2030年現在、冥界は深刻な魂不足に悩まされていました。というのも、現世の著しい技術発展により人間の死者が大幅に減少し、それに伴い魂の供給量も少なくなってしまったのです。
世界間の魂を巡回させる機構である「輪廻」と呼ばれるものが動く際に発するエネルギーをライフラインとする冥界において、その「輪廻」の動力源たる魂が不足するのは死活問題。
実際、現在の冥界は深刻なエネルギー問題を抱えていました。そこで、冥界の王様は「死神出張サービス」なるサービス業を考案し、問題に対する対策を講じます。
それにより、今まで職を奪われていた死神達が次々と仕事に駆り出されるようになりました。かくいう私もその1人です。
「はじめまして椿様。『死神出張サービス』を受けていただきありがとうございます。」
深々と頭を下げます。日曜日、とあるマンションの一角で、私は「死神出張サービス」の依頼人たる
「はじめまして、死神さん。」
彼女の長く艶やかな髪が揺れました。スラッとした立ち姿と、見惚れてしまうような美しいお顔。そして、海のような深い青の瞳。そんな彼女の凛々しさに、私は思わず息を飲んでしまいました。
しかし、見惚れて私が話を詰まらせるわけには行きません。お客様にまずは本サービスの説明をしなくては……。
「『死神出張サービス』は、この世界を生きるのに疲れた方々に最高の終わりを提供する為のサービスです。」
「うん、知っているよ。」
「これから7日間、私は貴方に悔いのない死を迎えるためのお手伝いをさせていただきます。このサービスを開始してしまうと、あなたは来週の日曜日になった瞬間死ぬことになりますが、よろしいでしょうか。」
「問題ない。僕は死ぬために君を呼んだのさ。」
「左様ですか。それではこちらにサインをお願いします。」
私は手荷物から小さな紙を取り出し、椿様に丁寧にお渡しします。それは契約書です。椿様はその書類に流れるように目を通し、なんの躊躇いもなく自身の名前を綴りました。
「契約成立です。それともう1つ、死に方にご要望などはございますでしょうか。」
「事故死を装ってくれればそれでいいよ。」
私は彼女の名前が記された契約書をしっかりとバッグの中に収めます。そして顔をあげると、すぐ近くに真っ青な目がありました。それはもう、鼻と鼻が触れそうな距離に椿様のお顔があったのです。
「あの契約書に書かれている通りなら、君の姿は他の人には見えないんだよね。」
私は質問に答えるどころではありませんでした。何せ彼女のお顔はとっても綺麗ですから、こうもそれが近くにあるとたじろいでしまいますので。辛うじて首を縦に振ると、椿様は満足気な笑みを浮かべて私の目前から離れてくださいます。
「そっか……なら安心だ。」
「と、言いますと?」
「いやなに、これで気兼ねなく学校に行けるからね。」
「……はい?」
思わず素っ頓狂な声が漏れてしまいました。「死神出張サービス」は、基本的に何をしたいと言おうと、他人に迷惑がかからないのであれば、私たち死神が叶えてあげるというサービスです。
普通のお客様方であれば、「旅行に行きたい」や、「美味しいものが食べたい」と言うことが多かったので、彼女の「学校に行きたい」というのはとても珍しいお願いでした。
「学校……お好きなんですか……?」
「ん?いや、別に。むしろ嫌いかな。」
「では何故わざわざ学校に……。『死神出張サービス』はお客様が悔いの無い死を迎えるためのサービスです。その為のお願いなら、どんなものでも叶えてみせますよ?」
「もちろんそれは知っているけれど……この世に未練なんてものは無いからさ。僕は死にたいだけなんだ。さて、今日はもう何もする気がないや。君も僕に着いて回るのは2日目からでいいよ。」
「またね」と最後に言い残し、椿様はマンションの自室へと戻っていきました。なんだか、心做しか素っ気なさを感じたのは気のせいでしょうか。そんなことを考えながら、私は1日目のお役目を終えました。
翌日、学校に登校した椿様の後を私はついて行きます。椿様は申し訳なさそうな顔で微かに笑って、私に言いました。
「悪いね、ついてこさせちゃって。他人の学校生活なんて興味ないだろうに。」
「いえ、それも私のお仕事ですから。それに、現世の学校というものには些か興味があります。」
立ち並ぶ下駄箱を抜けて、独特の冷たい廊下を固く踏みしめ辺りを見回しました。溢れかえる学生が、それぞれの会話に熱を持ってお話しています。
その内容は誰かの愚痴や、放課後の予定や、昨日のテレビ番組のお話など様々ですが、どれも人の生活を感じさせるものでした。傍聴に夢中になっていると、背後から耳元に声をかけられます。
「早く行こ。」
