その日、都市を照らす暖かな光が空を覆った。
光は都市に住む全ての人に降り注ぎ、その心に種を宿した。
昇りゆく光を見つめて、誰もが自らの望みに根を張らんとする。
人それぞれの色と形を持って、情動を切り離し、確固たる自我の元歩み出さんと――
◆◆◆
都市を包み込んだ光は突如として消え、光を飲み込む暗黒が都市を覆った。
暖かな光によって曝け出された心を冷たい暗闇が襲い、人と人でない者の境界が曖昧になる。
光が潰えてから4日が経ち、人々は眠りから覚めるように日常に戻る...はずだった。
光の放出と暗黒、のちに白夜/黒昼と呼ばれる事件が起きて数日後
9区裏路地に巨大な鍵盤と、それを掻き鳴らす複腕の怪物が顕現した。
裏路地の住民たちは成す術もなく破壊された建造物の下敷きとなり、ピアノから奏でられる音符によって肉が弾け、骨が軋む音が、なぜか旋律として響き渡る。
その狂乱の演奏を、彼女は遠くから見つめていた
誰も彼もが逃げ惑い、立ち向かうフィクサー達も次々と肉塊へと変えられていく最中
彼女だけは、その地獄の根源たる怪物から目を逸らさずにいた。
それは彼女が前世で遊んだゲームに登場し、物語上で語られた最悪の存在。
ピアニストだった。
―――
どうしようもない苦しみから逃れるために自ら命を絶った先がまさか都市だったなんて
誰が想像できただろうか?
私はそんな光景を見て...何故か笑ってたんだ。
ゲームで見た光景を目撃して、喜びを感じたんだ。
あぁ、ゲームの世界に来たことがうれしいとかじゃないんだ。
ただ...楽になろうとして、そしたら何故か目が覚めて、上手く死ねなかったのかってちょっと絶望感があったんだけど
この惨状を目の当たりにして、その絶望が吹き飛んだんだ。
もう仕事に行く必要もないし、何よりここが私が生きていた世界じゃないことを理解して
「やっ...た、ふ、ふふ」
思わず声に出てしまうほどうれしかった。
まぁその喜びも長くは続かなかったけど...
音符に触れた人間が、肉をねじ曲げられピアノの一部へと変わっていく。その光景を目の当たりにして、ようやく私の思考が現実へと追いついた。
このままだと私もピアノの一部になる。立ち去らなければ。そう考え、足を動かそうとした時だった。
その時、ふと思い出したんだ。
この後起こるだろう、あるキャラの死を
この都市には鏡技術があって、そこには無数の可能性の世界が広がっている。
ここはそのうちの一つなんじゃないか?そんな疑問が浮かび始める。
もし、私がいるこの状況がどこかの可能性の世界だとしたら私の知る情報が通用しないかもしれない。
どうにかしてこの世界が鏡の世界なのか違うのかを確かめないといけないだろう
そして幸運にも一つ確かめる手段が今ある。
それはアンジェリカの死だ。
少なくとも現時点でここが本編世界であるかどうかの基準となるだろうそれを確かめたい。
けど、このままここに居ても危険なだけだ
どうにかして自身の身を守りつつ確認する方法はないだろうか...
そんな考えを巡らせていた時、視界の端に金属の光が見え、その光の方へと目を向ける。
そこにあったのは私の半身を覆うほどの盾だった。いつからあったのだろうか?
その盾はまるで私のために用意されたかのようにその場に鎮座していた。
滑稽なほど都合よく落ちていた盾を私は拾い上げ、内側の固定ベルトを利き腕に巻き付ける。
その時盾に刻まれた言葉が目に映った
【Believers shall be saved】
『信じる者は救われる』って?もし本当にその通りなら、この世界はここまで歪ではなかっただろうに
これで身を守れる。音符が防げるかは分からないけど...
自らの守りを固められた私はピアニストの全貌が良く見渡せる高台へと来ていた。
後はここで時が来るのを待つだけ。
そう思い身構えていた時、視界の端に黒と銀の閃光が走った。
一瞬何があったのかわからなかったけど、どうにか目で追ってみればそれは人の形をしていて
凡そ人間とは思えない速度でピアニストへと肉薄していた。
間違いない、アンジェリカだ。
アンジェリカの出現に安堵感を覚えた私はこのまま事態が進むのを待ち続けた。
そしてその時は来た。
◆◆◆
一人の女性が武器を手に人を音色へと帰る化け物目掛けて突っ切っていった。
いったいどれほどの身体強化施術をしたのか、並大抵のフィクサーでは目で追えないほどの速さで地を駆け巡るその存在に
住民達は上位のフィクサーが加勢に来たんだと歓声を上げた。
階級の低いフィクサー達もすっかりそれを信じ込んで、これで助かるとその顔に嬉しさをにじませていた。
だけど、幾人かのフィクサー達は気が付いていた、気が付いてしまった。
その女性が長くは持たないだろうという事に。
女性はその腹部を少し膨らませていた。妊婦だった。
そんな女性が武器を手に戦っていたのだ。
身重の体で、今ここに居るどのフィクサーよりも果敢に戦っていた。
誰もついていけなかった。当然だ、彼女は特色だったのだから。
赤子の宿る腹が重いだろう、いくら特色だからと言って妊娠期間のブランクを土壇場で埋め直すなど、無理な話だ。
けど女性はそうするしかなかった。このまま被害が広がれば彼女たちの家が破壊されてしまうから。
想い出の詰まった、これからの思い出が詰め込まれていくだろうその場所を守るために。
その結果は...言うまでもないだろう。
美しい銀糸の髪がピンとワイヤーのように張り巡らされて、姿かたちを変えた女性の血肉を支える。
今新しく出来上がった鍵盤にピアニストが力強く叩く。
その時、響き渡った音色は今までのどんな音よりも美しかった。
特に女性の腹部に当たる鍵盤から奏でられる音は一度に二つの音がきれいに重なり合って聞こえてきた。
美しく響く力強くも優しい音色の中に、宿る小さな鈴のような音。
その演奏は、次元を行く者を。物語の結末を知る者を。間に合わなかった者を。
絶望に濡れる住民や、音色に魅了された狂人……果ては、のちに自らの音色を響かせんとする指揮者さえも。
その場にいたすべての者を釘付けにした。
音色は響き渡り、演奏は佳境を迎えんとし始めたその時。
...耳が痛くなるほどの静寂が訪れた。
そして不意に、すべての音が断ち切られた。美しくも悍ましい演奏を切り裂いたのは、黒い沈黙...否、ローランだ。
彼女の知る通り、そこには愛する者を鍵盤に変えられた男が立っていた。
―――
盾を握る指が震える。それが恐怖なのか、あるいは本編通りであることへの歪んだ安堵なのか、彼女自身にも分からなかった。
ただ取り付けた盾の冷たさが唯一ここが地獄であることを伝えていた。
そして再び盾に刻まれた文字が目に映った。
『信じる者は救われる』...先ほどは軽く受け流せたのに、なぜか今はこの言葉が私に重くのしかかってくるように感じた。
場を包む静寂、もはやただの肉塊と化したピアノの前に佇む男、ピアノから垂れ下がった銀糸...
私はこの世界が本編であることを願い、信じた。そして救われた...はずだ、なのに...
この時の私は目先の問題が解決したことに目が向いていて気が付かなかったんだ。
この世界が本編だという事は、これから先に起きる地獄も確定したのだという事を。
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