鏡合わせのアル、あるいは透き通った陸八魔【ブルーアーカイブ×ジャンケットバンク】   作:ていん?が〜

10 / 28
第10話:主客転倒(リバース・アンチ・スクリプト)

 透明なケージの中、陸八魔アルは文字通り「のたうち回って」いた。

 カラス銀行特製の猛毒は、吸入した瞬間に肺胞をズタズタに焼き、脳に「全身の毛穴から針を突き通される」ような激痛を伝達する。

 その濃度は、美夜子の冷徹な「演出」により規定の三倍にまで跳ね上がっていた。

 

 「が、はっ……あ、げほっ……! い、痛い……痛いよぉ……!!」

 

 コンクリートの床に爪を立て、アルは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら叫んでいた。分厚い眼鏡を指で押し上げようとして滑り、背中を丸めて床を這う。

 その姿は、かつてゲヘナ学園の片隅で、誰の視界にも入ることのなかった「1年前の彼女」そのものだった。

 

 美夜子は、防音ガラス越しにその醜態を冷ややかに見つめていた。彼女の手元にある台本(タブレット)には、刻一刻と変化するアルの様子が「ト書き」として自動的に生成されている。

 

「朝比奈美夜子は断言しました。……その『1年前のあなた』を模した演技。悲劇のスパイスとしては悪くありません。格上の強者に蹂躙される無力な少女の絶望……。ですが、いつまでもその安っぽい仮面に逃げ込むのは、演出家(わたし)への侮辱です。早くその奥に隠した毒を出しなさい。陸八魔アル」

 

 「あ、朝比奈……さん……。ひっ、ごめんなさい……もう、やめて……! 私、こんなの聞いてない、死んじゃう……死んじゃうよぉ!!」

 

 アルはケージの壁に縋り付き、嗚咽を漏らしながら美夜子を、そしてケージの外で顔を真っ青にしている御手洗を見つめた。

 

 「御手洗……さん! 助けて……助けてください! お金なら、なんとかしますから……! 便利屋の……みんなを呼んで……カヨコちゃん、ムツキちゃん、ハルカちゃん……誰でもいいからぁ!!」

 

 その叫びは、あまりにも真に迫っていた。

 

 美夜子の眉が、微かに、だが確実に不快感で歪んだ。

 アルの叫びは、あまりにも真に迫っていた。演技であれば最高の役者だが、もしこれが「素」なのだとしたら、彼女が期待していた「意志と意志の激突」は存在しないことになる。

 

 「朝比奈美夜子は、苛立ちを覚えました。……やめなさいと言っているのです。聞き分けのない役者は、舞台を台無しにするゴミと同じです」

 

 そして御手洗は、唇を噛み切りそうなほど強く噛みしめ、拳を握りしめていた。

 

 「(……なんだ、これは。あの時……真神さんと対峙した時の、あの氷のような眼差しはどこへ行ったんだ。今、目の前で泣き叫んでいるのが、本当に陸八魔さんの『中身』なのか……!?)」

 

 獅子王(シシオウ)は、その阿鼻叫喚の光景を眺め、狂喜乱舞していた。

 

「ハッハッハ! これだ! これこそがリアル! 虚飾を剥ぎ取った後に残る、生(なま)の生存本能だァァ!! キャストA、君は最高のピエロだ! さあ、第二ラウンド、行ってみようじゃないか!!」

 

 

 第二ラウンド。演出者はアル。

 

 しかし、アルは震える手でコンソールに触れることすらままならない。

 

 「あ、朝比奈さん……私、もうボタンなんて押せません……。怖い……。何が毒で、何が花の香りかなんて……そんなの、わかるわけないじゃないですかぁ!!」

 

 アルはパニックに陥ったように、コンソールのパネルをめちゃくちゃに叩き、隙間に指を突っ込んで何かを探るような奇妙な動きを見せた。

 

 「あ、あれ……? これ、どうなってるの……? うう、壊しちゃったかな……カヨコちゃんに怒られる……ハルカちゃんに謝らなきゃ……」

 

 泣きじゃくりながら、アルはパネルの裏側や端の配線を弄り回し、狂ったようにカチャカチャとスイッチを無意味に切り替え続ける。

 

 「……朝比奈美夜子は、吐き気を催しました。いつまで続けるつもりですか? 怯え、惑い、無意味に装置をいじる……その惨めな姿を晒し続けるのが、あなたの戦略(プロット)だというのなら、あまりにも低俗です」

 

 美夜子の声には、明確な殺意が混じり始めていた。

 彼女が求めていたのは、強大な意志を持つ者が崩れ落ちる「悲劇」であって、最初から壊れている「ガラクタ」を弄ぶことではない。

 アルの知性の欠片も感じられない挙動が、美夜子の芸術的プライドを激しく逆なでしていた。

 

 「あああ、もう嫌だ! えいっ、えいっ!! これでもういいでしょ!!」

 

 

 【演出内容:劇毒(リアル)】

 

 アルが半狂乱で選択したのは、皮肉にも相手を殺しうる「劇毒」だった。

 美夜子のケージ内に、禍々しい緑色のガスが噴出される。

 

「朝比奈美夜子は冷笑しました。……自暴自棄な攻撃。あなたが泣き喚き、視線を逸らし、震える指で右端のボタンを叩いた。そのすべての挙動が、私に『真実』を告げています。あなたのその『1年前の残影』こそが、私への唯一の抵抗なのだと」

