鏡合わせのアル、あるいは透き通った陸八魔【ブルーアーカイブ×ジャンケットバンク】   作:ていん?が〜

3 / 28
第3話:流動する真実(リキッド・アイデンティティ)

 「便利屋68」の事務所には、いつになく華やかで、かつ暴力的なまでの「熱気」が充満していた。

 ボロいソファの真ん中、簡易テーブルの上には、カラス銀行から振り込まれた報酬の一部をわざわざ現金化してきた札束の山が、不格好なピラミッドのように積み上げられている。

 

「くふふっ……。ねえアルちゃん、これ全部私たちのもの? 爆弾、何個買えるかなぁ? 今なら、キヴォトス中の建物をデコレーションできそうだよ」

 

 浅黄ムツキが、札束をトランプのように器用に弄びながら、悪戯っぽく笑う。その瞳には、手に入れた大金への執着よりも、それを使って何を引き起こせるかという純粋な好奇心が宿っていた。

 

「ふん、ムツキ。爆弾なんて効率の悪い投資はやめなさい。これからは『経営』の時代よ。見てなさい、この5億円を元手に、私は裏社会の頂点に君臨するんだから!」

 

 アルは、最高級(と自称する)のデカすぎるワイングラスに注いだぶどうジュースを揺らしながら、ふんぞり返っていた。背筋を伸ばし、顎を引くその姿は、エベレストよりも高くそびえ立つプライドの塊のように見える。

 

「アル様……さすがです。投資だけでこれほどの巨利を得るなど、まさにハードボイルドの極致。私、伊草ハルカ、一生ついていきます……! 邪魔な家主や、アル様をバカにする有象無象は、今すぐこの金で雇った殺し屋に……あ、いえ、私が直接……!」

 

「やめなさいってばハルカ! 物騒なこと言わないの! 私たちはクリーンなアウトローを目指してるんだから!」

 

「アル、投資って、具体的に何の銘柄? 帳簿につけないといけないから教えて。あと、この金額を一度に動かすと税務当局より先に風紀委員会が動く可能性がある」

 

 冷静にタブレットを叩く鬼方カヨコの問いに、アルは一瞬だけ泳いだ目を必死に固定した。

 

「そ、それは企業秘密よ! いわゆる……そう、ハイリスク・ハイリターンの『期待値経営』ってやつかしら! くふふ、くふふふふ!」

 

 事務所が喧騒に包まれる中、遠慮がちな、しかしどこか重みのあるノックの音が響いた。

 

「……誰?」

 

 カヨコが警戒して視線をドアに向ける。ムツキも「お客さんかな?」と首をかしげた。

 

 ドアを開けて入ってきたのは、カラス銀行の制服を窮屈そうに着こなした御手洗輝だった。その手には、重厚な革のブリーフケースが握られている。

 

「あ、あの……陸八魔さん。業務報告と、大切なお知らせを持参しました」

 

「あ、御手洗君じゃない! みんな、紹介するわ。彼は私の投資相談に乗ってくれている担当行員さんよ!」

 

 アルは胸を張って言い切った。その言葉に、御手洗は「投資相談……?」と複雑な表情を浮かべるが、アルの勢いに押されて黙り込む。

 

「ちょうどいいわ、あなたも一杯どう? この最高級ぶどうジュース!」

 

「いえ、仕事中ですので……。それより、皆さんお揃いで。随分と賑やかですね」

 

 御手洗は、テーブルに積まれた札束を見て、昨日の地下ロビーでの凄惨な光景を思い出し、無意識に喉を鳴らした。

 あの残酷なシステムの結果が、この少女たちの無邪気な笑顔に変換されている。そのグロテスクな断絶に、胃のあたりが重くなる。

 

 アルは御手洗の様子を察したのか、グラスを置くと、ムツキたちに向き直った。

 

「ムツキ、ハルカ、カヨコ。ちょっと御手洗君と『大事な経営会議』があるから、外で何か美味しいものでも食べてきなさい。ほら、これで!」

 

 アルは束ねた札束を適当に掴んでムツキに投げ渡した。

 

「わお、太っ腹! じゃあ、お言葉に甘えて高級焼肉かな? 行こう、カヨコちゃん、ハルカちゃん!」

 

「あ、アル様……! 行ってまいります!」

 

 三人が嵐のように去っていき、事務所にはアルと御手洗の二人だけが残された。

 アルは相変わらず、足を組み、鼻歌を歌いながら札束を眺めている。

 

