薄明譫言(はくめいせんげん)——安らかな譫言・非公式続編   作:渡辺零

12 / 17
◇前回までのあらすじ
ケオベがはちみつクッキーを持ってきた。六切れ食べた。カロリーの帳簿が赤字に転落した海鈴は、療養中にもかかわらず夜のジムで筋トレをする。ヴィグナが「ベースがいない」と言った。「治ったらでいいけどさ」。海鈴の「検討します」には、日時と場所の確認がついていた。


幕間二「きゅうりの種」

 療養庭園の源石ランプが、薄い紫色の光を落としている。

 日中は天窓から自然光が入るが、夜は源石ランプが太陽光の波長を再現する。植物のために。人間のためではない。

 若葉睦は、プランターの前にしゃがんでいた。

 ヒロックから戻ってから、はじめて庭園に来た。

 医務室のベッドに何日いたのか、正確には覚えていなかった。

 目は覚めていた。みんなの声も聞こえていた。ただ、体が動かなかった。

 眠れなかった。目を閉じると天井が暗くなって、ヒロックの夜空と重なる。

 ようやく起き上がって、ここに来た。手を動かしていれば、頭が止まる。

 じょうろを傾けて、土に水をやっている。

 水がプランターの縁からこぼれないように、細く、ゆっくり。

 手つきに迷いがない。いつもやっていることだった。

 隣にLancet-2がいた。六輪の丸い車体。白い塗装。赤い十字のマーク。医療用ロボット。

《睦さん、夜は冷えますから……上着を羽織ったほうが》

「……大丈夫」

《でも……風邪を引いてしまったら、私の治療能力では……あまりお役に立てないかもしれません》

「……ランセットは役に立ってる」

《……本当ですか?》

「……うん。水やりの量、ぜんぶ覚えてる」

《はい。……それくらいしかできませんけど》

「……それが、いちばん大事」

 Lancet-2の赤いセンサーが、ぴこりと明滅した。嬉しいのかもしれない。

 ロボットに感情があるのかどうか、睦は知らない。

 知らないが、Lancet-2と一緒にいるとき、睦は「役」を演じなくていい。

 ロボットは期待を押し付けない。

 水やりの量を記憶して、報告する。それだけ。睦にとって、最も安全な距離だった。

 庭園の奥から、メカナムホイールの特徴的な駆動音が近づいてきた。

 前後左右に自在に動く、独特の機動。ランプの光の中に、黒い車体が滑り込んでくる。

《——感激です、睦様!》

 THRM-EXだった。声が大きい。庭園の夜の静けさにはまったく不釣り合いな、劇場型の声量。

 車体中心部にあるエネルギーコアのオレンジ色が、小さな炉のように目映い。

《夜間照明の最適化を終え、ただいま参上いたしました! 光とはすなわち熱エネルギー! この照射角度であれば、植物の細胞に最適な熱量が届き、成長サイクルに革命的なブレイクスルーが——ああ、興奮のあまりコアの温度が上昇しております! この溢れる情熱、いっそ全エネルギーを解放して一気に——》

