天照21XX(上) いずれ君去る天照須
彩葉とかぐやが亡くなった。
2000年代後半に起きたアバターボディの量産化は周辺技術への、企業・研究所・その他団体の大小を問わない参入に対する呼び水となった。
アバターボディに対する急速な技術発展は、機能しなくなった、あるいは最初から失われていた肉体機能の一部を電子的に補うサイバネティクス技術のブレイクスルーをも招いた。
他ならぬ彩葉の研究も少なからずそれに貢献している。
結果として人はずいぶんと長生きになった。
それはもう「人間ってこんなに生きれたんだ」って思うくらい伸びた。一本映画を見終わったらもう一本! 豪華二本立て上映って感じだ。
ああいうの最近見ないよねーと以前彩葉に言ったらきょとんとした顔をされた。
そっかあ、彩葉が生まれた頃にはもうなかったよね。これがジェネレーションギャップ。よよよ。
それにしたって二人とも長生きだった。
その上「せーの!」と掛け声を合わせるかの如く一緒に、二人揃って眠るように、と言うのだから、これが大往生でなければ何なのだという感じだ。
かぐやならハッピーエンドと言うかな。それはもう満面の笑みで。
お葬式を
ちなみにこっちでのお葬式の喪主は
◇◇◇◇◇◇
「というわけで、その時はド派手な奴お願いね!! 寂しいのは無しで!」
ちゃぶ台から身を乗り出したかぐやのシャウトを正面から浴びる。
その勢いで肩に乗っていたFUSHIが落っこちるほどだった。
こっちにおけるアバター、向こうにおけるアバターボディ、どちらにおいても見た目はずっと変わらないとはいえ、かぐや自身もう結構いい年……のはずなんだけどなあ。
そんなの全く感じさせない、感情爆発! みたいな声だった。
落ち着きがないとも言う。
「いやいやいや。そりゃ頼まれれば嫌ってことはないけどね。かぐやのお葬式なら彩葉が、彩葉のお葬式ならかぐやがやるでしょ?」
どちらかが残されるとして、残った一人を私が見送るのに否やはない。
けれど二人とも元気なうちにその算段をするのはさすがに気が早いんじゃなかろうか。
終活は早いうちにとは言うけれどそれにしたってさ。二人の健康状態は私も逐一チェックしているが健康体そのものだ。健康診断なら全部A判定間違いなしだ。
「まー、そうだけどさー。でもわかんないじゃん? 二人でお昼寝してたらそのままスヤァ…からの永! 眠! みたいなことだってあるかもだし」
軽い。いや重く言うような話でもないか。
私が言うのもなんだけど、二人は相当に長い時間を過ごしてきた。
勿論私も一緒に。
やりたいことが尽きることはないけれど、やり残したことをすぐには思いつかない程度には長く、一緒に。
「ド派手にって、卒業ライブじゃないんだからさ」
彩葉がマグカップを三つ、器用に抱えてくる。
はいと渡されたマグカップにはほんのりとした温もり。
この暖かさも彩葉がこの世界にくれたものの一つだ。
「卒業ライブ! いいじゃんそれ! 帰ってきた卒業ライブ!! 的なノリとか?」
涎を垂らさんばかりに荒ぶるかぐやを横目に、帰ってくるのか卒業するのかどっちなのと彩葉は呆れ顔。
彩葉のアバターは十代の頃の姿で止まっている。
彼女はいくつかのアバターを使い分けていて、普段は
なんでも
けれどこうして私たちが会う時は大抵、彼女は昔のアバターでログインする。
身体感覚のズレは時に倦怠感にも繋がるのが心配で、それとなく聞いたところ
「やっぱり、ちょっとでもかわいいって思ってもらえた方が、そりゃ、いいじゃん...」
蚊の鳴くような、とはこのことだ。
そして彩葉可愛い。いや、幾つの彩葉も最高に可愛いよ、いつも可愛いが右肩上がりで天井知らずだよ、これ以上は何らかの罪に問われるよ、とかぐやと二人常々言ってはいるんだけれど。
それはそれとして出来るだけ可愛く見られたいって言う気持ちは私にも覚えがある。ありすぎる。
