特級冷却材の無自覚無双~致死級の魔力暴走を「ただの風邪」だと思って看病していたら、国家最高戦力の美少女たちがヤンデレ化して俺を逃がしてくれない~   作:半歳独法

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轟 蛍

「来たッ……! 来たぞ、ハイ・スペクトルだ!!」

 

「全員伏せろォッ!!」

 

「右舷《うげん》二時方向、単体! しかしオレンジ——オレンジだ!! 赤外線高熱タイプ!!」

 

「遺書ッ! 俺の遺書はどこだッ!!」

 

 阿鼻叫喚《あびきょうかん》。

 

 正門のゲートの向こう側——学園敷地の内側から、一つの光が近づいてくる。

 オレンジ。

 

 不安定に明滅する、燃えるような橙《だいだい》色の光。

 

 それは優美なステンドグラスのような光ではなく、溶鉱炉の中で暴れ回る鉄の飛沫のように、バチバチと火花を散らしながら不規則に脈動していた。

 

 光の中心に、人影がある。

 

 ——短い髪だ。

 

 燃えるようなオレンジのショートヘア。排熱が追いつかないのか、毛先の一本一本からバチバチと赤い火花が散っている。前髪は額に張り付き、こめかみを伝う汗が、光に照らされて血のように赤く見えた。毛先が——熱で焦げて、縮れている。

 

 爬虫類のように縦に細い金色の瞳孔《どうこう》。常に充血した白目の中で、獰猛《どうもう》な光を放っている。目つきが悪い。というか、目つきが「殺意」

そのものだ。

 

 眉間に刻まれた深い皺《しわ》。慢性的な、脳髄を焼くような激痛に耐え続けている証。

 

 小柄。華奢。しかし全身の筋肉がワイヤーのように張り詰め、触れれば石のように硬い。

 

 学ランを肩にかけ、その下のYシャツは汗で肌に張り付いている。首元や手首に、冷却ジェルシートが貼られていた。首筋から二の腕の内側にかけて、リヒテンベルク図形《りひてんべるくずけい》のような微細な火傷の痕が、稲妻模様となって白い肌に刻まれている。

 

 ——轟《とどろき》蛍《ほたる》。

 

 ルミナス学園二年生。極光種《きょっこうしゅ》

 

 学園に七人しかいない高波長帯《ハイ・スペクトル》特級生の一人であり、不良。

 そして——常時、体内に致死量《ちしりょう》の熱を溜め込んだ、歩く自爆装置。

 

「……るっせえな」

 

 蛍が、呻《うめ》くように呟いた。

 

 その声は低く、掠《かす》れ、短い。語彙が少ない。常に脳を焼く激痛で、まともに思考を組み立てる余裕がないからだ。

 

 彼女は歩いているだけだった。ただ、正門の方へ歩いてきただけだ。

 

 しかし、彼女が一歩を踏み出すたびに、足元のアスファルトに赤い亀裂が走り、空気が歪み、彼女の周囲三メートルの気温が瞬間的に六十度を超える。

 

 排熱器官《ラジエーター》であるはずの髪が——短い。

 

 短すぎる。

 

 莫大な魔力炉を抱えていながら、排気口《はいきこう》を自ら削ぎ落としている。エンジン全開で排気管《マフラー》を塞いだスポーツカーのように、彼女の身体は常にオーバーヒートの瀬戸際で悲鳴を上げ続けていた。

 

「どけ。……頭、割れそうなんだ。機嫌悪ィんだよ」

 

 男子たちが蜘蛛《くも》の子を散らすように逃げる。

 

 重装甲が地面に転がり、悲鳴と金属音のカクテルが正門を満たした。

 

 ルカが全力でクロトの腕を引く。

 

「逃げろクロトッ! ! あれは轟蛍《とどろきほたる》だ! ! 学園最凶の——」

 

「ん?」

 

 クロトは、逃げなかった。

 

 正確には——逃げる理由がわからなかった。

 

 彼の目に映ったのは、こうだ。

 

 不機嫌そうな女子が一人、歩いてくる。顔色が悪い。額に汗が浮いている。眉間に皺が寄っている。手首に冷却シートを貼っている。

 

 要するに——

 

 (風邪《かぜ》ひいてんな、あいつ)

 

 クロトはジャージのポケットに手を突っ込んだまま、蛍の進路上に立ち続けた。

 

「おい」

 

 蛍が足を止めた。

 

 金色の瞳が、細く、鋭く、クロトを射抜く。

 

「……てめえ。なに突っ立ってんだ。どけつったろ」

 

「お前、大丈夫か? すげえ顔色悪いけど」

 

「……あ゛?」

 

 蛍の目が見開かれた。

 

 充血した金色の瞳孔が、一瞬だけ、困惑《こんわく》の色に揺れる。

 

 ——何だこいつ。

 

 何で逃げない。

 

 装甲も着てない。ジャージ一枚。鎖骨が出てる。汗の匂いがする。

 

 私の光を、三メートル圏内で浴びて——立ってる?