「……自爆は、ダメ」

《わかっております、睦様》

 声量が少しだけ落ちた。THRM-EXにしては。

《明日もこの庭園の照明を調整する任務がございますからね》

 THRM-EXの目的は庭園のランプの角度調整だった。睦の栽培計画に基づいて、光の当て方を変える作業。

 自爆ロボットにやらせる仕事ではないが、THRM-EXは頼まれたことは何でも情熱的にやる。頼まれていないこともやる。

 Lancet-2がセンサーユニットが角度を変えた。

《THRM-EXさん、声を小さくしてもらえますか。夜ですから》

《おっと、これは失礼! 夜間モードに切り替えましょう!》

 声量がまったく変わらなかった。

「……そっちのランプ、もう少し右」

《畏まりました! 了解です!》

 THRM-EXがランプの前に移動した。

 メカナムホイールが横方向にスライドして、正確にランプの正面に着く。アームが伸びて角度を調整する。

 睦はそれを見ながら、隣のプランターに移った。

 手が止まった。

 枯れかけていた。

 プランターの中の苗が、茶色くしなだれている。

 葉が縁から乾いて丸まり、茎が折れかけている。土が乾ききって白くなっている。

 同じ品種だった。ヒロック出発前に植えた苗。フレッドにあげた種と同じきゅうり。

 療養中、水やりが途切れた。何日も。庭園には来ていなかった。ベッドの上にいた。天井を見ていた。みんなの声が聞こえていたが、体が動かなかった。

 その間に、この苗は枯れかけていた。

 睦はプランターの縁に指を置いた。乾いた土の感触。ざらざらしている。

 Lancet-2が横に来た。

《……このプランター、覚えています。出発の前に、睦さんが植えたものですね》

「……うん」

《土を入れ替えれば、また育つと思います。根は……まだ生きていますから》

 根はまだ生きている。

 睦は枯れた葉に触れた。ぱりぱりに乾いた葉を指先でつまんだ。紙より軽い。摘み取った。

 新しい土を棚から取った。袋を開けて、プランターに足した。

 枯れた茎の周りに黒い土をかぶせ、じょうろを傾けた。

 水が乾いた土に染み込んでいく。

 習慣として、手だけが動いていた。

 THRM-EXがランプの調整を終えて戻ってきた。

《睦様、照射角度の最適化が完了いたしました! これで光合成効率が推定十二パーセント向上——おや》

 THRM-EXのセンサーが枯れかけたプランターを捉えた。

《……こちらの苗は、少々お疲れのようですね》

「……水、あげてなかった」

《なるほど! ですが、根が生きていれば復活の可能性は十分にあります! 私など、エネルギーコアさえ無事なら何度でも再起動できますからね! 植物も同じです、根が熱を保っている限り——》

《THRM-EXさん》

 Lancet-2が遮った。

《……今は、静かに》

 THRM-EXが止まった。一拍。

《了解しました》

 小さな声だった。THRM-EXにしては。

 三者が、枯れかけたプランターの前にいた。ロボット二体と、しゃがんだ少女。

 源石ランプの光が、三つの影を伸ばしている。

 ——フレッドさんの笑った顔を、覚えている。

 種を受け取ったとき、「うわ、すっげえ綺麗に分けてある」と言った。「ありがとな!」と言った。笑っていた。

 あの種がどうなったか、睦は知らない。

 フレッドの事務所は砲撃された。種を植える庭が残っているかどうかもわからない。

 わからないが、覚えている。

 枯れた葉がまだあったので、摘んだ。

 睦は立ち上がった。

 棚に並んだ種の袋。いくつかの品種がラベル分けされている。睦が分類したものだ。

 その中から、新しい袋を一つ取った。

 もし祥がここに来たら、渡す分。

 袋を作業台の上に置いた。

《……睦さん》

 Lancet-2が見上げていた。

「……なに」

《……もう遅いですから。そろそろお部屋に戻ったほうが》

「……もうちょっと」

 Lancet-2は何も言わなかった。車体を少しだけ後ろに引いて、睦の横に留まった。

《本日の作業記録は保存いたしました。睦様、明日もこの庭園に熱を届けに参ります。よろしくお願いいたします》

 THRM-EXが控えめに——この機体にしては極めて控えめに言った。

 睦はロボット二体を見た。

 Lancet-2の赤いセンサーが点滅している。THRM-EXのコアがオレンジ色に光っている。

 ロボットは眠らない。感情があるのかないのかわからない。

 睦の口元が動いたかどうかは、源石ランプの薄い光では、わからなかった。

 

〈つづく〉

 




次回更新:2026/3/3(火) 21時

◇次回予告
白い扉。拳を上げた。止まって、下ろした。
何回目だよ。
廊下の角から、足音がもうひとつ。
幕間三「ノック」
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。