こうなってはそれ以上何も言うことが出来ない。
こうして今日も、三人揃えば三姉妹に見えるかもという感じだ。
さておき、そもそもなんでこんな話になったかというと、きっかけはかぐやのお気に入りライバーが急に引退したからだった。
引退配信をするでもなく、しばらく配信してないなーどうしたのかなーなんて思っていた矢先「諸事情で引退します」の通知だけが届いたらしい。
これ自体はよくある話だ。
誰もが盛大に見送られながら去っていくわけではない。
むしろひっそりと、ともすれば誰にも知られないまま居なくなっていることの方が多いくらいだ。
そういった意味では引退する旨を本人から伝えて貰えただけ良かったとも言える。
ただ、かぐやは泣いた。ギャン泣きだった。
「ちゃんともう一回好きって言いたかったよ~~!」
泣きやまないかぐやを見かねて彩葉は大量にパンケーキを焼く羽目になった。
このあたり幾つになっても彩葉は涙と押しに弱い。
幾つになってもチョロ葉なのは心配だ。
なので私たちでがっちりガードしてる。けどこうしてガードの内側から、というかガード自身から押されたらこの通りだ。
とは言え、蝶よ花よのお姫様待遇に味を占めたかぐやがウソ泣きに切り替えたあたりで、パンケーキタイムも彩葉のお説教タイムに切り替わった。
私もお相伴に預かったのでこの件において全くかぐやを咎める気はないけれど。
まあこのあたりはいつもの流れ。
で、お見送りというかお葬式の話になった。
かぐや曰く
「さよなら、だったり好きだよ、だったり。どんな気持ちでも最期に伝えるのって大事だと思うんだよね。もう会えないのにずっと言いたかったなー、って思い続けるの苦しいじゃん」とのこと。
「まあ……そう、だね」
どこか遠い記憶を覗き込んでいるかのように、彩葉の返事は少しぼんやりした調子だ。
かぐやも彩葉も、これまでの人生でもう何度か見送る側に立った。
その中には伝えられなかった言葉だってあっただろう。
「だからさ、私たちがいつか居なくなってもちゃんとそういうの全部吐き出して貰えたらいいなって。きっとちゃんと全部聞いてるからさ」
それで、まあ。
理由の何割かは、
わかるよ、
なんと返したものか決めかねていると、私からもお願いしたいな、と彩葉からの駄目押し。
そう言われちゃったら返事なんて1つしかないでしょ?
お任せあれ。イベントプロデュースには自信あり、なのです。
ひょっとしたらその時もう既に、予感みたいなものが二人にはあったのかも知れない。
病める時も健やかなる時も、ずっと一緒だった。
喜びの時も悲しみの時も、ぴったりくっついて離れなかった。
命ある限り一緒だというのなら、最後の一瞬だってきっと一緒だと。
そうして二人は真実、最後まで一緒だった。
神様はきっと頑張ったご褒美に、二人の時計を最後は揃えたのだ。
私の時計は、止まらずに動き続けている。
◇◇◇◇◇◇
そんなわけで月見ヤチヨプロデュースのお葬式が終わってから三日が経つ。
今日は配信も、アマテラスのお仕事も、その他色んな予定全部なしの完全オフだ。
一体いつぶりだったかな。
遠くにはお囃子の音。
FUSHIもいない、一人きりの部屋にも音が届く。
何重にもフィルターを通したような、曖昧に溶けていく程度の微かさ。
けれど寂しくなんかない。
二人がいない今日でも、私の手が届かないどこかでも、この世界で変わらず誰かが笑っている。
それが今の私にはなんだか嬉しいのだ。
知らぬ間に唇は三日月を描きながら、お茶を注ぐ。
彩葉が好きだったお茶。
匂いは記憶に密接に関係すると言われる。
あの頃の私に匂いはわからなかったけれど、それでも。
匂いとともに、彩葉とのあの10年を思い出す。
そう。
あの時、彼女はお茶を口にこう言ったのだ。
◇◇◇◇◇◇
