違和感は、唐突に訪れた。
衛宮邸の結界が、わずかに震える。
「……来るな」
俺は立ち上がる。
正面突破ではない。
もっと滑らかで、静かな侵入。
「随分と無粋ね」
声がした。
振り向いた瞬間、庭先の空間が歪む。
紫のローブ。長い髪。
妖しく整った貌。
キャスター。
「結界を壊してはいないわ。ほんの少し“借りた”だけ」
優雅に微笑む。
霊体に近い半実体。
戦う気はない、という意思表示か。
「大胆だな」
モードレッドが前に出る。
だが俺は手で制する。
「目的は?」
キャスターは楽しげに目を細める。
「挨拶よ。外から私の結界を揺らしたのはあなたでしょう?」
否定はしない。
「ええ。見事だったわ。未完成とはいえ、あれを乱すのは簡単ではない」
「褒め言葉として受け取っておく」
「どうぞ?」
くすり、と笑う。
余裕。
完全に主導権を握るつもりだ。
「単刀直入に言うわ」
キャスターは言った。
「組まない?」
沈黙。
モードレッドが鼻で笑う。
「は?」
「あなた、聖杯を望んでいないでしょう?」
心臓が跳ねる。
「……根拠は」
「目」
またそれだ。
「欲望の色が薄い。むしろ、壊す側の目」
ぞくり、と背筋が冷える。
この女は鋭い。
「仮にそうだとして」
「私も聖杯そのものには執着していないわ」
意外な言葉。
「正確には、“正しくない聖杯”に興味がないの」
第四次の情報を掴んでいる?
それとも魔女の勘か。
「私はね」
キャスターはゆっくり歩く。
地面に足は触れていない。
「自由が欲しいの」
柔らかい声。
「この戦争の枠組みからの解放」
願いは、脱出。
確かに彼女らしい。
「あなたは壊したい。私は抜けたい」
微笑む。
「利害は一致していると思わない?」
危険だ。
理屈は通っている。
キャスターは陣地作成に長け、情報戦に強い。
組めば、優位に立てる。
「条件は」
俺は問う。
「互いに干渉しないこと」
簡潔だ。
「あなたは他のマスターと遊んでいて構わないわ。私は私の方法で動く」
「犠牲は?」
キャスターの目が細まる。
「戦争よ?」
「答えになっていない」
一瞬だけ、沈黙。
「最小限に抑える努力はする」
努力。
保証ではない。
「信用できないな」
「あなたもでしょう?」
即座に返される。
正しい。
俺も、彼女から見れば異物だ。
「あなた、“知りすぎている”」
空気が凍る。
「何を」
「未来を予測するにしては、確度が高すぎる」
完全に見抜かれてはいない。
だが、疑われている。
「安心して」
キャスターは笑う。
「追及する気はないわ。それがあなたの魔術なら、それでいい」
魔術。
そういう扱いにしてくれるなら助かる。
「どうかしら?」
白い指先が差し出される。
「この無駄な殺し合い、少しは優雅にしてみない?」
甘い誘惑。
だが。
俺はその手を取らない。
「断る」
即答。
モードレッドがにやりと笑う。
「理由を聞いても?」
「お前は“努力する”と言った」
「ええ」
「俺は“止める”」
キャスターの微笑が、ほんの僅かに薄れる。
「犠牲が出る前に、叩く」
空気が変わる。
魔力がわずかに膨らむ。
「勇ましいこと」
「叛逆は性分でな」
キャスターはしばらく俺を見つめ、やがて肩を竦めた。
「残念」
その声に怒気はない。
「でも嫌いじゃないわ、そういう愚かさ」
愚かさ。
否定はできない。
「覚えておいて」
身体が薄れていく。
「私は敵に回すと、少し面倒よ?」
「知ってる」
「ふふ」
最後に視線が絡む。
「あなた、本当に何者なのかしら」
答えは闇に溶ける。
気配が消えた。
◆
静寂が戻る。
「随分と余裕ぶってたな」
モードレッドが言う。
「実際、余裕はある」
柳洞寺は堅い。
正面衝突は危険。
「でもよ」
モードレッドが俺を見る。
「ちょっと揺らいだろ」
図星だ。
合理的だった。
組めば、被害は減る可能性もある。
「……ああ」
「なのに断った」
「叛逆するなら」
俺は息を吐く。
「半端に妥協したくない」
キャスターは賢い。
だが、その賢さは冷たい。
犠牲を“最小限”と切り捨てる。
それはきっと、正しい。
だが。
士郎は許さない。
凛も、きっと。
そして。
俺自身も。
「面倒な道選ぶなあ」
モードレッドは笑う。
「だから面白い」
空を見上げる。
月は変わらずそこにある。
魔女は敵になった。
均衡は崩れつつある。
戦争は、静かに熱を帯びていく。
そして俺はまた一つ、選択をした。
消える前提ではなく。
残る前提で。
次回
「未熟な踏み込み」