シャドウランF   作:WD

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ディア・マイ・サムライ【後 2】

 

 ファーストを宿まで送った後、テオドールとステラはシルバを連れてことに取りかかった。

 シャドウランは秘密を守らなければならない。

 それは至極もっともな話であるが、利害が相反する人間にしてみれば自分に不利益をもたらすランの情報は出来る限り把握しておきたいものだ。この世に存在するあらゆる戒めと同様、放置すれば蔓延するからこそ明文化されている。実際「シャドウランを仕掛けたら情報が漏れていて酷い妨害に遭った」という話は枚挙に暇がなく、そして酷い目に合わせているのは大抵の場合、同業のシャドウランナーであったりする。

 テオドールは探偵という立場上、同業を酷い目に遭わせる側に回ることが多い。

 そもそもシャドウランとは何か。

 俗語としてあまりにも一般化しすぎたために一口で言い切るのは難しいところだが、“営利目的の犯罪行為”と考えれば概ね差し支えない。

 だが路地裏での無差別な強盗、単純な転売目的の置き引きがシャドウランかと言えば多くは「違う」と答えるだろう。もっと段取りに工夫を凝らした、もっと大きな利益に繋がる行動でなければいけない。強盗を働くなら警戒厳重なアレスの開発施設から試作品のドローンを強奪するべきだし、置き引きはアレスの幹部候補に失点をもたすよう政敵から依頼されて行うものであるべきだ。それらは自分自身の安易で即物的な物欲に基づいて行う仕事ではなく、社会上の表沙汰にできない需要、メガコーポや巨大犯罪組織の暗部を担った労働であり、金は正式な対価として支払われる。シャドウランナーは専門知識と専門技能を持ち、動物的略奪からは脱却したプロでなくてはならない──云々。

 それなり以上のシャドウランナーは、口にこそ出さないが、大体そのような認識を抱いているのではないだろうか(やっていること自体は大して変わりなくとも)。

 ともあれ、シャドウランと称して営利犯罪を働く人間は彼らの思考が及ぶ限りにおいてスマートにことを運ぶべく、段取りを凝る。

 段取りを凝るには事前の下調べが不可欠だ。

 シャドウランと称される営利犯罪は非常に多岐に渡るため、多少の技能や知識があったところで個人が対応しきれるものではなく、普通のランナーチームは仕事に合わせて他人の助けや助言を求める。強盗、誘拐、妨害工作に産業スパイ等々、いずれの場合においてもターゲット周辺の人間に探りを入れ、伝手を頼りに内部の協力者を求めたり、場合によっては脅迫や賄賂を駆使して協力者に仕立て上げる。チームメンバーでは不足している技能の持ち主を新たに雇い入れることもあるだろう──当然ながら、そういった諸々の準備をすればするほどシャドウランの秘密なるものを守りきるのは難しくなる。巻き込む人数が多いほど絵空事になる。だからランナーチームは多くても精々五人か六人だ。集団になればなるほど話す口は増え、ヒューマンエラーの要因が増す。時にはメンバー個人個人の思惑や利害が擦れ違い、上下関係が明白な場合は特にしわ寄せを食う人間が出てくる。食い詰めたチンピラにプレデターだけ与えたようなチームなら尚のこと。

「ダリオのことは残念だった」

 テオドールは沈痛な面持ちで言った。腹の底に苦ヨモギを噛んだような味が広がる。変装用ナノペーストを塗りつけた顔の皮は普段より一ミリメートルばかり分厚くなっていて、表情を抑制するのに役立ってくれる。

 仮初めの顔面には《アッシュ》というぞんざいな名前をつけた。

 夜明けが近づく午前四時過ぎ、旧州立公園での待ち合わせに応じてくれたイーストン少年はオークにしてはスレンダーな体系をしていた。真っ暗な林の中ではあったが、テオドールは眼鏡の赤外線をオンにしていたし、近くに隠れたステラと、アストラル投射したシルバが見張っている。イーストン少年はきちんと一人で来たようだ。

 テオドールは彼に向けて訥々と言葉を続ける。

「実は半月ほど前から彼らに預けていたデータがあって、それを回収したいと思っている。後払いの報酬もある。自分に何かあったときは、イーストン、きみに話をしろと彼はいっていた。金も君に渡せばいいと」

