鏡合わせのアル、あるいは透き通った陸八魔【ブルーアーカイブ×ジャンケットバンク】   作:ていん?が〜

27 / 28
完全決着です。


第27話:贖罪の競売(アライブ・トレード)

 それは、絵に描いたような転落の物語だった。

 

 佐藤康二という男の人生を一行で要約するならば、「無能が身の丈に合わない欲望を抱いた末路」という言葉に集約される。

 若い頃からだらしがなく、仕事は常に中途半端。唯一熱中できたのは、脳を安直に刺激してくれるパチンコと競馬だけだった。

 

 当然、家庭が壊れるのは早かった。愛想を尽かした妻は、幼い子供を連れて離婚届を叩きつけ、家を出ていった。

 佐藤に残されたのは、孤独な部屋と、毎月執拗に請求される子供への養育費という名の「義務」だけだった。

 

 金がなかった。最初からなかった。だが出さねばならない。

 

 「(……ちょっと借りるだけだ。次の給料で、あるいは次の万馬券で、すぐに戻せば誰も気づかない)」

 

 経理という職権を悪用し、会社の公金に手をつけたのは、そんなあまりにも稚拙な自己正当化からだった。

 一度踏み越えた一線は、二度目からは坂道を転げ落ちるように容易くなる。

 

 横領額はいつの間にか、個人の手に負える範疇を遥かに超えていた。

 

 運命の監査日まで、残りわずか。その穴を埋めるための最後の一勝負として彼が足を踏み入れたのが、カラス銀行の「5スロット」という名の地獄の入り口だった。そして今、彼はその果てに辿り着いた。

 

 

 佐藤は、自分がどこにいるのか分からなかった。

 

 

 視界は厚手の黒い布で遮られ、両手は背後で無機質な手錠に拘束されている。鼻を突くのは、消毒液と、それ以上に濃密な「恐怖」が腐敗したような、独特の悪臭だった。

 

 ふと、自分の胸元に何かを貼られた感触があった。

 

 「……っ、なんだ、これ……!?」

 

 佐藤には見えなかったが、彼の胸にはスーパーの閉店間際に貼られる割引シールを模した、悪趣味なラベルが貼り付けられていた。

 そこには「特売品」の文字と、生々しい数字が刻まれている。

 

 

 【¥20,000,000ー】

 

 

 2000万。それが、佐藤康二という「商品」にカラス銀行がつけた、初期評価額だった。

 

 周囲からは、同じように嗚咽を漏らす者の声や、荒い呼吸音が聞こえてくる。その数は10人、いや20人近くはいるだろうか。

 彼らは皆、ギャンブルに負け、人生を担保として差し出した「肉という名の在庫」だった。

 

 

 そこへ、カツン、カツンと乾いた靴音が近づいてくる。

 

 

 同時に、重苦しい空気を切り裂くように紫煙が漂い、火のついたタバコを指に挟んだ男が闇の中から姿を現した。

 

 「……ああ、実に騒がしい。耳障りなんだよ、お前ら」

 

 低く、どこか洗練された、だが背筋を凍らせるような冷徹な男の声が響いた。

 

 黒光正巳(43)。カラス銀行特別業務部0課、「特別債権管理課」主任。そして、ここに集められた壊れた在庫たちを管理する黒光班の班長だ。

 

 彼はオールバックにした銀髪を完璧に整え、耳には鈍い光を放つ大きなフープイヤリングを揺らしていた。

 仕立ての良いスーツを纏い、一見すれば紳士的な物腰だが、その瞳には「人外」に対する敬意が欠片も存在しない。

 

 「ひ、ひぃっ! 助けてくれ! 金なら返す! 来月には必ず!」

 

 佐藤の隣にいた男が、目隠し越しに黒光の足音を察知して泣き叫んだ。

 

 が、

 

 

 ドゴォッ!

