【TS】熱源の魔女は涼みたい 〜喋れないので適当に頷いていたら、いつの間にか人類の救世主になっていた〜 作:えんえん
その場所は、かつて静寂が支配する墓所だった。
だが今、地下八百メートルの聖域には、金属がひしゃげる不快な音と、一人の女の狂気に満ちた叫びが響き渡っている。
「カグヤ様……! ああ、カグヤ様ッ! 今、今お助けに参りますッ!」
爆煙を切り裂いて現れたのは、純白の法衣を鮮血で汚した聖女、クレアだった。
彼女の背後では、国家予算を投じて構築された六層の隔壁が、まるで熱したナイフで切られたバターのように無惨に切り裂かれている。
対するカグヤ――中身はニートの俺――は、手に持った耐熱合金の箸を止めて、固まっていた。
(え、何。誰、この人。怖いんだけど)
目の前の聖女様は、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、俺の足元にスライディング土下座をかましてきた。
その瞳には、信仰という名の狂気が宿っている。
「申し訳ございません!あなたのような高潔な御方が、このような汚らわしい檻に……!その細い首筋を締め付ける鎖、私が今すぐ、この命に代えても焼き切って差し上げます!」
(いや、待て。待て待て待て。話を聞け)
俺は必死に手を振って制止しようとした。
まず、その「鎖」は、俺にとっての生命維持装置……平たく言えば、最高級のエアコンなのだ。
俺の体は放っておくと熱が上がりすぎる。この冷却機能付きの封印具がなければ、俺は今ごろ自分の熱で蒸し焼きになっているか、あるいは周囲を溶かして地下生活が台なしになっている。
「……っ、……ぁ」
俺は抗議の声を上げようとした。
だが、俺の声帯は自身の魔力が発する熱によって、転生直後に焼き切れている。
漏れ出したのは、掠れた、今にも消え入りそうな吐息だけだった。
「……っ、……ぁぁ、……あ」
(やめろって言ってるだろ! それ壊したらマジで暑いんだよ!)
しかし、聖女クレアの耳には、その言葉は全く別の意味で届いたらしい。
「ああッ! なんという痛ましい声を!酷い、あまりにも酷すぎる!喋ることすら禁じられ、ただ魔力を吸い取られるだけの『電池』として扱われていたのですね!」
クレアの周囲の魔力が、怒りによって膨れ上がる。
「赦せません。彼女の言葉を奪い、その魂を縛り付けたこの国を、私は決して赦さない……!」
(いや、喋れないのはセルフ火傷のせいだし、電池扱いも何も、俺はただニート生活を満喫してただけなんだけど!)
俺は焦った。
このままだと、このヤンデレ聖女様は俺のエアコンを破壊する。
俺は必死に首を振り、拒絶の意思を示した。
だが、ここで俺の「体質」が牙を剥く。
焦りによって俺の心拍数が上がると、連動して魔力出力が跳ね上がるのだ。
ゴォォォォォォォ……ッ!
俺の周囲の空気が、急激な熱膨張によって歪み、陽炎となって揺らめいた。
拒絶のために振った首。だが、その背後にはプロミネンスのような炎の残像が走り、隔離室の壁をドロドロに溶かしていく。
クレアの目には、それがどう映ったか。
「ああ、ああ、そうですか。そうなのですね、カグヤ様。あなたはこれほどまでに、世界を憎んでおられたのですね」
(違う。ただ単に、エアコンが壊れそうで焦ってるだけだ)
「この震え、この熱。それは、押し殺してきた怒りの発露……。わかりました。あなたの『沈黙』、その真意を私は受け取りました」
クレアが、どこかスッキリした、悟りを開いたような表情で立ち上がった。
彼女は俺の目を真っ直ぐに見つめ、一歩、歩み寄る。
「カグヤ様。一度だけでいい。一度だけ、私の問いに頷いてください。そうすれば、私があなたの『代弁者』となり、この世界をあるべき姿に――すなわち、あなたの炎で浄化される灰の野へと変えてみせましょう」
(え、何? 怖い怖い怖い。何を言ってるのこの人)
俺は混乱していた。
だが、彼女の指先はすでに、俺の首にある「冷却封印具」の基幹部分に触れている。
(とりあえず、一旦この場を収めないと。頷けば満足して帰ってくれるか?)
