もしも地質ガチな俺が地学部に入ったら【恋する小惑星if】 作:Takuma218
「モンロー先輩……?」
「ケンジくん……」
しばらく、二人とも動かなかった。
窓から差す夕日の中で、埃がゆっくりと舞っている。
先輩の目元は赤かった。
いつもならすぐに笑いかけてくれるのに、今は俺を見たまま固まっている。
……もしかして、泣いていたのか?
先輩は顔を伏せると、指先でさっと目元に触れた。
再び顔を上げたときには、もう笑っていた。
「……どうしたの? もうみんな帰ったわよ」
「いや、宿題を忘れて、取りに来ただけです。先輩こそ、ここで何やっていたんですか?」
「私は……、スガくんがちゃんと掃除したか点検していたの。……でももう終わったから帰るわ」
机の上の鞄を手に取り、椅子を戻す。
その動きが、いつもよりせわしない気がした。
「泣いてたんですか?」
思わず聞いてしまった。
先輩の手が止まる。
「……泣いて無いわよ」
こちらを向いた顔には、さっきと同じ笑みがあった。
……いや、流石に無理があるだろ。
でも、見られたくなかったのなら、聞かない方がよかったかもしれない。
「別に泣いたって悪くないと思いますよ。泣けば少しはすっきりするでしょうし……。何なら俺は何も見なかった事にして、立ち去りましょうか? 勿論誰にも言いませんから」
先輩は答えなかった。
鞄を持ったまま、俯いている。
帰った方がいいのか。
それとも、一人にはしない方がいいのか。
こういうとき、どうすればいいんだ。
「俺も……、話を聞くくらいの事はできますけど……?」
少し待ったが、返事はなかった。
先輩は鞄を机に置き直すと、壁際へ歩いていった。そのまま背中を壁に預け、膝を抱えて座り込む。
……やっぱり、一人になりたいのかな。
「じゃあ俺は忘れ物だけ取って、先帰りますんで」
机の方へ向き直ろうとしたとき、小さな声が聞こえた。
「……は……を……ぃて……」
「えっ?」
振り返る。
先輩が膝の上から、少しだけ顔を上げた。
「……少し……、お話をしていかない……?」
「……分かりました」
俺は鞄を置き、先輩の隣へ腰を下ろした。
*
「……私ね、あの時本当は怖かったの」
先輩は前を向いたまま、ぽつりと話し始めた。
「天文部と地質研が合わさって地学部になって……、私は部長になった。私は部長として皆をまとめようとしたけど、やっぱり天文と地質では見ている視点が違うのか、中々まとまらなくて……」
抱えた膝の上で、指が重なっていた。
「それでも最近はやっと皆が笑って活動できるようになって、正直ほっとしていたの……」
俺も、昼間のことを思い出した。
須賀が石を持ち上げて、先輩が月の話をして。
俺と桜先輩も口を挟んで、皆で同じものを見ていた。
「けど……、さっきすずちゃんとスガくんが喧嘩して、皆の気持ちがまたバラバラになってしまった気がして。もしこのまま戻らなかったらと思うと……、本当に怖かった……」
あのときの先輩からは、とてもそんな風には見えなかった。
二人の間に立って、はっきり言い切っていたから。
俺はただ、頼もしいと思っていた。
「すずちゃんとスガくんの相性が悪いということは……、みらちゃんから聞いていたのに、私は何も対策してこなかった……。これは私の責任よ……。部長失格だわ……」
声が少しずつ小さくなる。
「本当に……、皆が……戻らなかったら……どうしよう……」
先輩が顔を伏せた。
隣から、鼻をすする音が聞こえる。
……そこまで、自分のせいにしなくてもいいだろうに。
「先輩は、ちゃんと部長できてたと思いますよ」
言うと、先輩の肩がわずかに動いた。
「さっきだって、須賀とすずちゃんの喧嘩をしっかり止めてくれたじゃないですか。先輩が居なかったら、もっと酷いことになっていたかもしれません」
桜先輩も止めに入ろうとしていた。
でも、俺たち二人を仲間だと言ってくれたのは、モンロー先輩だった。
あのときは何も返せなかったが、嬉しくなかったわけがない。
「それに、須賀の普段の行いまで、先輩が責任を取ることないですよ。みらに対するあの暴言だって、あいつが勝手に墓穴を掘っただけです」
先輩は顔を伏せたまま、俺の話を聞いていた。
「この部活も、発足してたった一週間ちょい、まだ十日余りしか経っていないんですよ。諦めるなんて早すぎます」
俺だって、明日どうなるかは分からない。
でも、今日の喧嘩だけで全部終わりだとは思いたくなかった。
「折角こうして、好きなことを話せる仲間が集まったんです。これからも一緒に楽しみましょうよ」
少しだけ、先輩の方を見る。
「俺で良ければまた相談に乗りますし、桜先輩や皆もいます。もう自分で抱え込まないでください」
返事はなかった。
代わりに、先輩の口から小さく息が漏れた。
それをきっかけにしたように、泣き声が大きくなる。
……えっ。
俺、何かまずいこと言ったか?
