もしも地質ガチな俺が地学部に入ったら【恋する小惑星if】 作:Takuma218
日もすっかり傾き、空は紫がかった群青へと変わり始めていた。
川面には夕暮れの色が淡く映り、さっきまで賑やかだった河原も、どこか静けさを帯びている。
俺たちは自然と並ぶように立ち、西の空を見上げていた。
「あっ、一番星!!」
みらが勢いよく指を伸ばした。
その指を辿ると、まだ明るさの残る空に、ひときわ強い光がぽつんと浮かんでいた。
「うん。あの明るさは金星だね。宵の明星」
隣であおが落ち着いた声で答える。
確かに、この方向であの明るさなら十中八九金星だろうな。
「あ、俺知ってる!英語でヴィーナスっていうんだろ?」
「良く知ってるな」
「昔アニメで言ってたし」
「情報源それかよ…」
須賀は気にした様子もなく、モンロー先輩に目を向けた。
「でもヴィーナスって名前なら、モンロー先輩みたいに綺麗な星なんだろ?」
「でも実際は気温五百度で硫酸の雨が降っているのよ。地獄みたいな世界よね~。フフフフ~」
「マジすか!?」
聞いていた桜先輩が空を見上げた。
「改めて聞いても、恐ろしい環境よね…」
「でもどんな石があるか気になりますね」
「……確かに」
「ちょっと地質班!!」
桜先輩と俺のやり取りにみらが突っ込んだ。
「さてさて、それじゃあ第二部といきましょうか!」
後ろからモンロー先輩の声が響いた。
振り向くと、天体望遠鏡を抱えてやってくる。
「あっ、天体望遠鏡だ!!」
天文班が一気に色めき立つ。
三脚が立ち、鏡筒が載せられ、望遠鏡はあっという間に組み上がった。
本日最後のイベント――天体観測の始まりだ。
「俺、望遠鏡は初めてだぜ!」
須賀がはしゃぐ。実は俺も初めてで、内心かなり楽しみにしていた。
「丁度話にも出ていたし、まずは宵の明星、金星を見ましょうか?」
「良いですね。私、見てみたいです!」
みらが元気よく答える。
「じゃあ早速だけど、二人は望遠鏡を使ったことは?」
「私は全然……」
「少しだけなら」
みらが首を振り、あおが小さく頷く。
「あおすごーい!」
「じゃあ金星の導入お願いできるかしら?」
「それは……。うぅ~……」
「……今日は私がやりましょうか」
固まるあおに、モンロー先輩がやわらかく笑った。
「導入ってなに?」
こっそり聞く俺に、あおが答えた。
「星を望遠鏡の視野に入れること」
「…導入は、ちょっと…コツがいるものね…」
話しながらもモンロー先輩は操作を続ける。
「はい、入ったわ」
接眼レンズから顔を上げ、満足げに微笑む。
さすが部長、手際がいい。
「はいはい!俺見て良いっスか!」
須賀よ、もう少し自重しろ…。
見ろすずちゃんが睨んでるぞ。
そんな視線にも気付かず、須賀は望遠鏡を覗き込んだ。
そして数秒…。
「おースゲー……、ってなんか欠けてません?」
「うふふ、気づいた?」
モンロー先輩はいたずらに成功した子供のように笑った。
須賀が望遠鏡から目を外すと、みらに譲った。
「見てみろって」
「どれどれ…、おー!ホントだ。まるで半月みたい!!」
「もしかして……。金星の満ち欠け!?」
あおがはっと声をあげる。
「正解!!実は地球と同じく太陽の周りを公転する金星も、満ち欠けをするのよ。まるで月みたいにね」
そうなのだ。太陽系で地球よりも内側を回る金星は、角度によっては影の部分が地球からは見えるため満ち欠けをする。
本で見たことはあったが、こうして実際に目にできるとは…。
「ちなみに、この金星の満ち欠けを最初に観測したのはガリレオよ」
「ガリレオってドラマの…」
「事件解決する物理学者じゃないからな」
須賀が素っ頓狂な事を言い掛けたところで、俺が制した。こいつに合わせていては、いつまでも話が進まない。
苦笑しながらもモンロー先輩は話を続けた。
「イタリアの科学者、ガリレオ•ガリレイのことよ。彼は当時発明されたばかりの望遠鏡を改良して、世界で初めて望遠鏡による天体観測を行ったの」
モンロー先輩の声に熱がこもる。
「ガリレオはそれを使って金星の満ち欠けのほか、月の地形の観測、更には木星の四つの衛星の観測にも成功したわ。それによって当時主流だった月や天体を真球とするアリストテレス的宇宙観や天動説を……、
ってごめんなさい。私ったら」
モンロー先輩は興奮したように捲し立てたが、途中ではっと我に返ったように顔を赤くして縮こまった。
皆呆然とそれを見ていた。
この人って、もしかして天文オタクと同時に、かなりの天文史オタク?
