ポケットモンスター ブラック・ホワイト とあるトレーナーが綴る、イッシュ地方の旅路 原作ゲーム沿いノベライズ 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
カトレアお嬢様のサイコパワーによる視界の歪みと、僕の胃袋の限界値を試すような三D酔いを根性でねじ伏せた僕。辿り着いた最後の一部屋は、これまでの幻想的な装飾をすべて筋肉(バルク)で薙ぎ払ったような、無機質で殺気に満ちた「格闘技の聖域」だった。
「……は? なあ、チェレン。見てよ。あそこに道着をはだけさせて、岩石みたいな仁王立ちをしてる男、誰だよ。四天王っていうか、完全に『深夜の格闘技特番で、解説者のマイクを奪って自分のトレーニング理論を三時間語り続ける現役王者』にしか見えないんだけど。ゲーフリさん、リーグの美的バランス、この部屋だけタンパク質(プロテイン)に全振りしてない!?」
四天王の最後の一人、かくとうタイプ使いのレンブ。彼は己の拳を力強く打ち合わせ、骨が軋むような鈍い音を響かせながら、こちらの「肉体の覚悟」を物理的に計るような、鋭く、そして暑苦しい視線を向けてきた。
「……来たか、若き挑戦者。言葉は不要。拳と拳、肉体と肉体が激突し、互いの汗が飛び散る音こそが、この世の唯一の真実を語る。君のエンブオー……その厚い皮下脂肪の奥に眠る、純粋なる闘争の本能を私に見せてみろ! さあ、私の筋肉(シールド)を破ってみせろ!」
「本能じゃなくて、十五年間の『Aボタン連打で出来た指のタコ』だよ!! レンブさん、四天王ならもっとこう……『華麗なステップで翻弄する!』みたいなボクシング的なテクニックを見せてよ!! なんで初手から『ストーンエッジ』を急所に叩き込んで、こっちの防御値(B)を紙クズ同然の扱いにしにくるんだよ!! 筋肉のインフレが起きて、僕のダメージ計算機が物理的に火を吹いて、溶けてるんだよ!!」
レンブの放つローブシン。その手にある巨大なコンクリート柱が、僕のエンブオーの存在理由を根底から粉砕しようと振り下ろされる。
「(……ッ!? 出たよ、根性アタッカー!! ゲーフリさん、この最終局面で『状態異常になればなるほど攻撃力が跳ね上がる』っていう、ドM全開の逆転戦術を四天王に標準装備させるなんて、最高に理不尽だろ!! 僕のエンブオーの『おにび』が、相手のドーピング剤にすり替わってるじゃないか!! まさに一話のラグ水没事件に匹敵する、理不尽な火力のゴリ押しだよ!!)」
僕は絶叫した。この瞬間のために、僕はどれだけの泥だらけのスニーカーを履き潰してきたか。ネジ山で迷い、フキヨセジムで大砲に詰め込まれ、セッカジムの氷の上で何度も転んで腰を強打したあの痛み。そのすべてが、今、この「筋肉の壁」を突破するための爆発的な怒りへと昇華される。
「ふざけるな!! 筋肉が正義なら、こっちは『ラグを汚された怨念』という名の精神エネルギーを肉体に無理やり還元してやるよ!! いけ、エンブオー!! 相手の持ってるコンクリートごと、その豚足……じゃなくて鋼の拳で粉砕しろ!! 筋肉痛なんて、エンディングのスタッフロールを見ながら泣いて喜べばいいんだよ!! お前のその『根性』特性を、僕の『執念』特性で上書きしてやる!!」
一方で、チェレンは土俵の端でプロテインのシェイカーを振りながら、冷徹に戦況を見守っていた。
「やれやれ。主人公、君の戦術は相変わらず非効率的だが、その『暑苦しさ』だけはレンブさんに匹敵しているよ。……格闘タイプ同士の泥仕合は、結局のところ、どちらが先に『画面の向こう側の自分』を信じられるかの勝負だ。……ちなみに、ベルはさっきからレンブさんの筋肉に感動して、『すごーい! 私のパパより厚い胸板だよー!』って言いながら、ローブシンのコンクリート柱を文鎮(ぶんちん)代わりに使おうとしてるよ。危ないから止めてあげて」
「ベル!! それは文鎮じゃなくて『破壊の質量』だから!! 近寄るな!! 自分のミジュマルが僕のスニーカーを『洗浄(破壊)』した時の、あの制御不能なパワーを思い出して、少しは恐怖を感じてよ!!」
「あわわわー! 主人公くーん、ローブシンさんが私の帽子をダンベル代わりに使おうとしてるよー!! でも大丈夫、私、筋肉の躍動をしっかり図鑑にスケッチ(連打)しとくから! ……あ、レンブさんの汗、私の図鑑のページに飛んできちゃった! どうしよう、ふやけちゃうー!!」
「図鑑の心配をしてる場合かぁぁ!!」
汗と、泥と、エンブオーの荒い鼻息が入り混じる混沌のリング。最後は、どちらのHPが先に「0」という絶望に届くかの限界ギリギリのチキンレースを、ミリ単位のドットの差で制した。ローブシンの巨体が沈んだ瞬間、僕はその場に膝をつき、拳を床に叩きつけた。
「……フッ。災い転じて福となす、か。君の拳に宿るその『執念』、確かに私の魂で受け取った。認めよう、君こそが四天王を超えし者だ。……さあ、中央の像を調べるがいい。そこには、チャンピオンの敗北という残酷な現実と、世界を書き換えようとする『王』の、愛のない宣言が待っている」
僕は全身の筋肉が断線したような疲労感に耐えながら、泥まみれのスニーカーを引きずり、中央の広場へと向かった。そこには、崩れ落ちたチャンピオン・アデクと、その背後に立つ、冷徹な数式と理想を纏ったNの姿があった。物語は今、十五年の思い出を人質に取った、最後の、そして最悪の「答え合わせ」へと突入しようとしていた。