鏡合わせのアル、あるいは透き通った陸八魔【ブルーアーカイブ×ジャンケットバンク】 作:ていん?が〜
新潟県某所、廃鉱山の底に築かれた「旧第23動力中継層」。その中心に位置する「不浄の祭壇」は、今やキヴォトスの理すら通用しない、純粋な狂気の円形劇場と化していた。
対局開始直前、御手洗暉は震える手でルールブックを凝視し、その残酷さに戦慄していた。
「(……「死の拒絶」の禁止。ステージが切り替わる物理的な衝撃に耐えながら、心拍数を120以下に保ち続け、さらに「九相図」のグロテスクな演出の中で三すくみを戦い抜く……。これはギャンブルじゃない。ただの公開処刑だ……!)」
「どうしたんだい、御手洗君。顔色が悪いよ」
横からかけられた穏やかな声。そこには、かつてミスをした御手洗を「気にするな」と励ましてくれた、慈愛に満ちた上司・長谷川次長の笑顔があった。
「長谷川……次長……。教えてください。あの頃、僕に仕事を教えてくれた優しいあなたは……すべて嘘だったんですか? 6人もの人間を壊して…平気なんですか……!」
絞り出すような問いに、長谷川は仏のような笑みを崩さず、その実、氷のように冷たい声で答えた。
「嘘? まさか。私はいつだって誠実だよ。ただ、銀行員(われわれ)の誠実さは、常に『数字』に対して捧げられるべきものだ。……期待しているよ。君の担当するアルさんが、どんなに美しい悲鳴を上げて溶けていくのかをね」
御手洗の絶望が極限に達したその時――。
「お待たせ。ちょっとお化粧直しに時間がかかっちゃったわ」
パウダールームから、白いハンカチで指先を拭きながら、陸八魔アルが戻ってきた。
彼女の燃えるような赤髪は、いつもの奔放なスタイルではなく、一房の乱れもなく後頭部で高く纏め上げられた「アップヘアー」へと変えられていた。 露出したうなじの白さが、地下の冷たい光の下で異様な鮮烈さを放っている。
だが、絶望の淵にいた御手洗は、その外見の変化に違和感を覚える余裕すらなく、これから地獄に赴くパートナーへと駆け寄る。
「陸八魔さん……!」
「どうしたの、『銀行員』さん。そんなに青い顔をして」
御手洗はハッとした。その呼び方。そして、彼女の瞳。
いつもの「はしゃぐ社長」の光は消え、そこには深淵のように静かで、底の知れない知性を湛えたアルが立っていた。
普段ならその威圧感に恐怖を覚えるはずの御手洗だったが、この瞬間だけは、彼女の背中が救いのように頼もしく感じられた。
「……陸八魔さん。死なないでください。どうか、無事で」
御手洗の必死の訴えに、アルは、ふっと穏やかな、そしてどこか慈悲深い笑みを浮かべた。
「もちろんよ、銀行員さん。私の脚本に、無様な退場シーンは用意していないわ」
「うししっ! それじゃあ皆様、お待たせいたしましたっす! 狂乱と不浄の九段階、死のゲームを開始するっす!!」
ディーラー・佐々木雛の弾けるような叫び声が響くと同時に、巨大な油圧シリンダーが呻きを上げ、ステージの下で無数の歯車が噛み合う重低音が空洞全体を震わせた。
二人が立つ中央舞台が、巨大なレコード盤のように滑らかに、かつ力強く旋回を開始する。
「ギャハハ! 回る回る、死へのメリーゴーランドだぜぇ!運命の針はどこで止まるかなぁ!?」
蛇喰弘毅は、重低音のビートに全身を委ね、蛇のようにしなやかな動作で身体を揺らす。彼が指を鳴らすたびに、客席を囲む不気味な彫像から紫色のスモークが噴き出し、視界を混沌と染めていく。
舞台が180度回転し、重厚な金属音とともに固定されたその瞬間、周囲の風景は悪夢のような色彩に塗り替えられていた。
【第一ラウンド:静寂なる終焉の幕開け】
出現したのは、九相図の第一段階「死相(しそう)」をモチーフにした、静謐ながらも悍ましいステージだ。
周囲の彫像は、死後まもない状態をデフォルメした無機質な「石膏の等身大フィギュア」へと変化している。
それらはすべて、今しがた魂が抜けたような、虚ろな眼窩と半開きの口を持ち、不気味なほど白い。床には、体温が失われていく様を表現するように、踏むたびに急速に熱を奪う「冷却液体」が薄く張られていた。
客席のVIPたちは、その悪趣味な極致に大盛り上がりだ。
「おぉ! あの彫像の顔、死んだばかりの絶妙な青白さだ!」
「いやいや、床の冷却パネルが心拍数制限(120)にどう響くかが見ものだな!」
「最高だ! 死の始まりに相応しい、この静かな狂気がたまらない!」
「5億の価値がある演出だ。さあ、早く絶望の顔を見せてくれ!」
