中立魔術師は黄昏を纏う   作:夜神桜

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第二十四話 願いの底

泥に呑まれた。

落ちた感覚はない。

 

ただ、世界が切り替わった。

 

     ◆

 

静かな夕暮れ。

見覚えのある川原。

赤く染まる空。

風は穏やか。

 

「……は?」

 

立っている。

傷はない。

吐血もない。

 

「健」

 

振り向く。

 

士郎がいる。

無傷で。

 

「終わったぞ」

 

笑っている。

凛もいる。

セイバーも。

モードレッドも。

 

誰も欠けていない。

 

「聖杯は壊れた」

 

士郎が言う。

「お前が器になってくれたからな」

 

鼓動が止まる。

 

「……器?」

 

「覚えてないのか?」

 

凛が笑う。

「内部から壊したのよ」

 

モードレッドが肩を叩く。

「派手だったぜ」

 

違和感。

胸が軽すぎる。

色がない。

 

群青も白銀も。

橙と紫も。

 

「俺は」

 

喉が乾く。

 

「残ったのか?」

 

「もちろん」

士郎が即答する。

 

「誰も死ななかった」

 

穏やかな声。

「最高の結末だ」

 

     ◆

 

空が赤い。

綺麗だ。

 

あまりに綺麗すぎる。

 

「……誰の記憶にも残らない」

 

言峰の声が蘇る。

 

「歴史からも切り離される」

 

この世界は穏やかだ。

誰も痛んでいない。

犠牲はない。

 

理想的だ。

 

「健?」

士郎が不安そうに見る。

 

「どうした」

 

「お前は」

 

ゆっくり問う。

「俺のこと、覚えてるか」

 

「何言ってんだ」

 

笑う。

「当たり前だろ」

 

即答。

即答すぎる。

迷いがない。

 

まるで用意された台詞。

 

「……そうか」

 

空を見る。

赤が濃い。

橙と紫が混ざるはずの時間。

 

だが。

紫がない。

境界がない。

 

ただの“完成”。

 

「楽だろう?」

 

声が響く。

空そのものから。

 

「犠牲はない」

 

地面が歪む。

 

「痛みもない」

 

川が黒く濁る。

 

「願いは叶った」

 

姿はない。

だが分かる。

 

聖杯。

 

「選べ」

 

夕焼けが溶ける。

 

「器になれば、この未来は確定する」

 

士郎が手を伸ばす。

「残れるぞ」

 

笑っている。

 

「誰も失わずに」

 

凛も頷く。

セイバーも。

モードレッドも。

 

完璧な肯定。

 

温かい。

楽だ。

ここで頷けば終わる。

 

痛みはない。

10秒もいらない。

誰も泣かない。

 

でも。

 

「……違う」

静かに言う。

 

景色が一瞬揺れる。

 

「何が」

 

声が低くなる。

「これは“選択”じゃない」

 

拳を握る。

 

色がない。

だが、思い出す。

 

「これは願いだ」

 

誰かが用意した、都合のいい結末。

 

「俺は残るって決めた」

 

空が歪む。

 

「消えない」

 

「消えていない」

 

聖杯が囁く。

「ただ代償を払っただけだ」

 

「違う」

 

はっきり言う。

「誰も失わない未来は、誰かが全部背負ってる」

 

足元が崩れ始める。

川が泥になる。

 

「それは共有じゃない」

 

士郎の姿が揺らぐ。

 

「一人で抱えるだけだ」

 

凛の笑顔が歪む。

 

「俺はそれを否定した」

 

モードレッドの影が崩れる。

 

「残るってのは」

 

地面が砕ける。

 

「痛みも後悔も、皆で持つことだ」

 

空が割れる。

夕焼けが真っ黒に染まる。

 

「選び直す」

 

拳を振り上げる。

 

色が戻る。

 

群青。

白銀。

朱。

薄金。

 

そして。

橙と紫。

 

「俺は器にならない」

 

黄昏が腕を覆う。

 

「纏う」

 

世界を斬る。

夕焼けが裂ける。

偽りの平穏が崩壊する。

泥が逆流する。

 

「愚かだ」

聖杯が呻く。

 

「それでもいい」

 

踏み込む。

精神世界が崩壊する。

 

10秒はいらない。

これは意志の問題だ。

 

「俺は残る」

 

黒が割れ、光が戻る。

 

     ◆

 

現実。

泥の中心。

核が露出している。

 

膝をつきながら立つ。

吐血が喉を焼く。

だが目は開いている。

 

外で仲間の声。

 

モードレッドの雷。

士郎の叫び。

アーチャーの矢。

凛の詠唱。

 

独りじゃない。

共有している。

 

聖杯はまだ脈打つ。

だが迷いは消えた。

 

最後の誘惑は終わった。

 

残るは。

叛逆。

 

次回

「叛逆の騎士」

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