「驚いたわ。あんたもそういうところあるのね。いつも飄々としてるから、そんなに関心が無いのかと思ってた」
「そんな訳ないじゃない。私、これでも天文オタクよ。ただ…余り語りすぎると周りが引いちゃうし…」
桜先輩が目を丸くすると、モンロー先輩は少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「でも今のでもっと親近感が沸きました!」
「そうですよ!これからも、もっと色々教えてください!!」
「熱く語るあなたも素敵です!!」
「そんなの気にする必要ありません。誰も笑ったりしませんよ」
「そうそう。私なんてしょっちゅう熱が入って引かれるのに、やっていけてるでしょ?」
「桜ちゃんみたいなのはちょっと…」
「それどういう意味よ?」
皆に笑いが起こった。
…………………………
「それじゃあ、気を取り直して天体観測を続けましょうか」
モンロー先輩が軽く手を叩く。
さっきまでの熱っぽい空気が、すっとほどけた。
俺たちは再び望遠鏡の周りに集まる。
夜はすっかり深まり、さっきまで群青だった空は、もうほとんど黒に近い。
早速、桜先輩が接眼レンズを覗き込んだ。
数秒見るが…、
「……何も見えないんだけど」
「桜先輩、日頃の行いが悪いから~」
「何か言った?」
みらの一言にレンズから顔を上げた桜先輩が、じろりと睨んだ。
みらは「ひっ」と小さく肩をすぼめた。
「地球の自転でずれちゃったのね」
モンロー先輩が空を見上げながら言う。
ああ、なるほどな。
星がそこにあっても地球が回っている訳で、
さっき視野に入れたはずの金星も、それに合わせてじわじわと外れていくということか。
「あれ、でも宵の明星が現れる時間って、夕方のちょっとの間じゃ?」
「何ですって!?じゃあ早く見なきゃ!!」
「そんなに急がなくても、一時間くらいは出てるから大丈夫よ。」
あおの一言に慌てる桜先輩。
そこにモンロー先輩がくすりと笑う。
「それじゃあ今度は…、あおさん。導入やってみる?」
「……はい!」
あおは一瞬だけ深呼吸をして、ファインダーを覗き込んだ。
ぎこちないけれど、教わった通りに三脚を微調整し、ゆっくりと鏡筒を動かす。
慎重に、慎重に。
やがて小さく息を吐いた。
「……どうぞ」
「ありがと」
少しだけ誇らしげな声だった。
そして桜先輩が再び接眼レンズを覗き込む。
「…あっ、ホントだ!半分欠けてる!」
桜先輩が感動の声をあげた。
イノ先輩に続き、満を持して俺の番。
そっと接眼レンズに目を当てる。
それは眩しく…、そして小さかった。
でも、目が慣れてくると、白い弧がぼんやりと浮かび上がってきた。
半月みたいな形をしている。
「……本当に、欠けてる。」
本で見た通りだ。
でもこれは紙の上の図じゃなく、今夜の、今この瞬間の本物の金星だ。
それを俺は今この目で見ているんだ。
しばらく黙って見ていると、白い弧がじわじわと動いているのに気がついた。
