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タコマ区でダリオ少年と思しき死体が発見されたという情報がボディショップの新着から引っかかった。検死によればダリオ少年は物凄い力で顔を殴り潰され、脳挫傷を起こしていた。凶器はサイバーアームの拳と断定された。《シャドウ・ハウンズ》からテオドールに対する接触は何もなかった。ダウンタウンに籠もっていればともかく、タコマ区に顔を出せばただでは済まないだろうということは簡単に想像できた。
時間がないという漠然とした予感はあった。
もしこのまま調べ続けて埒があかないようなら、別の手を打つ必要があるだろう。例えば手持ちの金をありったけ費やしてサムライを何人か雇い、力技に訴えるとか。
ただ無理矢理にサラ嬢を連れ出せば《シャドウ・ハウンズ》やその背後にいるレックス、延いてはレックスが取り入っている鉄心会と揉める可能性は高く、更にはレックスの背後にいる何者かもなんらかの介入をしてくるのは疑いない。サラ嬢は既にただの家出娘ではなく、彼らの大事な商品になっているのだ。表だって妨害したら確実に恨みを買うだろうし、サラ嬢の将来に禍根を残しかねない。それに力尽くの手段ではサラ嬢本人から抵抗されてしまうことも考えられる。そうなったらこちらの側が彼女を傷つけてしまうだろう。
どうにかして良い手を模索したいところだった。
ちょっとした当てがあって、テオドールは翌日の夜からマリア・タナーの自宅を張り込むことにした。
デッカーのアルフレッドにお願いして通信記録を漁って貰うが、これは念のためで恐らく成果は出ないだろうとは思っていたし、実際その通りだった。だが仲の良いデッカーに楽で実入りの良い仕事を頼むのは悪いことではないだろう。
見込みがあるとすれば引き続き付き合ってくれているシルバだ。
魔法使いは生涯の多くの部分を魔法に捧げる。それは精神の指向性さえもだ。自分が根ざした文化、自分の信念、もしくは自分が従う価値観に基づいた欲望の中で、より良く魔法を使うために全力で邁進する。テクノロジーを使った方が手っ取り早そうな部分においてさえ努力の結晶である魔法を頼まずにはいられない。ファーストがカタナとシュリケンで銃に立ち向かうように。そして多くの魔法使いが、その方がずっと優れているという妄執に囚われてしまう。ただ困ったことに、その妄執が正しかったというケースもしばしばあるのだが……
シルバはテオドールの求めに応じて《ウォッチャー》と呼ばれる矮小な精霊を呼び出してくれた。その通称通り、見張り番によく使われる存在だ。やはりアストラル体なので物理的に見つけ出すことは不可能であり、アストラルパトロールが巡回していない地域なら張り込みでは無敵の存在と言える。ドローンのカメラと違って浮気現場の証拠を押さえることはできないが、今回はその必要もない。シルバはテオドール達に向けて《ウォッチャー》を顕現させ、その姿を見せてくれた。シルバが呼んだ《ウォッチャー》は蜂鳥に似た鳥の姿をしており、忙しない羽ばたきがエメラルド色の光を水飛沫のように散らしていた。
三体の《ウォッチャー》に張り込みを任せ、テオドール達はフォードに詰めてタナー氏宅の近くに待機していることにする。
これで駄目なら力尽くの方も考えにいれなければいけない。シルバの魔法とファーストのカタナがあればかなり静かに押し込み強盗ができる。デッカーを雇って《シャドウ・ハウンズ》のセキュリティを誤魔化し、姿を消して潜入し、見つかったらファーストに始末して貰い、後詰めと退路の確保は──
「マジカルアクティブ。アストラル体がひとつ、家の中に入っていった……周りに他のマジカルアクティブはない。えっと、どうしよう、グレイ?」
午前一時半。物騒な次善策を模索していたテオドールの耳に福音が差した。
福音を伝えてくれたのは、まさしく天使のようなシルバの声だった。
テオドールは笑みと歓声を噛み殺し、仮眠中のステラを揺り起こす。