「ダリオが……」

 イーストンが憔悴した様子で首を打ち振る。ダリオ少年のコムリンクを漁ったとき、履歴の中で一番親しい友人に見えたのがこのイーストン少年だ。イーストンはダリオと同じチームとしては動いていなかった。体つきが痩せていて銃の扱いも上手くなかったから、ギャングの中では雑用ばかりをやっていたようだ。アストラル投射したシルバが彼のアパートを覗き見たところでは夜も眠らずに鬱屈としており、オーラは悲嘆と不信が真っ黒に沈殿していた。

 即座にコンタクトを取ってみると流石に訝しがられたが、ダリオのコムリンクから盗み見た情報を元に仕事上の交友関係をデッチ上げてみるとあっさり信用させることができた。実際にダリオ達と付き合いのあったチクリ屋を買収して仲介させたとはいえ、彼が冷静ではない精神状態なのは明らかだ。汗をかいていて目配りも忙しなく、恐らくはハイになるクスリを少量呑んでいる。急に激昂して襲いかかってくるかも知れなかったから、テオドールは咄嗟に飛び退れるようそれとなく身構えておいた。

 ゲイルからの知らせによれば、テオドールとステラ、ファーストの顔は《シャドウ・ハウンズ》の手配対象になっているようだったが、末端メンバーに背景事情は知らされていないようだ。このタイミングで接触してきた《アッシュ》なる人物に大した疑いを抱かないのは事情を知らされていないせいか……或いは、どうでも良いと自暴自棄になっているのか。

「ダリオは何故死んだ?」

「ランでしくじったんだ……」イーストンが一瞬息を整える。「チームの仲間を見捨てて自分だけ敵に助けられた。敵からナメたメッセージを持ってこさせられた。だから、オブシーダ=サンが……処刑した」

「仲間だろうに、酷いことをする」

「それがプロだろ。金と銃を貰える代わりに受けた仕事は絶対やる。そうでないといけない」

「しくじりを犯しても仲間は仲間を守るべきだよ。命で償うにしたってもっと別の立場の人間がやるべきことだし、それは携わった組織全体が受けるべきものだ。そんな風に仲間が仲間を殺して罰するなんていうのはまともなランナーチームではやらない。……ダリオはいいやつだったが、君達のリーダーはイカれてる」

 テオドールは慎重にイーストンの表情を……赤外線視野に映るオーク少年の体温で淡い緑色に見える輪郭や息使い、些細な身振りを観察しながら言葉を吐き出した。身内に親友を殺された少年が望む言葉を選ばなければならなかった。

 テオドールは事前に考えておいたストーリーをゆっくりとイーストンに吹き込んでいく。表沙汰にできない拾い物のデータをダリオに預けていたこと。ボディショップで見たダリオの遺品のコムリンクからはそのデータが消えており、恐らく彼は《ハウンズ》リーダーのオブシーダに報告したために、オブシーダからデータを横取りされたであろうこと。データが流出したという噂がまだ出ていないので、恐らくオブシーダは割の良い転売先を探して、まだデータを手元に置いている……

「ダリオが殺されたのはそのせいもあったかも知れない」

 結びの一言がどうやらとどめになってくれた。

 イーストンの目に殺意が点った。

 

 ダリオから聞きだした名前のリスト、オブシーダと一緒に動いているという《ハウンズ》幹部メンバーに接触が容易そうな奴がいるかどうかを相談したところ、イーストンから《ペドロ》という名前が出た。エルフの商売女に入れあげており、いつでも同じシムセンスに入れるようペドロは女にコムリンクを買い与えた上、PANをマスター・スレイブ状態にしているという。商売女は勿論ペドロとの逢瀬にシムセンスを使うだけではなく、ペドロの通信契約回線を介して色々と遊んでいる。彼女に金を渡せば《ペドロ》のコムリンクへのアクセス権を渡して貰えるだろう。

「君は何故そんなことを知っている?」

「ペドロのやつが自慢してたんだ」

「なるほど……」

 他人に繋がったヒモを引きずって歩いていることが気にならないものだろうか──気にならない場合もあるのだろう。それで致命的な自体に陥った経験がなく、陥るかも知れないという想像が及ばない人間の場合は。

