最大限かつ最大級   作:萩の月

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願いと、想い


第六章

 自宅の書斎には、二つ机がある。

 一つは仕事用の大きなもの。資料と文献が山積みになっている。

窓際横にある、もう一つの小さな書き物机に洋二は向かい、腰かけた。

斜陽のさす机の上には、水天宮のお参りに行った時にもらった、名づけ台紙がずっと置きっぱなしになっていた。

 

 台紙には柔らかなタッチで、中央上部から結び目のある紅白のリボンが、全体を囲むように描かれている。囲いの中右上に、これもかわいらしく飛び立つ鶴が印刷され、結び目の真下に「命名」と筆文字がある。

 しばし洋二は眺めてから、ぼたんに声をかける。

「何か、書けるもの、あるかい?」

 袂から一本の筆を取り出すと、彼女は自分にも言い聞かせるように、切り出した。

「これはね――ホントに、どうしてもって時にしか使わないんだ。霊界以外の者にも、見えてしまう墨汁だから。

でも、あたしは、今がその時だと思ってる。

ああ、筆ペンみたいなもんだから、スイスイ書けるよ!」

「――恩に着るよ」

 

 台紙を机に置き、そっと筆をつける。

 肩に力が入って、線が細かくブレる。

 洋二は一画一画、その度に息を吸いなおしながら筆を動かし、二つの漢字を完成させた。

「・・・できた・・・」

 はあっと大きく息を吐くと、椅子の背にもたれた。

 

「ふむふむ。

 南野さん、こちらは、どういう想いでつけられたんで?」

インタビュアーよろしく、ぼたんがおどける。

「僕の名前が、洋二だろ?

 二つの大海を跨ぐようって想いがあったって聞いたんだ。・・・正直、そこまで大仰じゃなくてもって、思ってた。

でも、やっぱり父親は、息子に自分を越えてほしいもんなんだな。

 顔を見たら、そう、実感したんだ」

そう答えると、もう一度洋二は台紙を手に取った。

「細筆あるかい?」

「はいよー」

完成させた二つの文字の横に、また少し緊張しながらも、平仮名で「しゅういち」と加えた。

 

「――何でもいいんだ。人から見たら、大したことじゃなくても。

 何でもいいから、自分こそ秀でていると誇れるような、胸を張れるような、一つのことを持つ人に、なって欲しいんだ。

・・・僕の『二』を超えた、『一』の人に」

 

最後に、台紙の左下に縦書きで署名を入れる。

「実印欲しいな・・・」

「それはムリです」

はは、と洋二は思わず破顔すると、しみじみとこぼした。

「――このためだったんだね。

きみがずっと、僕をこの世に留め置いてくれていたのは」

「へへへ、・・・まぁどうでしょうかねぇ」

 

ずっと窓の外で浮遊していたぼたんの目を見て、改まって言葉をかける。

「ぼたんさん、ありがとう。約束を果たさせてくれて」

洋二は、この時初めて、心からぼたんに向き合った気がした。

「いいえー、なんのこれしきでさぁ」

 ぼたんは不意にこみ上げる涙を、軽い言葉と笑顔でいなす。

 

「・・・本当は、怖かったんだ。名前を付けるっていう行為が。

その子が元々持っている、全方位への可能性を定義して、自分のエゴで、方向づけてしまうことだから。

 でも、母親が命を懸けて産むんだったら、父親はその分、同じくらいの覚悟で、子どもに向き合わないとフェアじゃない。

全身全霊で、誕生に祝福を示して、人生の方向に責任をもってあげないと。

そう思って、『名前は僕がつける』って約束したんだ、志保利と」

 

洋二はもう一度、名づけの紙を手に取ると

「果たせて、よかった」

満足げにつぶやき、ふっと細く息を吐く。

心を整えると、ぼたんにふたたび顔を向け、洋二は問うた。

「最後にもう一度、二人の顔を見ても、いいかな」

ぼたんは、両掌を叩くように合わせながら、応じる。

「ええ、ええ! もちろんそうしましょ。聞こえなくても、ちゃんと想いを伝えてあげましょ。

 短いメッセージの方が、確実に、伝わるかもでっせ!」

「・・・伝わる?」

「まぁ、あくまでも! 気持ちの問題ですけどねぇ!」

 

――確かに、今の自分はもう『気持ち』しか、ないもんな。

台紙を机に置いて、小さめの文鎮で抑える。

 

もう二度と訪れないこの部屋を、静かに見回すと

「じゃあ、頼む」

二人は再び空へと上がっていった。

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