1.
人里の外れに構えられた、真新しい事務所。
薄暗い部屋の中で、三つの影が密かに嗤っていた。
「見なさい、今月のKPIの達成状況よ。ふふふ……我々の完璧なスキームによって、人間は完全に我々の手に落ちたわ……」
「これで人間どもは、私たちに極上の煮干しを提供し続ける下僕になってくれるんだね!」
「狸も狐も目じゃないわ。これで人里の縁側はすべて私たちのもの。どこでも日向ぼっこし放題ね」
にゃはははは! と、勝ち誇った笑い声が事務所にこだまする。
人里を影から支配する恐るべき化け猫ベンチャー。もはや彼女たちの野望を止められる者は、誰もいない。
「――ところで、けーぴーあいってなに?」
「…………」
「…………」
答える者も、誰もいない。
*
「あーっ! 霊夢さん! また野良猫たちが私のサンダルを狙って!」
「うるさいわねえ。今、大事なところなんだから自分で追い払いなさいよ」
昼下がりの博麗神社の縁側では、小さな戦争が起きていた。狛犬と、どこからか紛れ込んだ野良猫たちが、一足のサンダルを巡って、低レベルな攻防、もといじゃれ合いを披露している。
霊夢は火加減を見ながら、外の騒ぎを聞き流した。
「やりましたー!」という勝ち誇ったあうんの声に霊夢が勝手口へ視線をやると、サンダルを掲げる彼女の足元から、野良猫たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていくところだった。
「しかし、最近の野良猫は随分図々しいというか、遠慮がないというか……」
はあ、とため息をつく。近頃、博麗神社は、野良猫たちの溜まり場になっていて、たびたびあうんが猫たちと仁義なき戦いを繰り広げていた。
箸に伝わる魚の感触は、生の頼りないそれから、パリッとした焦げた皮のものに変わっている。滴り落ちた油が炭に落ちて、じゅっと景気の良い音を響かせた。
「……うん、いい匂いね。そろそろ中まで火が通ったかしら」
手早くお皿に盛り付けると、つけあわせの漬物と山菜の味噌汁とともに、食卓に並べる。そこにはすでにあうんが行儀よく正座している
「はい、あうんの分よ。随分こっぴどくやられたみたいだし」
「ありがとうございます! でも霊夢さん、このままじゃ妖怪どころか猫だらけの神社になってしまいますよ?」
「まあ、好きにさせたらいいのよ。別にいても困るもんじゃないし。害虫とか、ネズミとか、いろいろ駆除してくれるしね」
うんうんと一人で納得しかけて、霊夢はハッと顔を上げた。
「……って、誰が妖怪だらけよ」
霊夢は魚の身をほぐして、それを口へ運ぶ。確かに神社は昔から人外の溜まり場だが、それを指摘されるのは癪に触る。
「……そういえば最近、お燐のやつ来ないわねえ。魚なんて焼いてたら、真っ先にたかりに来ていたのに」
「あたいにも一口!」なんて、猫の姿でせがんできたのを思い出す。
「いいんですよ! あんな不吉な猫、いないほうが清らかです!」
「まあ静かなのはいいんだけど……」
あうんはすっかり骨のみになった魚を脇に寄せて、最後の一口を口へ運んでいる。
ごちそうさまでした、と元気よく挨拶すると、行儀よく皿をまとめ、水場へと運んでいった。
