最大限かつ最大級 作:萩の月
呼び出しを受け、いつものように軽い足取りで、上司の部屋に向かう。
「こちらぼたん、お呼び出しにつき馳せ参じましたー! 今日のお仕事は、何でござんしょう?」
片手を挙げ、薄紅の振り袖を揺らす。
毎度、ぞんざいながら明るい部下だ。正面に立つと、人の気も知らず、笑顔で指示を待っている。
上司――閻魔大王の息子は、能天気な部下を一瞥し、軽くため息をついた。
「コレじゃ」
目を合わすことなく、縦が手の平ふたつ分ほどのサイズの帳面を差し出す。
「あー・・・お迎えアンドお見送りですねェ」
死者の心を、正しく“在るべき世“に送り届ける、彼女の「仕事」の八割以上がそれであった。その対象者――つまりこれから死にゆく者――の情報を、細部にわたり記録されてある帳面を、ぼたんはパラパラめくり目を通している。
閻魔の息子は苦い表情を浮かべ、絞り出すような声で警告する。
「今回のケースはだいぶ重いぞ。入れ込みすぎて暴走するんじゃないぞ。
結果うまく導けても、度々、次の日にお主が――少なくとも半日は引きこもっとるのを、ワシは知っとるぞ」
帳面をわざとパタン、と鳴らし閉じると、彼女はしばらく目を閉じて、眉間に皺を寄せながら、帳面を両の手で挟み、縦にしたまま胸元に力を込めて押しつける。
「・・・・・」
彼女なりの、儀式のようなものなのだろう。何も言わず、上司はただ見守っていた。
「――んんんよしっ。気合いいれました!! 行ってまいりまぁす!!」
いつも以上に通る声を残して、彼女は自分の櫂を取り出し、取っ手に腰をかけて飛び立っていった。
上司――コエンマは、やれやれとばかりに大きく鼻でため息をつく。
――これは、やらかす。
もはや確信に近い。
もう一度小さくため息をつくと、彼女が飛び立っていった窓の向こうを遠い目で見つめたのだった。
彼女の仕事は、三途の川の「水先案内人」である。
どんな形であれ、亡くなった人間の肉体から分離した霊体――つまり、その人の心――を、最も適切かつ安らかでいられる地へ、連れていかねばならない。
もちろん、全ての人間を隈無く網羅できているわけではない。それでも、事故だろうと病気だろうと、それが突発的であるほど、彼女の職場では強く察知する。
そして「案内人」たる彼女は、いち早くその場に向かい、「迎えと送り」がスムーズにできるよう、物理的にも精神的にも先回りしておかねばならない。
考えたことはあまりなかったが、霊界人ではない「ただの人間」であれば、発狂してもおかしくないこの仕事に、霊界人ぼたんは何百年と従事している。
自身の幼い時分など、存在の可能性すら感じない。同僚の先輩から、櫂に乗り飛ぶことを教わった辺りくらいが、彼女自身の記憶の限界だった。
今回導かなくてはならない「対象者」の情報を、胸の奥で今一度反芻すると、彼女は一気に降下を始めた。
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指定の場は、駅前であった。
とは言っても、中規模な駅ビルとチェーンの飲食店や商店、ちょっとした貴金属店や古物商店も並ぶ、賑わいのある「いわゆる」駅前ではない。
そちらとは線路を跨いで逆、人通りも少なく街灯も最小限しかない、住宅街側の出口がある方の、駅前だ。
お陰で、まだ生存している「対象者」の姿を、夜の深まる人ごみに紛れさすことなく、上空からすぐに捉えることが出来た。
一番辛いのは、実のところ、この時なのだ。分かっているのに、死を避けてやれない無力感と胸の痛み。これだけは、何百年経っても慣れることはできない。
該当の男性は、駅の出口よりバスターミナルを縦断すると、駅反対側から高架下を抜けて通る道路脇に進み、横断するべく信号が変わるのを待っていた。
信号が青になったのを見、横断歩道を何気なく5歩ほど進んだところだった。
「予定通り」にとんでもないスピードで蛇行してきた乗用車に突っ込まれ、文字通り真っ直ぐ「飛ばされ」た。乗用車はガードレールにめり込み、停止している。
――即死だ。
その証拠に、辛うじて人の形を保ちつつも、あらぬ姿と化した自身の身体を、もう一人の「彼」が血溜まりに立ったまま、呆然と見下ろしている。
帳面を握りしめ、立ち尽くす彼に並ぶよう、ゆっくりと下降し、意を決して声を掛ける。
「えー、と――もしもし、聞こえます?」
男性は動かない。
まずい。このままでは、この地に縛られてしまう。「地縛霊」になると、迎えも送りも、困難になる。
ぼたんは思いきって、今度こそハッキリと呼び掛けた。
「あの! もしもし! 『南野洋二』さん!!」
突然名を呼ばれ、飛び上がらんばかりに驚くと、彼――「南野洋二」は、やっとこちらに気づいた。
「え、え、 えっ!? あなた、何、です!? 何で、私の、名を!?」
顎をガクガクさせ、震える手でメガネを支えながら、警戒と恐怖の極まったまなざしを向けてくる。こういう亡くなり方の人間の、典型的な反応だ。
「オホン。ワタクシ、死後の世界――霊界において、その案内人を務める、ぼたんと申す者で、ございます」
会話が出来たことで、彼はわずかに落ち着いたようだ。
「死後――レイカイ、レイカイ・・・」
何度も口のなかで呟くと、小さく息を吐き出し
「――私は、つまり、もう幽霊ってやつ、なんですね」
口は動かせているが、まだ目が泳いでいる。
ぼたんはとりあえず、一旦軽く頷くだけに留めておいた。
「・・・は、ははっ・・・
――そりゃそうだ、こんなボロ雑巾みたいな、自分の身体を、今自分が、見てるんだもんな、他人みたいにさ」
そりゃそうだ、うん、と口の中で繰り返し、自分に言い聞かせている。また不安定だが、何とか受け入れてくれる気配が出てきた。
「ええ。・・・大変残念ですが、その通りで。
あなたはもうこの世に、人間として存在することができません」
「『残念』・・・。残念・・・?」
やおら彼はその場で、頭を抱えてしゃがみこんだ。頭髪をクシャクシャにしながら、ひとり全身で叫ぶ。
「そんな言葉で済むかぁ!!!