「打ち合わせ通りに」
そうお願いするとシルバの唇がスペレシエルの旋律を奏でた。それに応えて後部座席に銀色のオーラが渦巻き、闊達な少女の姿をした風の精霊が実体化する。幻想的な光景だったが魅入っている暇はなく、まして後部座席がシルバとファーストと風の精霊の三人でぎゅうぎゅう詰めで精霊がちょっと苦しそうなことを心配する余裕もなかった。急いで車をタナー氏宅の近くにつけると、テオドールはステラと一緒に風の精霊を連れて車を飛び出し、取り急ぎ彼女の助力を受け取った。
「どう、消えた?」
「大丈夫だ。見えなくなった」
ファーストが頷く。精霊が持つ隠蔽の力はテオドールとステラの姿を消してくれているはずだったが、力の庇護下にある人間同士は姿が見えるので本当に姿が消えているのか今一つ実感できない。何度も世話になっている力ではあるが未だに拭えない心細さを押し殺しつつ、テオドールとステラ、風の精霊の三人連れでタナー氏の玄関先へ忍び寄る。タナー氏宅は防犯カメラが完備されている。夜間に不審者が忍び寄れば自動で警報が鳴るだろう──無反応。冷や汗を拭い、鍵穴にマグロックパスキーを差し入れる。マグロックの照会を騙して解錠する違法なツールだ。セキュリティが上等な場合は騙されてくれずにやはり警報が鳴る。差し込む瞬間はいつも心臓が凍り付くようだ。グリーンランプが明滅し、解錠の手応えがあった。そっとドアを開け、家人の気配がしないことを確かめる。
タナー氏の家の間取りは確認してある。足音を殺して二階にあるマリアの部屋へ近づきながら、シルバへ「いいよ、来て」と囁きかける。シルバが返事をし、通話が切れる。ステラがナイフを取り出し、マリアの部屋の鍵を静かにこじ開ける。
ドアを開き、押し入った。
その瞬間、暗い部屋の中でこの世の物ではない争いが勃発した。
小綺麗なマリア・タナーの部屋の中央で青い魔法のオーラが攻撃的に燃えており、そのオーラはしなやかな裸の女の姿をしていた。ただ、女の頭は狼と人間をまぜこぜにしたような奇怪な輪郭を描き、肌は毛皮で覆われていた。部屋の隅のベッドではマリア・タナーがパジャマ姿で竦み上がり、怯え固まった表情で狼女のオーラを見つめていた。狼女は何もない空中に向けて激しく唸り、腕を振るい、殴りつけていたが、それはテオドールには見えない何者かと争っているためだった。もっと言えば、その見えない何者かが誰であるかをテオドールは知っていた。と、テオドールの背後に付き添ってくれていた風の精霊が虚空に溶け消えた。テオドールはそっとドアを締め、鍵をかけ直した。
争いは激烈で素早く、そして静かだった。エネルギーの鬩ぎ合いは物理空間ではない場所で行われたために実体を伴わず、大気を振動させることがなかった。ただ間近にいるテオドール達には、生物がそれぞれに備えたオーラめがけて伝わってくる震えとして争いの気配を感じ取ることができた。
恐らく、ほんの五秒かそこらだったはずだ。狼女が忌々しげに唸って体を硬直させ、力んで反り返ったような姿勢で動きを止めた。見えない何かがその体を拘束しているようだった。そしてさっき姿を消した風の精霊が、狼女に絡みつくような格好で再び姿を見せた。風の精霊の体は顔以外が不定形のうねりに変わっていて、狼女の全身をすっぽりと包み込み、雁字搦めにしてしまっているようだった。
絡み合って奇怪な芸術作品のようになった二体のオーラの傍らに、銀色の法衣を纏った美しい少女が顕現し、くたびれた様子でため息をついた。
「どうか落ち着いて、暴れないで。危害は加えないから。私達は貴方の助けになりたいの。話を聞いてくれるなら、その子に手を離すよう言うから──ね?」
銀色の少女の美しい声は彼女の肉体が持つそれとは大分印象が異なっていたし、彼女が肉体を通して話す時よりもずっと美麗で静かな威厳を湛えていた。銀色の少女がじっと静かに狼女の目を覗き込み、狼女も銀色の少女を見つめ返した。二つのアストラル体は言葉面で交わす会話よりもずっと多くの情報をやりとりしたはずだ。お互いが目にしているのは剥き出しの精神なのだから。そうして暫くの空白が過ぎり、やがて狼女がゆっくりと頷き、体から力を抜いた。風の精霊が体を綻ばせて彼女を解放した。
