魂を人形に移す魔法を使ってくるタイプの魔王軍幹部 作:新人ブラック
――高揚した気分のまま、空をふと見上げる。そこに広がっていたのは、前世とは比べ物にもならない綺麗な青空――ではない。茜色どころか、夕闇に染まりつつある空色。
要するに、とっくに夕方を過ぎているのだ。
「ヤバい……!?」
背中に冷水をぶっかけられたかのように、興奮していたテンションが一気に下がる。ついさっき、自己の定義についてふわふわとしたことを語っていたが、僕はアゼリアでもあることには変わりはない。
体調不良で家で休むという理由で、仕事を一足先に抜けてきたのに、これでは意味が全くない。それどころか、昨晩のことで神経質になっている両親に雷を落とされるのはマシな方で、また余計な心労をかけてしまう。
それはなるべく、
「……その前に、コレどうしよう?」
僕の視線は、足元に転がる
意識というか、魂自体がもうこの肉体には存在していない。空っぽの器だ。
と言っても、こんなビックネームのリリエルを放置できる訳がない。国の騎士団が出張って来たり、他の『九魔天』がやって来てこの村が戦場になる可能性がある。
両親や友人達がそれに巻き込まれるのは許容し難い。リリエル・ノクスは死亡や行方不明扱いになってもらっては困る。
一応、その問題を解決する手段はある。僕がリリエルから簒奪し、変質させた魔法。その名も『魂匣蒐集』。対象の魂を人形に強制的に移し替える魔法。
まさに僕の『
この魔法で、一時的に僕の魂を
これでリリエルについての問題は概ね解決した――と言いたい所だが、一番の厄介なことに彼女は魔王からの『特命』を受けてここにいる。
何かしらの成果を挙げなければ、魔王は別の『九魔天』を派遣するなどの手段を取るだろう。それでは意味がない。
だったら、魔王が妥協したしてくれる程度の手柄を挙げるとしよう。せっかく手に入れた
まあ、両親や友人達にちょっとした迷惑をかけてしまうが、
ひとまずはリリエルの抜け殻を、見つかりにくい茂みの中に隠す。とりあえずは、帰らないといけないからね。
……ちなみに、結局両親は調子が悪いのに寄り道したことを怒られてしまった。お代わりで、友人達の説教も。
うう、ごめんなさい……。
■
リリエル・ノクスが与えられた『特命』――今代の勇者と聖女の排除。リリエル・ノクスから引き出した『記憶』によれば、彼らの子供を『魂縛傀儡』で『操り人形』にした上で、人質などに利用して葬る計画であったようだ。
……いや、違う。始末するのは勇者だけのつもりだけで、聖女とその子供は自分の『コレクション』に加える腹づもりだったらしい。全く、これだから魔族という種族は……実に良い趣味している。
もしも僕とリリエル・ノクスと出会いが違えば、似たような『趣味』を共有できる良い同好の士になれたかもしれない。
それか解釈違いで争っていたか。今となっては、無意味な仮定だが。
思考を切り替えて、僕は自室のベッドで寝転びながら、今代の勇者と聖女についての情報を『記憶』からサルベージしていた。
大まかな内容は既に理解しているつもりだが、細かい所まではまだ把握できていない。リリエル・ノクスの計画を
本を一頁ずつ、ゆっくりと捲る。そういう感覚の整理が必要になる。
(ん……? え、勇者と聖女って――)
リリエル・ノクスの『記憶』に記された、今代の勇者と聖女。その姿形。それは僕――正確に言えば、アゼリアが見たことのある。いいや、よく知っている人達であった。
どことなくアストレアの面影を感じさせる、優しげな金髪の男性。アストレアをそのまま大人にしたような美人。
つまり今代の勇者と聖女とは、アストレアの両親であるようだ。
驚きのあまり、しばらく思考が完全に停止していた。
(ど、どうしよう……まさか魔王軍の仇敵が、知り合いどころか友達の親だなんて。全く考えてなかった)
当初の考えでは、この村以外に勇者や聖女がいる想定だったので、『妥協案』が使いづらい。だって実行に移したら、
それに僕自身も、魔法の才能の有無の確認を含めて、普段からお世話になっているから良心が痛む。
だが何も行動を起こさなければ、魔王軍の魔の手が確実にこの村に伸びてくる。八方塞がりだ、赤の他人だったら気にせず実行できただろうに。
うんうんと唸りながら、僕は『妥協案』をさらに微調整することで対応することにした。
その思考が、どれだけ常人のものからかけ離れているのか、自分では既に分かっていなかった。
■
――私の名前はエリシア。年齢については、うふふ……内緒で。
現『聖女』という大袈裟な肩書きを授かったのは、もう過去の話。一応は聖女のままではあるが、マトモな活動はここ数年間は全くしていない。
この世界で人類の平和を脅かさんとする魔族。彼らを統括する魔王と『九魔天』は先代とは違い、その活動は消極的であった。
前線での小競り合いこそあれど、大きな衝突は私が聖女に就任して片手で数えるほど。
その平穏ぶりは、聖女である私と勇者が一線を退いても問題がないことが証明している。まあ私
もちろん万が一の際には、私達も魔王軍との戦争には駆り出される。数年前までは、それでも構わない。