 

 

 鈍い音が響き、男の体が壁に叩きつけられる。黒光が、タバコをくわえたまま無造作に、だが極めて正確に男の喉を粉砕したのだ。

 

 男は痙攣一つすることなく、ゴミ袋が倒れるような音を立てて絶命した。

 

 「黙れと言ったはずだ。俺は『人』には敬意を払うが、不良在庫のノイズには耐性がなくてね」

 

 黒光は肺の奥まで煙を吸い込むと、それを絶命した男の骸に吹きかけた。

 

 そして懐から取り出したシルクのハンカチで、靴の先に飛んだわずかな汚れを拭い取った。

 先ほどまで泣き喚いていた他の債務者たちは、今の音だけで悟った。ここは法も情けも届かない、屠殺場の待機室なのだと。

 

 黒光はタバコを床に落として靴で踏み消すと、傍らの脚立に設置されたカメラに向き直った。

 

 「さて、本日はお集まりいただいた『お客様』方をお待たせするわけにはいきません。これより、オークションを開始いたします」

 

 カメラの向こう側にいる、莫大な富を所有する本物の人間たちへ向けられた黒光の声は、打って変わって朗らかで丁寧な敬語になった。

 

 会場の四隅には複数の高精度カメラが設置されており、そのレンズは冷酷に債務者たちを捉えている。

 モニターの向こう側では、顔も名も隠した富豪たちが、これから自分たちの「所有物」となる肉体を品定めしていた。

 

 黒光は再び傲慢な態度で債務者たちを振り返ると、顎でカメラを指し示した。

 

 「ほら、さっさと始めろ。最初の商品から順に、カメラの前で自己アピールだ」

 

 目隠しを外された債務者たちが、一人ずつカメラの前へ突き出される。

 

 「私は元外科医です! 指先の技術はまだ衰えていない! どんな劣悪な環境でもオペを……!」

 

 「私は特殊免許を持ってます! どんな危険な輸送でも……!」

 

 彼らは必死だった。買われなければ、待っているのはカラス銀行が管理する「廃棄処分」のみ。

 買われるということは、奴隷になることと同義だが、それでも「死」よりはマシだと信じて、自分の価値を叫ぶ。

 

 

 そして、佐藤の番が来た。

 

 

 「……あ、あ……。さ、佐藤康二です。経理をやっていました。計算なら、その……」

 

 震える声で、絞り出した自己紹介。誇れるスキルなど何一つない。ただの横領犯。そんな男を誰が欲しがるのか。

 佐藤自身、自分の価値がゼロであることを誰よりも理解していた。

 

 だが、その言葉を遮るように、スピーカーから合成された機械的な声が響いた。

 

 

 『――1億(ワンハンドレッド・ミリオン)』

 

 

 会場に静寂が走った。佐藤に貼られたシールの額は2000万。その5倍。何の価値もない中年男性に対して、突如として法外な値がつけられたのだ。

 

 「お買い上げ、ありがとうございます。即決ですね。……佐藤康二、落札」

 

 黒光が淡々と告げる。

 

 「えっ……? 1億? 俺が……?」

 

 佐藤の顔が絶望に染まる。1億という大金で自分を買った主が、一体どのような地獄を自分に用意しているのか。想像するだけで失禁しそうになる。

 

 「い、嫌だ! 誰だか知らないが、買わないでくれ! 助けてくれ!!」

 

 「静かにしろ。お前は今、この瞬間から『お客様』の所有物となったんだ」

 

 佐藤が抵抗する間もなく、黒光がその首根っこを掴み、引きずるようにしてオークション会場から連れ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 連れて行かれたのは、会場の裏手にある、重厚な扉の前だった。

 

 「こちらでお待ちだ」

 

 黒光が扉を開ける。

 

 「えっ……?」

 

 佐藤の口から、呆けたような声が漏れた。

 

 

 そこには、冷たい革張りの椅子に深く腰掛けた銀髪の少女、空崎ヒナがいた。

 その隣には、いつもと変わらぬ不気味な微笑を湛えた宇佐美主任が立っている。

 

 

 その瞬間、佐藤の顔は物理的な法則を無視して変貌した。

 

 恐怖、混乱、期待、そしてそれら全てを嘲笑うような「カネ」への狂信。

 

 彼の口は上下に大きく引き裂かれ、瞳の中には「金」という漢字が浮かび上がる。

 まるでピカソが描いた歪な肖像画のように変形した顔を中心に、虚空から無数の万札が爆発したかのように飛び散る幻影が見えた。

 

 「あ…ぁぁ……へ…?」

 

 佐藤の顔が元の形に戻り、荒い息をつく。状況が飲み込めない彼をよそに、黒光はヒナの前まで歩み寄り、優雅に一礼した。

 

 「空崎様。こちらがこの商品の所有証明書、および関連書類一式です。どうぞお受け取りください」

 