「──ぁ……サラ、大丈夫なの……ケガとかしてない?」
事態についていけずに固まっていたマリアだったが、やっとのことで発したのは友人を気遣う声だった。彼女ははっきりと狼女に視線を向けてサラと呼んだ。狼女は頷いて「うん、平気。心配ないよマリア」と少女の声音で答えた。つまり狼女の姿をしたこのアストラル体は、間違いなくサラ・エファーソン嬢だ。
狼女は蓮っ葉な仕草で肩を竦め、じろりと銀色の少女と精霊を睨んだ。話を聞く構えではあるが、戦って取り押さえられてしまったことにはプライドを傷つけられ、面白くないという様子だ。
「で、なんなのあんた? それに、そっちの……」
狼女がテオドールを振り向く。テオドールは堂々と会釈を返す。
「ヒッ──」
と尻切れ蜻蛉の掠れ声がした。見ればマリアがテオドールを見て悲鳴を挙げかけたところを、ステラがそっと口を塞いでいるところだった。そう言えば風の精霊が戦いに参加したので隠蔽の力も解除されている。ステラがおどけた調子で唇に指を当て、にんまりとマリアに微笑んだ。
銀色の少女、つまりシルバのアストラル体が優美な仕草でテオドールを示した。
「サラさん。この人は私の友達で、グレイとステラ。みんな貴方を助けるために来たの。ああ、マリアさん。勝手に入ってしまったのはごめんなさい。だけど、今は普通じゃないことになっているから──どうか許してちょうだい」
マリアが強ばった顔で頷く。ステラがマリアの口から手をどけて両手を挙げる。ナイフは勿論フライトジャケットの中にしまい込んでいる。
「そうそう、何もしない。サラちゃんが嫌がることはしないし、マリアちゃんにだって何もしない。ただ、きっと助けになると思うよ、あたし達。あたしとグレイは探偵なんだ。サラちゃん、あんたを探すように家の人に頼まれて来た。あ、でも、だからって無理矢理連れ戻す気はないよ。きちんと説得して、サラちゃんが自分で帰ってくるようにしたいと思ってる」
「探偵?」
サラはステラを気味悪げに見つめ、疑いを露わにする。
「あんたが探偵?」
「正確に言うと、探偵なのはそこのグレイ。あたしは助手さ」
「助手、ね……」
「まあまあ、まずはお話しよう。ただし、マリアちゃんのパパとママに見つかったら怒られちゃうから、静かにね──」
サラ・エファーソンは《覚醒》していた。
去年の夏、自然公園へキャンプに行った時、自分にしか見えない狼が現れたのだという。特に劇的な事件があったわけでも、他の魔法使いから教えを受けたわけでもなく。そういう唐突で前触れのない《覚醒》というのは、実のところ珍しくない。
サラ嬢は家族にそのことを秘密にしていた。打ち明けたのはマリア・タナーただ一人だけだった。サラの忠実な親友である彼女はそのことを誰にも話さず、彼女が家出して警察や探偵社が話を聞きに来た時も黙っていた。
話を聞いたところ、サラの魔法は正式な訓練を受けていないとは思えないほど上達していた。少なくとも精霊を呼んで助力を受けることはできたし、アストラル投射を立派に使いこなしている。たまに狼が現れて魔法の使い方を教えてくれるのだという。「狼の導師精霊に目をかけて頂いてるみたいね」とシルバが頷く。精霊が人間の元にふらりと現れて覚醒を促すというのはよく知られている現象だ。魔法の素質があるから精霊が訪れるのか、精霊が訪れたことで素質が芽生えるのかは分かっていない。初めは誰にも相談できないまま怯え戸惑っていたサラであったが、やがて自分が目覚めた不思議な力のルーツについて、先住民のシャーマニズムに根差したものではないかと彼女なりに解釈した。そうしてシャーマンの文化を調べ始め、知識を蓄えたり自分なりに考察したりしていたところ、不安が消え、魔法の力も目に見えて安定したという。
