鏡合わせのアル、あるいは透き通った陸八魔【ブルーアーカイブ×ジャンケットバンク】 作:ていん?が〜
キヴォトス、トリニティ総合学園のほど近くにある由緒正しき大劇場。
重厚な真鍮の扉が開き、着飾った観客たちが、まだ物語の魔法が解けぬといった面持ちでぞろぞろとロビーへ溢れ出してきた。その喧騒の中に、およそ場違いな四人組がいた。
「……はぁ。やっぱり、私にはこういう高尚なのは向いてないみたい」
大きな溜息を吐きながら、浅黄ムツキが自身の銀髪を弄った。彼女の手には、金箔押しが施された豪華なパンフレットが握られている。
表紙には、一面の真っ赤な血だまりの中に、一輪の白い百合が千切れて沈んでいるという、仰々しくも悲劇的なイラストが描かれていた。そしてその上には、太く、呪詛のように力強いフォントで劇のタイトルと、制作者の名が記されている。
遺作公演:『神の不在証明』――脚本・演出:朝比奈 美夜子
「伝説の脚本家、ね。死後わずか二週間でこれだけの規模の追悼公演を組ませるなんて。それだけ彼女の狂信的なパトロンたちが、この世に未練を残していたってことか……」
鬼方カヨコが、冷めた目でパンフレットの裏面に並んだ賛辞の数々を見やる。彼女は隣で、どこか恍惚とした表情で劇場を振り返っている紅髪の少女――陸八魔アルに視線を向けた。
「ねえ、アル。ここ最近、この人の劇ばかり見に行ってるよね。ハマるのは別に自由だけどさ……便利屋の経費、というか投資で稼いだお金、これ以上演劇につぎ込まないでよ? チケット代、一枚で私たちの数ヶ月分の食費が飛ぶんだから。昨日だってカップラーメンで済ませたじゃない」
カヨコの至極まっとうな指摘に、アルはハッとしたように我に返った。彼女はいつものように少し慌てた素振りを見せ、それから「ハードボイルドな経営者」を意識した不敵な笑みを浮かべ、コートの襟を正した。
「ふふん、カヨコ。これは浪費じゃないわ、投資よ! 偉大な演出家の思考に触れることで、私の経営哲学にさらなる深みが増すの。……それに、これが最後よ。この劇で、彼女の遺したものは全て私の血肉にできたから」
アルは劇場の高い屋根を見上げ、胸に手を当てた。
あの日、あの極限の状態では彼女という人間の半分しか知ることができなかった。
だからこそ、欠けたもう半分を埋め、一人の「朝比奈美夜子」というパズルを完成させるかのように、アルはこの二週間、美夜子の過去作を片っ端から鑑賞し続けていたのだ。
「これで全部。彼女の『脚本』は、これで私の一部として完成したわ」
いつものように自信満々に言い放つアルだったが、その背後で伊草ハルカが「流石です、アル様! 芸術すらも糧にするそのお姿……! 私、感動でまた劇場の壁を爆破したくなってきました!」と物騒なことを口走るのを聞いて、いつもの「あわあわ」とした表情に戻ってしまうのだった。
――二週間前。カラス銀行、地下施設の一角。
ゲームの熱気がまだ壁にこびりついているような静寂の中、御手洗はアルと対峙していた。
彼の目の前に座る少女は、数時間前に一人の人間の人生を、文字通り「胃袋に収めた」怪物とは思えないほど、のんきにオレンジジュースを啜っていた。
「陸八魔さん。……改めて、今回の勝利、お見事でした。あなたへの報酬は、指定の口座に振り込みが完了しています」
「ええ、確認したわ。これだけあれば、新しいオフィスビルも夢じゃないわね!」
「……それで、今後の話なのですが。今回の『4リンク』での勝利により、あなたのレートは大幅に上昇しました。……正式に、『1/2ライフ』への昇格通知が出ています。……ですが、対戦の調整に少々お時間をいただくことになりそうです」
御手洗が差し出した書面を、アルは興味なさげに受け取った。
「『1/2ライフ』? ああ、より高い場所へ行くためのステップね。……でも、すぐにはやらないわよ? 私、この二週間は自分へのご褒美に、休暇を満喫することに決めているんだから」