黄金の仮面の奥で、贅沢に肥え太った富裕層たちがニヤニヤと下卑た笑みを浮かべ、ワイングラスを掲げている。
カウントダウンの数字がホログラムで踊る。
御手洗暉は、胃を握りつぶされるような緊張感の中で、二人を見つめていた。
「(……このゲームの肝は、九枚しかないカードの「管理」と「三すくみ」の誘導だ。一度使ったカードは消える。強いカードを温存しつつ、いかに相手の「強」を無駄打ちさせるか……。だが、それ以上に……)」
御手洗の視線が、対局中の禁忌(ファウル・プレイ)の一つに向けられる。
――心拍数を120以上に上げてはならない。
この異常な空間で、この狂ったルールの中で、平然と心臓を律することなど人間に可能なのか。
「ヘイ、アル! 黙りこくってどうした? 心臓バクバクでラップもできねえかぁ!?」
蛇喰が陽気にマイクを向け、アルを挑発する。
アルは、その言葉を投げかけられても微動だにしなかった。彼女はジッと、生命の通わないガラス玉のような瞳で、蛇喰を2秒間見つめ続けた。
「……脈拍、毎分88。血圧、132の84。呼吸数、18。……蛇喰くん、君のバイタルは、その騒がしい見かけによらず、極めて冷静な数値を維持している」
アルの口から漏れたのは、それまでの彼女とは似ても似つかぬ、低く、理性的で、感情の抑揚を一切排した「男の声」だった。
「なっ……なんだぁ? その声……」
蛇喰が顔を顰める。アルは、かつて対決したあの男――真神の表情を完璧にトレースし、淡々と名乗った。
「お初にお目にかかるよ、1/2ライフプレイヤーくん。私の名前は真神(マガミ)。……しがない学者さ」
「真神……? アル、テメェ、何の真似だ」
「勘違いしないでくれ。私は陸八魔くんに頼まれたんだ。この不気味なゲームには、私が『最適』だとね」
御手洗は、その光景を見て合点がいった。
「(そうか……! 真神は陸八魔さんとの対戦時、自分のバイタルデータを『無』に等しいほどに制御してみせた。このゲームの反則行為である『興奮』に対処し、機械のように冷徹にカードを選択するには、今の彼女の内側に真神を降ろすのが最も合理的だというのか……!)」
その様子を、対面の長谷川次長が静かに見据えている。優しげな禿頭の奥に、獲物を鑑定するような冷徹な光を宿しながら。
「ショウダウンだ、蛇喰くん」
アル(真神)がカードをセットする。
蛇喰が叩きつけたのは、【強:9(骨塵の階・パー)】。カードには、真っ白な髑髏がポップに笑い、周囲を金貨が舞う派手なイラストが描かれている。
対するアル(真神)が出したのは、【弱:1(膨壊の階・グー)】。
紫色のガスの塊が、情けなく「プニッ」と縮んでいるシュールなイラストだ。
判定。階級の差により、蛇喰の勝利。
「ヒャッハー! 9ポイントゲットだぜ! 最初からケチってんじゃねえよ真神さんよぉ!」
蛇喰が9ポイントを先取し、VIPたちが喝采を送る。しかし、アル(真神)は眉一つ動かさず、自身のカードを破棄した。
「……まずは1枚。君の最も高い打点である『強のカード』を削らせてもらったよ。9枚しかないリソースにおいて、最高値を初手に浪費するのは、あまり賢明な判断とは言えないな」
「ケチケチしてたら足元掬われるぜ、インテリ野郎!」
蛇喰がニカッと白い歯を見せて笑う。その刹那、再びステージが轟音とともに動き出した。
第1ラウンド終了時点累計スコア
蛇喰:9 — アル(真神):0
【第二ラウンド:膨張する虚栄の階】
舞台が上下に激しく揺れながら、先ほどよりも速いスピードで回転を始める。移行に伴い、ステージ各所の噴射口から「腐敗ガス」を模した、どぎつい紫色で甘ったるい死臭のするスモークが大量に噴射された。
アル(真神)は、ガスの成分を瞬時に分析。肺への吸入を最小限にするため、コートの襟を立てて気流の死角を読み、呼吸のサイクルをガスの噴射間隔と完全に同期させることで、バイタルへの影響を無効化した。
一方の蛇喰は、その噴射されるガスを、ライブ演出の特効(スモーク)であるかのように楽しみ、リズムに合わせてガスの中を潜り抜けるようにステップを刻みながらマイクに向かってリズミカルなライムを刻み始めた。
「♪~揺れるステージ、狂ったビート、真神の顔面、青白いシート! 楽しまなきゃ損だぜ、この地獄! お前の肺を、俺のライムで灼き尽くす!~♪」
「余裕そうだね、蛇喰くん。その心拍数、大丈夫かい?」
「♪~当然だろぉ? 人生楽しまなきゃ損、死ぬ時くらいはハデに踊れ、それが俺の、返答(アンサー)だ!!~♪」
蛇喰が語尾を強く蹴り上げながら返し、第2ステージが姿を現した。