今こうしてマリアの元を訪ねているのもまた、魔法の力によるものだ。
精神を肉体から離脱させ、《アストラル界》に入り込むこの技を《アストラル投射》という。
アストラル界とは普段人間が知覚する物質界に重なり合って存在する異次元であり、そこでは生命のオーラが光となって輝き、思念が色彩となって揺らめき、人工物は冷たい影に過ぎない。多くの人間はアストラル界そのものを見たことはないが、CG再現された映像を見たことはあるはずだ。言うなれば精神世界とでも言うべきもので、アストラル体は実体化しない限りこの神秘的な異次元に存在しているために通常の物質とは触れ合わない。
つまり、ここにいるのはサラの精神だけが形になったものだ。彼女の肉体はどこかで──恐らくはボーイフレンドと暮らすタコマ区のアパートで──眠りについているだろう。
アストラル体は魔法使いが強く望む自分自身の姿を象る。狼女の姿は彼女がイメージする強い自分であり、それは剥き出しの精神を外敵から守るための自然な働きでもある。
サラはこのアストラル投射を使って、家出した後もマリアの元を密かに訪れていた。
アストラル投射は魔法使いにとって非常に重大な意義を持つ技なのだが、下世話なことを言ってしまうと、こういう密会や不法侵入にはこれ以上ないほどうってつけの技でもある。見えない上に触れないし、精神の速度で動くために滅法素早い。地球を一時間程度で一周できるというのだから、生身の人間にはどうすることもできない。
「探偵さんはどうして私がここに来るって分かったの? マリアが話したわけじゃないでしょ」
「話してなさ過ぎたから。マリアさんがサラさんの一番の友人だっていう話はご両親からも学校からも聞いていた。けどそれならサラさんのことを心配して、警察や探偵社にもうちょっと話すんじゃないかって思ったからさ。だからマリアさんは、ひょっとしたらサラさんと連絡が取れてるのかも知れないと想像した。ついでに言えばサラさんは電話を掛けづらい状況だろうから、魔法を使って連絡を取っているんじゃないかなと」
サラが肩を竦め、マリアはおずおずと頷いて、それぞれに肯定を示した。
マリア・タナーは赤い癖毛が印象的な、ぽっちゃりとした白人ヒューマンだった。あまり活動的なようには見えず、写真で見たサラ、今この場にいる狼女のサラのいずれとも正反対の雰囲気だったが、視線を交わす二人の間からは確かな信頼関係が窺えた。正反対だからこそ一度仲良くなってしまえば緊密になるのかも知れない。
「……ちょっと待ってよ。ソレ、あてずっぽうだったってこと?」
「魔法関係のことはあてずっぽうなくらいで丁度いいことが多いんだ。実際、当たったでしょ」
「……私が魔法を使えるっていうのはなんで知ってるの?」
「うん。まあ、順番に話そうか……そうだサラ。アストラル投射していられる時間に限界があるのは知ってる?」
「知ってる。狼が教えてくれた。まだ全然平気だし、体の場所も覚えてる」
「ならいいんだ。もし限界が近づいたり、体に何かあったりしたら、すぐ戻ってくれていい。さて、とにかく順番に話そう」
アンティークショップ《TRUHO》の店主・ホースは魔法使いに冠する情報を売っていた。
何者かの指図でそれをしていたようだ。
相手の詳しい素性をホースは知らなかった。マトリックス上で知り合い、遠く離れた場所──東海岸とかソルトレークとか──を待ち合わせ場所にしてアストラル投射で面談をした。
魔法使いは訓練すれば人間のオーラを読み取ることができる。
オーラを読むことによって人間の健康状態やおおよその思考、整形手術前の人種などを分析することができるが、相手が魔法使いであるかそうでないかということは比較的容易に分かる。
