最大限かつ最大級 作:萩の月
幸い、かかりつけの病院が受け入れてくれたようだ。見慣れた正面玄関の方ではなく、左手の救急用入り口からストレッチャーが院内に運ばれていく。正にその時、洋二たちも現地に到着した。
看護師や医師が、引き受けた妻の様子を小走りに確認しながら、「破水はじまってます」「LDRに直行、念のためカイザーの準備」などとやり取りしてるのが耳に入ってきた。
「これ、お腹の子、まずいんじゃないのか・・・」
「大丈夫ですよ。予想より早く始まっただけで。
これから奥さんが、どこまで頑張れるかのほうが、ちょっと心配かな?
とりあえずお部屋まで一緒に行きましょ!」
ぼたんに引きずられるように、院内に入る。
「LDR5番ですね」とナースステーションに向かって、妻を運ぶ看護師が走りながら確認する。
部屋に着くと、また妻は手際よく持ち上げられて、分娩用のベッドに横たえられ、追ってきた洋二の目の前で、部屋のドアが閉じた。
「い、いいのかな、ここ、入って」
洋二は締め出された気持ちになり、戸惑いが極まる。
「立ち合いの予定じゃ、なかったんですかい?」
「いや、そうだけども! でも、今の僕にはもう、何もしてやれないし」
「そんなもん!」ぼたんがカラカラ笑った。
「生きてようが死んでようが、大して変わらんもんですよ!!
もうこの状態で、旦那さんのできることなんか、そばで見守ってあげたり、声かけてあげたり、そんなんしか、ほぼほぼありゃしませんて!
大概余計なことして、奥さんにキレられるのがオチってなもんでさ」
「無力だな・・・」
「当たり前ですよ。産むのは奥さんなんだから。
でも、せっかくだから、そばで応援してあげたらどうです?」
「そう、だね、そうするよ・・・え? 君はここにいるのかい?」
「ま、一応プライベートに踏み込むのは野暮ってもんかとね。
無事生まれた暁に、改めて中に失礼させていただくよ」
洋二は、今更プライベートもなにもとは思ったものの、確かに普通家族以外は入らないものかと得心すると、息を軽く吸ってドアの向こうへスイと踏み込んだ。
いつの間にか妻は着替えさせられて、足を大きく広げた状態で、腹から大きなタオルをかけられていた。
助産師がタオルの下をのぞき込んでいる。頭のほうでは、椅子についた取っ手を握りしめる妻の手を、義母が擦っている。
「頭見えてきましたよー」
妻に向かって、足の間にかかるタオルに潜っていた助産師が顔を出し、呼びかける。
「ハイじゃあちょっと強く息吸ってー、ハイお腹に力入れてー」
何度か同じ掛け声をかけていくうち、
「頭出ました! ちょっと軽く呼吸しててー。
うん、いいですよー、ちょっとそのまま力入れないで息しててねー」
――・・・全然見えないし、どうしていたらいいのかわからない。
ただ、歯を食いしばって腕から肩に力を込め、全力でこの世にもう一つの命を生み出そうと、命を賭している妻の姿に、思わず洋二も妻の手に、手を重ねるように固く握った。
「――頑張れ!!! 志保利!!!」
聞こえないことなど忘れて、何度も叫ぶように、呼びかける。
「ハイ、そのままちょっといきんでー・・・うん、肩出ました!!
ここからは軽い呼吸を続けてねー。そうそうその感じ!」
・・・ヤマを越えた? 洋二がそう感じた瞬間。
「赤ちゃん出ました!! 今簡単に拭きますから、ちょっとまっててね」
と助産師が足元から、さっと『赤ちゃん』をタオルにくるんで取り上げ、その小さな背中を何度か擦る。
猫が鳴くような、想像より控えめな産声が、耳に届いた。
「良かったですね!! おめでとうございます! 元気で可愛い男の子ですよ!!」
――産まれた・・・・・。
妻はまだ、肩で荒く息をしている。
厚いタオルにくるまれ、フニフニ言う『赤ちゃん』を、助産師が妻の頬の横に、優しく添えるように、置いた。
「可愛い・・・」
そう呟いた妻は、柔らかな眼差しで微笑んだ。
今まで何年も見てきた彼女の笑顔とは、比べものにならない、神々しいほどの美しさだった。
声も出せずにいると、いつのまにか隣にぼたんが来ていた。
「おめでとうございます! 良かったー、二人ともお元気そうで!」
ふと我に返ると、洋二の頬は滂沱の涙でびしょびしょになっていた。
「ほんとに、良かった・・・
こんな、嬉しいことが、あるもんなんだな・・・」
手の甲で涙をぬぐいながら、思わずよろめきしゃがみ込む。
「男の子でしたねぇ」
「うん、うん」
まだ余韻でしゃくりあげる洋二に、ぼたんが業を煮やし、ずいと顔を近づけてくる。
「大切なことなので、もう一度。
『男の子』でしたよ、お父さん!!」
一体何を・・・と気圧されたが、それも刹那だった。
「あっ・・・・!!」
ぼたんは満面の笑みを見せ、櫂を取り出した。
「さあさ、最期の大仕事でっせ!! ホラ乗って!!」
「ああ。そうだな」
二人を乗せた櫂は、「最期の大仕事」の場へと、飛び立っていった。