 ヒナは無言でそれを受け取ると、じっと書類に目を落とした。そこに記された、佐藤康二という男のあまりに無様で、救いようのない経歴。

 

 「……佐藤康二。あなたの経歴、見せてもらったわ」

 

 

 ヒナの声は、冷徹だった。そして彼女は手元の書類を、迷うことなくバリバリと引き裂き、床へぶちまけた。

 

 

 「自首しなさい」

 

 

 「……え?」

 

 「会社の金を横領した罪を、法の下で償ってきなさい。それが終わったら、一からやり直しなさい。……あなたの債務は、私がすべて買い取った。だから、あなたはもうカラス銀行の奴隷じゃない。一人の『罪人』として、正しく裁かれなさい」

 

 佐藤は呆然と立ち尽くした。

 

 目の前にいるのは、数時間前まで自分が生き残るために、涎を垂らしながら殺そうとしていた少女だ。

 そんな彼女が、自分のような価値のない、自分を殺そうとした男を救うために、1億円という途方もない金を投げ打った。

 

 「あ、ああ……。ああああ……!!」

 

 佐藤の膝から力が抜け、床に崩れ落ちる。

 

 「め、女神様だ……。あなたは、あなたは本物の女神だ……!! ありがとうございます、ありがとうございます……!!」

 

 佐藤は泣きじゃくりながら、何度も、何度も額を床に叩きつけた。謝罪と感謝が混じった、言葉にならない叫び。

 それは地獄の底で、初めて人間としての心を取り戻した男の産声だった。

 

 

 宇佐美が、眼鏡の奥の目を細めてヒナに問いかける。

 

 「……驚きました。これが目的だったのですね。当行の規定では、預金残高、あるいは所有チップが1000万円を超える者にはオークションへの参加権利が与えられる。……しかし、なぜその事実に辿り着けたのですか?」

 

 ヒナは静かに答えた。

 

 「……あなたにした1つ目の質問『カラス銀行でギャンブルをするプレイヤーはオークションに参加できるか?』への答えよ。5スロットのフロアで見た債務者の扱いや、あなたの言動……そして、この銀行のシステム。すべてが『商品を安定して供給する構造』になっていた。供給があるなら、需要がある。そしてその需要を満たすための窓口は、意外と身近なところに開かれているはず。……ギャンブルの勝ち分をそのままオークションに流用できる仕組みがないなんて、非効率だもの」

 

 ちなみに、この1億円はカラス銀行から借りた汚れた金ではない。

 

 ヒナはシングルマザーである母親から、なぜか毎月、常軌を逸した額の『お小遣い』を与えられていた。

 

 理由は分からない。だが彼女は、幼少期の頃からその巨額の資金を無駄遣いすることなく、淡々と蓄え続けてきたのだ。

 今回投じられたのは、長年積み立てられた彼女の膨大な個人資産の、ほんの一部を切り崩したものに過ぎなかった。

 

 宇佐美は感心したように頷きながら、残酷な事実を口にする。

 

 「素晴らしい洞察です。ですが、空崎様。あなたはここで貴重な資金を消費し、佐藤という『無価値な男』を救った。その結果、あなたは目的である陸八魔アル様の手がかりから、さらに遠ざかることになった。……それは、あなたにとっての敗北ではないのですか?」

 

 ヒナは宇佐美を真っ直ぐに見据えた。

 

 「……それが、あなたに聞いた2つ目の質問『全ゲームの観覧も商品であり、観客はその中から自分好みの個体に目星をつけているのではないか?』への答えよ。カラス銀行で行われている全てのゲーム、その観覧自体も『商品』として取引されている。そして、その観覧権という名の高額な商品を買っている参加者たちは、そのままオークションの買い手にもなり得る。そうでしょう?」

 

 宇佐美の笑みが深まる。

 

 「ええ、その通りです。観覧という『鑑賞』を経て、気に入った個体をオークションで『所有』する。完璧な資本の循環です。それこそが当行を支えていますから」

 

 「なら、退屈はさせないわ。一人の小娘が、この汚泥にまみれた銀行で正義をかざし、どこまで足掻き続けられるのか。……彼らにとっては、それ自体が極上の娯楽になるはずよ。私がここで佐藤を救ったことで、観客たちの『期待値』は跳ね上がった。次に用意されるゲームは、より高額で、より過酷な……私のすべてを賭けさせるような舞台になるはず。……アルに辿り着くための最短ルートは、これよ」