そして後ろ暗い仕事に従事している魔法使いは、往々にしてもっと詳細にオーラを分析し、相手のプロフィールを言い当てる。例えば目の前の彼に魔法の素質があるとして、彼は自分の素質に気付いているのか、いないのか。正規の訓練を受けているか、野良覚醒者か。現状に満足しているか、それとも現状に不満を抱き、もっと刺激的な世界を指向してはいないか……「持ち物や受け答えと合わせてオーラを見れば、その程度のことは分かる」とホースは豪語していた。彼は言わなかったが、相手の精神に働きかける呪文も使ったことだろう。
目当ては魔法の素質を持ち、かつ、そのことに気付いていないか、もしくは教育を受ける機会に恵まれずに腐っているような人間だ。
確率で言えば百人に一人。条件に沿う人間となればもっと少ない。気が遠くなる話ではあるが、辛抱強く続けていれば何人かは見つけることが出来るだろう。ホースは六人引っかけたと言っていた。この点で彼は相当に優秀な結果を残していると言える。勿論、ホースに仕事を持ちかけた誰かはホース以外にも同じようなことを依頼していただろうが。
そしてホースは目星をつけた人間にタグを与えていた。
タグは依頼者から渡された呪文式を使ってホースが作成した呪物だ。外見はアクセサリや護符、場合によっては相手に気付かれないよう衣類に忍ばせるための小さな破片であったりと様々だった。対象にそれらの品物を気に入らせる手管は、やはり大抵の場合は呪文を使ったのだろうが、なんらかの示唆を与えて暗黙の合意を得ることもあったかも知れない。例えば刺激を求める向こう見ずな子供は、魔術結社の勧誘を仄めかせば涎を垂らして飛びつくだろう。
サラ嬢の場合はどうだったかと聞いてみれば、単に「安くて良いものだったから」だった。元々シャーマニズムに傾倒していた彼女にとって、本格的なシャーマニック様式の呪物をお小遣いの予算内で手に入れられるのは魅力的だったようだ。
シルバが推測したところでは、恐らくホースが作らされた呪物はなんらかの探知呪文、或いは特定の人間によるアストラル追跡によって捕捉できるような呪文式が組み込まれている。そうすることでホースと全く連絡を取らずにいても、彼が目星をつけた魔法使い候補を見つけ出すことができる。
ホースはタグをつけた後のことは関知しない。ホースが上手くやれば依頼者はそれを漏らさず評価し、報酬を出す。受け渡しは古めかしいデッドドロップ方式であり、依頼者はホースの元へ精霊を送り込んで指示を出し、特定の時間特定の場所でオリハルコンや覚醒ドラッグなど、少量で隠し持ちやすく金になる品を渡す。ホースはそうやって手に入れた報酬をほんの少しずつ目立たないように捌いて金にしていた。報酬を受け取る機会は年に一度あるかないか。回数の少なさと用心深さが迂遠な取引を内密のものにしていた。
「……それで?」
サラが平坦な声で続きを促す。
「さっきも言った通り、ホースはここから先のことは関わっていなかったし、確証もない話なんだけど──」
「前置きはいいから。で?」
「《シャドウ・ハウンズ》の元締め、リーダーのオブシーダに指示を出してるタイラーっていう男は、シャドウランナーのスカウト・育成みたいな真似をしてた。サラも知ってるだろうけど、魔法使いっていうのはシャドウランに物凄く役立つ。同じ魔法使いじゃないと対抗できないからね。だから才能がある若い魔法使いをなんとかスカウトして影の道に引っ張り込むような真似だってするんじゃないかと思う。魅力的な異性とか、使えるものはなんでも使って」
「つまり?」
「君のボーイフレンドは、君の才能目当てで差し向けられた」
「……」
「それと──ああ、マリア。悪いんだけど、少しの間、耳を塞いで貰っていいかな」
テオドールはマリアの方を振り向いてそう頼みかけたが、サラは頷いて「必要ない。マリアに隠してることはないから」と制止した。マリアもカクカクと頷き返してくる。
「分かった。前置きするけど、これは脅しとかのつもりじゃないし、誰に言うつもりもない。サラ。君はボーイフレンドのお誘いでシャドウランに手を出さなかった? ピューヤラップ地区で麻薬ディーラーを襲ったやつだ」
