鏡合わせのアル、あるいは透き通った陸八魔【ブルーアーカイブ×ジャンケットバンク】   作:ていん?が〜

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第12話:終幕、あるいは神の不在証明(デウス・エクス・マキナ)

 「わ、からない……! わからないわ、こんなこと……ッ!!」

 

 朝比奈美夜子は、自身の吐血で汚れたコンクリートの床を掻きむしり、狂乱の声を上げた。

 

 劇毒によって肺胞が壊死し、内側から肺をパンクさせたことによる激痛は、彼女の精神を限界まで摩耗させていた。

 かつての冷徹な演出家の面影はなく、苦悶に歪んだその表情は、断絶された絶望を想起させた。彼女が信奉してきた「知性による支配」という輪郭は、とうの昔に音を立てて崩れ去っていた。

 

 「なぜ……なぜあなたは平気なの……!? 私と同じ動作をしたはずよ! なぜ私の肺だけが弾け、あなたは致死量五倍の毒の中で、あんな下俗な男の真似をして笑っていられたの!? 演技……そうよ、あの薄汚い『1年前』の姿も、あの『猪瀬』という男の模倣も……すべては私を陥れるための撒き餌だったというの!?」

 

 美夜子は、口角から絶え間なく溢れる鮮血を拭うことすら忘れ、防音ガラス越しに陸八魔アルを睨みつけた。その瞳には、知性ゆえの混乱と、正解を奪われた演出家としての絶望がドロドロに混ざり合っている。

 

 対するアルは、静かだった。

 彼女は、まるで休日の昼下がり、居間のソファでくつろぎながら子供の拙い疑問を優しく聞き届ける母親のような、慈愛に満ちた、しかし絶対的な拒絶を含んだ眼差しを美夜子に向けていた。

 

 アルはゆっくりと膝を折り、床に這いつくばる美夜子と視線の高さを合わせた。

 

 「……ねえ、落ち着いて、レディー。そんなに声を荒らげたら、余計に肺に負担がかかってしまうわ。あなたのその素晴らしい知性に、少しだけ『補習』をしてあげましょうか。……あら、今のあなたのその台詞、まるで安っぽい三流劇の悪役みたい。せっかくの洗練された口調が台無しよ?」

 

 その声は、驚くほど澄んでいた。先ほどまでの猪瀬のような濁りは欠片もない。

 

 「まず、このゲームのルールをもう一度思い出して。……そこには、決定的な『異常』が紛れ込んでいたのよ」

 

 「異常……? 何を、言って……」

 

 「銀行員さん。あなたなら、この違和感、わかっているはずよね?」

 

 アルに名を呼ばれ、御手洗はハッとして顔を上げた。

 

 アルは、倒れ込む美夜子を諭すように言葉を継ぐ。

 

 「カラス銀行のギャンブル……『ワンヘッド』のように直接的に命を失うことが前提のものを除いて、『1/2ライフ』のような過酷な命のやり取りであっても、ゲームの『終了条件』に直接的な死亡を明文化することは滅多にないわ。本来、この『4リンク』という形式は、敗者に身体への重大な損傷を与える恐れはあるけれど、ルールが最初から中毒死を前提に組まれているのは、あまりにも異質なことなのよ。……そう思わない?」

 

 御手洗の脳裏に、電撃が走った。

 

「(そうだ……! 毒ガスという演出そのものが、最初から別の意図を含んでいた。銀行は、この毒を『回避する手段』を前提として、この地獄を用意していたのか……!?)」

 

 「この矛盾に気づいた時、私は思ったの。……このゲームには、毒を完全に無効化する方法が隠されているはずだって。そして、最初に毒を喰らった時、私の推測は裏付けされたわ。このまま喰らい続ければ、私は確実に死ぬ。演出家様の書いた『脚本』通りにね」

 

 アルは、自身の長い髪を指先で弄びながら、当時の光景をなぞるように語り始めた。

 

「だから、私は探したの。……あなたが最も退屈し、最も軽蔑したであろう…路傍の石ころだと思い込んでいた『灰色の少女』の状態の時にね」

 

 アルは静かに目を閉じ、あの日、ケージの中で無様に震えていた自分を思い返す。

 美夜子が「朝比奈美夜子は、深い落胆を覚えました」と、興味を失ったようにタブレットを操作していたあの一瞬。防音ガラスの向こう側で、御手洗が絶望に顔を歪めていたあの瞬間だ。