 商売女を買収するための資金として、テオドールこと《アッシュ》は二千新円の支払い保証済みクレッドスティックをイーストンに渡した。アルフレッドの臨時コムコードを記したメモも一緒だ。

「コムに相乗りして、オブシーダ達のランを見てみたいとでも言えばいい」

「そうするよ」

「ペドロのコムリンクを経由して、オブシーダのコムリンクをハッキングする。データを取り戻したい。こちらでデッカーを雇う。昼過ぎから夕方のタイミングが望ましい。早すぎても遅すぎても良くない」

「ああ」

 イーストンが虚ろに頷く。

「なあ、アッシュ=サン」

「なんだ」

「データを取り戻すだけか。オブシーダに……ダリオからデータを盗んだ落とし前ってやつはつけさせないのか」

「そうして欲しいか?」

「ああ。して欲しい」

「分かった」

 イーストンが立ち去った後、一息ついていると囁き回線からステラの静かな声がする。

「やるの、ボス?」

「やるよ」

 即答をした。

 

 

 テオドールが集めた噂話によれば、《シャドウ・ハウンズ》リーダーのオブシーダ氏はあまり個性的な人物とは言えないようだ。粗野で横暴で手が早くて引き金が軽い。サイバーアームの拳で気に入らないやつを殴りつけるのが大好き。そんなありふれたチンピラだが、「やると言ったらやる」ことにかけては一目置かれていた。必要なぶんだけ残忍で必要なぶんだけ身内の面倒見が良い。場末のギャングをまとめるには過不足ない人材と言えるかも知れない。

 シルバを家まで送って行った後、適当な場所に車を止めて一眠りし、ステラに起こされると午前七時を過ぎていた。表と裏それぞれのコムリンクからメールをチェックして返事を出す。頼みの綱のアルフレッドは在宅勤務であれば昼から動けるとのこと。

 九時過ぎにファーストとパイクプレイスマーケットのスターバックス・コーヒーで合流すると、彼の方でもオブシーダ氏のプロファイルを当たってくれていたらしく、氏の経歴について幾つかの新しい情報をもたらしてくれた。曰く、「刀剣愛好会の集まりで名刺を交換したことのあるサムライ何人かにメールで当たってみたら、オブシーダの前歴を知っている者がいた」とのこと。この業界は秘密の帳を払ってしまえば意外と狭いものだが、それにしてもサイバーアップしたむくつけき男達が恭しく名刺交換している様を想像すると少し気が遠くなった。

 オブシーダは以前の名前を《ミゲル》といって、レドモンドを拠点とするストリートギャングのチンピラだった。そのストリートギャングはもう解散しており、今は名前を覚えている者さえいない。スタッファー・シャックの輸送トラックを襲い、用心棒代と称して近隣住人から金をせしめ、ヤクザのBTL売買に加担し、気に入った女の子にちょっかいを出して……概ねよくあるギャングだったらしい。

 サムライの経歴を調べる時、最も注目するべきはサイバー化手術の資金元だ。サムライがどういう“用途”でサイバー化されたのかが分かれば使用しているサイバーウェアの目星もつくし、繋がりを持っている組織も浮かび上がってくる。オブシーダ氏の場合はどうかと言えば、ストリートギャング時代、敵対していたマフィアの倉庫を襲って奪い取った税金逃れの隠し現金が元手だったのではないかという話だ。しかも襲撃に携わった仲間の多くが死んだのをいいことに、その上がりを仲間には隠して独占していた。そうしてギャングが散り散りになった後で金を持ち出し、黒光りする腕と強化された反射神経を手に入れた。

 当時ミゲルが属していたギャングが解散した成り行きについては、マフィアの報復に遭ったものか、やり過ぎてもっと厄介な連中に目を付けられたのか、リーダー格が次々に命を落として立ち行かなくなったという。解散の経緯にミゲルことオブシーダ氏の関与があったのかどうかは人づての噂ではなんとも言えないが、