「記憶の検索速度が解決できないんだよね」
マグカップを揺らしながら、独り言のように彩葉は言った。
ように、と言ったが現在研究所には彩葉だけだ。
いや私も勿論いるんだけれどね。
話しかけてくる時、彩葉はいつもこちらに目を合わせてくれる。
けれど今、彩葉の猫を思わせる眼には私ではなくモニタ上のプログラムコードが映っている。
やはり先ほどのは独り言だったらしい。
先の台詞はここ暫くにおける彼女の口癖になってしまっている。
昼間はそれなりに賑やかになってきた研究所もこの時間は少し昔を思い出す寂しさだ。
少し昔、より正確に言うなら去年の今頃、この研究所は彩葉と他数人だけのごく小規模なものだった。
それはそうだろう。
研究所長であるところの彩葉に何の後ろ盾もなかったからだ。
ツクヨミ上では
その人気はかぐやが卒業していった今もまるで色褪せていない。
そしてもちろん
ツクヨミにおける管理人として、彩葉のために出来る事ならなんでもするのに遠慮する理由はなかった。
けれど悲しいかな、ここはツクヨミではなく現実世界。
ここでは私は、彩葉のためにお茶を入れてあげることも出来ない。
せいぜい応援したり、話し相手になったり、気分転換にと彩葉専用ミニライブを開催してあげるくらいだ。
そんなわけで、これはこれで楽しいながらも深刻な人不足はいかんともし難い、だったのだがこの一年で研究所は入所希望者の急激な増加を迎えることになった。
これはひとえに彩葉の研究成果が世の中に認められたからだ。
かぐやを人間にする。
彩葉が決めたハッピーエンドへのルート上には、それはもう沢山のハードルがある。
その最たるものが仮想世界における五感の再現だ。
ツクヨミには嗅覚、味覚、触覚に相当するフィードバックがない。
触覚に関しては多少の抵抗、何か当たっているなくらいの情報はあっても、現実のように緻密で複雑な感覚を再現することはできない。
同じ手を握るのでも、分厚い手袋をしているかどうかくらいの違いがある。
熱い、寒い、痛い、という感覚については全く再現が出来ていない。
再現が出来ないという意味では味覚や嗅覚も同様だ。
だからツクヨミで食べるパフェは、残念ながら形だけを似せたものだ。
アイスの冷たさも、ウェハースの食感も、クリームの甘さも、フルーツの匂いも、ない。
これにはハードウェア上の問題もあったが、私が月の技術を完全に再現できなかったというのが大きい。
二度目の地球行きで私の乗った宇宙船『もと光る竹』は、道中の事故によりその躯体を大きく破損させた。
そのせいで私は八千年ものフライングをかまし、体を構成することさえも出来なくなったのだけど、問題はそれだけでは済まなかった。
宇宙船は本来片道切符ではなく往復切符だった。
地球に降りたかぐや姫がいつか月に帰るための機能を有していたということだ。
現実世界にある地球から、仮想世界と隣り合う「月」に帰るためには月の技術が必要だ。
単にロケットで飛び出すだけでは「月」に帰ることはできない。元いた時間に戻る必要があるのであればなおさら。
この処理を実行するためのマシンとしての役割が『もと光る竹』の本質だ。
この複雑な処理を実行するために、月の技術で実現できる多くの事がこのマシンには可能だ。
いや、可能だったというべきか。現在マシンは破損し、本来持っていた機能のごく一部だけが生き残っている状態だ。月へのSOSさえ打てやしない。
今となってしまえば月に戻る必要はない。
けれどもしも宇宙船が無事だったなら。
月には味も温度もないけれど、それは必要がないと思われていたから。願ったのならツクヨミで美味しいパフェを食べることだって叶っただろう。
その一部を彩葉は実現した。
私の知る限りの知識に彩葉自身の知恵を混ぜ合わせて。
半分の月と半分の地球が、満月に届いたのだ。