さっきまで視野の真ん中にあったのに、いつの間にか端の方へと流れている。
……いや動いているのは金星じゃない。俺たちの方だ。
地球が今もゆっくり回って、それにあわせて金星も空を動いているんだ。
それだけのことが、望遠鏡の中でひっそりと証明されていた。
…………………………
「それじゃあ、他の惑星も見てみましょうか?」
「「「さんせ~!」」」
「まずは火星ね」
望遠鏡を覗くと、赤い点が見えた。
模様も何も分からないけど、色だけははっきりとしていた。
ほんとに赤いんだな。
「火星の赤って、酸化鉄でしたっけ?」
「そうね。探査機の画像でも地表の赤さは目立っていたわ」
「キュリオシティのあの写真は感動したな~」
あおの問いに桜先輩が頷き、
そしてみらがしみじみと空を見上げた。
「次は木星!」
望遠鏡を覗くと、丸く、うっすらと横に縞のある天体が見えた。そしてその横にはいくつかの点が並んでいる。
「先輩、もしかしてこれが?」
「そう、それがガリレオ衛星。さっき話した、ガリレオが見つけた木星の衛星よ」
「次は土星だ!!」
望遠鏡を覗くと思わず声が漏れた。
「……輪がある」
小さいが、確かに丸い天体の周りに、まるで帽子のつばのような輪があった。
「ホントに輪がある星ってあるんスね」
「でも、あの輪って無数の氷や岩のかけらが集まってできてるのよ」
「マジっすか!?じゃあ乗れたりしないんだ…」
須賀が本気で残念そうな声を出し、思わず笑いがこぼれた。
土星の観測が終わったところで、みらがモンロー先輩に聞いた。
「天王星と海王星は見ないんですか?」
「見ても良いけど、この望遠鏡だと凄く小さいわよ」
「じゃあ今回はいいですかね…」
…………………………
「さて、惑星は一通り見たけど、他に見たい星はある?
まだ少し時間があるから、一つや二つなら良いわよ」
モンロー先輩が東の空を見上げる。夜は深まり、星の数が増えていた。
「うーん…、アークトゥルスも良いし、スピカも捨てがたい…」
みらもあおも、視線を空のあちこちへ泳がせながら迷っている。
「それじゃあ、あれを見ましょうか?
この時期だと、まだちょっと早いのだけど……」
モンロー先輩が指さす先、東の低い空に三つの明るい星がゆるやかな三角を描いていた。昇り始めの夏の印だ。
「場所は夏の大三角の真ん中、白鳥のくちばし…」
「そこって…」
「「アルビレオ!!」」
みらとあお、二人の声がぴたりと重なった。
「アルビレオ?」
どこかで聞いたことがあるな。何だったっけ?
望遠鏡は、あおの手によってスムーズに導入された。もう何度もやっているだけにお手のものだ。でもいつもに増して気合いが入っている気もする…。
「合ったよ。どうぞ…、みら」
あおがそっと場所を譲る。最初はみらに譲るのか。やっぱり仲が良いな。
「あお、ありがと!
じゃあ早速…。わー……、綺麗ー!!」
みらの声が一段高くなる。
よほど美しいのだろう。しばらく身じろぎもしない。
あんなに夢中にさせる星とはどんなものなのだろうか?
