【TS】熱源の魔女は涼みたい 〜喋れないので適当に頷いていたら、いつの間にか人類の救世主になっていた〜 作:えんえん
聖王国の平原は、かつてない「異常気象」の真っ只中にあった。
北からは、魔界の深淵よりもたらされた、すべてを凍てつかせる死の吹雪。
南からは、ただ一人の少女が進軍することで生じる、岩をも溶かす猛暑の陽炎。
二つの領域が衝突する境界線では、絶え間なく水蒸気爆発が起こり、雷鳴が轟いている。
「――来たか。我が軍の精鋭を、ただの『家電』扱いした不遜な小娘が」
魔王軍の旗艦、空飛ぶ氷の城。その中央に鎮座する巨大な玉座に、その人物はいた。
魔界の頂点に君臨する『凍界王』サタン・フロスト。
数多の伝説で「氷の巨人」や「冷酷な老魔導師」と語り継がれてきたその正体は――驚くほど小さな、幼い少女の姿だった。
透き通るような青い髪を二つに結び、体に対してあまりに大きな毛皮のコートに身を包んでいる。だが、その小さな体から溢れ出す冷気は本物だ。彼女の周囲では、あまりの低温に空気そのものが液体となって滴り落ち、地面には常に絶対零度の霧が這っている。
「陛下、あやつは異常です」
傍らで震えるのは、先日カグヤに「エアコン扱い」されて敗走した四天王ゼノスだ。
「私の絶対零度を浴びて『涼しい』と宣いました。あれは魔導の理を超えた、純粋な『破滅』の概念そのものです」
「案ずるな、ゼノス。余の氷は、ただの冷気ではない。対象の『時間』そのものを停止させる凍結だ。いかに熱量が高かろうと、停止した分子は振動できぬ。すなわち、熱を発することも叶わぬ」
幼き魔王が、ふよふよと宙に浮き上がった。
彼女の瞳には、地平線からゆらゆらと、一人の美少女が歩いてくるのが見えた。
彼女は重そうな鎖をジャラジャラと引きずりながら、どこか眠そうに目を擦っている。
「……っ、……ぁぁ(あ、いたいた。あのお城、めっちゃ冷えてそう)」
カグヤの視界には、魔王軍の軍勢など入っていない。
ただ、白く光り輝く「氷の城」が、真夏の砂漠で見つけた「巨大な冷蔵庫」に見えているだけだった。
「……っ、……ぁ(ねえクレア、あのお城。あの中に入れば、もう外に出なくていいかな?)」
「もちろんです、カグヤ様。あの魔王とやらの心臓を抉り出し、あなたの寝室の冷却炉として捧げましょう。そうすれば、永遠に心地よい微睡みが約束されます」
クレアが今日も物騒なことを言っている。
でも、確かにあのお城からは、ここ数日で一番の「冷気」を感じる。
期待に胸を膨らませたせいか、俺の体温も少し上がってきた。……あ、ヤバい、足元の草が燃えてる。
(よし、ちょっと交渉してくる。おーい! 魔王さーん! 一晩泊めてー!)
俺は全力で手を振った。
――ドォォォォォォォォォン!!
俺が振った手の動きに合わせて、圧縮された熱気が衝撃波となって放たれた。
魔王軍の先遣隊三千人が、その熱波だけで「あ、ちょっと今日は無理」という顔をして気絶し、装備していた鉄の盾が真っ赤に熱せられてドロドロに溶けた。
「……っ、……ぁぁ!(あ、やりすぎちゃった! ごめんね!)」
「いいえカグヤ様、あれは不敬な輩への適切な挨拶です。さあ、次はあの玉座の幼子を解体しましょう」
「………は?」
魔王サタンは、我が目を疑った。
挨拶代わりの挙手で、我が軍の精鋭が(物理的に)解かされた。
それも、魔法ではない。ただの「排熱」による物理現象でだ。
「……貴様ッ! この余を、魔界の王を愚弄するかぁぁぁッ!!」
サタンが激昂し、小さな両手を広げた。
彼女の背後に展開されたのは、数千もの『氷晶の槍』。一つ一つが、触れたものの時間を永久に停止させる呪いの武具。
「受けよ! 『永劫凍土の審判(エターナル・パニッシュメント)』!!」
空を埋め尽くす氷の槍が、カグヤに向かって降り注ぐ。
それはまさに、世界を白銀に塗り潰す絶望の雨だった。
(わぁ……かき氷の山だ……)
空から降ってくる無数の氷。
俺にとっては、それは攻撃ではなく、天から降ってきた「ご褒美」にしか見えなかった。
俺は逃げるどころか、むしろ自分からその氷の雨の中に飛び込んだ。
ガキィィィィィィィン!!
氷の槍が、俺の肩や背中に直撃する。
本来ならそこで俺の時間は止まり、彫像になるはずだった。
だが、今の俺は「エアコンなしの猛暑」にブチギレ寸前の、限界状態である。
俺の体から溢れ出す無意識の拒絶――「暑いの嫌だ!」という情念が、魔力を超えた物理的圧力となって、氷の槍を真っ向から迎え撃った。
シュゥゥゥ……ッ!
槍が俺の肌に触れた瞬間、それは停止する暇もなく蒸発した。
だが、その瞬間の「ひんやり感」!
(――はぁぁぁぁ、最高。これだよ、これ。お、あそこに浮いてる小さい子、あの子が一番冷えてる!)
俺はあまりの気持ちよさに、空中で驚愕に目を見開いている幼い魔王様に向かって、思い切りダイブした。
「……っ、……ぁぁぁぁぁ!!(見つけたぁぁぁ! 私の、新しい抱き枕(エアコン)!!)」
「なっ、……よせ、来るな! 余に触るなァァァ!!」
魔王が絶叫する。
彼女は見た。自分に向かって突進してくる少女の背後に、太陽のプロミネンスにも似た、巨大な炎の翼が展開されているのを。
――ガシッ。
俺は、空中で魔王様の小さな体を、がっちりと抱きしめた。
冷たい。めちゃくちゃ冷たい。
この子の体温、マイナス何百度あるんだ? 最高の寝心地だ!
「……っ、……ぁぁ!(冷たぁぁぁい! 最高! 君、今日から俺の専属な!)」
「あ、熱っ……! 熱い熱い熱い! あ、ちょ、溶ける! 余の魔力が、根源から蒸発していくぅぅぅ!!」
魔王様の氷のコートが、俺の抱擁によって瞬時に沸騰し、霧散した。
そのまま俺たちは、氷の城の甲板へと墜落した。
「……っ、……ぁ(……んぅ……。……ひんやりして、気持ちいい……)」
俺は、腕の中に収まった「最高級の保冷剤」の心地よさに満足して、深い眠りについていた。
幼女だろうが魔王だろうが、そんなことはどうでもいい。
今の俺は、ただの「暑がりなニート美少女」だ。
魔王様がときどき「熱い……助けて……」と弱々しく呻いている気がするけど、きっと夢だろう。
こうして、世界を滅ぼすはずだった魔王軍の総攻撃は、俺の一昼寝によって幕を閉じた。
後日、この出来事は『極熱の抱擁事件』として歴史に刻まれ、魔王軍は「カグヤ様に冷気を献上する」ための「魔王軍(空調機器メーカー)」へと再編されることになるのだが――それはまた、別のお話。
「……っ、……ぁ(あー……明日も、涼しいといいなぁ)」
氷の城の残骸の上で、俺は幸せな欠伸を一つ、漏らした。