風鈴のような涼しげな声音が、私の耳をすっと通り抜けて行きました。私が咄嗟に振り返ると、昨日と同じようにとっても美しいお顔が私の眼前にありました。
「す、すみません。不甲斐ないです……。」
「いいよいいよ〜、死神さんにはこの景色は珍しい?」
「はい……とっても。」
「はは、そっか。」
真っ直ぐと廊下を進む彼女の背中を追うように歩きます。先程まで廊下に屯していた生徒達は、端の方へと皆固まっていました。まるで、椿様に道を開けているかのように。生徒たちの横を通る際、彼ら彼女らが聞こえるか聞こえないかの小さな声で、互いに話をしているのが聞こえます。
「聞いた?小鳥遊さん、テニス大会優勝だって。」
「聞いた聞いた〜ほんと凄いよねぇ。まさに天才。」
「うわ、やっぱすっげぇ美人。」
「それな。世の中ってなんでこうも理不尽なんだよ。」
それらは皆彼女に対する賞賛でした。更に廊下を進んだ先、掲示板に張り出された紙と、そこに記された「成績優秀者」の文字。
1位 小鳥遊 椿
その名前は、一際存在感を放ってそこにありました。成績優秀、スポーツも出来て、顔も美しい。どうやら椿様は生徒の方々からとても人気なようでした。しかし何故でしょう、人気者であろう彼女に話しかける人は、その日誰も現れませんでした。
そして日々は過ぎていきます。残りの一週間を、学校生活に全て費やして。その間、彼女に話しかけるような人は、事務的な物事を除けば一度としてありませんでした。
そして私たちは7日間最後の日、土曜日の朝を迎えました。椿様はいつも通り制服に着替えて、私ももう見慣れてきた学校までの道程を歩いて行きます。私たちはこの道を、毎度の如くお話をしながら歩いていきます。
「ねぇ、冥界に娯楽とかってあるの?」
「意外と多いですよ。最近はゲームが盛んですかね。」
「へぇ〜冥界のゲーム。なんかすっごい気になる。」
「ケルベロスの下でタップダンスを踊って、食べられちゃった人が負けのゲームです。」
「うわぁ、急にバイオレンスになった。」
好きな食べ物、趣味、日々の生活、哲学……色んなお話をしました。最初は少し距離を感じた椿様との会話も、回数を重ねれば次第にそれも無くなっていきました。
そうして気がついたのですが、彼女は「天才」でありながら、意外と普通の女の子だと言うことです。面白い話は好きですし、意外と俗物的な面もあります。
そんな女の子が、死ぬことを望んでいる。その理由も、だいたい察しはついています。察したから、私は憂うのです。だから、彼女にひとつの提案をしたのです。
「椿様、今日の学校……サボってしまいませんか?」
その一言を聞いて、椿様は「なんで?」と返しました。
「気を使ってくれてるのかな。別にいいんだよ。初めに言ったけど、僕に未練なんてないんだ。」
「はい……それは存じております。しかし、私は貴方をこのまま何もせず死なせてしまうことを良しと出来ません。」
「ままならないね。というか、君は他人に見えないんだろう?サボるって言っても何もできないじゃないか。」
「任意で実体化はできますから。便利なんです、死神って。」
椿様は脚を止めて、じっと空を見て考えを巡らせます。暫くして、決心したように私の顔を見て「いいよ」と答えをくれました。
「その代わり、ちゃんとエスコートしてね。」
「はい、もちろん。ですが……その……」
「ん?」
「この辺りの立地は椿様の方が詳しいのでは……」
「…………確かに。」
というわけで彼女の案内の元、最終日の学校をサボってのお出かけが始まりました。とはいえ大したことはしていません。私服に着替え、カラオケに行き、街で昼食とデザートを食べ、その後はお洋服を買いに行き、日が暮れる頃に椿様が満足気な笑みで言います。
「ついてきてくれるかい。君に見せたい場所があるんだ。」
そうして連れてこられたのは、街の離れにある展望台でした。人はおらず、オレンジの陽が眼下の立ち並ぶ建物へと消えていく景色が、椿様の真っ青な瞳に写っていました。
「ねぇ、ひとつ話をしようか。」
「はい。」
来た……と、私は身構えます。
「天才は、人間なのかな。」
変に身構えていたせいでしょうか。予想外の始まりに、私はキョトンとしてしまいます。
「僕は自他ともに認める天才だ。だから、みんなが僕を天才として扱う。まるで、自分たちとは別の生き物かのように。」
彼女の表情は、呆れと諦めが入り交じったような悲しいものでした。
「僕に友達はいない。対等な人間もいない。誰も彼もが、僕を『天才』というフィルターにかけて見ている。君は気がついているんだろう?僕が死にたい理由に……」
「『孤独 』ですよね?」
「……うん。高校生になってからかな。自分の周りに本当に僕を見てくれる人間が居ないことに気がついたんだ。同級生も、先生も、果てには親まで。そこから、僕の人生は腐敗していった。」