「《空から小銭が降ってきた》ってやつ。こいつは多分何もしてない」

 というのがラテにたっぷり乗ったホイップクリームを舐めているステラの見解だった。

「ちょっと金を独り占めするくらいはやったんだろうけど、その後で仲間がカイメツするよう仕向けたってのはないよ。一度そういうことやったヤツはさ、その後も似たようなことやろうとするもんだ。性格とか頭の回転とかっていう以前の話として、さ。あたしらみたいなドブ育ちってのは、上手くいった思い出……あー、なんつーの、セイコウタイケン? ってのが少ないから、一回上手くいったやり方に拘っちゃうんだよね。オブシーダにその後そういう噂が立ってないなら、こいつはただちょっとラッキーに金を独り占めできただけじゃないかな」

「そういうものか」ファーストが納得げに頷き、「サイバーウェアはどう思う? 聞いた限りでは両腕のサイバーリムと強化反射神経、サイバーアイ程度しか分からなかったが」

「そんなとこじゃない? 自分でチョイスしただろうから、あんまり難しいやつは入れてないと思う。早くて強くてタフで、ただそれだけ」

 とするとオブシーダ自身には厄介な背後関係もないということになる。些か楽観的だが、テオドールはステラの意見に飛びつくことにした。集めた限りの情報を鑑みても、ヤクザや企業の非合法部門に繋がったサムライではないはずだ。《ミゲル》のプロファイルを奪って潜伏しているような凝り性の手合いだったら手に負えないが、それならそれで向こうは深入りしないだろうという期待が持てた。サラ嬢を取り巻く迂遠な陰謀は、どう考えても企業が仕組むような洗練されたものではない。

 《シャドウ・ハウンズ》が今夜予定しているランについて、テオドールはこれまで掴んだフィル少年/ライアン・ブレナン/トニー・アボットの足取りを元に想像してみた。

 今夜の仕掛けは彼らの仲間内でも限られた人間にしか任せられていないはずだ。たらし役のフィルは顔と舌先三寸をオブシーダに見込まれている様子だったから、何かしら下調べを任せられていてもおかしくない。そう決めつけてアルフレッドから貰った情報を読み返してみると、ここ一週間ほどダウンタウンのソードー地区をうろついているのが目に留まった。ソードー地区は元々倉庫街だ。一時期は開発が進んでいたが、《覚醒》と戦争のごたごたで結局逆戻りした。ステラの見解を思い出す。彼のような生い立ちの人間は昔の成功体験に縋りやすい。サムライになる元手を得たのはマフィアの倉庫襲撃だったという。こじつけかも知れないが、しかし最後に一暴れしつつサラの退路を断つランとしては、ダウンタウンでの倉庫襲撃というのは悪くない案ではないだろうか。

 ソードー地区のどの倉庫が《ハウンズ》の狙いであるのかを調べるには明らかに時間が足りなかった。そこはアルフレッドを頼むしかないだろう。

 テオドールはメイソンに連絡を取り、《カッターズ》がソードー地区の仕切りに関わっているかどうかを尋ねた。ヤクザとややこしい折衝をして一枚噛んでいるようだ、との返事。

「今夜ソードーで騒ぎが起きるかも知れない。シャドウランナー何人かで加勢するから、メイソンの手柄になるように持っていけないかと思うんだけど、どうだろう」

「詳しく聞かせてくれるかい、グレイ」

 

 十五時を回った頃、件の商売女からアルフレッドのコムコードに対してペドロ氏のPANに対する招待がかかった。イーストン少年は約束を果たしてくれたようだ。アルフレッドはすぐさまファイルを洗い出し、復号化し、調査結果をテオドールに回してくれた。やはり《ハウンズ》のランはソードー地区だ。狙いの倉庫も特定できた。

 その頃にはもう、メイソンが《カッターズ》の仲間に声を掛け、人数分の銃を集めていたところだったから、外れていたらどうしようかと気が気でないところだった。

「ギャング相手にあてずっぽうかますのはどうかと思うよ、ボス」

 ステラは呆れ顔だった。ガセネタを掴まされたギャングが木っ端探偵相手にどういう態度を取るかというのは余り考えたくないテーマだ。が、メイソンの根回しが片付くのはどうやらギリギリになりそうで、結果的に予断で動いたのは悪くない結果をもたらしてくれそうだった。

 メイソンに持ちかけたのは、《カッターズ》が仕切りに関わっている地区に狼藉者がやってくるから、情報と助っ人を提供する代わり、彼の顔が効く親しい仲間だけで手柄を掴んで欲しいということだ。襲撃者に混じっているサラのことを見ない振りをして貰うためだった。