お燐の話題が出たことで、自然と目線が神社の縁側へと向かう。確かお燐は、日当たりの良いあの辺りでよく寝ていた。もしかしてお燐が猫たちをこの神社へ寄せ付けないようにしていたのかなあ、なんて考えが思い浮かぶ。
そういえば、猫が神社にうろつき始めたのも、あいつが来なくなった頃からだったような気もする。
「あ、そうだ、霊夢さん。そういえばあいつが寝ていたあたりに、妙なものがあったんですよねー」
戻ってきたあうんは鼻をすんすんと鳴らしながら、そのまま神社の縁側に向かい、床下を覗く。まさか人骨なんて埋めてないでしょうね、と嫌な想像をしながら、霊夢も床下を覗いた。
「肉球?」
「みたいですね」
床束の根本には、猫の肉球の形の印が3つ押されていた。薄暗い床下で、濡れた跡だけが妙に白く浮いて見えた。
「うーん、なんかつるつるしてますね」
「……別に妖怪の気配は感じないわね。ただのインクみたい」
ただでさえ魑魅魍魎が集まる神社なのだ。スタンプなんて押されて侵食され始められたら、たまらない。
「妙なことを企んでなきゃいいけど。今度来たらお燐のやつとっちめてやるんだから」
席に戻ると、最後まで取っておいた魚の腹身を食べようと箸を構える。
霊夢は、美味しいところは最後までとっておくタイプだった。
「あっ! お前達、また!」
あうんの声に霊夢が縁側へ目を向けると、先程の野良猫たちが、ギラリとお皿の上に目線を寄せている。
「……あげないわよ。お賽銭も入れないくせに、図々しいわ」
霊夢が言い切るより早く、猫たちがお皿に飛びかかる。
刹那、霊夢は手元にあった役立たずの紙、もとい文々。新聞を丸め、迫り来る猫たちの鼻先をピシャリと叩いて牽制した。
「こらっ! もう、仕方ないわね。ほら、こっちならあげるわ」
すでに骨だけとなった魚の頭と尻尾を箸でつまみ上げ、縁側の外へ放ってやる。霊夢の剣幕に押されて身を低くしていた猫たちだったが、鼻を鳴らして匂いを確認すると、一目散にそれに群がりペロペロと舐め始めた。
「まったく……」
本当に最近の野良猫は遠慮がない、一度
「料理の油とりか掃除ぐらいにしか使えないと思ってたけど、案外役に立つじゃないの」
手元の文々。新聞を広げ直し、そう毒づく。かの烏天狗が聞けば「教養がない」「これだから博麗の巫女は野蛮だ」と書き立てられそうな言動だが、事実、この新聞は発行部数も伸び悩み、博麗神社には勝手に投げ込まれている始末なのだから文句を言われる筋合いはない。
ふと、折り目のついた記事の一つが目に入る。
「『人里で話題! 化け猫派遣サービス”猫の手かします”』……? ちょっと、人里に妖怪が蔓延ってるってこと? それにこのロゴ……」
「さっき床下で見たものにそっくりですね」
いつの間にあうんが、霊夢の肩に顎を乗せて覗き込んでいた。口元には、ちゃっかり霊夢が残していた漬物を咥えている。
「お燐のやつ……私に無断で神社を営業拠点にしてるわけ?」
これじゃあ、本当にあいつが野良猫たちを招いてるみたいじゃないの。
「営業妨害ね」
それに、人里と妖怪が接近しすぎるのは、この世界のバランスを保つ上で問題だ。
早急に様子を見に行く必要がある、と霊夢は感じていた。
「あうん、ちょっと人里に様子を見てくるわ。その間、お留守番をお願いね。野良猫は追っ払っておいて」
「わかりました! 神社のお留守はお任せくださいねー」
2.
