鏡合わせのアル、あるいは透き通った陸八魔【ブルーアーカイブ×ジャンケットバンク】   作:ていん?が〜

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第1話:ウソつきの貸借対照表(バランスシート)

 カラス銀行、地下特別ロビー。

 

 地上では決して知られることのない、日本の富の偏向を象徴するその場所は、重厚な大理石と冷たい空気感に包まれていた。微かに漂う高級な葉巻の香りと、電子機器が発する静かな駆動音。

 ここには日常の平穏も、法による救済も存在しない。あるのは「金」と、それを奪い合う「才」のみである。

 

「……あの、陸八魔さん。本当に、よろしいんですね? もう一度だけ確認しますが、この契約書にサインをすれば、後の取り消しは一切不可能です」

 

 新人行員、御手洗輝は、目の前の少女に困惑を隠せないまま問いかけた。

そこに座る少女――陸八魔アルは、立派な角を持ち、深紅のコートを肩に羽織っていた。

 一見すれば、裏社会を統べる冷徹な支配者のような風格を漂わせている。しかし、御手洗の目には誤魔化せなかった。彼女が持つ高級そうな万年筆は、小刻みに、それでいてはっきりと震えているのだ。

 

「ふ、ふふん。当然よ。私、陸八魔アルは『便利屋68』の社長。この程度の額、日常茶飯事なんだから! 御手洗君だっけ? あなた、新人だからって緊張しすぎじゃない?」

 

 アルは胸を張って言い切る。だが、その視線は契約書に並ぶ「100,000,000円」というゼロの羅列を、獲物に狙われた小動物のように凝視していた。

 

 彼女がここに来た理由は、あまりにも情けない。事務所の家賃を半年分滞納し、さらに前回の依頼で誤って爆破した公共施設の修理代が、彼女のキャパシティを完全に超えたのだ。

 闇金融からの督促状を、優雅なティータイムの招待状のように扱っていた彼女だったが、いよいよ「カラス銀行」という禁断の門を叩くしかなくなったのである。

 

「(大丈夫かな、この人……すぐ死んじゃいそうだけど、本当に社長さんなんだろうか……?)」

 

 御手洗の不安を煽るように、重厚な扉が開き、対戦相手が現れた。

 

「ククッ、今日のカモは随分と可愛いお嬢ちゃんだな。カラス銀行も焼きが回ったか?」

 

 現れたのは、成金風の男、猪瀬という名だ。派手なスーツに身を包み、指には悪趣味な金指輪がいくつも光っている。彼はアルを値踏みするように眺めると、下品な舌なめずりをして卓に座った。

 

「さあ、始めようぜ。ガキ相手に手加減してやるほど、俺は紳士じゃねえんだ」

 

【ゲーム内容:ダブル・ブラインド・オークション】

 

• 装置: 中央に1台の巨大な天秤が鎮座している。各自の手元には0から1000までの数字が刻まれたダイヤル式の入力機があり、中央には決定ボタンが配置されている。

 

• ルール: 各プレイヤーには毎ラウンド1000万円の軍資金が仮想通貨として与えられる(全3セット)。

 

• 進行:

1. プレイヤーは「そのラウンドで消費する金額」を1万円単位(ダイヤルの数値×1万)で入力する。

 

2. 入力は非公開。両者が決定ボタンを押した瞬間、中央モニターに数値が公開される。

 

3. **「より大きい金額を提示した側」**がそのセットの勝利者となる。

 

4. 勝利者が提示した金額は即座に没収される。

 

5. 敗北した側は、自分が提示した金額を没収された上で、さらに**「勝者が提示した額との差額」**をペナルティとして銀行に支払う。

 

• 勝利条件: 3セット終了時点で、手元に残った合計金額が多い方の勝利。

 

• ペナルティ(敗者の末路): 最終的な所持金がマイナス(負債)となった場合、敗者は即座に人権を差し押さえられ、カラス銀行主催の「人身売買オークション」に商品として出品される。買い手がついた後は、死ぬまでその所有者の私有物として扱われる。

 

「いい? 御手洗君。私みたいなアウトローはね、運すらも支配するのよ。見てなさい」

 

 アルは不敵な笑みを浮かべ、指先を震わせながらダイヤルを回し始めた。その動作は、どこかぎこちなく、経験の浅さを物語っているように見えた。

 

「ね、ねぇ。御手洗君。ちょっと確認なんだけど、このダイヤルって……こう、回しすぎちゃっても、ちゃんと止まるのよね?」

 

「え? ええ、物理的な限界はありませんが、数値は1000で止まるはずです。あ、いや、一周して戻る設計にはなっていますが……」

 

「ふーん。一周ねぇ。まぁ、適当に回せばいいわよね!」

 

 アルはそう言うと、猪瀬に悟られないように、しかし御手洗からは丸見えの「適当な」手つきでダイヤルをぐるぐる回し始めた。

 

【第1セット】

 

猪瀬の提示額:500万円

 

アルの提示額:501万円

 

「な……ッ!?」

 

 モニターに映し出された数値を見て、猪瀬が椅子から身を乗り出した。

わずか1万円の差。アルが紙一重で競り勝ったのだ。

 