「アルビレオってどんな星なんですか?」
するとモンロー先輩は星の方を見上げながら答えた。
「アルビレオは連星よ。二つの星が並び合ってるの。それも橙色と青色の二つの星が…。
隣り合って見えるその姿は、“北天の宝石”と呼ばれる程美しいわ」
「それであんなに見入ってるんですね」
「それもあるのだけどね…」
するとモンロー先輩は少しニヤつきながら、あおを見た。
「あおちゃんとみらちゃんが好きって言ってたから~」
なるほど。それでこの時期に夏の星座である白鳥座の星を選んだのか。
視線に気づいたあおが、少し照れくさそうにこちらを見た。
「夏の空を飛ぶ白鳥のくちばしにある一番綺麗な星。小さい頃からずっと好きだったの。
それに、あの並ぶ二つの星が私とみらに見えて…、また会えますようにって、ずっとお祈りしてた。
そして…、こうしてまた出会えた。これからもあの星みたいに、ずっと一緒に居れたらいいな…」
あおは手を組んで、祈るようにその星を見ていた。
そういえば、あおとみらは小さい頃に出会って、この高校で再会したんだっけ?まだ詳しくは聞いていなかったな。
「本当は、くじら座のミラも見せてあげたかったのだけれど……秋の星座だものね」
「いえいえ、お気遣い感謝します」
苦笑いするモンロー先輩に、あおが頭を下げた。
みらの後はすずちゃんや先輩達が見て、最後に望遠鏡を覗く。
接眼レンズに目を当てると、黒い視野の中に、二つの光が並んでいた。
右が橙色。そしてその隣に青白い光。
それは思っていたよりもちゃんと色が違っていた。
点のように小さな星だが、その姿はなんだか妙に目に残った。
二つの星は少しだけ離れて並んでいて…、くっついているわけでもないのに、だからと言って離れている感じもしない。
……こういうの、なんて言えばいいんだろうな。
あおやみらが好きだって言うのも、なんとなくわかる気がした。
俺はしばらく、何も言わずに覗き続けた…。
するとある一節が浮かんだ。
『サファイアとトパーズの大きな二つのすきとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました。』
あれは何だっただろうか…?
そうだ…、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』だ!
さっきどこかで聞いたと思ったら、あの物語だったか。
宮沢賢治が好きで、小さい頃は夢中で童話を読んでいた。
俺の名前の由来も賢治から取ったと聞いている。
改めて見ると、
橙色の光は宝石みたいにやわらかく、
隣の青は冷たいのに透き通っている。
なるほど、賢治はこの光景を天の川の観測所に例えたのか。
そう考えると、無性に感動するものがあった。
望遠鏡から目を外すと、みらが身振りを交えて熱く語っていた。
「それでね!私はずっとお願いしてたの。あおと、また会えますようにって」
横では、あおは顔を赤くして俯いている。
……みらも、あおと同じことを考えていたのか。
これが相思相愛ってやつ?
場には微笑ましい空気が流れていた。
「だからね。私は感謝してるし、あの星が大好きなの!!
そして今度は、ずっと一緒にいられますようにって、祈ってるんだ…」
みらが白鳥座を見上げた、その瞬間。
「でもアルビレオって、実際は距離が離れてる“見かけの二重星”って説もあったわよね」
桜先輩の一言で、空気がぴしりと固まった。
みらが笑顔のまま固まり、あおも動きを止める。
「ちょ、ちょっと桜先輩!?」
「い、今それ言いますかぁ!?」
「あくまでも説だから!気にしちゃダメよ!!」
「桜先輩!!ホントそういうとこっスよ!!」
一斉に騒ぎ出す面々。
桜先輩は「え、私が悪いの?」と首を傾げている。
さっきまでのしんみりした空気はどこへやら。
……まあ、これも俺たちらしいか。
…………………………
少し離れたところに遠藤先生が腕を組んで立っていた。
「ホント何やってんだか…。
…でも楽しそうで何よりだよ」
揉めていた時はどうしたもんかと思ったが、無事収まったようで良かった。
そんなことを思いながら、相変わらずわちゃわちゃとやっている彼らを見ていた。
「全く、若いとは良いことだね~。
ほら!!そろそろ時間だから撤収するよ!!」
声を聞いた部員達は急いで片付けを始めた。
空では変わらず白鳥座が輝いている。
今回の星空は5月初旬をイメージしています。金星は半分欠け、夏の大三角もギリ見える。
なお、みらとあおがアルビレオが好きというのは、この小説のオリジナル設定です。
今回でバーベキューパーティー編は終わりです。
次回は少し日常の話を(地質要素は多めですが)。