木々を眼下に空を飛ぶと、あっという間に里の入口へとたどり着いた。
だが、一歩足を踏み入れると、霊夢は首を左右に一往復、二往復、三往復。当然である。
道を横切る猫、鼠を追いかける猫、お使いをする猫、店番をする猫、右も左も、猫、猫、猫、猫の姿。
「……猫に支配されてるじゃないの」
状況は思ったより深刻そうだった。どこを向いても猫の姿が目に入る。
雑貨屋の店先を見やれば、エプロンを巻いた二毛猫が、器用に尻尾でハタキを振って商品の埃を払っている。店主の男はそれをニコニコと眺めながら、煮干しを与えていた。
「ちょっと、なんなのよあれ。妖怪が里に居座ってるじゃない」
「おや、博麗の巫女様。いやぁ、最近流行りの『猫の手ちゃん』ですよ。利口だしかわいいし、安いお駄賃でよく働いてくれましてねぇ」
「猫の、手……?」
霊夢は眉根を寄せ、ふと男の後ろの壁に目をやった。
そこに、真新しいチラシがでかでかと貼られている。
『あなたの暮らしに、格別の肉球を。家事代行、お留守番、防犯まで、猫の手貸します』
ご丁寧に、事務所までの簡単な地図と「どなたでも歓迎」という文言まで添えられていた。
「……なるほどね」
なんて胡散臭いのだろう。どう考えても裏があるに決まっている。
霊夢は呆れ顔のまま、壁のチラシをベリッと乱暴に剥がし取った。
「巫女としてはあまり利用しないことをおすすめするわ。じゃあね」
「えっ、あ、巫女様?」
霊夢は手の中のチラシをくしゃりと丸めると、地図の示す人里の外れへ向かって、大股で歩き出した。
地図にしたがってしばらく歩くと事務所が見えてくる。ここに来るまでも、猫の姿は絶えなかった。霊夢は、いよいよ放置すべき問題ではないと再認識した。
人里の外れにあるその建物は、元々はただの空き店舗だったのだろう。
入り口には、墨で不格好な肉球が描かれた真新しい暖簾が掛けられ、その下を忙しなく何匹もの猫が出入りしている。彼らはいっさいこちらに目もくれず、相当に忙しいことが伺える。
霊夢が意を決して中へ踏み込もうとしたその時、中からひょっこりと、見覚えのあるおさげ髪の少女が顔を出した。
「おっと。いらっしゃい。派遣の受付なら中に……うげ、お姉さん」
「……やっぱり。最近うちに来ないと思ったら、こんな怪しげなサービスに一枚噛んでたってわけね」
驚いて猫のように背中を丸めるお燐を、霊夢は冷ややかな目で見下ろす。
「いやー、それはえーと、あはは……」
「何を企んでるの。さっさと吐きなさい」
「ちょ、ちょっと待って! 話せばわかるから!」
後ずさりするお燐を、霊夢はじりじりと中へ追い詰めてゆき、そのまま押し込むように暖簾をくぐる。
そこには、廃屋から拾ってきただけであろう机が置かれ、壁には『目指せ、契約件数1000件!』という手書きの標語が大々的に貼られ、そして入り口のすぐそばには、木箱に布を被せただけのチープな受付カウンターが設けられていた。霊夢は思わず顔をしかめてしまう。
「お客様、当店は過度な撫では厳禁となっておりますので……って霊夢じゃないの」
受付カウンターの奥から、営業スマイルを顔に貼り付けた豪徳寺ミケが現れ、霊夢を見た途端にきょとんと、素の顔に戻る。
「へえ、いつぞやの三毛猫じゃないの。……なるほど、あんたが元締めってわけね」
肩にお祓い棒を乗せ、笑みを浮かべる。そのままミケに詰め寄ると、お祓い棒をミケに突きつける。
「話が早くて助かるわ。とりあえず、目的を洗いざらい吐いてくれるかしら。ここまで人里に影響を及ぼすとなると、困るのよ」
霊夢は、博麗の巫女として、バランスを崩すものには容赦無く罰を下してきた。そのことを知っていれば、ミケのような弱小妖怪には、死の宣告をされたのと同様に感じられただろう。
普通なら震え上がって平伏するか、泣いて命乞いをする場面だ。
「……なるほど」
しかし、ミケは突然、どこからか取り出したメガネを、カチャリと鼻梁に掛けたかと思うと、キリッとした顔で霊夢に向き直す。
「当社は、地域密着型のホワイト企業です」
「は? ほ、ホワイト?」
「当社は、人里の皆様のニーズにコミットするため、我々のエージェントをソリューションとしてご提供しています。
どなたでもご利用しやすいよう、ユーザーファーストなプライシングを実施しております。そのため、ローマージン・ハイボリュームのビジネスモデルとなっておりまして、我々のエージェントが人里に数多くアサインされるのは、事業展開として必然的です」
ミケはクイッと中指でメガネのブリッジを押し上げ、霊夢が口を挟む余地もなく、畳み掛けるように言葉を続ける。
「我々のエージェントがクライアントを傷つけるのではないかとお考えなのでしょう?
