中立魔術師は黄昏を纏う 作:zeroが個人的に好き
泥に呑まれた。
落ちた感覚はない。
ただ、世界が切り替わった。
◆
静かな夕暮れ。
見覚えのある川原。
赤く染まる空。
風は穏やか。
「……は?」
立っている。
傷はない。
吐血もない。
「健」
振り向く。
士郎がいる。
無傷で。
「終わったぞ」
笑っている。
凛もいる。
セイバーも。
モードレッドも。
誰も欠けていない。
「聖杯は壊れた」
士郎が言う。
「お前が器になってくれたからな」
鼓動が止まる。
「……器?」
「覚えてないのか?」
凛が笑う。
「内部から壊したのよ」
モードレッドが肩を叩く。
「派手だったぜ」
違和感。
胸が軽すぎる。
色がない。
群青も白銀も。
橙と紫も。
「俺は」
喉が乾く。
「残ったのか?」
「もちろん」
士郎が即答する。
「誰も死ななかった」
穏やかな声。
「最高の結末だ」
◆
空が赤い。
綺麗だ。
あまりに綺麗すぎる。
「……誰の記憶にも残らない」
言峰の声が蘇る。
「歴史からも切り離される」
この世界は穏やかだ。
誰も痛んでいない。
犠牲はない。
理想的だ。
「健?」
士郎が不安そうに見る。
「どうした」
「お前は」
ゆっくり問う。
「俺のこと、覚えてるか」
「何言ってんだ」
笑う。
「当たり前だろ」
即答。
即答すぎる。
迷いがない。
まるで用意された台詞。
「……そうか」
空を見る。
赤が濃い。
橙と紫が混ざるはずの時間。
だが。
紫がない。
境界がない。
ただの“完成”。
「楽だろう?」
声が響く。
空そのものから。
「犠牲はない」
地面が歪む。
「痛みもない」
川が黒く濁る。
「願いは叶った」
姿はない。
だが分かる。
聖杯。
「選べ」
夕焼けが溶ける。
「器になれば、この未来は確定する」
士郎が手を伸ばす。
「残れるぞ」
笑っている。
「誰も失わずに」
凛も頷く。
セイバーも。
モードレッドも。
完璧な肯定。
温かい。
楽だ。
ここで頷けば終わる。
痛みはない。
10秒もいらない。
誰も泣かない。
でも。
「……違う」
静かに言う。
景色が一瞬揺れる。
「何が」
声が低くなる。
「これは“選択”じゃない」
拳を握る。
色がない。
だが、思い出す。
「これは願いだ」
誰かが用意した、都合のいい結末。
「俺は残るって決めた」
空が歪む。
「消えない」
「消えていない」
聖杯が囁く。
「ただ代償を払っただけだ」
「違う」
はっきり言う。
「誰も失わない未来は、誰かが全部背負ってる」
足元が崩れ始める。
川が泥になる。
「それは共有じゃない」
士郎の姿が揺らぐ。
「一人で抱えるだけだ」
凛の笑顔が歪む。
「俺はそれを否定した」
モードレッドの影が崩れる。
「残るってのは」
地面が砕ける。
「痛みも後悔も、皆で持つことだ」
空が割れる。
夕焼けが真っ黒に染まる。
「選び直す」
拳を振り上げる。
色が戻る。
群青。
白銀。
朱。
薄金。
そして。
橙と紫。
「俺は器にならない」
黄昏が腕を覆う。
「纏う」
世界を斬る。
夕焼けが裂ける。
偽りの平穏が崩壊する。
泥が逆流する。
「愚かだ」
聖杯が呻く。
「それでもいい」
踏み込む。
精神世界が崩壊する。
10秒はいらない。
これは意志の問題だ。
「俺は残る」
黒が割れ、光が戻る。
◆
現実。
泥の中心。
核が露出している。
膝をつきながら立つ。
吐血が喉を焼く。
だが目は開いている。
外で仲間の声。
モードレッドの雷。
士郎の叫び。
アーチャーの矢。
凛の詠唱。
独りじゃない。
共有している。
聖杯はまだ脈打つ。
だが迷いは消えた。
最後の誘惑は終わった。
残るは。
叛逆。
次回
「叛逆の騎士」