異変に最初に気づいたのは、士郎だった。
「……人が減ってる?」
朝食の席で、ぽつりと呟く。
凛が眉をひそめる。
「何の話?」
「柳洞寺の方、通学路なんです。ここ数日、妙に静かで」
鋭い。
原作よりも早い気付き。
俺は箸を止める。
「気のせいだ」
即座に否定する。
士郎の目がこちらを向く。
「でも」
「戦争中だ。余計な首は突っ込むな」
強めの口調。
空気が固まる。
「余計、じゃない」
士郎は小さく言う。
「もし誰かが巻き込まれてるなら、放っておけない」
凛がため息をつく。
「今はまだ確証がないわ。下手に動けばキャスターの思う壺よ」
「でも!」
拳が震えている。
あの夜から、士郎はより強く“守る側”に傾いている。
俺の介入が、背中を押してしまった。
「俺は、助けられた」
士郎が言う。
「だから今度は、俺が」
胸が軋む。
違う。
それは違う。
「借りを返す戦争じゃない」
俺は低く言う。
「これは殺し合いだ」
「分かってます!」
声が上がる。
「でも、だからって見てるだけなんてできない!」
沈黙。
セイバーが静かに士郎を見る。
「マスター。単独行動は推奨できません」
「分かってる。でも」
止まらない。
俺は確信する。
このままだと、行く。
夜にでも、一人で。
◆
そして。
案の定。
夜、結界が揺れた。
「……馬鹿が」
俺は舌打ちする。
士郎の気配が邸外へ出ている。
「やっぱりな」
モードレッドが肩を竦める。
「止めるぞ」
「言われなくても」
◆
洞寺の石段。
月明かりの中、士郎は一人で立っていた。
「帰れ」
背後から声をかける。
士郎が振り向く。
「……来ると思ってました」
「なら来るな」
「無理です」
即答。
頑固だ。
「結界があるの、分かってるだろ」
「はい」
「勝てると思ってるのか」
「思ってません」
ならなぜ。
「でも」
士郎は前を向く。
「誰かが削られてるなら、止めないと」
その言葉に、怒りが滲む。
「止める? 一人で?」
「できることをするだけです」
俺は前に出る。
「それは自己満足だ」
「違う!」
「違わない!」
思わず声が荒れる。
「お前が倒れたら、誰が守る」
「それは……」
「お前は自分を戦力に数えてない」
昨日と同じだ。
「俺が消えてもいいって顔してる」
士郎が息を呑む。
「それの何が悪いんですか」
真っ直ぐな問い。
俺は、答えに詰まる。
何が悪い?
自分を切り捨てる覚悟は、美徳に見える。
だが。
「残された側が壊れる」
静かに言う。
「守られた側は、一生背負う」
士郎の目が揺れる。
「俺は」
言葉を探す。
「俺は、お前が消える前提で動くのが気に入らない」
「それは」
「俺と同じだからだ」
夜が静まる。
士郎が、俺を見る。
「あなたも?」
「必要なら消えるって、ずっと思ってた」
今も完全には捨てきれていない。
「でもな」
柳洞寺の闇を見る。
「叛逆するなら、最後まで立てって言われた」
モードレッドの言葉。
「だからお前も立て」
士郎の拳が震える。
「……怖いんです」
小さな声。
「何もできないのが」
それが本音か。
「俺は、何も持ってないから」
違う。
理想を持っている。
それは時に刃だ。
「なら」
俺は息を吐く。
「一人で来るな」
士郎が顔を上げる。
「来るなら、俺たちと来い」
完全な否定ではない。
止めきれないなら、抱え込む。
それが今の最善。
「……いいんですか」
「良くはない」
正直に言う。
「だが、お前を失うよりマシだ」
沈黙。
やがて士郎は、ゆっくり頷いた。
「分かりました」
「今日は帰るぞ」
背を向ける。
その瞬間。
ぞわり、と。
結界が波打つ。
闇の奥で、何かが嗤った。
「遅いわよ」
女の声。
キャスター。
「坊や一人なら歓迎したのに」
空間が歪む。
紫の魔力が滲む。
「チッ」
モードレッドが前に出る。
「やっぱ見られてたな」
「当然でしょう?」
キャスターの瞳が細まる。
「でも安心して。今夜は狩らない」
挑発。
「あなたたちが揃っているなら、少し面倒だもの」
視線が士郎に落ちる。
「未熟な理想は、嫌いじゃないわ」
「近づくな」
セイバーが前に出る。
空気が張り詰める。
だがキャスターは微笑むだけ。
「焦らなくていいわ。じっくり削るから」
気配が溶ける。
静寂。
「……くそ」
士郎が歯を食いしばる。
「ほら見ろ」
俺は言う。
「一人なら終わってた」
士郎は俯き、そして。
「でも、行かないとは言えない」
小さく呟く。
完全には止まらない。
分かっている。
それが衛宮士郎だ。
だからこそ。
「なら、強くなれ」
俺は言う。
「消える覚悟じゃなく、生き残る覚悟を持て」
士郎はゆっくり顔を上げる。
まだ未熟。
だが、ほんの僅かに。
迷いが変わった気がした。
柳洞寺の闇は、静かに揺れている。
戦争は、加速する。
未熟な踏み込みは、やがて本当の叛逆へと繋がる。
次回
「赤い観測者」