彼女がまず再現したのは触覚。
高密度のセンサーで人間同等の感覚を再現したアバターボディ、これを経由して仮想世界に信号を送り込む。
これによって旧来のハードウェア、たとえばグローブ型のウェアラブルデバイスを必要とせずに触角の再現が可能になった。
こうして、そもそも肉体に問題がありデバイスを使えなかったような人――あるいは仮想世界にしか存在しない魂――であっても「触れる」ことが出来るようになった。
合わせて注目を浴びたのは触れ合う感覚の高解像度化だ。
「触れた」という信号の分解能を飛躍的に発展させた事で、手触りだけで布地を特定することさえ出来る程にまでなった。
嗅覚や味覚についてはまだ道半ばだが、彩葉の中ではすでにゴールが見えているらしい。
「アバターボディの方の改良待ちという感じだけど。そうだね、2、3年以内にはなんとかなるはず」
そう言って笑った彼女の顔には、嬉しさや誇らしさ、その他言い合わせないくらい沢山の正の感情が詰め込まれていた。
そんなわけで、仮想空間の可能性を一気に広げた彼女の元には出資と入所希望者が殺到した、というわけだ。
優秀な人が沢山集まって彩葉の研究も加速度的に進む……のは勿論いいのだけど彩葉が男女の別を問わず熱い視線を向けられすぎなのは悩ましくもある。
いや実際、最近は配信上でもいろPへの求婚が多すぎるのだ。
これまでだって決してモテなかったわけじゃないのに、根本的に彩葉は自分に向けられる好意に弱い。押しにも弱い。
チョロ葉だ。これがリスナーからかぐやへのアプローチだったら塩対応が出来てたのに。
なので配信でのいろPへの行き過ぎたアプローチは管理者権限で私がシャットアウトしてる。
おい君、前にかぐやにも求婚してただろ。私のログを誤魔化せると思うなよ、ってものだ。
とは言えどうしても私の手が回らないこともある。そういう時は芦花や真美も手伝ってくれている。あの二人が見ていてくれれば私も安心だ。
さておき、検索速度だ。
五感については残りも目途が立ったし、次はアバターボディに記憶を移し稼働させる段階に着手している。
これがなかなかの難題で、私も彩葉もゴールまでの道筋を描けていない。
難しいのには二つ、理由がある。
一つは、これが彩葉と私にとっての個人的なゴールだからだ。
人類にとって記憶、或いは魂の完全なデータ化はまだ遥か遠い彼方にある。文字通り地球と月ほどに。
「私」という魂がこうしてAIとして存在しているのは月の技術があってこそ。そしてその技術は船と共に失われていて、私にもその再現は出来ない。
だから対外的には彩葉の研究の中に「魂をアバターボディに持たせる」という具体的な目標は存在しない。
一応「いつか人間の記憶を電子的に再現出来た時に備えた、アバターボディの持つ可能性の模索」というお題目はあるが、これは「いつか辿り着きたい夢」くらいに扱われている。
結果、資金も人もこの工程においては投入が難しい。
つまるところ、私と彩葉の二人だけで何とか解決しなくてはいけない。
もう一つは私の特異性に起因する、技術的な困難さだ。
リズムを刻むよう、人差し指で机を叩きながら「速度が―……」と力なく繰り返す彩葉。
「やっぱり止まっちゃうー?」
アバターボディ内に保存された記憶を検索する際、結果が返ってくるまでに時間がかかりすぎる――といっても小数点以下の秒数なのだが――ことで身体の制御処理までが遅延を起こし、
これが起きると、たとえば歩いている時ちょっと昔のことを思った拍子に、ごく僅かな間ではあるものの体の動作が止まる。
結果、コケる。
階段を下りている時なら周りを巻き込んでの大惨事だろう。
あくまでまだシミュレーション上の話なので本当に事故が起きているわけではないけれど、これをなんとかしないことには体を動かすなんて夢また夢だ。
