Love (AI) — 人生最適化パッチ 1.0.4   作:如月@カクヨムとなろうでも投稿しています

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第二話

[System Event: Process_02/Olfactory_Filtering]Eliminating volatile organic compound (VOC) triggers from memory retrieval.Surface granularity reduction: Re-rendering external environment to Low-Poly efficiency.Purging 'Nostalgia.exe' to stabilize mental latency."Optimization applied. The world is now cleaner, smoother, and void of history."

 

 

 

 夜の帳が下りる頃、オフィスを出た僕を待っていたのは、低気圧の重みを含んだ雨上がりの空気だった。アスファルトが熱を帯びたまま濡れ、そこから立ち上る特有の土の匂い——ペトリコール。

 その匂いが鼻腔を突いた瞬間、僕の脳内では制御不能な記憶の検索が勝手に開始される。

 

「……最悪だ。」

 

 思わず口をついて出た言葉は、重く湿っていた。この匂いは、僕を32歳のビジネスマンから、どこにでもいる無力な青年に引き戻してしまう。

 閉鎖が決まった実家の古い玄関の匂い。数年前に別れた恋人が、雨の日にだけ纏っていた、少しパウダリーな香水の残り香。

 そして、泥だろけになりながら夢を追っていた、あの頃の自分が流した汗の酸っぱい臭い。

 それらはどれも、今の僕が効率的に処理すべきタスクとは無関係なゴミだ。だが、匂いというやつは厄介で、論理の壁を軽々と飛び越え、脳の最深部にある感情のスイッチを直接叩きにくる。

 

 ふと、歩道に目を落とすと、ひび割れたアスファルトの隙間に溜まった雨水が、街灯を反射して鈍く光っていた。その水の淀み、コンクリートのザラついた質感、指先で触れれば汚れがつきそうな生々しいディテール。

 世界のすべてが、あまりにも情報量に溢れすぎている。

 僕は指先で自分の顔に触れた。疲労で開いた毛穴、剃り残した髭の感触、指の腹に感じるわずかな皮脂。自分の肉体という物質が持つ、この逃れようのない不潔さと重さ。

 

「……もう、疲れたんだ」

 

 匂いを嗅ぐたびに思い出される後悔。目に映る詳細すぎる世界の汚れ。それらにいちいち心を揺さぶられ、立ち止まってしまうには、32歳の時間はあまりに短く、残酷だ。

 僕はポケットの中でスマホを握りしめた。昨日の味覚の最適化は、驚くほど僕を楽にしてくれた。

 なら、この記憶を呼び覚ます悪臭も、この生々しすぎる世界の肌触りも、すべて消し去ってくれればいいのに。

 僕は、網膜の端で明滅するシステムメッセージを、救いを求めるように見つめた。

 

 

 

[System Environment Check...]

 

 

 

「……ああ、なるほど。これは捗る。」

 

 自宅へ向かう夜道、僕は思わず独り言を漏らした。雨上がりのアスファルト。以前の僕なら、そこから立ち上る特有の湿った土の匂いに、得も言われぬ郷愁や、あるいは言いようのない焦燥感を感じていたはずだった。

 だが、今は違う。鼻腔を通り抜ける空気は、完全に無臭だ。酸素と窒素の混合物に、不純物が一切混じっていないかのような、研ぎ澄まされた清潔感。

 

Progress: [■■□□□□□□□□] 20%

[検知:揮発性有機化合物(VOC) 0.00%][判定:過去の記憶を誘発する『情緒的ノイズ』を全て棄却しました]

 

脳が軽い。匂いというトリガーがなくなったことで、それに付随する、あの時も雨だった。とか、あの人が使っていた香水だ。といった、今の僕には一銭の価値もない記憶の氾濫がピタリと止んでいる。

  

 ふと、自分の手元を見て、僕は足を止めた。街灯に照らされた僕の手の甲から、毛穴や微細なシワ、浮き出た血管の感触が消えていた。

 いや、そこにあるのは見える。しかし、視覚情報が脳に変換される過程で、表面の複雑なディテールが、まるで粗い3DCGのポリゴンのように滑らかに、平坦化されているのだ。

 街の景色も同じだった。古びたレンガ造りの壁、ひび割れた歩道、風に揺れる街路樹の葉。それらすべてから生々しい質感が削ぎ落とされ、マットで無機質な、効率的なオブジェクトへと書き換えられている。

 

「……美しいな。まるで新品の、作りたての世界みたいだ。」

 

 かつてこの道にあったはずの、泥臭い生活の気配。他人の吐息や、飲食店から漂う油の匂い、排気ガスの不快感。

 それらすべてから解放された僕は、ノイズのない、最適化された箱庭の中を、軽やかな足取りで進んでいく。

 32歳の僕が求めていたのは、深みのある歴史、想い出などではない。ただ、明日へ向かうためだけに最適化された、汚れのない現在なのだ。

 網膜の端で、進捗バーが静かに更新される。

 

 

 

[Update Success: Smell & Texture]

 

 

 

Result: Nostalgia-triggering scents deactivated. Memory latency improved by 22%.

Visual: Surface detail compression. Complex textures replaced by flat-shading.

Log: "The smell of rain no longer brings back that day. The world feels... smoother. Easier."

Next Phase: Somatosensory & Focal Depth... Loading.Progress: [■■□□□□□□□□] 20%

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