黒い炎が目の前にある。
ごうごうと燃えるそれは、じりじりと広がり周りを飲み込んでいく。
炎は鏡のように自分をうつす。歪んだ自分が手招きをする。
しかし自分は、それを恐れなかった。飲み込まれることを恐れず、ただ立ち尽くしていた。
明るい。暖かい。すごい。うれしい。
気持ちが沸き立つ自分の後ろには、いつの間にか母が立っている。
うしろから自分を抱きしめ、母はこう言うのだ。
――あなただけは、許して、あげて
1 捜索/探索
何の変哲もない、または誰もが何の変化も感じることができない当たり前の日々。
その中で、なんら特筆するほど優れた点を持たない、平凡な都内の一学校に過ぎない『秀仁学園』にて、いつも通りすぎて、その間頬杖をついたりあくびを堂々と行う人がいる程の授業が行われていた。
「はいじゃあ、先程隣同士で話し合った『少年法の是非』について、自分の意見を言ってもらいたいと思います。ええと、そうだな……じゃあ、先ほど発表してくれた
――名前を呼ばれた
しかしそれは一瞬のことで、喉奥で咳をはき息を整えて、《自身の意見が完全なものであると確信をもって》教卓を見据える。
「自分は少年法に賛成の立場です。何故なら、今の社会は刑罰以上、あまりに厳しすぎて、罪を償ったはずの人がやり直す機会まで奪われてしまっているからです。そんな現状では更生なんて出来る筈が無いですし、事実犯罪者の再犯率は非常に高く、しっかり『やり直す』機会が与えられない現状が読み解けます。だから自分は実名報道などがなく、罪を犯した人がやり直しやすい環境が整えられている少年法を良い制度だと、思っています。」
御影桐人のそのあまりにも真剣な言い方で放たれた《どこかずれている》意見に対し、教室の空気は真っ二つに分かれた。
……もっとも、彼の剣幕に呑まれて呆然としている生徒と、こらえられぬ嘲笑をくすくすと漏らしている生徒の2つであるが。
あれからかなりの時間が経ち、放課後。若干の夕焼けオレンジがほの温かく帰宅する生徒も部活に勤しむ生徒も包んでくれる中、さほど広くはない学園の一室で、かの
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「だからさぁ、
桐人の語気が一層けだるくなっていくが、彼の前で話をふーむと聞き入る仕草を見せる生徒……彼に日下部、と呼ばれた生徒は、相も変わらず冗談でしょ、とでも言いたげなニヤリ顔をしていた。
「えぐいねぇ。それはやばいわ、そんなのいじめっ子やん、そいつらガキみたいやね。」
「……センパイ、適当に答えないでください」
桐人がジトっとした視線を送る。それに日下部があっすまん、とつけて一瞬ほど考えたのちに口を開いた。
「別に御影がおかしなこと言ってるからみんなが笑ってるんじゃなくて、御影がそんなどーでもいい授業をあたかも真剣に考えてやってるからツボに入ったんじゃないかな。」
まぁ……そうだけど……と桐人は濁った声を出した。「でも言いたくなる気持ちはわかるでしょ……」
日下部は桐人の眼を見てはいるが、その心はどこか別の場所にあった。うんうん、とやら、そうだね。やら当たり障りのない反応ばかりしかしなかった。次第に辺りの空気は鈍くなる。
「…………」
桐人の愚痴はとうとうバリエーション切れを起こし、ただこのどうしようもない不満――とまともに自身の話を聞く気が見えない日下部センパイへの懐疑に、じっとりとした視線とため息を連ねていくだけしかできなかった。
「そうやって授業を真剣にやるのもいいことだけど、御影にはもっと大事なことがあるからなー。」
「んーむ、もっと大事なこと、っすぅ~……?」
「風紀委員としての見回り。今日は外のほう頼んだ」
あーーーっ、と桐人が濁音も混じったうめき声を出す。「勘弁してくださいよセンパイ、《ココ》、思ったよりヤンキー多くてこっちの身が持ちませんって。てかそんなのやった体にすればいいじゃないですか」
「えー、御影ってヤンキーにも分け隔てなく接しないのー?」
「いや、過去に悪いことをした人と現在進行形のワルは大違いでしょ」
「まぁ、へぇ、そうなんだ……でも仕方ない、だって風紀委員会って空気過ぎて人来ないからねー。生徒会長さんが張り切りすぎてこっちの仕事の大半奪ってるし、あといちいち口挟んでくるしさー。でもさ、御影は生徒会より
「……ぐ・た・い・て・きに、何処が…ですか?」
