黄前久美子には同い年の妹がいる。ただし、不貞で生まれた腹違いの   作:小林優

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出会い

桜舞う季節。あたしは今日から高校生になる。

進学先の北宇治高校は、学力は中の上。ネットで調べた限りでは「制服が可愛い」といったありふれた情報しか出てこないような、普通の学校だ。

 

学校へ向かう道すがら、見上げると桜が満開に咲いていた。物語において「入学式と満開の桜」は定番のセットだけど、実際に目にしたのは過去に一回か二回くらいしかない。大抵は入学式の頃には散ってしまって、新緑が芽生えているからだ。

 

道に落ちている桜の花びらを手で掬い、手のひらに乗せてスマホで写真を撮る。別にSNSにアップするわけでもないのに、つい写真を撮ってしまうのはあたしの悪い癖かもしれない。

でも、誰もあたしのことを見ていない、誰もあたしの過去を知らないというのは、本当に気楽だ。

茶色のセーラー服に赤いリボンという凄く可愛い制服。初めて着た時も、嬉しくて何枚も自撮りをした。中学の時はありふれた紺色のブレザーだったから、とても新鮮で「心機一転」という言葉がぴったりハマる。本当に北宇治を選んで良かったと思えた。

 

京阪という見慣れない電車に乗り、改札でICカードをタッチする。中学時代は自転車通学という田舎特有の光景だったあたしにとって、この郊外の電車通学はとても新鮮だった。

地元の日立電鉄では、未だに紙の切符という旧時代の代物を使っていたから、ピッと鳴るだけのICカード定期券は本当に楽だ。「別の街に来たんだな」と強く実感させられる。

最寄り駅を降りて校門へ向かうと、同じ制服を着た新入生が沢山いた。これだけ人が多いならあたしが悪目立ちすることもないだろう。人の視線を浴びるのは、もうこりごりだから。

校門に入ると、すぐに各部活の先輩たちによる新入生歓迎の呼び込みが目に入った。別に部活には入るつもりはない。……ただ、ちょっとだけ吹奏楽部は気になっている。全てがリセットされた今なら、もう一度トランペットを吹いてもいいかな、なんて。

昇降口近くの階段で、吹奏楽部が待機していた。

「新入生の皆さん、北宇治高校へようこそ」

眼鏡を掛けた、緑色のリボンをつけた先輩が喋っている。周りの勧誘を見ても緑色が多くて、水色のリボンの人が少ない。おそらく緑色が3年生で、青が2年生なのだろう。

「輝かしい皆さんの入学を祝して」

そう言って眼鏡の先輩は後ろを向き、構えた。北宇治の演奏はどの程度のレベルなのだろうと、あたしは少しだけ耳を澄ませた。

――そして、その結果は。まあ、控えめに言って「残念」としか言いようがなかった。

演奏しているのは有名な暴れん坊将軍のテーマ曲だけど、元吹奏楽部のあたしからすれば……正直、酷いと感じるレベルだ。不揃いなリズム、まばらなテンポ。更にはピィッと盛大にズレた音まで出ている。

(あ……)

その外した音を聞いて、つい去年のコンクールでの自分の失敗がフラッシュバックしかけた。あたしは慌てて首を振り、その記憶を振り払う。そういうのをやり直したくて、ここまで来たんだから。

 

周りの生徒の中には拍手をして感動している人もいるけれど、素人には生演奏の迫力と入学式の高揚感で誤魔化せているだけだろう。

 

惨状としか言えない吹奏楽部を通り過ぎ、昇降口のクラス発表の掲示板を見る。1年3組に『川治白理』の名前があった。

知り合いなんて一人もいないはずだけど、何気なく同じクラスの欄に目を滑らせていくと……ある名前で、視線がピタリと止まった。

 

黄前 久美子

 

えっ、嘘。

思わず掲示板を二度見した。久美子お姉ちゃん? まさか。いや、同姓同名の可能性もあるし……と半信半疑で1年3組の教室に入ると。

(……いた!?)