 パイクプレイスマーケットのナイトクラブ《ハデス》の個室でメイソンと作戦を立てた。メイソンが合法的に手柄を独占するべく《カッターズ》の兄貴分や折衝先であるヤクザにどういう根回しや言い訳をしたのかは興味深かったが、テオドールは突っ込むことを避けた。メイソンと付き合いを持つ中で、彼が従っている兄貴分の中に強かで食いつきの良い奴がいることはなんとなく察しがついていたが、今後友達づきあいを維持していく上でテオドールがメイソンを透かして交渉していると思われるのは上手くなかった。

 《ハウンズ》の標的は《カッターズ》のフロント企業が所有している倉庫だ。機械部品に混じって税金逃れのオリハルコンが隠されている。《ハウンズ》は──というよりもレックスとサトウ夫人はそれを嗅ぎつけたらしい。ヤクザと《カッターズ》の主導権争い。《カッターズ》のしくじりを作って点数を削ぐつもりだろう。だがヤクザが直接手を下せば筋を違えるから、SINなしのチンピラを差し向ける。これぞシャドウラン。

 《シャドウ・ハウンズ》の戦力は推定で十二人(サラを除く)。それとサブマシンガン搭載の回転翼機ドローンが五機。車三台。

 メイソンが集めた《カッターズ》のメンバーはメイソンを含めて七人。クロウラードローン二機。

 頭数ではかなり遅れを取る格好だが、魔法使いが助っ人につくという約束が彼らを強気にしてくれていた。

 ファーストとシルバで《カッターズ》の支援。

 テオドールとステラがサラの確保に向かう。

 アルフレッドも手を貸してくれることにはなっているが、幾ら彼の腕が良くても公共グリッド越しの支援は限界がある。《ハウンズ》がハッカーを雇っていた場合に抑えてくれるという程度だ。サイバーウェアの制御を奪うような芸当は期待できないだろう。

 シルバにアストラル投射をして貰い、サラへの伝言を頼んだ。細かい相談をするのは難しいから、大まかな流れを伝えるだけだ。「こちらで騒ぎを起こす。それに乗じて保護する。魔法は痕跡が残るからなるべく使うな」と、ただそれだけ。

 魔法使いが怪しい素振りを見せたら即座に射殺するという裏社会での定石を、彼女には教えないことにした。トリッドで知っているかも知れないが、見せ場を演出するトリッドとは比べものにならないほど呆気なく魔法使いは殺される。教えたらきっとサラは冷静でいられなくなるだろう。彼女は狼の導きを受けたシャーマンだ──覚醒から日が浅くても、つい最近までただの学生だったとしても、戦士としての教導を精霊から受けている。怯えて萎縮するだけならまだしも血の気に逸ってしまうと厄介だ。

 イーストン少年の手回しが《ハウンズ》にバレていないかどうかが心配だったが、彼からのパニックコードは送られてきてはいなかったし、シルバが偵察して盗み見たオーラの霊視でも《ハウンズ》メンバーには特別動揺を示すような心理状態は見受けられなかった。

 《ハウンズ》の襲撃チームは十七時過ぎに《サザンクロス》で景気付けの一杯を呑り、バン三台に分乗して出発したようだ。その頃にはテオドール達も準備を追え、ソードー地区の倉庫街でじっと待ち構えていた。

 

 

「まずドローンで偵察。後衛が退路を確保、周囲を警戒。前衛が突入」

 チームの囁き回線に向け、テオドールは改めてコメントした。それらしい語彙を使ってみてはいるが、テオドールも軍隊や警察の経験があるわけではないから恐らく正確ではない。しかしシャドウランナーがやらかす強奪事件にはどちらの立場でも関わっているから、内容自体はそう的外れでないはずだ。

 テオドールとステラは標的の倉庫から数ブロック離れた貸し事務所の駐車場にフォードを停めて潜んでいる。

「偵察ドローンと斥候には手を出さず、こっちが警戒してるのを気付かせないで引き込む」

 こちらの見張りも《フライスパイ》ではなくシルバのウォッチャーに頼もうかどうか迷ったが、シルバの体力を温存しておきたかったので素直にドローンを飛ばすことにした。マトリックス探知をごまかすツールはテオドールが持っていたから本職デッカーが出てこなければ対策できるだろうし、欺瞞をしくじってドローンの存在がバレてもどこかよその倉庫のセキュリティだと思って貰えるのではないかという楽観があった。

