肩を必死で擦る実母を、秀一は正しく「キツネにつままれた」感覚で見ていた。
ぼたんは身体をすくめて「すみません・・・」などとつぶやいている。
母はふと手を止めて、妻の顔を覗き込む。
「まさか――知らせてないの!?」
ぼたんが躊躇いつつ、黙って頷く。志保利は全身からのため息を漏らし、何度も首を振った。
「・・・呆れたわ・・・想定外じゃないけども。
写真、持ってるわね? 見せてやりなさい」
斜めがけの小さなカバンから、ほとんど黒一色で印刷された、正方形の感熱紙を取り出すと、ぼたんはおずおずしつつ「これ・・・」と秀一に差し出してきた。
日付以外、何が写っている何のフィルムか全く判らず、しばし秀一が目を凝らしていると
「先週のよね」と志保利がぼたんに確かめる。
「ハイ・・・なので、今日で八週め終わりか、三ヵ月手前・・・くらい、かな・・・」
漸く、秀一は事態を理解した。
「・・・そうか・・・驚いたな・・・
なんで黙ってたの」
「えと・・秀一さん、出張続きで、なんか、切り出すタイミングが」
息子夫婦のやり取りに業を煮やし、母は今までにない剣幕で捲し立ててきた。
「あのね!! 私ずっと思ってたけど、あなた達、自分以外のことを優先しすぎよ!」
妙に遠慮がちな会話をしている若夫婦を交互に見やりながら、息子が初めて見る憤怒の表情で、母が叱り飛ばしてくる。
「あなた達夫婦でしょう。家族でしょう。『不自由してない』なんて理由で、隣部屋とはいえ社員寮の別室に住み続けるなんて、おかしいわよ。
一緒に住んでいないと、大事な話もくだらない話も、さりげなくできないじゃない!
そりゃ職場は同じでも、仕事は別々なんだし、業務中なんて、会話一つままならないわよね?
確かに秀一が経営にかかわってくれて以来、弊社は業績好調です、お陰様で!
でもね、一から十まであなたがやる必要ありません! 価格交渉や営業のための出張なんて、他の人でもできます! 人にできるようにさせるのも仕事!
ぼたんちゃんは時短勤務、なんならちゃんと安定するまで休暇を取りなさい。育児休暇は夫婦で取りなさい。
・・・秀一。あなたが抜けた程度で、どうにかなるほどわが社は弱くありません。バカにしないでちょうだい。ちゃんと信じなさい。畑中工業所も、畑中のお義父さんも――
そして、私も」
一気に吐き出した分を補うように、すうっと息を大きく吸うと、切り替えて志保利は静かに続けた。
「もう秀一が守るべき人は、私じゃないの。最優先すべき人も。
一番大事にしないといけないのは、あなたの家族よ。 特に、今ぼたんちゃんの中にいる、一番小さな、家族」
ぼたんは両手の指をゆっくり擦りながら、きまり悪げな上目遣いでこちらをみている。
思いがけず、母の本心と妻の状況を一度に突き付けられた秀一は、しばし口を軽く抑えた。
そうか・・・と呟いて腰を落とし、肩をすぼめて座る妻と真っ直ぐ目を合わせる。
「――ぼたん、ごめん。オレは、気を使わせてばかりだった。
気づくどころか、まともに話もできないでいたばっかりに」
彼女の手を、両の手で包み込む――その冷たさに、心がちくりと痛んだ。
「いやいや、そんな!
・・・あたしこそ、すぐに話すべき、だったのにねぇ。
なんでかね・・・こう、ちと、言いづらくて、さ」
――なるほど、それで母はこの家を、自分達息子一家に譲って、住まわせようとしたわけだ。
秀一はふっと息をつくと
「・・・母さんにはかなわないな・・・」と苦笑した。
「分かってもらえたなら、まずそれでいいわ。でも、ちゃんと実行すること。
ぼたんちゃんも、工場のお昼づくりとか手伝わなくていいから、ゆっくり横になる時間を取りなさいね」
「ハイ・・・ありがとうございます」
更に小さくなって頭を下げるぼたんに、母はまた呆れた声を上げる。
「礼なんかしなくていいの。私の大事な初孫を守ってくれてる、大事な体なんだから」
母の満面の笑顔と対照的に、ぼたんの目じりが潤んで赤くなる。
「さ、暖かいリビングで温かいお茶にしましょ。ノンカフェインのハーブティを何種類か探してみたから、色々試してみましょ。
秀一も来るわね?」
不意に呼ばれ、はっとした顔を見せると
「・・・いや、オレはもう少ししてから、行くよ。
ちょっと、一人で考えたい」
秀一は、モノクロのフィルムに再び目を落とした。
志保利は静かに頷くと、ぼたんの肩を支えるように立ち上がらせた。
「――秀一、使ってなかった部屋は冷えるわ。なるべく早く来なさいよ。
・・・さ、ぼたんちゃん、ゆっくり下りて。滑らない上靴のはずだけど、気を付けるのよ。
もう、頼むから、薄い靴下でフローリングを走るなんて・・・二度としないでね」
母と妻が用心深く階段を下っていく。その衣擦れを聞きながら、改めて秀一は窓際の光で、フィルムに目を凝らす。
見方がよくわからないが、白く細い線で写された小さな円の中に、これまた薄い白い線で、落花生のように二つくっついた、円形のものが写されているのは見えた。
「これ、か?――これ、もしかして・・・?」
――もう、頭と胴ができている!?
フィルムに極々小さな「ヒト」の形を認めると、秀一は思わず大きく肩を上下させ、空を仰いだ。
・・・そうか。今度はオレがこの「ヒト」に「最大限の祝福」を与える番なのか。
思わず苦笑をこぼすと、記憶にない父親へ語りかけた。
「よく分かったよ、父さん。
確かに、これ以上怖いことはない、一生モノの責任だ。間違いなく最大限の祝福であり、最大級の呪い。
当日まで決められないのも、無理のない話だね。
・・・オレなりに全力で頑張って、考えてみるとするよ」
階下からの呼びかけが耳に触れ、秀一は踵を返して部屋を後にした。
窓の向こうで中秋の風が、いち早く色づいた銀杏の葉を一枚ひらりと乗せ、軽く傾いた陽光とともに過ぎていった。
これにて完結です。
地味なお話にお付き合いいただき、まことにありがとうございます。
なるべく「原作ミリしら&単発でも読めるもの」を心掛けて執筆し、こちらに上げました。
本稿、実は前フリです。
同じく「ミリしら&単発でも(多分)読めるもの」として、改めて地続きの作品を上げさせていただこうと思います。
(ちなみに本作品は、過去pixivに寄稿したものを加筆・修正したものであり、執筆者本人の手によるものです。)