「休暇、ですか?」
「そう! 素敵な演劇を見たり、美味しいパフェを食べたり……悪の組織のリーダーには、教養と休息が必要なのよ。調整とかいうのは、あなたが適当にやっておいて。しばらく待たせても構わないわ、強者は焦らないものよ」
アルはそう言って、ストローを鳴らしてジュースを飲み干した。
その様子を眺めながら、御手洗の背中を、言葉にできない戦慄が走った。
「(休暇を満喫、か。……この人は、自分がこれから足を踏み入れる場所が、どれほどの地獄か分かっているのだろうか。いや、分かっていてあえて言っているのか?)」
カラス銀行における『1/2ライフ』。それは、法も倫理も通用しない、真に選ばれた異常者たちだけが許される修羅の国だ。
そこで待ち受ける対戦相手たちは、先ほどの朝比奈美夜子ですら「話が通じる方」に見えるほどの、本物の「獣」ばかり。
「(陸八魔アル。……この『底なしの穴』が、あの1/2ライフの住人たちと出会ったとき、一体何が起こるのか。どちらがどちらを飲み込むのか……。今の僕には、想像することすらできない。いや、想像したくないというのが本音だ)」
「じゃあね、御手洗君! また面白いお誘いがあったら教えて頂戴!」
軽い足取りで去っていくアルの背中を見送りながら、御手洗はただ、自分たちの担当する顧客が、世界の理を壊しかねない爆弾であることに深く溜息をつくしかなかった。
夜の帳が下りたキヴォトスの街並みを、便利屋の四人は連れ立って歩いていた。劇場の煌びやかな明かりを背に、夜風が火照った体を冷やしていく。
「ねえ、さっきの劇の最後のシーン! あの『誰もいない王座』にスポットライトが当たる演出、すごく怖かったけど、ちょっとだけムツキちゃんも悪戯に使えそうかも!」
「私は……あの主人公が最後に絶望して笑うシーンが、アル様に重なって見えて……もう、その、……最高でした……!」
ムツキとハルカが興奮気味に感想を言い合う中、カヨコはふと、前を歩くアルの横顔を見た。
アルはパンフレットを大事そうに抱え、何か遠い場所を見ているようだった。
「……アル。朝比奈美夜子の劇、これで最後なんでしょ? 次の『投資』先は決まってるの?」
カヨコの問いに、アルは足を止めた。
街灯の光が、彼女の紅い瞳に反射して、妖しく、しかしどこか悪戯っぽく輝く。彼女はくるりと三人に振り返り、オーバーなジェスチャーで宣言した。
「ふふ、いい質問ねカヨコ! 投資で稼いだお金はあるけれど……お金持ちといえば、キヴォトスの『最高峰』をまだ経験していなかったわ!」
「「「最高峰?」」」
三人の声が重なる。
「そう! 次の目的地は決まっているわ。……オデュッセイア海洋高等学校の超大型豪華客船。その船上で夜な夜な繰り広げられる、洋上の不夜城!」
アルはビシッと指を突き出し、夜空の向こう、海がある方角を指し示した。
「船上カジノでのギャンブルよ! 便利屋68、次なる舞台は大海原! そこで、この私のハードボイルドな勝負強さを、世界に見せつけてあげるわ!」
「あはは! 面白そう! 海の上なら爆弾を投げても沈まない限りバレないもんね!」
「アル様と船旅……! 私、船底から敵を一人残らず排除してまいります!」
「……はぁ。また面倒なことになりそうだけど、まあ、たまには船もいいか」
呆れるカヨコ、燥ぐムツキ、極端な決意を固めるハルカ。
いつもの便利屋の光景がそこにあった。
しかし、アルの瞳の奥には、便利屋の誰もが気づかない深い渇望が潜んでいた。
次の戦場、次の「食事」。
キヴォトスの海を征く巨大な船上で、彼女を待っているのは新たな餌か、それとも彼女自身を飲み込もうとする大波か。
陸八魔アルの視線の先には、まだ見ぬ未知の深淵が広がっていた。
次回、船上ギャンブル編です。