「──うん。やった。ビックリした。もうそんなことまで調べたの」
「トモダチにここ最近で《シャドウ・ハウンズ》が噛んでそうなシャドウランを洗って貰った。その中で魔法が使われたやつがあるって聞いて、ソレをもっと詳しく調べてみた。現場の監視カメラに狼の精霊が映ってたよ。シャドウランに手を貸す魔法使いっていうのは割といるけど、《シャドウ・ハウンズ》に魔法使いがいるなら噂くらいにはなってるだろうし、外注にしても魔法使いより先にデッカーを雇った方が良さそうな段取りだった。それで《ハウンズ》に新入りの魔法使いがいるんじゃないかっていうのが分かった。それと同時期に君の夜遊びが始まって、それでこの家出騒ぎでしょ。タイミングが良いなあと思って。……今までにも何回か、あいつらの仕事を手伝ってたんじゃない? 理解がない家族のところにいるより、影の世界の方が自由に魔法を磨ける、って誘われて」
「言われた。……言われたよ」
「また当て推量で申し訳ないんだけど……家出したのも、彼氏から『本格的にシャドウランナーにならないか』って誘われたから、とか?」
「ホント、あてずっぽうが上手いんだね、あんた。そうだよ。フィルに誘われた。このクソみたいな街を出て、もっとでかいことやって暮らそうって。一緒に行こうって……」
「サラ。君の意志を確かめたい。今の話を聞いた上で、彼と一緒に行ってシャドウランナーをやるか。一旦家に戻って別のやり方を探してみるか」
「……あんたの仕事は私を家に帰らせることだもんね」
「仕事上っていうばかりじゃなく、ね。君よりちょっとばかり長く世間を見てきた人間としては、やっぱりいったん考え直すのをオススメするよ。だって君が望めば教育を受けるのは難しくないんだ。君の援助をしたいっていう人間は、然るべき方法で探せば幾らでも見つかる。君は才能ある魔法使いなんだから。裏街道へ進む前に、試せることが色々ある。それをやらないで決めてしまうのは損失だよ。……まあ、ご両親とぶつかることになるのは気詰まりかも知れないけれど──相談相手くらいはなってあげられる。どう?」
「街を出る前に、最後の一稼ぎをするって話になってる」
サラの言う『一稼ぎ』は明日の夜に計画されていた。
サラはこの街で最後に大きな仕事を一つ片付けてから、フィル少年と東海岸へ旅に出る予定になっていた。つまり出荷だ。テオドールが思うに、その『一稼ぎ』の仕事は彼女には内緒でちょっとばかり派手に暴れる段取りが組まれており、警察や大きなギャングに彼女の噂が知られるように仕向け、その結果として彼女がシアトルの親元へ戻れないよう退路を断ってしまう算段ではないだろうか。
サラが東海岸へ旅立った先でどうなる予定なのかは分からないが、この幼くて才能のあるシャーマンは決して無碍には扱われないだろう。例の迂遠な黒幕のことだから、サラが都合の良い魔法使いに育つよう、色々とストーリーを用意しているはずだ。そして刺激的なシャドウランナーの世界で成功を掴めるようにお膳立てをして貰えるはずだ。
だが、サラはそのストーリーに対して背を向けることに決めた。
「後腐れのないシチュエーションで、サラをランナーに引き込む算段をおじゃんにしないといけないね。我々もなるべく恨みを買わないようにして」
「そりゃそうだけどさ、ボス。実際どうする?」
「なんとか考えてみる。ああ、サラ。確認したいんだけど、《シャドウ・ハウンズ》に他の魔法使いはいないと思っていい? 作戦を立てたらシルバから伝えて貰うけど、もし魔法使いの見張りがあるようなら考えないといけない」
「いない、と思う。私が知ってる範囲では」
「OK。ありがとう、良い知らせだ」
次いでサラが使える魔法も聞きだしておく。渋られるかと思ったが彼女は素直に答えてくれた。自分の魔法を秘密にしておくという所作は彼女にはまだ身についていないようだ。
