黄前久美子には同い年の妹がいる。ただし、不貞で生まれた腹違いの 作:小林優
翌日の昼休み。
四つの机がパズルのように組み合わされ、その中央には各々の家庭環境を如実に表す弁当箱が並んでいた。
「ねえねえ」
唐突に、卵焼きを頬張っていた葉月ちゃんが、お箸を持ったままグイッと身を乗り出して、私の弁当箱を覗き込んできた。
「白理のお弁当って、中身いつも大体同じだよね。……もしかして、手抜き?」
「ぶっ!」
直球すぎる言葉に、私は危うく飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。
加藤葉月という少女は、時として悪意のない凶器を無自覚に振り回す傾向がある。
「あー……それはね。私が自分で作ってるから、まだあんまり料理に手慣れてなくて」
「えっ! 自分で作ってるの!? 凄いなぁ!」
彼女はパァッと目を輝かせた。その純粋な感嘆に嘘はない。
「全然凄くないよ。お母さんが仕事で夜遅く帰ってくるから、朝は私が作ってるだけで……あーあ、栄養満点な給食が恋しいー」
私が大げさに肩を落として冷凍食品のハンバーグをつつきながらぼやくと、葉月ちゃんも激しく同意して首を縦に振った。
「わかるー! 中学の時は、今日の給食ハズレだー、とか言って嫌いだったのに、いざ毎日お弁当になると『給食ってあんなに色々おかずあったっけ!?』ってなるよね。あ、でも野菜とかサラダは別ね!」
「わかるわかる。……久美子お姉ちゃんとかみどりちゃんは、中学の給食どうだった?」
私が視線を移すと、みどりちゃんが上品にふんわりと微笑んだ。
「聖女では、学期ごとに給食かお弁当かを選択できるシステムでした。やむを得ずお弁当が用意できない時は、購買でパンを買うこともできましたし……」
「「……お嬢様学校、こわっ」」
私と葉月ちゃんは顔を見合わせ、綺麗に声をハモらせた。
公立校出身の私たちとは、根本的に見ている世界が違うらしい。
そんな他愛のない話をしている中、ふと葉月ちゃんが思い出したように話題を切り出した。
「そういえばさ、聞いてなかったけど、白理ってどこ中なの?」
「佐竹中だよ」
「……さ、た、け??」
葉月ちゃんがポカンと口を開け、コテンと首を傾げる。
当然の反応だ。京都の人間がその名を知っているなど、ほぼないだろう、戦国史に目をつけていれば違っただろうが。
「茨城県の、常陸太田市立佐竹中学校。……まあ、知ってるわけないよね」
「ま、まさかの府外かあー!」
「あれ、言ってなかったっけ?」
「どこにあるんですか?」
みどりちゃんが興味津々に身を乗り出してくる。
「茨城県の北部にある中学でね。関東平野と山の間にある、ほーんとになんにもない中学だよ」
私が両手を大きく広げて何もないことを視覚的にアピールすると、葉月ちゃんは目を丸くした。
「じゃあ白理は、茨城の人ってわけだ。茨城ってなにがあるの?」
――ピシリ。
その純粋な疑問は、見えない刃となって私の喉元に突きつけられた。
この瞬間、私を取り巻く空気が、スッと絶対零度に凍りつく。
私はピタッと動きを止め、箸を机に置いて、静かに考えた。
ここからは、茨城県民としての矜持を懸けた戦いだ。
「……今、茨城県民に言ってはいけないことトップ10に入るだろうセリフの、一つを言ったよ」
私が両手でドンッと机を叩いて身を乗り出すと、隣の久美子お姉ちゃんがビクッと肩を跳ねさせた。
「ちょっと白理、急に空気が違わない……?」
「他には、なにがあるんですか……?」
恐る恐る尋ねてくるみどりちゃんに、私はビシッと指を突きつけて冷徹な事実を告げた。
「まず、茨城(いばらき)を『いばらぎ』って濁って発音すること。それから、『納豆しかない県』扱いすること。……久美子お姉ちゃんは、まさか違うよね?」
私が鋭い視線を向けると、久美子お姉ちゃんはスッと盛大に目を逸らした。
明白な有罪のサインだ。
「やっぱりそう思ってるじゃん!!」
「ご、ごめん! だって茨城って言ったら納豆じゃん!」
お姉ちゃんが両手を顔の前に出して防御姿勢をとる。
私はすかさず、用意していた反証のカードを切った。
「茨城はね! メロンの生産量日本一だし、琵琶湖に次ぐ二番目の大きさの『霞ヶ浦』があるんだよ!」
私が右手で1を、左手で2を作りながら力説すると、葉月ちゃんが感心したように手を叩いた。
「じゃあ、白理はメロンとか納豆食べるの?」