「敵前衛が接近してきたところでファーストが出鼻を挫く。敵のドローンはシルバが魔法で始末してくれる。その後は《カッターズ》のみんなに大暴れして欲しい」

 倉庫の警備にあたるメイソン達《カッターズ》メンバーの配置と装備についてもそれなりに最善を検討し、話し合い、打ち合わせをした上でのことだ。予想される敵の動き、人数、武器について。どの侵入箇所に対してどう守るか。たかだか数時間、3Dマップ上のアイコンをぐりぐり動かして議論を交わしただけでその通りに動けるわけはないだろうが、メイソン達は場慣れしているし、ファーストとシルバはもっと場慣れしている。上手くやってくれるだろう。

 17:50。

 周囲を監視させている《フライスパイ》四機のうち一機が敵のバンを一台捕捉した。倉庫からやや遠巻きな位置に停車しており、後部ドアから回転翼機ドローンを飛ばすところだった。同時にテオドールのコムリンクがマトリックス探知を警告してくる。《フライスパイ》やチームの囁き回線が見つかると厄介だ。事前に走らせていた欺瞞ツールが自動で対応したはずだが、誤魔化せただろうか。

 他の二台のバンはまだ見つからない。

 と、シルバの囁きがポップアップする。

「グレイ。サラの精霊が来た。その、偵察を命令されたって。何か誤魔化すことはあるかって」

「倉庫に六人、武器を持って詰めてる。クロウラードローン二機。サムライや魔法使いはいない。って伝えさせて」

「わ、わかった。そうお願いしとくね」

 通話が切れる。寒々しい思いで一息。サラと内通してなければ、シルバがいなければ、一方的にこちらの人数と配置が割れているところだ。

 回線を監視してくれているアルフレッドからのステータス表示はまだグリーン。倉庫の監視カメラに侵入されている様子はない。

 《ハウンズ》の回転翼機ドローンが倉庫の周囲を飛び回り、入念な偵察を始める。テオドールは《フライスパイ》四機を事前に取り決めた隠れ場所に潜ませる。

 シルバの囁きが再度ポップアップ。

「グレイ。あの、南東から四人と、南西から五人、来てる。サラは東から来る組にいる。サムライはいない。えっと、サラの精霊が実体化して暴れるのと一緒に、突入、してくるって。精霊の人、どうするって聞いてる」

 予想通りの情報と予想外の情報があった。オブシーダは先陣を切ってくると思っていたが。しかし戸惑っている暇はない。シルバがマップ上におおよその敵位置をプロットしてくれた。南東から来る組をアルファ、南西から来る組をブラボーとタグ付けする。倉庫の裏口に近いのは南西のブラボー側で、こちらが前衛と思われた。

 先に精霊をけしかけようとするのは予想していたから、どういう演技をして見せるかは打ち合わせ済みだ。

「予定通り、精霊には《ドーベルマン》と戦っているフリをして貰う。メイソン、よろしく。ファースト、ブラボーが突入する寸前で一発かまして。シルバは風の精霊に、ファーストが動くのと合わせて敵ドローンを始末するようお願いして」

 

 《フライスパイ》が望遠視野に敵ブラボーチームを捕捉した時、彼らは回転翼機ドローンの射線に守られつつ、なかなか上手く身を隠して倉庫に肉薄するところだった。そしてシャッターの裏側でサラが呼んだ狼の精霊が実体化し、本来の段取りであれば武装した警備クロウラードローン《ドーベルマン》二機を破壊するはずだったが、狼の精霊は倉庫の天井近くに浮揚したまま何もせず、メイソンが命令する《ドーベルマン》も銃架のアサルトライフルを無為に発砲し、シャッターに幾つもの穴を空けた。それなりに長く銃声が響き、ややあって《ドーベルマン》が一機発砲をやめ、少し遅れてもう一機も発砲をやめた。戦闘で破壊されたフリだ。

 敵ブラボーチームが殺到してくる。覆面にゴーグルをした体格のいい男が五人。先頭の一人は突入用のモノフィラメントチェーンソーを、他の四人がアサルトライフルを構えていて、シャッター脇の通用口に向かい──