 

 「あなたが私を無力なモブだと見做し、その醜態を愉しんでいた時……私はケージの隅で震えながら、コンソールの隙間に爪を立てていた。……泣き喚きながら、パネルの裏側の配線を引きずり出し、狂ったようにスイッチを弄っていたあの挙動。あれはパニックなんかじゃない。……内部のガス供給システムの構造を、指先の感覚だけでトレースしていたのよ」

 

 彼女は薄く笑みを浮かべ、自身の細い指先を美夜子に見せつけるように動かした。その指先には、荒々しく機械を弄った際にできたであろう、皮膚が剥け血の滲んだ生々しい擦過傷が刻まれている。

 

 怯える少女が助けを求めて引っ掻いた跡などではない。それは、複雑怪奇な電子回路を「暴力的な知性」で解き明かした職人の傷跡だった。

 

 

 「機械の隅々まで指を突っ込み、配線を弄り、装置の構造を理解しようとした。……そして、見つけたわ。このケージの『裏側』にある、本当の出口を」

 

 アルの瞳が、冷徹な光を宿す。彼女は一瞬だけ、コンソールの奥にある吸気口の影に視線を落とした。そこには強引にこじ開けられ、ショートさせられた端子が、今も微かな火花の名残を帯びて沈黙している。

 

 「給気ダクトの奥、本来はメンテナンス用と思われるバイパス配管を物理的にショートさせ、循環システムのロジックを強制的に反転させたの。そうすることで、外部の排気ファンを吸気へと切り替えさせ、ケージ内に外の新鮮な空気を引き込ませた。……驚いたことに、その作業はまるで銀行側が最初から『そうされること』を想定していたかのように、あまりにもスムーズに実施できたわ」

 

 「な……っ、そんなことが……! なら、私も……!」

 

 美夜子が血を吐きながら、隣のケージのパネルへ手を伸ばそうとした。だが、アルの声がそれを冷たく遮る。

 

 「相変わらずせっかちなのね、レディー。まだ話は終わっていないわ。……調べた時にわかったの。このバイパスによる反転効果は、システムのリソース上、一人分しか機能しない。……つまり、私が使い終わった今、そのルートはもう死んでいるのよ。……だからこそ、今こうしてネタバラシをしているの」

 

 美夜子の瞳が、絶望に凍りついた。

 

 「もし、この方法にあなたが先に気づいて実施していたら、私に勝ち目はなかった。……だから、あなたの意識を『システム』から逸らす必要があったの。…… 1年前の自分、そして、ミスター猪瀬。……彼らには、ちょうどいいタイミングで私の中から『出てきてもらった』のよ。……あなたを騙すために彼らに手伝ってもらったの」

 

 アルは、微笑みを崩さない。

 

 「最初にあなたと対峙した時、あなたの瞳の奥にある乾きを見たの。……あなたは、自分を満足させてくれる『強者』との、高潔な戦いを望んでいた。……だから私は、最初に『1年前の自分』をぶつけた。案の定、あなたは不快感を隠せなかったわね? 『こんなはずじゃない』……そう思ったでしょう?」

 

 美夜子は、震える唇で何も答えられない。

 

 「確信を得た私は、次にあなたが最も嫌悪するであろう存在……知性を欠き、暴力だけで世界を塗りつぶす『ミスター猪瀬』に成った。……あなたの殺意と憎悪を、私個人ではなく『ミスターというクズ』へ誘導するために。……あなたが憎しみに我を忘れてくれればくれるほど、私の手元にある『正解』からは遠ざかってくれる」

 

 アルは、美夜子が真似したあの動作を、自身の指先でなぞってみせた。

 

 「あの動作もそう。……あなたが毒で苦しみ、死への恐怖でロジックが揺らいだ瞬間を狙って、私は『偽の正解』を提示した。ミスターはそんな小細工は知らないけれど、私なら知っている。そして……あなたが私の動きを注視しているのは分かっていたから。……ちなみに、私は肺が破裂しない程度の周波数で寸止めしていたの。……レディー、あなたは少し、完璧主義が過ぎたようね」

 

