衛宮邸の居間は、不思議なくらい静かだった。
つい数時間前まで命のやり取りがあったとは思えないほどに。
「で」
遠坂凛が腕を組む。
「あなた、説明してくれるわよね?」
俺は湯呑みに口をつけながら答える。
「中立の魔術師だよ」
「それ三回目」
ため息。
当然だ。
聖杯戦争に介入しておいて中立はない。
「目的は?」
「聖杯の破壊」
沈黙。
凛は額を押さえた。
「……本当に馬鹿なの?」
「よく言われる」
モードレッドが鼻で笑う。
セイバーは静かにこちらを観察している。
そして。
「あなたは」
声がした。
士郎だ。
まだ顔色は悪いが、目は真っ直ぐこちらを見ている。
「どうして、俺を助けたんですか?」
まっすぐすぎる問い。
俺は一瞬、言葉を選ぶ。
「目の前で死なれるのが嫌だった」
「それだけ、ですか?」
それだけ、だ。
だがそれだけではない。
お前が死ねば、物語が壊れる。
そんな打算を、口にするわけにはいかない。
「お前は」
俺は湯呑みを置く。
「自分が死ぬ可能性を考えなかったのか?」
士郎は少しだけ目を伏せた。
「考える暇、なかったです」
「嘘だな」
言い切る。
部屋の空気が張る。
「槍を見た瞬間、理解したはずだ。自分が死ぬって」
士郎は黙る。
俺は続ける。
「それでも逃げなかった」
「……放っておけなかったから」
小さな声。
凛が眉をひそめる。
「ただの見学だったんです。でも、あの人たちが戦ってて」
「だから命を差し出した?」
「差し出してません」
即答だった。
「俺は、助けられるなら助けたいだけです」
その言葉に、胸の奥が軋む。
違和感。
いや――既視感。
「正義の味方、か」
俺が呟くと、士郎の目が揺れる。
「……どうしてそれを」
「顔に書いてある」
原作知識じゃない。
目だ。
あの目は、自分より他人を優先する目だ。
「それで、最後に残るのは何だ?」
士郎は答えない。
答えられない。
セイバーが口を開く。
「衛宮士郎は未熟だ。だが、その理想は否定されるべきではない」
「否定はしない」
俺は首を振る。
「だが、その理想は“自分を含んでいない”」
士郎が息を呑む。
「お前は、自分が壊れる前提で話している」
部屋が静まり返る。
「それは正義じゃない。ただの消耗だ」
「違う!」
初めて、士郎が声を荒げた。
「誰かが傷つくより、俺が傷つく方がいい!」
真っ直ぐで、愚かで、眩しい。
そして――危うい。
「同じだな」
ぽつりとモードレッドが言う。
全員の視線がそちらに向く。
「こいつもだ」
顎で俺を指す。
「自分が消える前提で聖杯壊す気でいる」
凛が目を見開く。
「は?」
俺は舌打ちしたくなる。
「余計なこと言うな」
「事実だろ」
モードレッドは笑わない。
「世界の異物気取りで、一人で終わるつもりだ」
士郎の視線が俺に向く。
真っ直ぐ。
「……そうなんですか?」
答えられない。
俺は異分子だ。
本来いない存在。
物語を壊した後、残る理由はない。
だから。
「必要なら消える」
そう言った瞬間。
士郎が立ち上がる。
「それ、おかしいです」
「何が」
「俺がやろうとしてることと、同じじゃないですか」
言葉が刺さる。
「誰かのために自分がいなくなってもいいって思ってる」
「俺は覚悟だ」
「俺だって覚悟です」
沈黙。
凛が小さく呟く。
「……似た者同士ね」
否定できない。
士郎は拳を握る。
「俺は、俺が傷ついてもいいと思ってます。でも」
一泊。
「目の前で誰かが消えるのは、嫌だ」
まっすぐな目。
俺を見ている。
その視線から、逃げられない。
「あなたが消えるのも、嫌だ」
胸が、強く軋んだ。
何を言っている。
俺は異物だ。
物語の外側の存在だ。
なのに。
「……馬鹿だな」
絞り出すように言う。
「馬鹿でいいです」
即答。
セイバーが静かに頷く。
「理想は未熟だ。だが、それは否定されるべきものではない」
俺は立ち上がる。
これ以上は、まずい。
揺らぐ。
中立も、覚悟も。
「好きにしろ、衛宮士郎」
背を向ける。
「だが一つだけ言っておく」
振り返らずに言う。
「自分を勘定に入れない正義は、最後に誰も救えない」
それは忠告か。
それとも、自分への言葉か。
分からない。
夜風が縁側を抜ける。
戦争は始まったばかりだ。
だがもう、俺は知っている。
観測者ではいられない。
士郎の理想は、俺の覚悟を揺らす。
それが――何よりも厄介だった。
次回
「均衡点」