 テオドールは倉庫前を映す監視カメラのサブウィンドウにフォーカスを移した。

 通用口が内側から開き、黒い大きな犬のようなものが飛び出し、駆け抜けた。

 飛び出したのはファーストなのだが、あまりに動きが素早かったから、カメラの視界では一瞬そのように見えた。敵五人も咄嗟に反応できなかったほどだ。ファーストは彼らの鼻先に飛び出し、交差し、そのまま駆け抜けて路地へ去った。

 ライフル三丁の銃口がファーストを追い、発砲する。

 ファーストは既に小路へ飛び込んでいる。

 先頭の男がチェーンソーを捨ててショットガンに持ち替える。

 五人のうちの一人が倒れる。

 首が半ばもげており、血が飛沫を上げて流れている。

 見えなかったが、ファーストが擦れ違いざまにイアイで斬ったのだろう。

 四人になったブラボーチームが状況を把握しかねて二秒か三秒ほど戸惑っていたところへ光が瞬き、銃声のそれに似た小さく鋭い雷鳴が響く。

 彼らの頭上を守っていた回転翼機ドローンの一機が、稲妻に破壊されてから地面に落ちるまでが一秒ほど。

 ドローンの落下音はかなり大きかったはずだが、通用口の中から《カッターズ》の面々が浴びせた銃声が重なったので監視カメラのマイクでは拾えなかった。

 ブラボーの四人は撃ち返しつつ、遮蔽のあるところまで後退する。メイソン達の銃撃は何発か当たったようだが、分厚いアーマージャケットが彼らを守ったようだ。

 《フライスパイ》の視界には倉庫上空で風の精霊が実体化し、凄い速度で回転翼機ドローンに接近するところが見えていた。少女の姿をした精霊はその細腕から魔法の稲妻を放ってドローンを破壊した。

 上空でドローン達と精霊が目まぐるしく飛び回り始める。

 《フライスパイ》を隠す必要がなくなったので、テオドールは改めてドローンを上空に飛ばし、周囲の状況を俯瞰させる。オブシーダは一人で倉庫の中に忍び込もうとしているのかも知れない。そうなったら厄介だ。ドローンを自動操縦で警戒にあたらせる。

 この時点で敵も待ち伏せに遭ったことは察した。敵アルファはブラボーと合流に動き出す。精霊とドローンでどうにかなると踏んでいたのか、壁を爆破するような装備は準備していない様子だ。アルファの装備は二人がスコープ付きのライフル、一人はサブマシンガン、一人は拳銃だ。やはり覆面をしているが、ライフルを持っているやつとそうでないやつで明らかに体格が違っていた。拳銃持ちは特に小さい。

 この敵チームアルファを、テオドールは物陰から目視で捕捉している。

 近くのビルに潜んで、サラの居場所が分かるまで待っていたのだ。

 アルファのライフル持ち二人が銃撃戦に参加するため前へ出てブラボーに加勢し、残り二人は流れ弾を避けて後ろへ下がる。

 拳銃を持った小柄な一人──要するにサラだが、彼女がサブマシンガンを持った恐らくはフィル少年に向き直る。そして囁き回線を介さず、肉声で何かを言った。よく聞き取れなかったが、冷めていて、それでいて煮えたぎった響きを含むのは分かった。

 サラが息を吸い、ただならぬ気配を纏った。覆面とゴーグルで隠された顔を尚も上書きするように神秘的なオーラが沸き立ち、狼の顔貌が浮かび上がった。シャーマニックマスクだ。魔法を使う時、シャーマンが祖霊の姿に変貌する現象を言う。

 固まっているフィルめがけ、サラが呪いの言葉と共にオーラの弾を放つ。

 寸前、テオドールはサラのゴーグルへ仕込んだアクセス権を使用して視界の明度を一気に下げた。オーラの弾は狙いが逸れて無関係な倉庫の壁を一部粉砕するに留まった。かなりの威力だ。人間に当てれば十分殺せるだろう。