 

 宇佐美が何かを言いかけたその時、彼のポケットで携帯電話が震えた。

 

 通話に出た宇佐美の表情が、見る間に驚愕へと塗り替えられる。

 

 「……はい…。左様でございますか。……承知いたしました」

 

 電話を切った宇佐美は、信じられないものを見るような目でヒナを見た。

 

 「空崎様。……事態が変わりました。あなたの負った15億円の負債……そのすべてを、一括で肩代わりされた方がいらっしゃいます」

 

 「……!? 誰が?」

 

 「当行を古くから支える、特別なお得意様です。そのお方はこう仰っています。……『その面白い小娘を、私の元へ連れてこい』と」

 

 

 

 

 

 

 

 

 場面は変わり、地上。

 

 

 御手洗暉は、深夜の住宅街をとぼとぼと歩いていた。

 

 足取りは重く、視線はアスファルトに落ちたまま上がらない。カラス銀行での一日。空崎ヒナという少女との出会い。

 そして、彼女を見捨てるしかなかった自分自身の無力。銀行員としての「正解」を積み重ねるほどに、心の摩耗が加速していく。

 

 「(……僕は、間違っていないはずだ。あそこで彼女を助けることなんて、物理的に不可能だったんだから)」

 

 自分に言い聞かせる言い訳は、どれも空虚に響いた。

 

 やがて、見慣れたマンションの扉の前に辿り着く。御手洗は一度、深く息を吐き出した。震える手で頬を叩き、沈み込んだ表情を強引に引き剥がす。

 

 「(……ダメだ。『彼女』の前で、こんな暗い顔は見せられない。『彼女』はいつだって、気高く、前を向いているんだから)」

 

 覚悟を決め、御手洗はカギを回した。

 

 

 「ただいま、『アルさん』」

 

 

 極力明るい声を作って中に入り、照明のスイッチを入れる。

 

 

 リビングの中央、お気に入りの椅子には、陸八魔アルが座っていた。

 

 

 いや、それは生身の人間ではない。シリコンと最新の技術によって作られた、驚くほど精巧な「等身大の人形」だ。

 

 優雅に足を組み、椅子に深く腰掛けたその姿は、一見すれば本物と見紛うほどだ。しかしその顔は、御手洗が知っている「臆病で頼りないアル」ではなかった。

 ガラス玉のような冷徹な瞳。すべてを慈しみ、同時にすべてを飲み込むかのような聖母の微笑。それは『本性』を現した時のアルの表情を完璧に再現したものだった。

 

 御手洗は人形の前に膝をつき、力なく笑った。

 

 「……今日、空崎さんが来ました。でも、僕は彼女を見捨ててしまった。銀行員として、正しい選択をしたはずなのに……胸が痛いんです」

 

 沈黙が部屋を支配する。無機質な人形が答えるはずもない。だが、御手洗の歪んだ感性は、その静寂の中に彼女の啓示を読み取っていた。

 

 「……ふふ。アルさんは、本当に優しいですね。……そうですか。彼女ならきっと、あの地獄からでも這い上がってくると。……アルさんがそう仰るなら、間違いありませんね」

 

 御手洗は、人形の白く冷たい指先に、愛おしそうに自身の指を絡めた。

 

 「アルさんは、これからも勝ち続けます。あなたは、この世界の主人公なんですから。……僕は、あなたの行く末を一番近くで見届けたい」

 

 御手洗は人形に顔を近づけ、その耳元で熱を帯びた声で囁いた。彼の瞳には、かつての善良な銀行員の光はない。

 そこにあるのは、狂信に塗りつぶされた、底知れぬ闇だった。

 

 「あなたの……アルさんの末路を。その魂が完全に燃え尽き、あなたが死ぬ時……一体どんな顔をして果てるのかを、特等席で見届けるまで……。僕は、何があってもあなたの味方ですから」

 

 男の歪んだ愛と狂信が、静かな夜の部屋を侵食するように満たしていった。




ここまで見ていただきありがとうございます!
次も出来次第、他作品の『クソーアーカイゲー・青春ドブ捨て録』にて告知しますのでそちらも見ていただけると嬉しいです!
そっちも自信作です!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。