鏡合わせのアル、あるいは透き通った陸八魔【ブルーアーカイブ×ジャンケットバンク】   作:ていん?が〜

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第21話:伝説の落日(レジェンダリー・フェードアウト)

 地下数百メートルの廃鉱山、「不浄の祭壇」。

 

 無機質なLEDの光が照らし出すスコアボードには、もはや覆しようのない残酷なまでの数字が並んでいた。

 

 

第8ラウンド終了時点累計スコア

 

蛇喰:33 — アル(真神):24

 

 

会場を支配するのは、熱狂のあとの冷ややかな静寂だ。黄金の仮面を被ったVIPたちは、手元のワイングラスを揺らしながら、結末の確定した盤面を「品評」するように見下ろしている。

 

 蛇喰弘毅の意識は、その喧騒を遠くに聞きながら、急速に過去へと逆流していた。

 

 

 「(……あの日、俺の魂は一度、路地裏で死んだんだ)」

 

 

 学生時代、画面越しに見た伝説のラッパー、デスペラード・ジャック。ニューヨークの汚れた路地で、卓越した技術と剥き出しの怒りをぶつける熱いリリック。

 だが何より蛇喰の魂を震わせたのは、彼の「終わり方」だった。マフィアの抗争に巻き込まれ、無数の銃弾を浴びながらも、彼は倒れる瞬間までマイクを離さなかった。

 鮮血を吐きながら刻み続けた最後の1バース。28歳の若さで伝説となった男の、あまりに完璧な人生のゴール。

 

 

 「(俺もあんな風に、伝説を刻んだまま逝きてぇ。……だが、この平和な日本にそんな舞台はどこにある?)」

 

 

 ただラップが上手いだけでは、俺が求める「伝説のフィナーレ」は作れねぇ。海外へ拠点を移すしかないのか……。

 東京の路地裏で頭を抱えていた俺に、声をかけたのが「おやっさん」こと、長谷川次長だった。

 

 「ふふふ、君が求める世界へのチケットをあげよう。カラス銀行。そこには君に相応しい、血の通った歌がある」

 

 促されるまま、俺は5スロットの扉を叩いた。おやっさんは言った。「ランクが上がるごとにゲームは過激になり、君の求める『終焉』を手に入れられるだろう」と。

 実際、そこでのギャンブルは5スロットですら退屈を凌駕する熱狂だった。そこから4リンク、そして1/2ライフへと進み、強者たちと血湧き肉躍る死闘を繰り広げてきた。

 

 おやっさんからは今回の戦いに勝てばワンヘッドに進めると言われて戦ったが、ワンヘッドへの昇格の喜びとは別の感情を抱いた。

 

 

 それは陸八魔アルという可能性。今まで戦ったどの相手とも違う異質さ、下手したら負けてたかもしれない、俺の人生はコイツと戦うためにあったのではないか。

 

 

 だから、勝っても僅差のポイントにした。これなら彼女は生き残れるはずだ。いや、アルなら生き残れるはずだ。

 

 「……俺はワンヘッドで待ってるぜ。お前がワンヘッドに来たらもう一度再戦しよう、俺のライバル。そこで俺は、伝説として幕を閉じる」

 

 

 旋回する舞台が、最後の一段へと沈み込む。

 

 

 【第九ラウンド:想相・無への帰還(そうそう・むへのきかん)】

 

 周囲の彫像はすべて砂のように崩れ、剥き出しの鉄骨と冷たいコンクリートだけが残るステージ。中央には、噴射を待つ特殊液のノズルが、まるで死神の鎌のように鎌首をもたげている。

 

 「……ヘッ。まだアルは出てこねぇのかよ? 真神さんよ。いい加減、本体を拝ませてくれよ」

 

 蛇喰が、最後の一枚【弱:3(膨壊の階・パー)】を手に問いかける。

 

 「……。まだ、このゲームは終わってないよ…蛇喰くん」

 

 アル(真神)の声は、依然として温度を感じさせない。彼女は【中:4(血膿の階・グー)】を静かに提示した。

 

 「ショウダウン!!」

 

 結果は変わらない。階級差により、アル(真神)の勝利。4ポイント獲得。

 

 「うししっ! 全ラウンド終了! それじゃあ結果発表にいくっすよー!!」

 

 佐々木雛が、これ以上ないほど元気よく叫ぶ。

 

 

 「結果は~~~……ジャカジャカジャカジャカ……ジャン!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「プレイヤー、蛇喰弘毅の『反則負け』っす!!」

 

 

 

 「……は?」

 

 その瞬間、蛇喰弘毅の「顔」が物理法則を無視して変容した。

 