彼女が使える魔法は「精霊の召喚」と「魔法の力を弾丸にして飛ばす呪文」、それにアストラル投射を加えた三つだけだった。精霊の召喚は狼の精霊は得意──彼女を導く狼の精霊が同族を仲介してくれるらしい──だが、風や土や水といったそれ以外の精霊はあまり自信がない。弾丸の呪文は「動かない的を相手に練習していたが人間に撃ったことはなく、威力もよく分からない。コーラの缶に当てたら粉々になった」とのことだ。精霊の指導があったとはいえ、セルフトレーニングで実践に足る力を身につけているのは大したものだった。
「ただどのみち、サラの魔法に頼るつもりはあんまりない。サラが睨まれるようじゃあ不味いからね。こっちは君を無事に連れ戻すのがこっちの仕事なんだし、危ないことはさせられない。だから、まあ、自分の身を守る程度のつもりでいて欲しい」
「分かったよ」
「『最後の一稼ぎ』についてはどんな仕事かは聞いてない?」
「うん。ちゃんとしたことは教えてくれない。シャドウランはギリギリまでヒミツにするもんだって、フィルが」
「そりゃごもっとも。……とにかく、サラ。君をできるだけ後腐れのない形で《ハウンズ》から連れ出そうと思う。君のボーイフレンドとは多分お別れになる」
「分かってる。……ありがとう。お願い」
「色々考えてはみるけど、多分、荒っぽいことになる。何度も言うようだけど、魔法は自分の身を守ることに使って」
「うん」
「《ハウンズ》の後ろに魔法使いがいるのは間違いない。表だって動かないとは思うけど、サラのことを怪しんだら人や精霊を差し向けてくるかも知れない。アストラル投射が絶対にバレないとは限らないから気をつけて」
「うん」
テオドールは再び隠蔽の力を借りてタナー家を辞すと、街頭カメラの死角になっている地点で合流、隠蔽を解いて貰ってファーストが運転してきたフォードの後部座席に駆け込んだ。
端に座ったシルバの隣にテオドール、ステラ、そして風の精霊と飛び乗る。風の精霊は座るスペースがないのでテオドールの膝にダイブしてきて、実体化した彼女の意外としっかりした質量感が腹を圧迫した。「ぐぇ」とおかしな声が出る。ファーストはこちらのドタバタに頓着せずにさっさと車を発進させる。
シルバは既に体に戻っており、寝転がった精霊の髪を撫でて働きを労っていた。風の精霊の美しい髪は重力を無視してそよいでおり、衣服越しに涼感を伴って肌をくすぐった。繊維というよりは空気の流動を物質化したような、不思議な存在感だ。
「グレイ。この子、もう帰していい?」とシルバが聞くので頷くと、シルバはスペレシエルで精霊に囁きかけた。スペレシエルは得意でないテオドールだが古風な言い回しの謝辞だというくらいは分かった。精霊の少女は微笑みを残して唐突に消え失せ、腹の上に載った重みもなくなった。
一息つき、三人に向けて口を開く。
「《ハウンズ》が計画しているランを探り当てよう。内容次第だけど、ランの失敗に見せかけてどさくさ紛れにサラを連れ出せるかも知れない」
「斬り込んだ方が手早いのではないか」
ファーストが異を唱える。テオドール自身も悠長な考えだとは思う。
「派手にやるとサラが危険だ。それに、彼女はもう何度かシャドウランに加担してる。真っ正直に連れ出したら、そのことを警察や学校に密告すると脅してくる」
「あの娘自身がやったことだ」
「だとしても、だよ。その対応も仕事のうちだ。それに、こっちに降り掛かる恨みだって少ない方がいい。でしょ?」
「……うむ」
ファーストが頷く。この男は一度頷いたことを翻すことはない。テオドールの考えに任せることにしてくれたようだ。
「要するに、あいつらの計画にケチをつけてやる。サラを連れ出しつつ、あいつらだけを追われる身にしてやれたらいい。ナイト・エラントが巡回している地区には顔を出せないように仕向ければサラにも手は出せなくなるし、新人シャドウランナーとしてスカウトするにしても、そうやってケチがついた人材をしつこく追いかけることはない……ハズ」
「ボス、ちょっと自信ない?」
ステラの苦笑いが胸に痛い。
「回りくどいとは思うけど、やるしかないよ」