桐人が面倒くさそうに尋ねる。彼にとっての日下部センパイは、先程からずっとこのように聞き上手ではあるが話に飽きるのが早い、という認識であった。どんな質問や愚痴でもにっこりと聞いて、うんうんそうだねと相槌を打って、難しい長話にはうわの空……下心満載で病んでる女性に近づくアレと似たような人であった。とはいえ、こんな傍からみればしょうもない愚痴、クラスメイトは全く聞いてくれるはずもなく笑いものにされるだけなので、ごくごく稀だが一応受け答えはしてくれるセンパイしかまともに相談はできないのだ。
「御影ってちょっと空回りしがちじゃん。だから頭からっぽでやれるこっちのほうが向いてるってわけ。あまり神経使うような仕事を続けたら、ていうか今の生徒会のような学校の為にあらゆる施策を企画してたら、絶対御影の考えたそれはドン引きされるよ。現に今日の授業もねぇ、そうだったじゃん…………はい、ってわけで見回りチャチャっとよろしく~」
先輩にあしらわれるようによろしく、と送りの言葉を言われてしまえば、もう質問することは躊躇われる。無駄話をせず仕事を早くに終えるべきだ。だけど、しかし、どうしても、桐人は一つ、問いを投げた。
「センパイも、本当におれがおかしなこと言ってると思いますか?」
「思う」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おかしなこと、ねぇ」
外へ向かう道すがら、あっさり「思う」と返されたさっきの会話を心で反芻する。
――自分は陰謀論めいたことを言っているとは思わないが、別のほうで心当たりがあった。
昔の昔、"自分の中で最も古い記憶"にて、その時は小学生の後半にもなろうかというのにおれは母さんと幼児向け、毎週オムニバス形式のアニメを見ていた。
擬人化された食べ物がキャラクターとしていた。ステレオタイプな悪い魔女も稀に見かけた。
作中の世界観は、まさしくおれが良いなぁと羨望を抱いている『誰もがやり直せる世界』だった。アニメの方で毎週活躍し退治させられる悪役は、映画では主役と共闘して憎まれ口を叩きあう、仲間とは言えないが仲間意識をお互いに秘めた存在であった。彼は悪さをすれば恐れられるが、悪事を行っていないとき、さらには悪事を行うため不穏なオーラを匂わせて街を進む際に誰かに目を付けられ、大声で「こいつは悪人だ!逃げろ!」なんてことを言われたりはしない。悪事をとがめられても、恨まれないのだ。
悪役を恨まない一般市民、いわゆるモブ。彼らは優しいから恨まない、というわけではなく、心が"無垢"なのだ。毎週オムニバス形式とはいえ、悪役の変装だとか不穏な動きを疑問に思ったりはする回があっていいはずだが、ないのだ。気になって公式設定やら脚本家へのインタビュー記録本を買いあさってみたが、得られた答えは"人を疑うようなキャラはいない"だけだった。
悪役が罠を仕掛ければ、だれも疑うことなく悪役の思うままの結果になる。
その結果初めて悪役は糾弾され、正義の主役にスカッとやられる。
そしてその繰り返し。
そうして繰り返すうちに、マンネリ対策なのか悪役が悪事を行わない回がある。その時は悪役が愚痴を吐きながら一般モブに混ざって餅つきをしたり星に願ったり様々だが、このとき悪役は悪役ではなく、大衆の一つとして一般モブの暖かな環の中に混ざるのだ。
……これが、アニメの中だけではなく現実でもそうあるのはダメなのかな?"罪を憎んで人を憎まず"って言う言葉はあるし、この思想を以ってアニメを制作した脚本家なんて「ヒーローの精神性」「最も優しい脚本家」なんて散々褒めたたえられてるのに、罪を犯した人も普通に暮らしてもいいって言ったら「変なこと」「歪んでる」って。酷すぎにもほどがあるだろ、それ。
「あーあ、おれもあの脚本家みたいに立場があれば、変人扱いされないのかねぇ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
風紀委員の仕事をしていて思うが、秀仁学園の外周は、ここが日本の首都と思わないほどには寂れている。
門前にある細い道路を挟むように立つ民家やら定食屋。その間には仄暗く、ソースのようなにおいが漂う裏路地が散見される。
そんな陰気な『裏』にはやはり、相応に良くないモノがたやすく見つけることができる。……例えばまぁ…あ、椅子代わりに尻を乗せられたであろう通気ダクトの麓にまだ赤く灯るタバコがある。
