ポケットモンスター ブラック・ホワイト とあるトレーナーが綴る、イッシュ地方の旅路 原作ゲーム沿いノベライズ 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
七賢人の捜索も一段落し、イッシュ地方には束の間の、しかし確かな平和が訪れていた。カノコタウンの自宅。一話でラグを水没させられたあの部屋に、僕は再び立っていた。窓から差し込む夕日は、かつて戦ったジムリーダーたちのバッジを物理的にキラキラと輝かせ、僕の使い古されたスニーカーの泥をオレンジ色に染め上げている。
「……は? なあ、チェレン。見てよこれ。僕の部屋、あんなに激闘を繰り広げたのに、一話と全く同じ配置で、同じテレビが置かれてるんだけど。ゲーフリさん、世界を救った英雄の帰還なんだから、せめて壁紙の一枚くらい『伝説仕様』にリフォームしてくれてもいいじゃないか!! この『何も変わっていないようで、実は全てが変わってしまった感』という演出、プレイヤーの郷愁を物理的に揺さぶりにきてない!?」
チェレンは新しいジムリーダーの制服に袖を通し、眼鏡の奥に一点の曇りもない理性を宿して、僕の部屋の入り口に立っていた。
「……フフ。変わっていないからこそ、僕たちが進んできた距離がわかるんだよ。……主人公、君はこの旅で『真実』を手に入れた。僕は『進むべき道』を見つけた。……そしてこのイッシュは、Nという名の変数を失いながらも、新しい数式を導き出そうとしている。……僕はこれから、ヒオギシティの方へ向かうつもりだ。新しいトレーナーたちが、僕の眼鏡を曇らせるほどの熱意を持って現れるのを待つためにね」
「待つのはいいけど、その前に一話で共同責任になった『ラグのクリーニング代』の領収書を受け取ってよ!! チェレン、旅の終わりならもっとこう……『最高の冒険だったな!』みたいな拳を合わせる友情を見せてよ!! なんで最後の一秒まで、そんな『完成された教科書』みたいな澄ました顔をしてるんだよ!! ゲーフリさん、この親友の成長した姿、僕の未熟な精神を物理的に置いてけぼりにしてるじゃないか!! まさに十五年間の思い出を人質に取った、美しすぎる決別だよ!!」
背後で、博士の白衣を借りたベルが、山のような図鑑の資料を抱えて転びそうになりながら、僕たちの間に割って入る。
「(……ッ!? 出たよ、それぞれの未来への分岐点!! ゲーフリさん、このエンディングロールが流れる直前の静寂に、キャラ全員の立ち位置を確定させるエピローグを持ってくるなんて、最高に構成が憎すぎるだろ!! 僕のエンブオーも、さっきからカノコタウンの潮風を浴びて、一話のポカブだった頃のピュアな瞳を一瞬だけ取り戻してるじゃないか!! 十五年間の思い出を人質に取った、感情の強制セーブだよ!!)」
僕は絶叫した。この平和な光景を見ていると、これから訪れるであろう「主人公が交代する2年間の空白」という名の、物理的に干渉できない時間が怖くてたまらなくなったからだ。
「ふざけるな!! 旅が終わるなら、こっちは『ラグの汚れを落としきれなかった悔しさ』という名の情熱を、次の世代にまで語り継いでやるよ!! ベル!! お前が研究者として大成しても、一話で僕のスニーカーを『洗浄(破壊)』したあの事実だけは、図鑑の重要項目として永遠に残しておけよ!! チェレン!! お前がどんなに偉い指導者になっても、僕が二千回卵を割った時のあの『理性を超えた狂気』を、次の世代の子供たちに教えることだけは忘れるなよ!!」
一方で、ベルは研究所から持ってきた大きなスーツケースを物理的に引きずりながら、満面の笑みで僕とチェレンの手を握りしめた。
「やれやれ。主人公、君の叫びは二年前から一デシベルも成長していないが、その『しつこさ』こそがイッシュを守ったのも事実だ。……世界はこれから二年間、静かに息を潜めるだろう。だが、新しい風が吹く時、僕たちはまたどこかで交差するはずだ。……ちなみに、ベルはさっきからお別れの記念にって、『わあー! 二人の髪の毛を一房ずつサンプルに貰いたいなー!』って言いながら、戦場のど真ん中(僕の頭の上)でハサミをシャキシャキさせてるよ。ハゲるから止めてあげて」
「ベル!! それはサンプルじゃなくて『人格の剥奪』だから!! 切るなよ!! 自分のミジュマルが僕のスニーカーを『洗浄(全剃り)』した時の、あの毛穴まで凍りつくような恐怖を思い出して、一秒でも早くそのハサミを仕舞ってよ!!」
「あわわわー! 主人公くーん、そんなに怒らなくてもいいじゃなーい! でも大丈夫、この『英雄たちの散髪未遂事件』、しっかり図鑑の裏表紙に高画質スケッチ(連打)しとくから! ……あ、カノコタウンの空、二年前よりもすっごく広くて、青く見えるねー!!」
「空の解像度を分析してる場合かぁぁ!!」
カノコタウンに鳴り響く、聞き慣れた喧騒。Nの行方は誰にもわからず、英雄のドラゴンもまたどこかで眠りについた。だが、僕の泥だらけのスニーカーは、確かにここにある。物語の第一幕(BW編)は今、セーブデータの向こう側へと消えゆく。だがそれは、終わりではない。二年の月日を経て、凍てついた世界を溶かす「新しい主人公」へとこの執着を繋ぐための、壮大な幕引きだった。
「(……待ってろよ、二年後の自分。お前がどんなに新しい靴を履いていても、僕のこの『水没したラグから始まった真実』という名の重みだけは、物理的に継承させてやるからな!!)」