「肪脹相(ぼうちょうそう)」。
どぎつい色彩のステージに彩られた彫像たちは、ガスでパンパンに膨れ上がった「紫色のゴム風船」のような人体へと変貌。
それらは一定の周期で「ぷしゅー」と陽気な音を立てながら、内圧で弾けそうなほど肥大化し、どこかコミカルで残酷な笑顔を浮かべている。床からは半球状の突起が突き出し、踏むたびにブヨブヨとした不快な感触を伝えてくる。
蛇喰は間髪置かずに、ラップを歌いながら、インターフェースに「パン!」と強くカードを叩きつけた。その衝撃音が地下施設に響き渡る。
真神(アル)がその挙動を、まるで顕微鏡で観察するような目で凝視し、自分のカードを選ぼうとした時だった。
「……Shut up.(シャラップ)」
蛇喰が、ライムの合間に鋭い発音で、まるで音そのものを切り裂くようにその単語を放った。
その瞬間、アルの身体がピクリと硬直する。
喉の奥が物理的に塞がれたような、あるいは自分の意志が筋肉に伝達されるまでの回路に砂を撒かれたような、致命的な違和感。
それだけではない。蛇喰の瞳が万華鏡のように奇妙な揺らぎを見せ、彼の発する重低音のビートが、アル(真神)の脳幹に直接「命令」を書き込み始めたかのように思えた。
「(……。、なんだ? 意識が遠のく……。陸八魔さんの視点が定まっていない!? 蛇喰のラップに、何か別の意図が混ざっているのか!?)」
御手洗が目を見開く。アル(真神)の指先が、空中で幽霊のように彷徨っていた。
だが、アル(真神)は即座に自分の喉の左側にある特定の部位を、指先で『トン』と正確に突いた。
さらに、自身の胸元にある特定の神経節を、爪を立てるように強く圧迫し、強制的に脳を覚醒状態へと引き戻す。
「……無駄だよ、蛇喰くん」
アル(真神)の声は、霧一つない冬の朝の冷気のように澄み渡り、一切の乱れを見せない。
「今のは『低周波による音声誘発制止現象』、そして聴覚刺激を利用した『フラッシュ・トランス(瞬間催眠)』だ。特定の音節で思考を止め、その隙間に自分に有利な暗示を滑り込ませる……。古典的な、だが強力な攪乱工作だ。……だが、そのカラクリと生理学的な対策は、学者として熟知している」
アル(真神)は、視線を蛇喰の喉元へと固定し、その発生のメカニズムを解体するように言葉を続けた。
「君の『歌』には、常に特定の周波数のノイズと、意識を混濁させるための特定周波数が混ざっている。……バイタルを乱し、私に誤った選択をさせるための工作だろうが、脳の防衛術を修めた私には通用しない」
アル(真神)は、そのまま選んだカードを静かに表に向けた。
蛇喰が出したのは、【強:8(骨塵の階・チョキ)】。
カードには、巨大なハサミを持った骸骨の騎士が、赤いマントを翻している勇ましいイラスト。
そして、真神(アル)が出したのは――。
【弱:2(膨壊の階・チョキ)】。
小さなカニのようなキャラクターが、申し訳程度にハサミを突き出しているシュールな1枚。
階級の差により、再び蛇喰の勝利。8ポイント追加。
「Yeah……! また勝っちまったぜ! どんどん削ってやるよ、アンタの手札も、そのスカした余裕もなぁ!」
蛇喰が歓喜の咆哮を上げる。VIPたちも「いいぞ! 完勝だ!」と叫び、金貨を投げ飛ばす。
しかし、アル(真神)の口角が、わずかに吊り上がった。それはアルの表情ではなく、数学的な確信をもって確定させた学者の笑みだ。
「……チェックメイトだ、蛇喰くん。……これで君の手札から『強(7〜9)』のうちの二枚、特に使い勝手の良い『9』と『8』は消えた。君に残されている『強』のカードは、わずか一枚。対して私の手札には、未だ『強』の全カード、7、8、9が手付かずで残っている」
アル(真神)は、ガラス玉のような瞳で蛇喰を見据え、言い放った。
「……脚本の主導権は、たった今、完全に私に移った。君は目先のポイントに目が眩み、このゲームで最も貴重な『階級:強』という武器を無駄に浪費したんだ。……さあ、ここからは君にとっての地獄だ。君が奏でる地獄の韻律(リズム)を、私のタクトで無慈悲に書き換えてあげよう」
蛇喰の顔から、余裕の笑みが剥がれ落ちた。
「Yeah……。最高だぜ……。俺のリリックを鼻先で笑い飛ばしやがった……!! 面白くなってきやがったぜ、真神さんよ……!!」
蛇喰が、戦慄と興奮の入り混じった表情で、震えるほどに嬉しそうに呟く。
その光景を眺める長谷川次長の瞳が、不気味に、そして鋭く細められた。
第2ラウンド終了時点累計スコア
蛇喰:17 — 真神(アル):0