今日は髪をポニーテールに結んでいるけれど、見間違えるはずがない。こないだ会ったばかりの、久美子お姉ちゃんだ。

でも、今ここで大声で声をかけるのは流石に空気が違う。あたしは入学式とホームルームが終わるまで待つことにした。どうやらお姉ちゃんは、あたしが教室に入ってきたことには気づいていないらしい。

あたしの席は、窓側から二列目の、前から二番目だった。まあ「川治(かわじ)」なら出席番号的にその程度の席になるだろう。

席について待っていると、担任らしき女の先生が入ってきた。

先生は開口一番、一番前の席にいた女子生徒のスカート丈を厳しく指摘した。迫力に少しビビったけど、膝下までしっかり伸ばしているあたしには関係ない。

先生は黒板にチョークで『松本美智恵』と自分の名前を書き、すぐに出席を取り始めた。

「黄前久美子」

「はい」

「加藤葉月」

「はいっ」

「川島……りょくき?」

「す、すみません、それサファイアです! 緑が輝くと書いて、サファイアです……!」

目の前に座っていた小柄な女子が、顔を真っ赤にし、左右の視線を気にして恥ずかしそうにしている。

「……そう。次、川治白理(かわじ しろり)?」

先生が読み方で詰まった。初見だと「はくり」と読めない人が割といるのだ。

「あ、はくりと言います」

あたしがすかさず訂正して返事をした、その瞬間。

「げっ……!?」

斜め後ろの席の方から、カエルの潰れたような変な声が聞こえた気がした。

(ふふっ……久美子お姉ちゃん、気がついたね)

 

 

そして放課後。

ホームルームが終わるや否や、お姉ちゃんに声をかけようと立ち上がったのだが、席の近かった『加藤葉月』という元気そうな女子が先に声をかけていた。

「ねえ、久美子! 一緒に帰ろう!」

「うぇっ!? く、久美子!?」

いきなり下の名前で呼ばれて、お姉ちゃんが素っ頓狂な声を出して驚いている。

「あたし、加藤葉月! 葉月でいいよ!」

屈託なく笑う葉月ちゃんを見て、あたしはスッと二人の間に割り込んだ。

「あ、葉月ちゃん。あたしも一緒に帰っていい?」

「ん? えーっと、誰だっけ?」

まだ名前を覚えられていなかったようなので、あたしはすかさず笑顔を作った。

「川治白理(かわじ はくり)。白理でいいよ。あと、久美子お姉ちゃんも一緒に帰ろ!」

あたしが満面の笑みでそう呼ぶと、久美子お姉ちゃんの顔がサァッと青ざめた。

「ちょっ……! お、お姉ちゃんって呼ぶの、学校ではやめてってば!」

お姉ちゃんが慌ててあたしの腕を引っ張る。

「え? 二人って姉妹なの? でも名字違うよね?」

葉月ちゃんが不思議そうに首を傾げた。隠し子騒動なんて知る由もない彼女の純粋な疑問。あたしは、先ほど考えておいた『設定』を口にした。

「ううん、親戚なの! 久美子お姉ちゃんが夏生まれで、あたしが遅く生まれて3月だから、小さい頃からずっと『お姉ちゃん』って呼んでて」

「へー! そうなんだ! 親戚同士で同じ高校なんてすごい偶然だね!」

あたしの説明に葉月ちゃんが納得すると、隣で固まっていた久美子お姉ちゃんが、心底ホッとしたように小さく息を吐くのがわかった。

「そういうことなら、よろしくね、白理!」

「うん! よろしくね、葉月ちゃん!」

あたしは、久美子お姉ちゃんにバレないように、心の中で小さくガッツポーズをした。

 

私たちが教室のドアから出ようとしたちょうどその時。前のドアから、小柄な女の子が出てくるところだった。

さっき、松本先生に名前の読み方を間違えられていた子だ。

「あ、ねえ、オパールちゃん!」

葉月ちゃんが悪気なく声をかけると、彼女は慌ててこっちに駆け寄ってきた。

「サファイアですっ!」

顔を真っ赤にして訂正する姿が、なんだか小動物みたいで可愛い。

すると、サファイアちゃんの視線が、久美子お姉ちゃんのスクールバッグに釘付けになった。

 

「ああっ! それ、チューバくんですか!?」

「え? うん、まあ……」

「みどり、チューバくん大好きなんです! ガチャガチャですよね、それ! いいなー!」

目をキラキラさせて語り寄る彼女。どうやら一人称が『みどり』らしい。

「サファイアって、その、アレですし……できれば、みどりって呼んでもらえると嬉しいです!」

「オッケー! あたし加藤葉月! で、こっちが久美子と、その親戚の白理!」

私が口を挟む間もなく、葉月ちゃんがあっという間に自己紹介を済ませてしまった。この子、本当にコミュ力が凄い。

「みどりは中学でコントラバスやってました! 皆さんは吹奏楽部ですか?」

「あ、あたしはトランペットやってたよ。お母さんに買ってもらった、マイトランペットも持ってるし」

「えっ、自分の楽器持ってるんですか!? すごいですね!」

みどりちゃんが目を輝かせる。お母さんに買ってもらった、大切な銀色のトランペット。それがあるからこそ、簡単に辞めるなんて言えなかった過去が少しだけ頭をよぎる。

 