俺は一刻も早く、ジャガイモの続きを食べたかった。
このまま問答を続けてエアコンを壊されるよりは、適当に話を合わせた方がいいと判断したのだ。
俺は、精一杯の「お願いだから大人しくしててね」という気持ちを込めて、ゆっくりと、一度だけ頷いた。
その瞬間。
「――っ。謹んで、拝命いたしました」
クレアの瞳から、光が消えた。
代わりに宿ったのは、ドロリとした漆黒の殺意と、狂気的なまでの忠誠心。
「アぇ……?」
(え、ちょっと待って。今の頷き、何にイエスって言ったことになったの?)
「宣言しましょう。今日、この時を以て、人類は唯一にして真なる神――カグヤ様への奉仕者となります。拒む者は、私がすべて焼き尽くしましょう」
パキィィィィィィィィィィィィン!!
心地よいはずの音が、俺の耳には死の宣告のように響いた。
クレアが放った浄化の魔法が、俺の首筋をキンキンに冷やしていた封印具を、内側から粉砕したのだ。
「あ……」
一気に、視界が真っ赤に染まった。
首元を保護していた冷却装置がなくなった瞬間、俺の体内の熱が、堰を切ったように溢れ出した。
シュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!
隔離室の床が、瞬時に液体へと変わる。
俺が立っている場所が、そのままマグマの溜まり場になった。
(熱い! 熱い熱い熱い! 誰だエアコン消した奴! ……あ、目の前の聖女様だ!)
俺は暑さのあまり、その場に蹲った。
だが、その動作すらも――。
「おお、なんと神々しい。封印を自ら焼き切り、降臨されたのですね……」
クレアは溶ける床の上で膝をつき、熱風に身を焼きながらも、恍惚とした表情で俺を拝んでいた。
「…………はぁ」
俺は、無惨に崩れ去った隔離施設の跡地で、空を見上げていた。
暑い。
とにかく暑い。
今までエアコン(封印具)がどれだけ俺を救ってくれていたか、失って初めて気づいた。
俺の体は今、常に数千度の熱を撒き散らしている。
歩くだけで地面が溶けるので、足場がふわふわして歩きにくいことこの上ない。
「カグヤ様、どこへ向かわれますか? あなたが進む先、すべてを私が平伏させましょう」
横でクレアが、キラキラした(物理的に魔力が漏れている)目で俺を見てくる。
(……どこへって。決まってるだろ。もっと涼しいところだよ)
俺は、遠くに見える、万年雪を頂いた高い山脈を指差した。
あそこなら、少しはマシかもしれない。
「……っ、……ぁ」
(あそこ。あそこ行きたい。雪、いっぱいありそうだし)
俺が指を差すと、クレアはハッとしたように目を見開いた。
「なるほど。あそこには、魔王軍の『氷結将軍』が座すと言われる要塞があります。彼らの冷気を奪い、あなたの糧にせよ、ということですね。承知いたしました。すぐに、死の行軍の準備を整えさせます」
(違う。ただ単に雪遊び……じゃなくて、雪の上で寝転びたいだけなんだ!)
俺の叫び(物理的に出ない)は、今日も届かない。
こうして、俺のニート生活を奪った世界への復讐――という名の、「最強のエアコン」探しの旅が、華々しく幕を開けてしまった。
「ふわぁ(あー、アイス食いてぇ)」
俺が漏らした欠伸。
その拍子に溢れ出た超高温の魔力が、前方にある森を一瞬で灰に変えた。
――こうして、人類の救世主(予定)による、最悪の散歩が始まったのである。