先輩は顔を隠したまま、何度か首を横に振った。
何か言おうとしているようだったが、うまく言葉にならないらしい。
俺は浮かせかけた手を、膝の上へ戻した。
これがラブコメだったら、頭でも撫でるんだろうな……。
そんなことを考えても、実際にできる度胸はない。
結局、隣で待っていることしかできなかった。
*
窓の外が、少しずつ紫色に変わっていく。
先輩の泣き声も、ようやく小さくなってきた。
俺も壁に背中を預け、何となく窓を眺めていた。
そろそろ、落ち着いただろうか。
そう思って顔を向けかけたとき、肩にこつんと重みがかかった。
……ん?
先輩の頭が、俺の肩に乗っていた。
動けなくなる。
すぐそばで、小さな寝息が聞こえた。
……ちょっと待て。
寝たのか?
この状態で?
横を見れば、すぐそこに先輩の顔がある。
伏せられた睫毛も、頬に残った涙の跡も、やけにはっきり見えてしまう。
近い。近すぎる。
慌てて前を向いた。
その拍子に、肩の重みが少しずれる。
まずい、起こしたか?
息を止めて待ったが、先輩は眠ったままだった。
……どうすんだ、これ。
さっきまで泣いていたのだし、少しくらい休ませてあげたい。
そうは思うが、こっちの心臓は全然休まらない。
落ち着け。何か別のことを考えろ。
今日整理した標本。
玄武岩。黄鉄鉱。石英。長石。
……駄目だ。肩が気になる。
俺はひたすら窓の外を見ながら、頭の中で鉱物の名前を並べ続けた。
*
どのくらい経っただろう。
肩の上で、先輩が小さく身じろぎした。
「……?」
寝ぼけたように顔を上げ、俺を見る。
それから、自分がどういう体勢だったのかに気づいたらしい。
「えっ……!? ごめんなさい!! 私ったら」
先輩は顔を赤くして、慌てて体を起こした。
「イエイエ、ダイジョウブデス。オキニナサラズ」
「でも話し方が変よ?」
「イエイエ、ダイジョウブデス。オキニナサラズ」
他の言葉が出てこなかった。
先輩が髪を整えている間に、俺も何とか呼吸を落ち着ける。
窓を見ると、外はもう暗くなり始めていた。
「すっかり暗くなってしまいましたね。早く帰りましょう」
「そうね。でも夜間活動の申請を出していなかったから、こっそり帰らなきゃ」
……そういえば、ここ学校だったな。
天文班は観測のために遅くまで残ることもあるが、その場合は事前の申請が必要らしい。
当然、今日はそんなものを出していない。
立ち上がると、足が少し痺れていた。
何でもないふりをして鞄を持ち、先輩に続いて部室を出る。
校門はもう閉まっているらしく、裏門には監視カメラもあるそうだ。
どうするのかと思ったら、先輩は校舎の脇へ歩いていった。
天文部には、こういうときのための抜け道が代々伝わっているらしい。
……一体どんな伝統だよ。
*
何とか学校の外へ出ると、思っていた以上に道が暗かった。
住宅の窓や街灯の下だけが、ぽつぽつと明るい。
「もう遅いですし、送っていきましょうか?」
「でも悪いわよ」
「夜の一人歩きは危ないですよ」
先輩は少し考えた後、俺を見て微笑んだ。
「……じゃあ、お願いしようかしら」
こうして、先輩を家まで送ることになった。
歩き始めてしばらくは、何となく会話が続かなかった。
さっきのことに触れるのも変だし、かといって急に石の話を始めるのもどうなんだ。
そんなことを考えていると、先輩が空を見上げた。
「……今日は月が綺麗ね」
つられて顔を上げる。
屋根の向こうに、丸い月が浮かんでいた。
「月齢十四ってところでしょうか?」
「あら、詳しいのね」
「天文も少しは勉強してますから。まあ先輩達には負けるでしょうが」
先輩が、ふふっと笑った。
その笑い方に、ようやくいつもの感じが戻ってきた気がした。
「私ね、宇宙飛行士になるのが夢なの」
……また大きく出たな。
思わず先輩を見ると、横目でこちらを見返された。
「あっ、今笑ったでしょ?」
「……笑ってませんよ。夢が大きいのは良いことです」
「フフッ、そうね」
からかわれたらしい。
先輩は楽しそうに笑うと、また月へ目を向けた。
「……月は人類が降り立った場所で一番遠い場所。でも地球からは一番近い星」
俺も、もう一度月を見た。