 まるでピカソが描いた晩年の絵画のように、彼の顔面から線がピンと伸び、顎は左右非対称に割れ、鼻は不気味な音符のような形状へと変形する。

 目の中の虹彩は、彼が全身に施した幾何学模様のタトゥーのような複雑な模様を描きながら激しく回転した。

 

 

 「……ざっけんなああああああ!!!!! 俺は反則なんてしてねぇ! 常に注意を払っていたんだよ! カメラを確認しろ、クソガキ!!」

 

 

 顔は一瞬で元に戻ったが、その叫びは必死だった。

 

 

 

 「ご苦労様、ミスター真神」

 

 

 背後から響いた、温度のない声。蛇喰が振り返ると、そこには「真神」の面影を完全に消し去った陸八魔アルが、穏やかな笑顔で蛇喰を微笑ましく見ていた。

 

 「……アル! ようやく出てきたか! いや、そんなことはどうでもいい、再戦だ! ジャッジが間違ってるからもう一度やるぞ、アル!!」

 

 「ふふ……。いいえ、これはれっきとしたジャッジよ、ミスター」

 

 アルは、優しく子供をいさめるように微笑んだ。

 

 「それじゃあ、答え合わせとしましょうか。……VIPの皆様も、それでよろしいでしょう?」

 

 客席の黄金の仮面たちが、興奮で身を乗り出す。

 

「早く教えろ!」「一体どこで反則が起きたんだ!?」

 

 「ええ、リクエストにお答えして。……まず、五つの禁忌はどれもプレイヤーの行動を著しく制限するものだけど、一つだけ定義が曖昧なものがあったわ」

 

 蛇獄がごくりと唾を飲み込む。

 

 「其五:『身だしなみの乱れ』:ゲーム中、髪を3回以上触ること。……ミスター、これは『自分の手で自分の髪』を触ることだけを指しているのかしら? 『髪が服に触れる』こと……それだって、髪に触れている(接触している)状態に変わりはないわよね?」

 

 蛇喰の顔が凍りつく。アルは淡々と続けた。

 

 「私はね、自分の髪を細かく刻んで服の裏側や端々に仕込んでおいたの。そして第5、第6、第7ラウンド……ステージ移行の激しい衝撃でバランスを崩すフリをして、あなたのすぐ側まで近づいた。その振動を利用して、服に仕込んだ髪をあなたに触れるようにまき散らしたのよ。……あなたの服に、私の髪が3回以上接触した。判定基準は『髪への接触』。それがあなたの禁忌を成立させたのよ」

 

 蛇喰は絶句した。

 

「いつから……いつから髪を仕込んで…!いや、刻む暇なんて無かったはずだ! 第一、お前自身が髪を刻むために3回以上触ったら、お前が反則負けになるだろうが!」

 

 すると、アルはふっと睫毛を伏せ、数秒の沈黙を置いた。

 

 そして再び顔を上げたその表情からは、先ほどまでの慈愛すら消え失せ、代わりにぞっとするほど無機質な、それでいて洗練された「演出家」の輝きが宿っていた。

 

 「初めまして、ミスター・蛇喰。私は朝日奈美夜子。この舞台の脚本を担当させていただきました」

 

 彼女は指先で前髪を軽く整え、淡々とした、しかし有無を言わせぬ響きを持つ声で語り始めた。

 

「ルールを聞いた瞬間から思いつきました、と朝日奈美夜子は言いました。そしてルール適用は『ゲーム開始宣言時』とはっきりルール上にありました。だから、開始前にお手洗いを装って、髪を仕込むためにパウダールームに行ったんです」

 

 彼女は自分の首筋をなぞり、そこに何も残っていないことを誇示するように、流れるような動作で肩をすくめた。

 

 「銀行から警戒されているのは分かっていました。案の定、個室の扉まで監視がつきましたが、個室内にカメラがあっても、私の『技術』なら、死角をついて自分の髪を数センチ分だけ抜き、細かく裁断して仕込むことは容易でした」

 

 アルの指先が、まるで目に見えない糸を操るかのように空中で細かく動く。その繊細な動きは、パウダールームでの隠密作業の鮮やかさを物語っていた。

 

 「自分自身の髪が服に触れて反則になるのを防ぐため、パウダールームでは髪型を完璧なアップスタイルに固定しました」

 

 彼女は自らのうなじを指し示す。確かに、今の彼女の髪は一房の乱れもなく高く纏め上げられており、自身の服に接触する可能性を物理的に排除していた。

 

 「そして、刻んだ髪は自分に触れないよう、外部への飛散だけを目的として服の外側に絶妙な角度で配置したのです。朝日奈美夜子はそう解説します」

 

 アルは自分のコートの襟元や肩を軽く叩く動作を見せた。そこには、肉眼では捉えられないほど細かく裁断された「毒」が潜んでいたのだ。

 