 

 クロトの手が、自然に伸びた。

 

 母親にそうするように。額の熱を確かめるように。何の警戒心もなく、ごく当たり前の動作として——蛍の額へ向かって、無造作に。

 

 蛍の全身が、総毛立《そけだ》った。

 

 頭が痛い。

 

 いつものことだ。髪を切ったあの日から、ずっと。

 

 頭蓋骨の内側で、高炉《こうろ》があの日の火を燃やし続けている。排熱できない。逃げ場がない。この頭の中で、あの日焼いてしまったあいつの悲鳴が、繰り返し、繰り返し——

 

 そこに、手が伸びてくる。素手の、剥《む》き出しの人間の手が。

 

 ——近づくな。私に触れるな。触れたら、焼ける。あの日みたいに。あいつみたいに。

 

「触んなッ!!」

 

 蛍が腕を振り上げた。

 

 反射だった。近づく手を叩き落とす。触れさせない。触れれば——また、焼いてしまう。

 

 拳がクロトの顔面に向かって飛ぶ。

 

 オレンジの火花が、彼の前髪を焦がし——

 

 掴まれた。

 

「え——」

 

 クロトが、蛍の拳を、素手で受け止めていた。

 

 ジャージの袖から覗く、やや筋張った前腕。血管が浮き、筋肉の輪郭が薄い肌の下で隆起している。無防備な、剥き出しの人間の手。

 

 その掌が、蛍の拳を——正確には、蛍の拳から放射される六十度超の灼熱の光を——まるで乾いたスポンジが水を吸い込むように、音もなく吸収している。

 

 ジュ、と。

 

 蛍の拳を覆っていたオレンジの光が、クロトの掌に触れた部分から急速に消えていく。

 

「な——」

 

 蛍の全身が、硬直した。

 

 ——痛みが、消えた。

 

 頭蓋骨の内側で、十年間燃え続けていた高炉が。

 

 一瞬だけ——たった数秒だけ——まるで誰かが冷たい水を注ぎ込んだかのように、鎮火した。

 

 ——嘘だ。

 

 こんなこと、ありえない。

 

 何をしても止まらなかった。冷却ジェルを貼っても、保健室で紫外線治療を受けても、鎮痛剤を限界量まで飲んでも、一秒も止まなかった痛みが。

 

 こいつの手に触れただけで——消えた。

 

「……ん」

 

 クロトは蛍の拳を握ったまま、反対の手を蛍の額に当てた。

 

「やっぱ熱えな。お前、ちゃんと飯食ってんのか? 額こんなに熱かったら、そりゃ頭も痛いだろ」

 

 ——何を、言っている。

 

 この男は。

 

 私の光は、触れた人間を炭に変える猛毒だ。

 

 幼《おさな》馴染《なじみ》の肌を焼き爛《ただ》れさせ、二度と会えなくしたこの手は、人殺しの手だ。

 

 なのに——

 

 蛍は、動けなかった。

 

 クロトの掌が額に触れている。冷たい。凍《い》てつくほどに冷たい。

 

 けれどそれは、冷却ジェルの無機質な冷たさとは根本的に違った。

 

 人間の手だ。

 

 血が通っている。脈が打っている。ほんの少しだけ汗ばんでいて、指紋の凹凸を感じる。

 

 この手の持ち主は、私の光を浴びて——平気な顔をしている。

 

 痛くないのか。

 熱くないのか。

 怖くないのか。

 怖くないのだ。

 

 この男は——私を、怖がっていない。

 

「……っ」

 

 蛍の金色の瞳から、不意に、一筋の涙がこぼれ落ちた。

 

 ただ、十年間ずっと握りしめていた拳から、力が抜けた。

 

 開いた指先が、クロトの手首に触れる。冷たい。気持ちいい。もう少しだけ——もう少しだけこのままで——

 

「ぅ——ッ」

 

 蛍は弾かれたように飛び退いた。

 

「さ、触んなって言ったろ……ッ!!」

 

 犬歯を剥き出しにして威嚇する。しかしその目尻は赤く染まり、声は震えていた。

 クロトは手をポケットに戻しながら、首を傾げた。

 

「いや、お前が先に殴ってきたんだけど」

 

「るっせえ!! 死ね!!」

 

「理不尽すぎるだろ……」

 

 蛍は踵《きびす》を返し、火花を散らしながら正門の奥へと消えていった。

 

 その背中——学ランの下のYシャツの背中が、一瞬だけ小刻みに震えているのを、クロトは見た。

 

 (……風邪ひいてんのに、虚勢張って冷えるだろうに。バカだな)

 

 それだけ思って、トランクを拾い直した。

 

 ——彼を見つめる三十人の男子たちが、全員口を開けたまま石化していたことには、まったく気づかなかった。

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