「ったく…生徒会に見つかったら全校集会モノなんだろうなぁ、これ」
小走りでその現場に駆け寄り、そのたばこを足で奥の暗闇に押し付ける。こうすればパッと見ただけでは誰にも分かることはできない。
あとは……この裏路地にたむろしている生徒に、怪しまれることはしないようにとくぎを刺しておく、か。
まぁ、どうせこんなクモの巣張り巡らせダクトから出るくっさい排気がどんより漂うこんな場所にたむろしたい人がいるわけないけど。せいぜい、この丁度いいたばこの捨て場を見つけた時、もう少しでタバコが吸い終わりそうなので入口のほうで立ち止まる、くらいしかありえない。
まぁ、でも『やっておくこと』に意味があるから仕事はするんだけど。どうせ何分かつぶせるから、誰も居なくてもいいや……
「げっ、風紀委員かよ!」
…………居た。
暗がりの奥、クモの巣張り巡らせた臭い空気が漂う湿気った空間に、たむろしスマホをいじる人達がいた。
しかも……ああ、厄介だ。まさか学園一の問題児と、あの変な噂の立つ転校生の二人とか……話素直に聞いてくれるかな……
「君たち、ゲームやらを楽しんでる様なところ悪いけど、学校側からここで長居することは控えるようさんざん言われているよね。ほら、早く出てった出てった」
そう告げられた二人のうち、問題児の方……あらゆるものに反発する気質、態度がよく表れている、逆立つ金髪の生徒、『
「……ンだよ、俺らはただスマホを触ってるだけだ。やましいことなんて何もしてねえよ」
強いなにかを感じる。その語気によるものか醸し出す不良のオーラによるものなのか。何故か注意する側のこちらが気圧される。
「そうやって毎度毎度、人に突っかかって。そんな言われる分の仕事だけこなしている生徒に何言っても意味ないのは坂本君が一番身をもってわかっているだろ」右足をわざとらしく右斜め前に出し、ふてぶてしい態度をとりながら桐人はそう言い放った。
「じゃあチクれよ。くだらねぇ仕事させてくるセンコー呼んで来いよ。」
ああ話が進まない。それが簡単に出来たら苦労なんてしないんだよ。本当にこの手のは何を言えば、どう言えば素直になってくれるかイマイチ分からない。……やり直しの機会が温情で与えられたのに、一向に改めようとしないこの問題児一人が特別なのかもしれないが。
「呼んでもいいけど、今度こそ君は許されないだろうね。君を叱る時なら必ず鴨志田が出張ってくるし。あーあ、折角
向けられた圧のせいか、それとも個人的に許せないヤツを前にしたせいか、言葉に棘がつく。
「やり直すチャンスだと……何が『やり直す』のと『チャンス』なんだよ……!何も知らねぇテメェが……!」
「そうだろ。
「このクソ…」
「そこまでにしておけ」
いきり立つ坂本の肩を、後ろで見ていた例の転校生……ええと、メガネをかけた黒髪パーマの……名前何だっけ……?
とにかく、その転校生が坂本の肩を抑えた。
「時間の無駄だ、早く行こう」
坂本の肩を掴んでいた手を滑るようにのけた転校生は、その言葉の通りそそくさと早歩きしてその場を去っていく。
「っておい!……ああ、ちくしょう」
いきり立っていた坂本だったが、もたもたしていると置いて行かれることを悟ったのかスマホをポケットに押し込み転校生の後を猛ダッシュで……なんかすぐ足を痛がって、早歩きで追いかけて行った。
はぁ……めんどくさかったが、まぁ時間は潰せたしいいか。あとはこの周辺を見回して大丈夫なら帰ろう。
頭をひねって、辺りを見回す。特に問題になるようなものも落ちてはいないので切り上げようとした時、
「ッ……なぁんかこういうのあるんだよなぁ、頭動かしたら後らへんの血管がギチッ、と痛む変な現象」
ふう、と息を吐いて落ち着かせ、学校へと戻る。この汚らわしい環境を体自体が拒んでいるのか、早歩きする足が非常に軽やかだ。
そして細長い裏路地を抜け出て、校舎の前で解放感を感じようとした時。
……おかしい。
「なんだよ、これ」
道をまちがえるはずがない。あの裏路地は一本道だ。
しかし目の前にある景色は普段と明らかに異なっている。
「いや、学校はどうなってるんだよ……!」
いや、道に間違えただけではこんなものに出会うはずがない、こんなものが秀仁の周囲に存在するはずがない……!
「この城って、なんなんだよ!」
目の前に在るのは到底信じられない現実、そして現に存在する夢。