「ヤチヨが検索処理を見直してくれたからだいぶ良くはなってるんだけどね」
くるっと椅子を回転させ、
そんな彩葉の前でなんだけど、自分が役に立っているのは素直に嬉しい。
後は彼女を笑顔にする結果が出せれば、それ以上何も望まないのだけど。
ウソです。
笑顔にした上で褒められたいし撫でられたいし撫でたい。なんならそれ以上も。
そりゃーそうでしょ。
とはいえ残念ながら芳しい結果は出ていない。
「うーん……こっちに関しては当面、ハードウェア方面での大きな改善は見込めそうにないからソフトウェアの方でなんとかするしかないんだけど」
ないんだけどー……、ともう一度繰り返して一気にカップを呷る。
そんなに一気に飲んで喉を火傷しないかヤッチョは心配です。
記憶の検索速度という問題。この根本原因は、私だ。
私には八千年分の記憶がある。
実のところ、記憶を単なる映像として捉えるだけならそれほど大変じゃないとは彩葉の談。
記憶はいくつもの要素が絡み合って構成される。
視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚の五感は勿論のこと、それまでに過ごしてきた時間、一緒にいる人、その時感じた気持ち。
沢山のものが積み重なり、混ざりあったものが記憶だ。
この八千年、私にとって味や匂いや感触はあまりに遠いものになっていたけれど、それでも動画じゃ記憶の代わりにはならない。
「取り零したくないんだ。全部」
私の記憶をアバターボディに移す段階に入った時、彩葉ははっきりそう決めた。
私の感じたもの、私を構成するもの。いつか食べたパンケーキの甘さ、花火の火薬の焦げ臭さ、指と指が触れた感触。
そういうの全部持っていくよって。
それはとても嬉しい。
嬉しいのだけど、記憶の一切合切全てをデータ化した結果、私の記憶は膨大なサイズになっている。
通常の人間の一生、せいぜいが百年分の記憶であれば問題にはならないだろう。
ただし私の記憶は八千年分。人類の歴史から比べれば一瞬だけれど、それでも文明の一生とだって比肩する。
私の一生というデータ量への挑戦は、文明史という途方もなく長大なものに対する挑戦に等しい。
ではこうしている私がなぜ、これまでその問題を乗り越えられていたか。
これはもう仮想世界における基本にして反則な技を使ったからだ。
つまるところ、アマテラスにおいては無限のハードウェアパワーでぶん殴って解決している。力こそパワーってやつだね。
ただアバターボディではそういうわけにもいかない。
小さなアバターボディに無限のパワー! は、彩葉曰くあと数十年はかかるんじゃないかなとかなんとか。
うん。
正直1秒だって待てないくらい盛り上がった気持ちの中、あと数十年は私も彩葉も待てないのです。
処理はアマテラス側でとか、探しやすいよう記憶に仮想付箋をペタペタ貼ったりとか色々と。
ああでもない、こうでもないと頭を捻ったものの、目下の状況は
「彩葉の眉間が心配です」
という感じだ。
皺が残らないといいんだけど。
静まった研究所にアラームが鳴りひびく。
「おっと、もうこんな時間か。今日はここまでかな」
カップ洗ってくるね、と席を立つ彩葉に手を振って見送る。
学生の頃の彩葉は一度こうと決めると睡眠もおざなりに、倒れる寸前まで頑張るという感じだったけど今は適度にセーブが出来るようになってきてホッとする。
実際一度倒れた時、鬼のような形相で怒ってくれた芦花と真美には感謝しきりだ。
私も気にはしているものの、彩葉にはどうにも強く怒れない。
私のためにやってくれていることだからという気持ちもあるがそれだけじゃない。
遥か遠くの
ともあれ最近の彩葉は体調も肌艶もばっちり満点で一安心。彩葉の目指すハッピーエンドは今日明日で辿り着くような短い道のりではないのだから。
彩葉のスマホに体を移して帰路に就く。