 「ルールにあるステージ移行の際、禁忌『其二』で手をついてはいけない以上、物理的に激しい揺れを伴う移動になることは容易に想像がつきました」

 

 彼女の視線が、今もなお微かに熱を持つ床へと向けられる。その瞳には、最初からこの「揺れ」さえも計算に入っていたという確信が満ちていた。

 

 「その衝撃を逆利用すれば、自分は姿勢を保ちつつ、服に潜ませた髪だけを効率よくターゲットへ『散布』できる……その確信がありました。朝日奈美夜子はそう語ります」

 

 アルは優雅に一歩踏み出し、蛇喰の側を通り過ぎる際の「揺れ」を再現してみせた。その流麗な動きの影で、髪の破片が死の粉塵のように蛇喰へと降り注いでいたのである。

 

 「真神怜を代行に選んだのは、この脚本を知ってもなお、心拍一つ乱さずにカードを出し続け、バイタル調整力で欺ける人間が必要だったからです。……以上が、朝日奈美夜子の書いた脚本(シナリオ)です。……と、朝日奈美夜子は締め括りました」

 

 朝日奈(アル)は、スカートの端を指先で優雅につまみ、淑女のような完璧な所作でペコリと一礼した。

 

 

 その光景に、客席のVIPたちは歓喜し、ワイングラスを掲げてこの「芸術的な反則」を讃え合った。

 

 「……素晴らしい! なんという悪趣味な、そして合理的な『毒』だ!」

 

 客席のVIPたちが、感嘆の声を漏らしながら口々に語り合い始めた。

 

 「盤上の数字で勝つよりも、定義の穴で首を絞める方がよほど芸術的だよ」

 

 「あの小娘、多重人格を装いながらこれほど緻密な罠を……。銀行員も真っ青な壊し屋だ!」

 

 黄金の仮面の奥で、彼らはこの上ない極上のデザートを味わったかのようにノリノリで笑い、ワイングラスを掲げ合っている。

 

 

 対照的に、蛇喰弘毅はただ、呆然と立ったまま沈黙していた。その指先はまだマイクを求めて微かに震えているが、声は出ない。彼の築き上げた「伝説の再戦」という名の未来は、この瞬間に塵となって消え去った。

 

 「……ハ、ハハ。ハハハハハハ!!」

 

 蛇喰弘毅の喉から、乾いた笑いが漏れ出した。

 

 

 ディーラーの佐々木雛は、無慈悲に特殊液のノズルを操作する。

 

「準備完了っす! ターゲットロック、清算の時間っすよ!」

 

 死神の銃口が蛇喰の眉間に照準を合わせた。

 蛇喰は、逃げるどころか、晴れやかな笑顔でアルを見つめた。

 

 「……そうかよ。これが俺の、伝説のフィナーレか……! クソッタレなぐらい最高の脚本じゃねぇか、アル」

 

 彼は誇らしげに、最後に残ったマイクを握りしめた。

 

 「だが、俺は終わらねぇ。お前の中で、俺というリズムは生き続けるんだろ? なら……お前が見るこれからの景色を、真神や朝日奈……その化け物たちと一緒に、特等席で見せてくれよ」

 

 

 アルは一瞬だけ「美夜子」の冷徹さを崩し、どこか寂しげで、それでいて誇らしげな、本来の彼女らしい柔らかな微笑を浮かべた。彼女の瞳には、死にゆくライムスターへの最大級の敬意が宿っていた。

 

 「……ええ。私もよ。いいバトルだったわ……MC・ジャック」

 

 「ああ、最高のバトルだったぜ! Peace out!!」

 

 

 蛇喰弘毅は、最後に残った銀色のマイクを高く掲げ、満足げに目を閉じた。彼の全身には、伝説を完成させた者の清々しさが溢れていた。

 

 

 プシュゥゥゥゥゥゥッ!!!!

 

 

 凄まじい圧力とともに、赤黒い特殊液が蛇喰弘毅を包み込んだ。一瞬にして立ち込める白煙。熱気が祭壇を覆い、VIPたちの歓声すらもその蒸気の中に消えていく。

 

 やがて、煙が晴れた。

 

 そこにあったのは、もはや人間だったものの影もない、床に広がった赤黒い水たまり。

 

 

 カラン……、コロコロ……。

 

 

 静寂の中で、一つの金属音が響いた。蛇喰が最期まで握りしめていた銀色のマイクが、水たまりの上を転がり、陸八魔アルの靴のつま先に「コツン」と当たって止まった。

 

 それは、まるで次の持ち主を自ら選んだかのように。

 

 アルはゆっくりと視線を落とし、かつて伝説になろうとした男の遺品を見つめた。そのマイクは、次の持ち主の元へと来たようだった。

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