なんで、なんで、僕なんだ!
臨月の妻が待ってるんだ!! もうすぐ被子植物分類の論文が仕上がるんだ!! 予備校の副業パンパンに入れて頭金かき集めて、やっとローン通して買ったばかりの家があるんだ!!!」
――即死あるあるだね、と錯乱する男の頭頂をぼたんは見つめる。ただ、彼の口から発せられたフレーズが、ぼたんの心をいつもより、重くした。
『臨月の妻が待ってるんだ』
しばらく黙って様子をみていたが、とりあえず、先ほど彼の口から滑りでた「心配事」のひとつくらいはやっつけてやろうと、ぼたんは改めて彼の横に、降り立った。
「えーとぉ。南野さん」
帳面をペラと捲り
「うん、団信! 入ってますね」
おもむろに洋二が、顔だけでもこちらに向けるのを確かめると、ぼたんは人差し指を立てて続けた。
「ホーラホラ、団体信用保険ですよ!
ローン組んでたった二年でも、ご主人名義なら、亡くなった時点でチャラッチャラじゃないですかぁ」
「・・・・」
「あ! あと、収入のわりに良い生命保険入ってましたよ!
三千万有れば、奥さんお子さん共に、当面は何とでも食ってけますし!」
「・・・・」
「将来の学費だって無問題! ひとり親家庭の補助は自治体によるけど、案外わりかし手厚いんですよー!
奥さんがこれから働いたとしても、寡婦控除ってヤツで税金も優遇されます!」
ぼたんは軽くかがんで洋二の顔に、笑顔を正対させる。
「とりあえず! 金銭だけならそこまで絶望的じゃないってことですよー!」
洋二は顔を背けて俯くと、小さく息を吐いた。
「ぼたんさんていったね」
「はいな」
力なくゆらりと立ち上がった彼は、笑顔を崩さないぼたんに体を向け、顔を上げる。
分厚い眼鏡の奥に渦巻く昏い瞳を見て、ぼたんはハッとした。
「『霊界案内人』だから、人間の心はないのかい?」
洋二はぼたんの両の肩を掴むと
「それじゃあまるで! 僕が死んだ方が! 二人が安心して幸せに暮らせるみたいじゃないかぁ!!!」
やっちまった!!!
「ご、ごめんよ! あんたの心配が、暴発してたもんだから、つい」
洋二は彼女からゆっくりと手を離すと、倒れ込むように、またしゃがんだ。
物言えば唇寒しだよ――とぼたんがしばらくの間、心底後悔していると
「・・・こちらこそすまなかった」
大分落ち着いた口調で呟くと、洋二はぼたんに改めて顔を向けた。
突然の大事故に、人が次々集まり、騒ぎ立て始める。
「君は思いやってくれたんだね。
そうだよ。こう見えて大黒柱だからさ、まず経済的な困難が一番心配なんだ。
でもそれが保証されて家族が安心して暮らせるなら、それが何よりのはずだよな。僕が居なくても」
周囲は悲鳴や呼号が入り混じり、増幅していく。
洋二の口が紡いだ言葉は、あまりも対照的に、か細く、淋しく響いた。
ついぼたんは、語気を強め反論する。
「それは違いますよ・・・!!
『お金に困らないこと』と、『旦那さん、お父さんが生きてそこに居ること』が、おんなじ重さな訳、ないじゃないですか!」
正直、金銭面の安定は事実だけどね――と、ぼたんは心でつい呟いた。しかし、問題はそこではない。
「南野洋二さん、これからあたしは、あなたを霊界へご案内することになっています。
――でもその前に、現世で、最後に見ておきたいところとかあれば、どこへなりともお連れできますよ?」
洋二は、まだ現場を何となく見つめていた。
が、救急車や消防車、警察車両が近づいてくるのを耳で察するや否や、弾かれたようにぼたんに向き直った。
「じゃあ今すぐ、自宅へ連れていってくれ!!」
その声にはもう、迷いも乱れもない。むしろ焦燥を帯びていた。
「承りです! じゃあ」
仕舞っていた櫂を具現化させると
「あたしの後ろに跨がってください。飛ばしますよー!!」
帰してくれ、ではなく『連れていってくれ』――
ある程度の安堵と、一抹の痛みを胸の奥底に感じながら、ぼたんは彼の体勢を瞬時に確認し、空へ舞い上がっていった。