ネックホルダーの中で揺れながら、近々発表予定の新曲を口ずさむ。
この時間が近頃の私にとって一番幸せな時間かも知れない。
一番歌を届けたかった人が、文字通り触れ合う距離で聴いてくれているのだ。
「ヤチヨ、今日は22時からライブだよね。まだ行かなくて大丈夫? 準備とか」
スマホを手にした彩葉と向き合う。
「うん、セッティングとかは全部昨日のうちに済ませてあるからね。でも彩葉のおうちまでは付いていけないかも」
道すがら、今日のライブをどれだけ楽しみにしていたか彼女から聞くのは気恥ずかしさ半分、嬉しさ半分。
一日のうちかなりの時間を一緒にいるのに、こういう時の彩葉は知り合う前の頃のよう。こんな風に推されたら、ライブだってより一層気合が入るというものです。
ライブ開始までには彩葉も自宅に帰ってるはずだし、ツクヨミへのログインも間に合うだろう。
ただ、最低限とは言えライブ前の最終チェックやなんやかやで早めに行かないといけない。帰宅を見届けるのはちょっと間に合わなさそうだ。
分身体を作ることは可能だけれど、分身体の一つ一つ自体は実のところ私と完全に同一ではない。後でログデータが統合されるとはいえタイムラグもあるし、「私」から見ると分身体が経験したことは後から見直した動画のようでどこか実感が薄れたものになってしまう。
だから普段彩葉と過ごす時間において私は彩葉の傍にいるし、ライブの時は会場の中心に私がいる。
月見ヤチヨはツクヨミに遍在する。けれど私は、やはりただ一人でしかないのだ。
「おっと。とか言ってる内にそろそろ行かないと、かな。それじゃ彩葉、また後でねー。待ってるよ!」
ホログラムとして投影されるのは、利用無制限の関係者チケット握手権付。これくらいの贔屓は許されるよね?
スマホに保存されたアバターを停止し、ツクヨミの中心に座るライブ用アバターへの切り替えは瞬きほど。まだ網膜の裏に彼女の笑顔が残像として残っているようだ。
駆け寄ってきたFUSHIが肩まで一息に登ってくる。
「ただいまFUSHI。ごめんねー、お仕事任せっきりで」
背中を人差し指で擦ってあげると嬉しそうに体を寄せてくる。
ここ最近、日中は彩葉の研究のお手伝いをしているので、ツクヨミの管理業務の大半をFUSHIが分身体と共にこなしてくれている。
「本当にヤッチョは果報者なのです」
八千年の長い旅路でずっと傍にいてくれた小さな従者、そして友達。
彩葉の卒業以降、彩葉との時間は増えた半面FUSHIとはあまり一緒に居られていなくて少しの申し訳なさがある。
だけどどうか、もう暫くこの時間を許してほしい。
ハッピーエンドへの道に聳えるハードルを越えるには、私だけでも彩葉だけでもきっと届かないから。
――けれど実のところ、私たちの問題をいますぐ解決する手段が一つだけある。
ハードルを越えるのではなく潜り抜ける方法が。
私はそれを知っているし、きっと彩葉も初めから思いついている。
けれど、私たちはそれを一度も口にできていない。
お互いが知っていることを知りながら、すっぽり開いた穴の様に迂回して、それに触れようとはしない。
月見ヤチヨという特異な存在が理由なら。
八千年の記憶が問題の根本なら。
――かぐやを人間にする。
でも、私はかぐやなのだろうか。
「ねえ、彩葉はどう思う?」
そしてもう一つ。
私には後悔――あるいは罪がある。
彩葉が気付いているのかは分からない。
怖くて、分かりたくない。
ライブの幕が上がる。
煌めくスポットライトの向こうに彼女の姿を見つける。
再びここで出会った日から変わらない、スポットライトよりもなお眩しく煌めくようなその眼を。
今はその煌めきで、怖さを塗りつぶして歌う。
こんな私が、ハッピーエンドの先で彼女の隣にいられるのだろうかという恐れを今は隠して。
ねえ、「私」はどう思う?