「あ、あら? ふ、ふふん! 当然の結果ね。私の勘を侮らないことだわ! どう、御手洗君。完璧な戦略でしょう?」

 

 アルはわざとらしく鼻を鳴らし、ふんぞり返る。しかし、彼女の額には大粒の汗が浮かんでいた。コートの合わせ目を強く握りしめる拳は白くなり、喉を上下させて激しく唾を飲み込んでいる。

 

 それを見ていた御手洗は確信する。

 

「(やっぱり……。絶対に適当に回して、奇跡的に当たっただけなんだこの人。強がってはいるけど、さっきの1万差に一番驚いてるのは本人だ……!)」

 

 猪瀬は顔を真っ赤にして、アルを睨みつける。

 

「まぐれだ……。単なるビギナーズラックに決まっている! このアマ、適当に回しやがって!」

 

 第2セット。猪瀬は戦略を切り替えた。

 

「(あのガキ、1セット目で運を使い果たした顔をしてやがる。次は勝ちに来るはずだ。ならば、こちらは最大限に釣り上げて、奴の資金を枯渇させてやる!)」

 

 猪瀬は一気にダイヤルを回す。一方で、アルはまたしても御手洗に話しかけていた。

 

「あのさ、この入力機。ちょっと反応が悪い気がするんだけど。ほら、こうやって逆に回すと、なんかカチカチ鳴るわよ? これ、壊れてない?」

 

「陸八魔さん、今はゲーム中ですから! 装置の不備があれば、銀行員がすぐに点検しますが……」

 

 御手洗が装置を確認しようと近づくと、アルは「あ、いいのいいの。自分でなんとかするわ!こう、ガツンと回せば……」と、ダイヤルを逆方向に高速回転させ始めた。その表情は、まるでおもちゃの仕組みに戸惑う子供のようであった。

 

「よし、こんなもんかしら! えいっ!」

 

【第2セット】

 

猪瀬の提示額:950万円

 

アルの提示額:0万円

 

「ギャハハ! 逃げやがったな! 1円も出さずに降参かよ!」

 

 猪瀬の怒声がロビーに響き渡った。

 ルールに基づき、アルは提示した0円を失い、さらに「勝者との差額」である950万円のペナルティを課せられた。第1セットで得たリードなど一瞬で蒸発し、彼女の収支は一気に深い赤字へと転落した。

 

「あ……あわわ……」

 

 アルは顔を青くして、自分の手を凝視した。

 

「ちょっと待って、0って……私、さっきカチカチやってた時に、ボタン押しちゃったのかしら!? 嘘でしょ!?ちょっと御手洗君、今のナシにできない!?」

 

「陸八魔さん!? 落ち着いてください、これじゃ次のセットで負けたら本当にオークション行きですよ! 何をやってるんですか!」

 

 御手洗が悲鳴に近い声を上げる。猪瀬はそれを見て確信した。

この女は、自分が何を打っているのかすら理解していない。先ほどの1万円差の勝利は、単なる操作ミスが奇跡的に重なっただけの産物。ただの間抜けなカモだ。

 

「ヒィーハハハ! 面白いぜお嬢ちゃん! 第3セット、全額ぶち込んでトドメを刺してやる! 人生最後のダイヤル回し、精々楽しむんだな。アンタみたいなタイプは高く売れるぜ、買い手には困らねえ!」

 

 猪瀬は勝利を確信し、下品な笑い声を上げながら、椅子をガタガタと鳴らした。

 一方、アルはうつむいたまま、わなわなと膝を震わせている。

 

「そんな……私の、私のアウトローライフが、家賃滞納とボタンの押し間違いで終わるなんて……。御手洗君、オークションって、怖い人が買いに来るのかしら……。服とか、脱がされたりしない……?」

 

「そんなこと言ってる場合じゃないですよ! 対策を考えないと!」

 

 絶望に打ちひしがれる少女。その姿は、あまりにも無力で、残酷なギャンブルの世界には不釣り合いに見えた。

 

 だが、その時だ。

 

 

「……ッ!?」

 

 猪瀬の背筋に、氷柱を叩きつけられたような猛烈な寒気が走った。

 部屋の温度は一定のはずだ。だが、自分の首筋を、誰かが鋭利な刃物でなぞっているような、本能的な恐怖。

 

「(なんだ……? 今のは……。死の気配? まさか。相手はあんな泣きべそをかいているガキだぞ……?)」

 

 猪瀬が視線をアルに向けると、そこには相変わらず「どうしましょう、御手洗君……」と半泣きで担当行員に縋り付く、頼りない少女の姿がある。

 

「おい、担当! さっさと第3セットの準備をしろ! この逃げ腰の腰抜けを、さっさと出荷しちまいたいんだよ!」

 

 猪瀬は自分の胸のざわつきをかき消すように怒鳴り散らした。

 アルは涙目になりながらも、ゆっくりと顔を上げた。

 

「……ええ。そうね。第3セット……始めましょうか。私の『全て』を賭けて。御手洗君、最後までちゃんと見ててね? 社長の勇姿を」

 

 その声は震えていた。しかし、彼女の手は、吸い寄せられるようにダイヤルへと伸び、再び「カチカチ」と不自然な音を立てて回り始めた。

 

 その音が、自らの死への秒読みであることに、猪瀬はまだ気づいていない。

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