 

 美夜子は一切の迷いなく、手元の【劇毒(リアル)】という正解を選択した。

 

 

 ――ピコン。

 

 【裁定:正解】

 

 【ペナルティ:キャストAに倍量フィードバック】

 

 

 「ひぎゃあああああああ!!!」

 

 アルのケージ内に、先ほどを上回る濃度の毒ガスが吹き荒れる。

 アルは白目を剥き、口から泡を吹いて床を転がった。その指先は血が滲むほど床を掻きむしり、全身が痙攣している。

 

 「ハッハ! 正解! 大正解だキャストB! キャストA、君の負けだ! 無様な敗北だ! さあ、肺を腐らせ、腸を焼かれ、劇的な死を迎えてくれたまえ!!」

 

 獅子王がダンスを踊るようにケージの周りを回り、劇的な「終幕」を演出しようとする。

 御手洗はたまらず叫んだ。

 

 「やめろ……もうやめてくれ! 彼女はもう戦意を喪失している! これ以上の続行は……!!」

 

 「朝比奈美夜子は、行員の言葉を黙殺しました。……陸八魔アル。これがあなたの正体ならば、もはや興味はありません。次のラウンドで、あなたの心臓を止め、この拙い即興劇を終わらせます」

 

 美夜子は、完全にアルを見限っていた。

 目の前で虫のように蠢く少女。1年前、どこにでもいる「モブ」としてゲヘナ学園の片隅にいたという記録通りの、救いようのない凡俗。

 美夜子にとって、思い通りにならない「予測不能な強者」こそが脚本の華であり、ただ怯えるだけの標的は、処理すべきゴミに過ぎなかった。

 

 

 第三ラウンド。演出者は美夜子。

 

 美夜子は迷いなく【劇毒】を選択した。もはや心理戦など必要ない。濃度を上げ続け、物理的に相手の生命活動を停止させればいい。

 

 アルのケージ内に、死の煙が満ちる。

 アルはもはや声も出ないのか、ヒタヒタと床に溜まった「毒液(結露した毒ガス)」の中に顔を埋めるようにして伏していた。

 その呼吸は浅く、今にも止まりそうに見えた。

 

 「朝比奈美夜子は思いました。……幕は下り、残されたのは、泥に塗れた少女の屍のみ。アンコールは、不要です。さあ、回答を選びなさい。死を選ぶ権利だけは、あなたに差し上げましょう」

 

 美夜子が冷たく宣告する。

 だが、その沈黙を破ったのは、これまでのような悲鳴ではなかった。

 

 

 「ヒヒッ……」

 

 

 短く、奇妙な。まるで壊れた玩具が漏らすような笑い。

 美夜子の眉が不快げに跳ね上がる。

 

 「……朝比奈美夜子は不快感を露わにしました。陸八魔アル、最後の最後まで脚本を汚すつもりですか」

 

 

 「ヒヒ、ヒヒヒッ! ヒャハッ!」

 

 

 笑い声は次第に大きくなり、それは明確な意志を持った「爆笑」へと変わっていく。

 

 アルが、ゆっくりと立ち上がった。

 ケージ内は未だ濃密な劇毒が渦巻いており、本来ならば一秒呼吸するだけで肺が壊死するはずの環境だ。しかし、彼女の肌は赤らむこともなく、呼吸が乱れる様子すら一切なかった。

 

 「な……!? なぜ……効いていないの……? 朝比奈美夜子は混乱しました。濃度は致死量の五倍に達しているはず。生存など、あり得ない……!」

 

 美夜子の台本(タブレット)が、エラー音を吐き出した。

 ケージの外で見守っていた御手洗も、あまりの異変に腰を抜かさんばかりに驚愕している。

 

 「陸八魔さん……? 嘘だろ、あんな濃度の毒を吸って、平気な顔をしてるなんて……」

 

 アルは、自身の顔にこびり付いていた涙と鼻水を、乱暴に手の甲で拭った。

 その瞬間、彼女の纏う空気が、次元ごと入れ替わるように激変した。

 おどおどとしたモブの気配は霧散し、先ほどのハードボイルドな冷徹さとも異なる、圧倒的な「狂気」と「暴力」がその場を支配した。

 

 アルは、大きく首を横に振り、関節をバキバキと鳴らした。

 そして、獲物を定める狼のような、獰猛な笑みを美夜子に向けた。

 

 

 「ヒャーハッハッハ! 驚いたかよ姉ちゃん!! 自分の書いた台本がゴミクズになっちまった気分はどうだぁ!? ええ!?」

 

 

 その声を聞いた瞬間、御手洗の脳裏に、かつて遭遇した「ある男」の残像がフラッシュバックした。

 

 

 (この声、この汚い笑い方……性格、口調、立ち振る舞いまで……。間違いない、これはカラス銀行のあの……猪瀬(イノセ)だ!)

 

 

 アルは狂ったようにケージの壁を蹴り飛ばし、美夜子を指差して吠えた。

 

 「演出家だぁ? 脚本家だぁ? ケッ、反吐が出るぜ! お前のやってるのはただのオママゴトだ! 本物の『殺し合い』ってやつを教えてやるよ! さあ、次のカードを引けよ! 次は俺が、お前のその澄ましたツラを毒でドロドロに溶かしてやる番だぜぇ!!」

 

 猪瀬そのものと化したアルの咆哮が、防音ガラスを震わせ、死の迷宮に響き渡った。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。