しかし、彼らはプロフェッショナルなコンプライアンス研修を受けており、現状、重大なインシデントの発生率はゼロ。
また、我々はエージェント側と徹底的にリスクを排除した契約を締結しつつ、クライアントにはインシデント発生時に全額キャッシュバックと補填金をお支払いする保証制度を構築しております」
「……」
「あ、もちろん巫女様という重要なステークホルダーからのフィードバックは真摯に受け止めますよ? ですが、我々のスキームに問題がないことは、こちらのエビデンスをご覧いただければ一目瞭然でして──」
霊夢の前にどんっと、分厚い書類の束が置かれる。
「……あーもういい、もういいわ。何言ってるのかわかんないのよ」
「わかっていただけましたか。あくまで当社はクリーンでホワイトな……」
「……はいはい。だからその頭が痛くなる言葉やめなさい。里の人間も困っていないようだったし、今回は厳重注意で……」
霊夢がお祓い棒をおろし、深くため息をつき、ミケが勝ち誇るように営業スマイルを深めたその時だった。
「ただいまー! いやー今日も人間たちチョロかったよ!」
勢い良く暖簾を押しのけて、鼓膜をつんざくような快活な声が飛び込んできた。
霊夢は目を瞬かせた。入り口に立つその小さな影の、両手にはたっぷりの野菜や果物、そして魚が抱えられている。
「ちょっと甘えただけでこんなにお駄賃くれるんだもん! この調子なら人里を乗っ取れる日も遠くないねー、にゃははは!」
その声の主──橙(ちぇん)が屈託のない笑顔で言い放った瞬間。
ピタリと、全員の動きが止まった。
ミケの営業スマイルが凍りつき、お燐は受付の奥で頭を抱え、天を仰いでいる。
「あれ、どうしたのみんな、凍りついちゃって。あ、霊夢じゃん。何してるの、こんなところで」
バッと、再起動したミケが詰めよるように霊夢に近づく。
「いや! この子はまだコンプライアンス研修が完了して無くて!! さっきのはただの冗談なんです!」
「こんぷらいあんす研修? なにそれ?」
「あーもう! あんたは黙ってさっさと業務報告書を……」
ミシリ。
霊夢が手を置いた机から、嫌な音が鳴った。
「もういいわ。あんたらに言いくるめられそうになった私が馬鹿だった。話す気がないなら、直接あんたらのエージェントの仕事ぶり、調査するわ」
霊夢は満面の笑みで、しかし手の甲にはくっきりと青筋を浮かべながら宣言した。
「あんたらの悪事の証拠を見つけたときには、ここに戻ってくるから。雁首揃えて待っててね」
霊夢は踵を返すと、そのまま暖簾をくぐって外に出ていった。
橙は状況を把握できていないようで、フリーズした二匹と、出ていった霊夢の背中を交互に見てキョロキョロしている。
「だ、大丈夫よ。うちの子たちは優秀だから。きっと粗相なんてないはず……」
ミケは震える手でメガネを外し、机に置く。
だが、その目線の先には、たんまりと契約以上の報酬をぶんどってきた橙の姿。首をかしげる橙。目頭を抑えるミケ。そして奥では、完全に現実逃避したお燐が、無心で毛糸玉を転がし始めていた。
ひゅるり、と気の抜けた風が入り込み、入り口の暖簾をパタパタと空しく揺らす。
嵐のような巫女が去ったあとの事務所には、いたたまれない沈黙と、お燐が転がす毛糸のころ、ころという音だけが響き渡っていた。