最大限かつ最大級   作:萩の月

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約束


第二章

 住宅街の一角、バス通りを左折した路地に、ともる明かりを斜め上空から、ぼたんが指さす。

「こちらが洋二さんのおうちですよね?」

「ああ。さすがだね・・・

 もう少し近づいてもらっていいかい」

「え?  かまいませんけど」

 

 ぼたんはどんぐり眼をぱちぱちすると、

「あたしたち実体ないから、おうちの中にするっと入れますよ?  外からだけでいいんですかい?」

首をかしげて洋二に視線を向ける。

 

「いいんだ。あ、いた」

 

 洋二は斜め下、一階の窓越しに、最愛の妻の姿を確かめた。一緒に覗き込んだぼたんは、思わず驚嘆した。

 

「うわ立派! ほんとに今にも生まれそうなお腹ですねぇ」

 

 洋二の妻は、ソファに背を預けながら針仕事をしていた。

まだ見ぬわが子のための何か――形状からいってスタイであろう縫物――を完成させようとしている。

 

「知らせがこないうちに、見ておきたかったんだ。

泣き顔を見ながら去るのは、イヤだったからさ」

洋二は淋しく微笑む。

 

 彼女は無意識に口角を上げながら、作業を続けている。今この瞬間、幸福感に全身を包まれているのが、手に取るように感じられる。

 

 間もなく――心を突き落とされる、恐ろしい知らせが降りかかることなど、当たり前だが、微塵も予期するはずもなく――

 

 

 ぼたんは洋二の表情を軽くうかがうと、

「どっちですかねぇ」

と、何でもないように会話を投げかけてみた。

 

 洋二は、何のことかすぐに飲み込めずにいたが、ああ、と意を汲み取り応じる。

「女の子じゃないかって聞いてはいる。

でも、女の子だと、かえって確実にはまだわからないんだ。

病院で検診しても、全身隈なくみられるわけじゃないからね」

そういうもんですかぁというぼたんの反応を流し、洋二は妻の姿を、噛みしめるように見つめ続ける。

 

 ぼたんは、今度はこの場に縛られることを危惧し始め、さらに会話を続けてみることにした。

 

「時期としても、ちょうど生まれる頃合なんですよねぇ」

「そうだね、もう38週過ぎだったかな」

「名前とか、もう決められてました?」

 

 洋二は思わずハッとした表情になり、軽く肩を落とした。

 

「・・・実は、まだだったんだ。

 とりあえず候補はあるけど、まだ性別がはっきりしないこともあって、決めきれなくてね・・・

 妻にも、まだ何も言えてない。

 

 僕が決めることに、なってたのに――

 約束、破っちゃったな・・・」

 

 哀しみを湛えた目を、再び妻に向ける。

 

 最期に妻の幸せな表情を目に焼き付けようという意思が痛いほど伝わってくる。

 やがてうん、と小さく自らを確かめるように頷くと

「ありがとう。もういいよ」

ぼたんに向き直ると、明らかに感情を押し殺した微笑で、言った。

 

「あとはきっと、周りが何とかしてくれるさ。

妻のあんな顔を、最期に見られただけで、僕は満足だよ。

 ――連れて行ってくれるかい?」

 

「うーーーーーんんんーーーーむ」

 ぼたんは腕を組み、何か思案している。

 

「もうちょっと待ちません?」

 

 想像を裏切る返答をうけ、洋二は絶句した。

 

「・・・は? そのために君は、僕のところにきたんだろう? ここまで来て、なんでそうなるんだ?」

「自分が死んだあとどうなるか、そうそう見る機会なんて、ないですよ!

 洋二さんのお葬式に、どんな方が来てくれるのとか、ちょおーっと興味ないですかねぇ?」

「全然」

「それに自分のお骨とか! 見てみたくはないですかい?」

「・・・骨か・・。

ちょっとは気になるけど、そもそも僕は、妻の幸せな顔だけ覚えて逝きたいから、今ここにいるわけで。

 

 僕の葬式だの火葬だの、そんなセレモニーに参加する妻の姿なんて、想像もしたくないんだよ。

 急いでうちに来た意味が、台無しじゃないか」

 

軽くいら立ってきた洋二の口調に気づきつつも、

「まぁまぁ、まぁまぁ!」

そう遮り、ぼたんは首を振りながら、洋二の胸の前に両手を押し戻しする。

 

「そう言いなさんなって。

現世の洋二さんの最後を、とりあえず、遠ぉーーーくからでも見守ってみません?

 何か、気づきがあるかもしれないですよ!」

 

――『気づき』。学問に携わる身に対して、ひどい殺し文句だ。

 

「・・・わかったよ」

 この言葉を出されたら、ぐうの音も出ない。

洋二は不承不承、ぼたんの提案を受け入れることにした。

 

「ただし! 

 ほんとに遠くからしか、見ないよ。

 式場や焼き場の中なんて、入らないからね。

自分の骨がどうなってるか、生物学分野の人間として、興味がなくはない、けど――

それ以上に、その場にいる妻の顔、なんて・・・!

 

――絶対、見たくない」

 

「ラジャーです!」

 

 二人のやり取りがひと段落した、その時。

 遂に電話の呼び出し音が鳴った。妻にとって、悪夢のような知らせが、とうとう届いてしまったのだ。

 

「・・・ごめん。もう、ここから、離れさせて、くれないか」

 自宅の明かりから顔を背け、苦し気に洋二が訴える。

「――そーですね。そうしましょか」

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