 その光景を、ディーラーの獅子王は無言で見守っていた。彼の口元は奇怪な形に歪み、声に出さない笑い声が、その沈黙の裏側で爆発しているようだった。

 それが、陸八魔アルの提示した解こそが、この地獄における唯一の正解であると裏付けていた。

 

 

 「……さて、最終ラウンド。第6ラウンドね」

 

 アルは、立ち上がり、冷たくなったコンソールに指を置いた。

 美夜子もまた、震える指を自身のパネルへと這わせる。もはや勝利のためではなく、この理不尽な幕引きを、自分自身で終わらせるために。

 

 ボタンを押す直前、美夜子は防音ガラス越しにアルの「目」を見た。

 

 そこには、一人の少女の瞳があるはずだった。

 しかし、美夜子が見たのは、底知れぬ深淵だった。

 

 アルの瞳の中に、真神がいた。猪瀬がいた。1年前のおどおどした少女がいた。便利屋の仲間……ムツキ、カヨコ、ハルカ、そしてキヴォトスで名を馳せる名だたる生徒たち。老若男女、数多の有象無象が、無表情に、一斉に美夜子をじっと見つめていた。

 

 次の瞬間、その無数の人物たちが、強風に煽られた紙のように一斉に宙を舞い、バラバラに砕け散った。

 そして、それらは再び収束し、一つの「形」へと構成されていく。

 

 

 それは、神々しくも禍々しい、言葉にできない「なにか」だった。

 

 姿形は陸八魔アルのままでありながら、その顔全体には、宇宙の終焉を思わせる巨大で暗い「穴」がぽっかりと空いている。すべての光を飲み込み、すべての脚本を無に帰す、底なしの暗黒。

 

 「(あ……ああ……。これが……これが、真実の……)」

 

 美夜子は、その美しくも恐ろしい「穴」に見惚れながら、最後の力を振り絞ってボタンを押し込んだ。

 

 「カラス銀行も、いじわるよね。……対戦相手のことを何も知らせないなんて。……でも、こうして新鮮な状態であなたを知れたのは、なかなか悪くない経験だったわ。……それじゃあね、レディー……この後、表のあなたもゆっくり知っていくとするわ」

 

 アルの唇が、穏やかに、しかし絶対的な捕食者の形に動いた。

 

 

 「私の胃袋で、またお会いしましょう」

 

 

 【裁定:正解】

 

 【ペナルティ:キャストBに最大濃度フィードバック】

 

 

 「あ……、あぁ……」

 

 美夜子は、アルの顔を茫然と見上げた。

 その黒い穴のような瞳に射すくめられ、彼女の魂は根こそぎ奪われたかのように空虚になった。

 

 ケージ内に、死の色をしたガスが噴出される。

 美夜子はもはや叫ばなかった。彼女はよろよろと、最後の手を地面に伸ばした。

 

 口元から溢れる鮮血。

 彼女は、その血をインク代わりにし、一心不乱に床へ何かを書き始めた。

 まるで、壊れた機械が最後の出力を絞り出すように。

 まるで、偉大な脚本家が、死の間際に見出した究極のインスピレーションを書き留めるように。

 

 「アハ……、あははは……っ!」

 

 壊れた笑い声を漏らしながら、彼女の指先がコンクリートを血で染めていく。

 その指が止まった時、彼女の生命活動もまた、静かに、そして劇的に終止符を打った。

 

 ゲーム終了のブザーが鳴り響く。

 

 ケージのロックが解除され、アルはゆっくりと外へ出た。

 彼女の服には、毒の粉末と汗が染み付いていたが、その足取りは驚くほど確かだった。

 

 「……帰りましょう、銀行員さん。……仕事は終わりよ」

 

 「あ、ああ……。……陸八魔さん、君は……」

 

 御手洗は、彼女の背中にかけようとした言葉を飲み込んだ。

 今の彼女に何を言っても、それは虚空に消えるだけだと直感したからだ。

 二人が出口へと向かう際、御手洗は思わず、美夜子が息絶えたケージの中へ視線を向けた。

 

 そこには、一人の演出家が最期に残した、汚く、荒々しく、しかしこの世の何よりも純粋な確信に満ちた血文字が刻まれていた。

 

 

 『かみさまをみた』

 

 

 その歪な文字が、死の迷宮の底で、赤黒く光り輝いているように見えた。

 陸八魔アルは一度も振り返ることなく、暗い通路の先へと消えていった。

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