「腐敗……」
「そう、腐ってる。つまらない。さみしい。僕は皆から羨望を向けられるけど、僕が欲しいのはそんなものじゃない。そしてきっとこの先の人生でも、僕は誰からもそれをもらえない。だからさ、死神さん。君には感謝してるんだよ。」
風が吹く。揺れた彼女の髪の隙間から、純粋な青がこちらを見ている。そして、優しく微笑んだ。
「この一週間、君は僕を人間として見てくれた。君だけが、僕に欲しいものをくれたんだ。ねぇ、死神さん。君にひとつお願いをしてもいいかな。」
「はい、それを叶えるのが私の仕事です。」
「そっか。それじゃあ、僕の友達になってよ。」
「………………はい。」
「フフ、ありがとう。じゃあ、次は友達からのお願い。一緒にお話をしよう。今日が終わるまでさ。」
「はい、分かりました。なにを話しましょうか。」
そこからは、他愛もないお話をするばかりでした。まるでただの女の子二人が、学校でいつものように世間話を交わすかのように。
「ねぇ、死神さんの名前は?」
「アルカナです。冥界の皆にはアルと呼ばれています。」
「そっか、じゃあアルちゃんだ。」
「そうですね。」
「じゃあ私は椿ちゃんね。」
「分かりました、椿ちゃん。」
……時には楽しく
「うっそ……冥界って日本より税金高いの?」
「はい。特に最近は世界全体がエネルギー不足で、あらゆるものの物価高騰が止まりません。」
「怖いね。鳥肌立ってきたよ。」
……時には驚き
「そういえば、椿ちゃんの一人称はなぜ『僕』なのですか?」
「えっ……あぁ……なんていうか、昔アニメのキャラに憧れて真似してたんだけどね、そのまま一人称を戻すタイミングを失ってズルズルと……」
「ふふっ……なんですか、それ。」
「ねぇ、今アルちゃん僕のことバカにしたよね。ねぇ!」
「してません、してませんってば……ふふ。」
「また笑った!」
……時には怒ったり
楽しいお喋りの時間は、あっという間に過ぎてしまいます。もうすぐ今日が終わります。そんな最中、私は椿ちゃんに最後にひとつ気になっていたことについて問いかけました。
「椿ちゃん、何故あぁも頑なに学校に行こうとしていたんですか?」
「ん?あぁ……あれね。誰にも悟られたくなかったんだよ。」
「と、言いますと?」
「僕は孤独と言ったけれど、それに関して悪い人間は誰一人としていない。でも僕が死のうとしてたってことがバレれば、みんなはその理由を探し始める。そしていつか、何の罪もない人へ行きつくかもしれない。」
「それは……考えすぎなのではないでしょうか。」
「万が一だよ。天才は一挙手一投足に影響力を持ってるからね。だから僕の最善の死に方は、日常の中で『ただの事故』で死ぬことだったんだ。」
「では現状は……その在り方に反している……」
「まぁね、でもそれでいいんだ。きっと他人を気にしすぎていたんだよ。だからここまで追い詰められた。」
話が終わります。沈黙……二人の呼吸の音と、どこから聞こえるかも分からない透き通った夜の虫の音だけが響いていました。未だに光を放つ街と、空に浮かぶ月を見つめています。心地の良い時間ですが、どちらかがそれを終わらせなければなりません。
「もうすぐ0時だね。僕もそろそろ死に時かな。」
初めに口火を切ったのは椿ちゃんでした。
「ねぇ、アルちゃん。君の手で僕を殺してくれよ。もう事故死とかどうでも良くなっちゃった。」
「分かりました。それではその場に立っていてください。」
私たちは立ち上がり、互いに向き合います。私が呪文を唱えると、右手に夜の闇の中でも際立つ、真っ黒な鎌が現れました。
「僕、未練なんて無いって言ったよね。」
「はい。」
「でもさ、一つだけ未練ができちゃったよ。」
「……はい。」
「君ともう少し話していたかった。できれば明日も、明後日も。」
「…………はい。私もです。」
穏やかな顔で、椿ちゃんは目を瞑ります。もう彼女と話せる時間も、ほんの数十秒に過ぎません。
「ありがとね、それと……さよなら。アルちゃん。」
「えぇ、さようなら。椿ちゃん。」
0時を迎えます。今日が終わりました。私は一切の痛みがないように、彼女の首を素早く、正確に切りました。ボトッと首が地面に落ちて、崩れ落ちた身体から鮮烈な赤が地面を濡らします。
「貴方の来世で、どうか凡人に産まれますように。」
そんな願いを込めて、彼女の死体をそっと抱き寄せると、彼女の身体から青白い光の炎が姿を現しました。それを手で包み込み、優しく空へと離します。
後は彼女の魂が、勝手に冥界へと送られることでしょう。フワフワとどこかへ消えていくそれを見届けて、私は冷たくなった彼女の抜け殻を、朝になるまで抱いていました。