夕方。
屋敷の庭に、橙色が落ちている。
戦いのない、静かな時間。
それでも空気はどこか張り詰めている。
「健」
背後から声。
振り向くと、士郎が立っていた。
「少し、いいか」
「ああ」
縁側に腰を下ろす。
沈黙。
風が竹を揺らす。
「最近、無理してないか」
直球だった。
「してない」
反射的に答える。
だが士郎は視線を逸らさない。
「嘘だ」
「……なんでそう思う」
「分かる」
短い言葉。
「俺もやるから」
胸が少しだけ痛む。
「健はさ」
士郎が空を見る。
「自分が消えてもいい、みたいな顔をする時がある」
言葉が止まる。
図星だ。
「キャスターの時もそうだった」
あの瞬間。
士郎を助けるために踏み込んだ一歩。
迷いはなかった。
だが。
戻れない可能性を、受け入れていた。
「俺は」
士郎が拳を握る。
「誰かが消える前提で助けられるの、嫌だ」
真っ直ぐな声。
「それが自分でも、他人でも」
風が止む。
「お前は理想を追ってる」
俺は言う。
「人を助けるってやつだ」
「ああ」
「なら分かるだろ」
「分かるから言ってるんだ」
遮られる。
「健は俺を理由にするって言った」
あの夜の言葉。
士郎は覚えている。
「だったらさ」
視線がぶつかる。
「最後まで残れよ」
息が止まる。
「理由を置いてくな」
胸の奥が熱くなる。
「俺は」
言葉が詰まる。
消える覚悟はあった。
11秒目に踏み込む覚悟も。
だがそれは、
どこかで“自分は異物だから”という前提に立っていた。
残らなくてもいい存在。
外側の人間。
「健」
士郎が言う。
「お前、俺より自分を軽く見てるだろ」
否定できない。
沈黙が肯定になる。
「ムカつくな」
珍しく、少し怒った声。
「勝手に消える前提で動くな」
夕焼けが濃くなる。
「俺は助けたい」
士郎の声は揺れていない。
「でもさ、助けるってのは、残るってことだろ」
言峰の言葉が蘇る。
“消えるつもりの者に、境界は纏えぬ”
拳を握る。
視界の端で、色が揺れる。
群青が濃くなる。
白銀が形を取りかける。
朱が脈打つ。
薄金が温度を持つ。
「俺は」
ゆっくりと口を開く。
「異物だと思ってた」
「は?」
「この戦争を知ってる。結末も、だいたい」
士郎は黙って聞いている。
「だから、最後に消えてもいいって思ってた」
それが帳尻だと。
世界の歪みを均す役目だと。
「でも」
視線を上げる。
夕焼けが目に入る。
「それは逃げだな」
初めて口にする。
自分で認める。
「残る覚悟をしてなかった」
色が、はっきりと浮かび上がる。
今まで霧だったそれが、輪郭を持つ。
「健……?」
士郎には見えない。
だが俺には分かる。
群青が腕に沿う。
白銀が掌に集まる。
朱が背に重みを作る。
薄金が胸に灯る。
そして。
橙と紫が、ゆっくりと重なり始める。
「俺は残る」
はっきり言う。
「最後まで」
鼓動が強く打つ。
「消えない」
その瞬間。
空気が震えた。
色が一瞬、刃の形を取る。
完全ではない。
だが。
“握れる”感覚がある。
士郎が目を見開く。
「今、なんか……」
「何も見えてないだろ」
「ああ。でも」
不思議そうに笑う。
「前より、重くなった」
「重く?」
「ちゃんとここにいる感じがする」
胸に手を当てる。
温度がある。
逃げ場がなくなる。
だがそれでいい。
黄昏は境界。
終わりと始まりの間に立つ色。
そこに立つなら、
消える前提じゃ駄目だ。
「士郎」
「ん?」
「俺はお前を守る」
「うん」
「でも」
一瞬、間を置く。
「俺も守られる側にいる」
士郎は一瞬ぽかんとし、
そして笑った。
「当たり前だろ」
夕焼けが沈む。
橙と紫が溶ける。
だが今度は消えない。
胸の奥に残る。
まだ不完全。
だが確実に近づいた。
黄昏は、俺の外にある色じゃない。
俺が立つ場所そのものだ。
残る理由は、できた。
あとは。
その境界を、形にするだけだ。
次回
「未来の残骸」