そう思っていたけれど……その考えは変わってしまった。それはいつの間にか戦友から愛し合う仲になっていた勇者――私の夫であるシグルドと。彼との間にできた愛娘のアストレア。二人の存在によって。
いや、それだけではない。他にも、争いとは無縁な穏やかな田舎での暮らし。素性を隠した私達を受け入れてくれた村人達。いつもアストレアと仲良くしてくれる少女達。
それら全てが、かつては魔族との戦争で失われていく数多の命に摩耗し続けて、機械のように冷たくなっていた私の心を人間のものに戻してくれた。
だけど、逆にあの地獄のような戦場に立つ強さは失われている。まだ子供であるアストレアを、独り残してしまう可能性が怖くて仕方ない。
多分だが、
しかし、だからこそ言える。もしもの時には、アストレアの未来を守る為に、この身を犠牲にしても構わない。
勇者と聖女の子供である責務だとか、魔族との戦争だとか、そういった物騒なしがらみに縛られず、人並みの幸せを享受してほしい。
そう願うのは、一人の母親として極当たり前のことだろう。
幸いなことに、そんな『覚悟を決めるようなこと』は置きておらず、私は平和な暮らしを謳歌していた。
それを象徴するかのように、空は青く澄み渡っており、雲一つない。こんな日は気分が良いだけではなく、洗濯物もよく乾くので良いこと尽くめだ。
今現在、我が家にいるのは私一人だけ。夫のシグルドは、余所の村付近に出没する『魔物』――通常の野生動物が魔力に充てられて凶暴化した個体のことを指す――の討伐に行っている。
シグルドは勇者という身分を秘密にしていても、その戦闘力を高める全て隠している訳ではない。それもあって、時折村の近くに現れる魔物や盗賊の類の討伐を依頼されることがある。
我が家の重要な収入源の一つだ。かくいう私も似たようなことをやっている。
現聖女ということもあり、私は得意の回復魔法を活かして、村の怪我人や病気治療を格安で行っている。本当はタダでも良かったのだが、どうしても報酬を払わせてほしいと固辞されたので、少額ではあるが受け取っている。
と言っても、最近の患者は外遊びで膝に小さな傷を作る子供ぐらいなものだが。それだけ平和的だから良いことなのだろう。
聖女として活動していた時の蓄えもあるので、金銭面でもそこまで困っている訳でもない。
娘のアストレアは、友人達と一緒に年下の子供達の面倒を見ている。
(……そういえば、アゼリアちゃんの体調は大丈夫なのかしら?)
アストレアの友人ということで、一人の少女について考える。名前をアゼリア。茶髪の可愛らしい少女で、もう一人の子も合わせて、彼女達のことも実の娘のように思っている。とても良い子達だ。
そんなアゼリアが、数日前にいきなり体調を崩してしまったらしい。しかも、そんな状態で数時間とはいえ行方不明になっていたのだから。
彼女の両親を始めとして、多くの人達に怒られて反省し、私も診てはあげたのだが特に異常らしいものはなかった。
恐らくは精神的な疲労によるもので、ゆっくりと休養を取るように、と当たり障りのないことしか言ってあげられてない。
大事を取って、今日もアゼリアはお仕事は休んでいる。毎日お見舞いに行っているアストレアの話では、顔色も良くて、調子もほとんど元通り。明日にでも、お仕事には戻れそうという。
その話を聞いた時には、私とシグルドは揃って胸を撫で下ろしたものだ。
私は家事の合間の休憩を終わらせると、私はゆっくりと座っていた椅子から立ち上がる。
お昼ご飯を食べに一旦は家に戻ってくるアストレアの為に、昼食の準備に取りかかろうとした瞬間――。
「――っ!?」
――私の錆びついた危機感が、一気に覚醒させられた。
(この魔力は――っ!?)
私の五感を刺激してきたのは、かつて戦場で嫌という程に浴びてきた魔力の気配。人類の不倶戴天の天敵――魔族のものだ。
しかも、この無駄に自らの存在をひけらかすのではなく、魔力探知や気配の察知に優れた相手だけが感じ取れるように、計算された精密な操作性。
この時点で、この魔力の持ち主が並大抵の実力者でないことが察せられる。下手をしたら、一度だけ刃を交えたことのある『九魔天』に匹敵する程の魔力量ではないだろうか。
勇者であるシグルドは不在。この危機的な状況をどうにかできるのは、
ならば、何をするのが正解か。平和呆けしていた思考をフル回転させる。
(――村の人達に魔族がいることを伝えて避難を――いえ、多分駄目ね。わざわざ私に自分の場所を明かしてきたのだから、一人で来いってことかしら? 下手な動きを見せれば、村人達に危害を加える……いかにも魔族が考えそうなことね。……いいわ、その挑発に乗ってあげる)
もちろん、怖くないと言ったら嘘になる。戦いから離れて久しく、失いたくないものが増えすぎたから。
でも、何もせずに奪われるのは論外。私はこの魔族の誘いに乗ることにした。ただし万人を救う為の聖女としてではなく、一人の母親として。
夫や愛娘との穏やかな、かけがえのない日々を守る為に私は行動を開始した。
命知らずの魔族に、目に物見せてやると心の中で刃を研ぎながら。