教会は静かだった。
ステンドグラスを透ける月光が、長椅子を青く染めている。
「ほう」
低い声が響く。
祭壇の前。
黒衣の男が、わずかに口元を歪めた。
言峰綺礼。
「柳洞寺が半壊、か」
報告書を閉じる。
キャスターが直接動き、撃退された。
それ自体は想定内。
だが。
「予定より早い」
呟く。
椅子に腰掛け、指を組む。
「原因は」
赤い外套の英霊か。
否。
「異物、だな」
聖杯戦争は、儀式だ。
流れはある程度固定されている。
人間の感情が揺らしても、骨子は変わらない。
だが今回。
「観測者、か」
口にすると、僅かに愉しげな響きが混じる。
結末を“知る”ような動き。
的確すぎる介入。
そして。
「消える前提で動いていた男が、消えなくなった」
情報は少ない。
だが十分だ。
「これは愉快だ」
静かな笑い。
理想を掲げる少年。
それを見つめる赤い英霊。
そして。
物語の外から落ちてきたような男。
「どのように壊れる?」
興味はそこだ。
救いではない。
破滅でもない。
“過程”だ。
◆
教会の地下。
冷たい石壁。
暗闇。
鎖の音。
言峰はゆっくりと歩く。
「聖杯は未だ濁っている」
それが本質。
願いを叶える器などではない。
呪いの坩堝。
「彼は壊すつもりらしい」
小さく笑う。
「ならば見てみよう」
壊す者が、何を抱えて残るのか。
破壊は簡単だ。
だが。
「その後を生きる覚悟」
それは、最も難しい。
◆
回想。
屋根の上。
夕焼けを見上げる青年。
「叛逆は終わりじゃない」
そう言った。
報告にあった台詞。
言峰は目を細める。
「希望を持つ叛逆か」
実に、甘美だ。
絶望に落ちる理想ほど、味わい深いものはない。
「だが」
顎に手を当てる。
「もし落ちぬなら?」
沈まない夕焼け。
夜を越える叛逆。
それは想定外だ。
想定外は、面白い。
◆
地上に戻る。
教会の扉を開ける。
夜風が吹き込む。
「監視を強化しろ」
影に命じる。
「特に、あの青年を」
名は――小鳥遊健。
「干渉者か、触媒か」
あるいは。
「新たな器か」
聖杯は歪んでいる。
だが器は選ばれる。
強い感情。
強い矛盾。
強い破壊衝動。
「君はどれだ?」
月を見る。
「愉しませてくれ」
静かな声。
祈りではない。
期待でもない。
ただ純粋な興味。
愉悦。
聖杯戦争は加速している。
理想。
叛逆。
観測者の転身。
その全てが、混ざり合う。
そして。
教会の鐘が鳴る。
深夜。
誰もいないはずの街に、音が広がる。
開幕は既に終わった。
ここからは。
壊れる者と、壊す者の競演だ。
言峰綺礼は微笑む。
物語が、予定調和を外れ始めた。
それこそが。
何よりの愉悦だった。
次回
「奪われた理想」