私が答えると、みどりちゃんは嬉しそうに久美子お姉ちゃんを見た。

「久美子ちゃんは?」

「えっと……ユーフォニアム」

「えっ! お姉ちゃん、吹部だったの!?」

私は素で驚いてしまった。不倫騒動と家族関係のことばかり気にしていて、この親戚(という設定)の久美子お姉ちゃんが何部だったかさえ知らなかったのだ。

 

「じゃあ、これからみんなで音楽室に見学行きませんか!?」

みどりちゃんの提案に、葉月ちゃんも「行く行く!」とテンションを上げる。

しかし――『音楽室』という単語を聞いた瞬間、私の足がピタリと縫い止められたように動かなくなった。

 

……先輩のほうが、いいです

 

ふいに、脳裏に中3の時の後輩の冷たい声がフラッシュバックする。息が詰まるようなプレッシャー。そしてコンクールでの決定的な失敗。

音楽室特有の匂いまで蘇ってくる気がして、胃の奥がギュッと縮み上がった。

「あ……ごめん」

気づけば、私は無意識に一歩後ずさっていた。

「あたし……今日はちょっと、やめとく。片付けなきゃいけない荷物とかあるし……」

「えっ、白理行かないの? 自分の楽器持ってるくらいなのに?」

葉月ちゃんが不思議そうに首を傾げる。

「うん。でも、昇降口で待ってるから! 3人で見てきなよ!」

無理やりとびきりの笑顔を作って葉月ちゃんの背中を押すと、3人は「じゃあ待っててね」と校舎の奥へ向かっていった。

 

一人残された昇降口で、スマホをいじりながら待つ。

しばらくして、3人が戻ってきた。心なしか、久美子お姉ちゃんとみどりちゃんの表情が少し曇っている気がする。

帰り道。駅へ向かって歩きながら、私は気になって尋ねてみた。

「ねえ、吹奏楽部どうだった?」

「んー……」

みどりちゃんが、少し言いにくそうに視線を彷徨わせる。

「その……みどりの勝手な評価ですけど、予想以上にレベルは低かったです……」

「うん。基礎が全然できてないっていうか……」

久美子お姉ちゃんも同意するように頷いた。やっぱり。あの入学式の演奏は、生演奏の高揚感で誤魔化されてはいたけど、経験者から見れば相当ひどい状態らしかった。

 

「そっかー。あ、そういえば白理ちゃんって、珍しい名前だよね! 『しろ』に『り』って書いて、はくり!」

重くなりかけた空気を変えるように、葉月ちゃんが明るく話を振ってきた。

「ああ、これね。あたし、茨城の常陸太田市ってところの出身なんだけどね。そこにある真弓山って山で採れる大理石から、名前を取ったらしいんだ」

「へー! 大理石! なんか綺麗でかっこいい!」

「でしょ? 自分でも結構気に入ってるんだ」

私がニシシと笑って久美子お姉ちゃんを見ると、彼女は「なにそれ」と少し呆れたように、でも嫌じゃなさそうに笑った。

 

そして、京阪の改札を通ったところ。

ふと振り返った葉月ちゃんが、無邪気な声で核心を突いてきた。

「ねえ、二人は吹部、入るの?」

その問いに、ピタリと足が止まった。

「うーん……私はちょっと、考える」

久美子お姉ちゃんが、視線を落として曖昧に言葉を濁す。

私も――すぐには答えられなかった。

全てをリセットした新しい高校生活。お母さんに買ってもらったトランペットを手にもう一度吹きたいという気持ちは確かにある。でも、あの音楽室の空気を思い出すと、まだ足がすくむ。

また『凡庸な自分』を突きつけられたら? またいじめられたら?

あの地獄を、もう一度味わうことになったら――。

「……あたしも」

数秒の重い長考の末に絞り出した私の言葉は、

「あたしも、ちょっと考えさせて」

自分でも驚くほど、自信のない、言い訳がましい声になっていた。

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