こうして歩いていても、屋根の上についてくるように見える。
「……ロマンチックな言葉ですね」
「おばあちゃんの受け売りだけどね」
「もしかして、そのおばあちゃんの影響で宇宙を?」
「そう。私の天文好きはおばあちゃんの影響よ。私のおばあちゃんも宇宙が好きで、小さい頃はよく宇宙開発の話をしてくれたわ。私はいつもそれをワクワクしながら聞いて、すっかり宇宙が好きになったの」
話しているうちに、先輩の声が弾んできた。
きっと、何度も聞かせてもらったのだろう。
「そして私も、そんな彼らみたいに宇宙に……、月に行ってみたい。そのために私は宇宙飛行士になりたいの」
大きな夢だ。
でも、今の先輩を見ていると、ただ言ってみただけではないと分かる。
「……先輩らしいですね」
「どういう意味?」
「ちゃんと、本気で目指してそうだなって」
先輩は「なにそれ」と笑った。
「おばあちゃんは月の土地を買っていたの」
「そういえば、そんな話もありましたね」
「そこにお墓を立てるんだって言ってたわ」
「それは、また……」
おばあちゃんも、なかなか大きなことを言う人らしい。
「これがおばあちゃん。月に行けたらビデオ通話しようねって話してるんだ。フフフッ」
先輩がスマホを取り出して、写真を見せてくれた。
画面を覗き込みながら、少し安心する。
ああ、今も元気なのか。
先輩は写真をもう一度眺めてから、スマホをしまった。
「ケンジくんは将来の夢は無いの?」
今度はこちらの番らしい。
俺は少し考えてから答えた。
「俺は……、地震の研究者になりたいんです」
口にすると、先輩がこちらを見た。
「それはまた真面目な夢ね。……どうして?」
当然、そう聞かれるよな。
話したくないわけじゃない。
でも、今ここで話し始めたら、簡単には終わらない気がした。
「今は……まだ秘密にしておきます。でもそのうちまた話しますよ」
「そう……。それなら楽しみにしておくわ」
先輩は、それ以上聞かなかった。
やがて住宅の並ぶ角まで来ると、先輩が足を止めた。
もう家はすぐそこらしい。
別れ際に手を振る先輩を見て、俺も軽く頭を下げる。
それから、自分の家へ向かって歩き出した。
*
家に着くと、帰りが遅いと叱られた。
忘れ物を取りに行くだけだったのに、何をしていたのか。
そう聞かれても、全部話すわけにはいかない。
先輩と話し込んでいたとだけ説明し、何とか部屋へ戻った。
鞄を下ろしてスマホを見ると、須賀から連絡が来ていた。
スガ『どうしよう( ゚д゚)
女子に嫌われたかも(T_T)』
俺『自業自得だ。自分でどうにかしろ』
スガ『そう言わずに助けてくれよー(ToT)
友達だろ!!』
俺『そうは言っても、自分で誠心誠意謝るしかないだろ。特にみらなんて傷ついただろうし、あおもカンカンだったからしっかり謝った方が良いぞ』
その後も何か送られてきたが、言えることはもう言った。
こればかりは、俺が代わりに謝っても仕方がない。
すると今度は、モンロー先輩から連絡が来た。
モンロー『今日はお話し聞いてくれてありがとう(*^^*)』
俺『いいんですよ。また何かあったら言ってください』
モンロー『それじゃあ、そうさせてもらうわね!』
俺『どんとこいです!』
送ってから、少しだけ気恥ずかしくなった。
何がどんとこいだ。さっきは何もできずに固まっていたくせに。
だが、先輩からはすぐに次のメッセージが届いた。
モンロー『帰りが遅いって、叱られちゃった(^_^;)』
俺『俺もです(笑)』
モンロー『しばらくは夜間外出禁止だって。これじゃあ星を見に行けないわ(T_T)』
普段から星を見に外出していたのか。
そりゃあ、遅くまで帰ってこなければ親も心配するだろうな。
それからも少し話をして、おやすみなさいと送った。
スマホを机に置き、椅子へ座る。
今日は色々ありすぎた。
早くやることを済ませて寝よう。
「さて、宿題……」
机には、家を出る前に広げた教科書とノート。
その横には、開いたままのクリアファイル。
俺は鞄に手を伸ばしかけて、止まった。
……プリント。
部室へ行って、先輩と話して。
そのまま鞄を持って、学校を出たよな。
「……何しに行ったんだ、俺」
机に突っ伏した。