中立魔術師は黄昏を纏う 作:zeroが個人的に好き
⸻冬が終わりかけている。
聖杯戦争の痕跡は、もう街のどこにも残っていない。
瓦礫は片付き、穴は埋まり、噂も消えた。
誰も知らない。
あの夜、世界が一度、傾きかけたことを。
◆
健はアパートの窓を開ける。
朝の光が差し込む。
テーブルの上には教科書と、バイトのシフト表。
そして、何も起きなかったかのような日常。
「……平和だな」
呟く。
かつては“終わり”を知っていた。
誰が傷つき、誰が壊れ、どんな結末に辿り着くか。
だが今は違う。
もう、決まった未来はない。
聖杯は壊した。
器も、願いも、運命も。
残ったのは――選択だけだ。
◆
学校。
いつもの教室。
「健ー、昼どうする?」
士郎が振り向く。
相変わらずの距離感。
「購買競争は任せた」
「お前も走れ!」
凛が呆れたように溜息をつく。
「本当に、何もなかった顔してるわよね」
「何かあったか?」
「……いいえ」
視線が交わる。
理解している。
全部は言わない。
全部は共有しない。
でも、もう一人ではない。
それで十分だった。
◆
放課後。
屋上。
風が少し冷たい。
フェンスにもたれ、空を見る。
夕方。
橙と紫が溶け合う時間。
黄昏。
境界の色。
「やっぱ好きだな」
声がする。
振り向かなくてもわかる。
士郎だ。
「何が」
「その時間」
健は少し考える。
「昼でもない」
「夜でもない」
「どっちつかず」
「曖昧」
士郎は首を傾げる。
「お前、昔はもっと割り切ってなかったか?」
「そうか?」
「ああ」
苦笑する。
昔は中立を気取っていた。
どちらにも深入りしない。
バタフライ・エフェクトを恐れて。
異物であることを言い訳に。
「変わったんだよ」
「どうして」
「消えなかったから」
11秒目に踏み込まなかった。
越えなかった。
自分を犠牲にする未来を、選ばなかった。
「生き残るってさ」
空を見る。
「格好悪いな」
「なんでだよ」
「責任が残る」
痛みも、後悔も、記憶も。
全部抱え続ける。
でも。
「それでいい」
もう、逃げない。
自分が異分子でも。
イレギュラーでも。
この世界で生きると決めた。
◆
風が吹く。
橙が揺れる。
紫が滲む。
昼と夜の狭間。
どちらにも属さない色。
だけど。
確かにそこにある色。
「なあ健」
「なんだ」
「お前、これからどうするんだ」
未来は白紙だ。
魔術も続ける。
バイトも続ける。
学校も卒業する。
特別な使命はない。
世界を救う役目もない。
ただ。
「見張る」
「何をだよ」
「境界を」
士郎は意味がわからない顔をする。
笑う。
「極端に傾きそうになったら」
「少し押し戻す」
「中立って、そういうことだろ」
正義でも悪でもない。
理想でも破滅でもない。
その間に立つ。
曖昧で、不安定で、けれど確かな場所。
◆
空がゆっくりと深く染まる。
橙が紫に溶けていく。
最後の光が、健の横顔を照らす。
あの夜と同じ色。
けれど違う。
これは終わりの色じゃない。
続いていく色だ。
「……行くか」
屋上の扉に手をかける。
振り返る。
夕焼け。
胸の奥に、静かに色が灯る。
白夜でもない。
真昼でもない。
夕でもない。
朝日でもない。
そのすべてを抱えた、境界の色。
叛逆を越え、結末を越え、
それでも消えなかった魔術師は、
今日もまた、
その曖昧な光を纏って歩き出す。
――『中立魔術師は、黄昏を纏う』
完