 大体同時に、忍び寄ったステラがフィル少年の背中にスタンバトンを押し当てて悶絶させた。

「なんで邪魔したの」

 サラが剣呑に唸る。肩を竦めて返す。

「魔法で殺された死体が転がってたら、後々面倒だから。自分の身を守るだけに使えって言ったはずだけど」

「騙してくれたケリをつけなきゃいけなかったのに」

「そいつの誘いにノったのはさぁ、自分じゃん?」

 ステラが冷ややかに茶化す。

「それにさ。騙された分はこうやって騙し返したでしょ。なら借りは返した。違う? ……ああ、そっか。魔法目当てにヤられたのがムカつくっていうなら、タマでも潰してやればいいじゃん。ほら」

 言って、ステラは気絶したフィル少年を蹴り転がし、仰向けにして局部を指した。だが狼の戦士として目覚めつつあるサラにとって、気絶した人間をいたぶるのは気が進まないようだ。呪文を放とうとする気配を見せたものの、すぐに殺気が萎む。

 ステラが鼻を鳴らし、フィル少年が腰に下げたコムリンクへスタンバトンを振り下ろして破壊する。

「まずはここを離れよう」

 テオドールはサラの手を取り、走り出す。

 彼女は抵抗しなかった。

 ウィンドウの視界では激しい銃撃戦が見えていた。

 《ハウンズ》は倉庫の中へめったやたらに撃ちまくっている。

 バンで待機しているであろう敵ドローンのオペレーターは精霊相手に応戦する愚を犯さず、回避に専念させて時間を稼いでいた。ドローンがいる限りファーストも《カッターズ》も大胆に動けないので放置できず、精霊は追いかけっこを強いられている。

 メイソン達《カッターズ》は負けじと応射して立て籠もっている。

 《ドーベルマン》もシャッター越しにライフルを撃っているが、パイロットプログラムが安物な上に、あまり弾も積んでいないから無理はさせられない。敵が無理押しで突入してきた時、盾になって貰う必要がある。

 倉庫の中には予め鋼板のバリケードを配置してあり、ライフル弾や破片手榴弾を防ぐ備えにはなっていたが、焼夷手榴弾でも投げ込まれたら瓦解してしまうのは明らかだ。《ハウンズ》がそれをしないのは倉庫の中に強奪したい品があるからだが、追い詰められたらどうするか分からない。

 窓から狙い撃ちしようとするとドローンが撃ってくるので《カッターズ》の面々は釘付けにされていたが、《ハウンズ》のドローンも精霊に邪魔されて効果的な援護はできないでいる。特に窓からドローンが侵入していたら《カッターズ》にとっては相当に厄介だっただろうが、風の精霊とは事前のミーティングでそれを絶対阻止するよう頼んであった。彼女は役目をよく全うしてくれていた。

 装備では《ハウンズ》に分があった。

 しかし《ハウンズ》が体勢を整えようとすると、ファーストがどこからか飛び出してきて手近な者を斬る。

 はじめと合わせて既に三人、ファーストのカタナの餌食になっている。

 敵は残り四人。

 回転翼機ドローンが残り三機。

 オブシーダはどこに行ったか。

 テオドールは近くのオフィスビルを目指して走る。そこにフォードが停めてある。とにかくサラをこの場所から連れ出し、安全を確保しなければならない。

「ボス」

 ステラの声。

 突如、有無を言わせない衝撃に押されてテオドールは訳も分からず倒れ込んだ。サラともどもステラに突き倒されたのだと咄嗟に理解できなかった。置きっぱなしの錆びたコンテナの脇に体を叩きつけられ、痛みに悶えつつステラを振り仰ぐ──

 ステラが走ってきた後ろへ向き直るのが見えた。性急な仕草。顔を庇うように両腕を振り上げ、体を捩っている。コンテナが邪魔で、テオドールの視界ではステラの視線の先が見えない。

 ステラの額が爆ぜ割れ、彼女の小さな体が仰け反る。

 焦げた血の臭い。銃声の残響。

 一瞬遅れて、ステラとの共有視野がウィンドウに開き、寸前まで彼女の見ていたものが分かる。黒いサイバーリムに拳銃を構えた男。オブシーダ。

 ステラが倒れる。奇妙に捻れた姿勢で手足を投げ出し、打ち捨てられた人形のようだ。

 声を上げる余裕もない。ただ冷たいものが背筋に差し込まれる。恐らくはサラもそうで、彼女がヒュッと息を呑む気配が分かった。

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