「…………」
致命的な問いだった。
私は大きく深呼吸をして、京都に住む三人を順番に指差しながらゆっくりと見回した。
こうなれば、論点をすり替えるしかない。
「……逆に聞くけど。みんなは宇治抹茶、と八ツ橋毎日食べると思う?」
「「「…………」」」
三人揃って、見事なまでに沈黙した。
完全な勝利だった。
「……うん、それが答えだよ」
私は呆れたように両手を広げ、肩をすくめた。
「それにさ、メロンとか霞ヶ浦って県南の方で、私の居た県北じゃ作られてないし……」
「怒らせてごめん、でも、地元に本当に何もなかったの?」
葉月ちゃんの言葉に、私は腕を組んで少しだけ自身の記憶を探った。
「うーん……りんごとか、ぶどうとかは作ってたかな。あ、そういえば、水戸黄門の家? とか、助さんの墓が近くにあったはず。西山荘って名前の場所」
「「水戸黄門っていたの!?」」
葉月ちゃんと久美子お姉ちゃんが、今日一番の大きな声を出してガバッと身を乗り出してきた。
「うん。時代劇の元になった人はいたらしいよ。……まあ、具体的に何した人かは知らないけど」
「あ、地元なのに知らないんだ……」
ポロリと。
久美子お姉ちゃんが、無自覚に言葉を口からこぼした。
「あっ、いや、今のは……!」
ハッとして慌てて口元を押さえるお姉ちゃん。
彼女のこの『思ったことがそのまま口に出てしまう』悪癖は、私に絶好の反撃の糸口を与えてしまった。
「へえ」
私は口角を上げ、不敵な笑みを浮かべた。
「じゃあ、ずっと朝廷があった京都に住んでるお姉ちゃんは、明治より前の歴代天皇が具体的にどんな偉業を成し遂げたか、言えるんだよね?」
「なっ……!?」
完全に論理の罠に嵌まったお姉ちゃんは、ぐうの音も出ないというように口をパクパクさせた。
地元民だからといって、その土地の歴史をすべて網羅しているわけではない。当たり前の理屈だ。
反論の余地を完全に塞がれたお姉ちゃんは、非常に分かりやすく視線を泳がせ、強引に話題を切り替えてきた。
「そ、そういえば! 白理って中学の時も吹奏楽部だったんでしょ? トランペット持ってたし。……中学の時の実力って、どれくらいだったの?」
見事なまでの話題逸らしだ。しかし、吹奏楽の話題を出された以上、乗らないわけにはいかない。
「うーん……基本的には弱小だよ」
私は記憶を遡りながら、淡々と事実だけを並べた。
「1年の時は、県北地区大会で、優秀次点賞。2年の時は、県大会で、銀賞。……で、3年の時は地区大会で優良賞」
「優良賞? 銀賞?」
吹奏楽初心者の葉月ちゃんが、頭の上にハテナマークを浮かべて聞き返してくる。
「あー、ちょっとややこしいんだけどね。地区大会の評価って、基本は優秀と優良の二つに分かれるの。優秀だと上の大会に行けるんだけど、そのどっちつかずのギリギリのラインが優秀次点って感じ」
私は箸の先で、見えないピラミッドの階層を描くようにジェスチャーを交えた。
「で、そこを抜けて県大会から上に行くと、金・銀・銅の評価に変わるんだよね」
「なるほどー! じゃあ、2年生の時の県大会銀賞って結構凄かったんだ!」
「まあ、その年だけね、それでも全国なんて夢のまた夢だけど。3年の時は地区大会で優良……つまり一番下の評価で終わっちゃったし」
「そうなんだ。でも白理って、なんだかんだ地元大好きなんだね」
葉月ちゃんがニコニコしながら、この一連のトークに無邪気な終止符を打った。
その言葉に、私は図星を突かれたように肩をビクッと揺らした。
「……えっ。そ、そんなことないよ……」
私は慌てて顔の前で両手をブンブンと振り回した。
「大嫌いだけど……でも、茨城県自体は悪くないし!」
私が顔を赤くしてムキになって言い返すと、敗北から立ち直った久美子お姉ちゃんがプッと吹き出した。
「ふふっ、なにそのツンデレ」
「ツンデレじゃないし!」
「はいはい。とりあえず、白理の前で『いばらぎ』って言うのと、納豆いじりは禁止ね。葉月ちゃん、みどりちゃん」
「了解です!」
「アイコピー!」
みどりちゃんが、ビシッと可愛らしく語で答えた。
お姉ちゃんが楽しそうに笑い、葉月ちゃんとみどりちゃんもそれに続く。
みんなの明るい笑い声を聞きながら、私は「もう……」と口をとがらせつつも、なんだかおかしくなって、一緒に笑いながらハンバーグを口に運んだ。
こんな楽しくて緩いい学校生活が続けばいいなあと思ってた。