「いやぁー、やっぱりお金っていいわよね! これで事務所の備品も全部金メッキにできるかしら? 御手洗君もそう思うでしょ!?」

 

 はしゃぐアル。その姿は、宝くじに当たった子供のように無邪気で、頼りない。御手洗は、昨日の「怪物」の影を探すが、どこにも見当たらない。

 

「……陸八魔さん。一つ、聞いてもいいですか」

 

「なにかしら? 資産運用の相談? 相談料は高いわよ?」

 

 御手洗は一歩踏み出し、まっすぐにアルの瞳を見つめた。

 

「昨日の、あの地下でのあなたと。今、ここでお金を見てはしゃいでいるあなた。……どっちが、本物の『陸八魔アル』なんですか?」

 

 その問いが空気に触れた瞬間。

 

 事務所の喧騒の残滓が、真空に吸い込まれるように消えた。

 

 

「…………」

 

 

 アルの口角から、無邪気な笑みが剥がれ落ちる。

 

 彼女はゆっくりとワイングラスをテーブルに置いた。その動作には一切の無駄がなく、物理的な音すら最小限に抑えられている。

 彼女は深く椅子にもたれかかり、半眼で御手洗を見上げた。その黄金色の瞳には、何の感情も宿っていない。

 ただ、深淵のような虚無と、全てを見透かすような冷徹な光が渦巻いている。

 

「銀行員さん」

 

 その一言で、空気が一変した。

 

 「御手洗君」という親愛の籠もった呼び名から、冷たく突き放すような「銀行員さん」への変貌。

 それは、彼女が彼を個別の人間としてではなく、カラス銀行という巨大なシステムの一部、あるいは単なる観測者として再定義したことを意味していた。御手洗の背筋に、生理的な恐怖が走る。

 

「この世にはね、本物の数だけ偽物が蔓延っているのよ」

 

 声のトーンが、数オクターブ下がる。冷たく、それでいてどこか心地よい、死を誘う調べ。

 

「そして、往々にして偽物が本物の価値を凌駕することだって珍しくない。模造品がオリジナルより美しく、嘘が真実より誠実に見える。……そんな世界で、何が『真実』かを追い求めるのは、とても大変なことなのよ」

 

 アルは立ち上がり、音もなく御手洗の目の前まで歩み寄った。

 彼女の放つ威圧感に、御手洗は肺の空気が押し出されるような感覚を覚える。昨日、猪瀬を絶望の淵に叩き落とした、あの「死神」の気配だ。

 

 

「だけど、強いて言うなら――」

 

 一変して、アルの口元が三日月のように歪んだ。

 

 歓喜に震えるような、しかし目はガラス玉のように無機質なまま。その不気味なコントラストに、御手洗は死神が鎌を首筋に当てている幻影を見た。

 

「私は、それら全てを等しく『知りたい』と思っている。真実も、虚飾も、絶望も、その果てにある数字も。……それら全てを喰らって、私の糧にしたいのよ」

 

「…………っ!!」

 

 御手洗が思わず後ずさりし、壁に背中を預けた。

 するとアルは突然、パッと表情を明るくした。

 

「なんてね! 今の、ハードボイルドっぽかった!? 雑誌の『冷徹な経営者特集』に書いてあった台詞なんだけど、ちょっと迫真すぎたかしら?」

 

「あ……え……?」

 

 アルはケタケタと笑いながら、再びソファに座り、書類を指差した。

 

「もう、御手洗君ってば顔真っ青! 冗談よ、冗談。それで、わざわざ銀行員さんがここまで来たってことは、何か面白いお土産があるんでしょ? 早く説明して頂戴」

 

 瞬時に「御手洗君」へと戻った呼び方と、その屈託のない笑顔。

 

 御手洗は荒くなった呼吸を整え、震える手でブリーフケースから三通の封筒を取り出した。先ほどの言葉が演技だったのか、それとも今の笑顔こそが精巧な「仮面」なのか。考えれば考えるほど、足元が崩れるような感覚に陥る。

 

「……失礼しました。では、順を追ってご説明します。まずはこちら、『5スロットから4リンクへの昇格通知書』です」

 

「4リンク? ランクが上がったの?」

 

「はい。昨日の勝利により、あなたの預金残高、および銀行内での信用評価が急上昇しました。5スロットは命の危険がない、いわば『遊び』の領域ですが、4リンク(フォーリンク)は『四体満足』を意味します。つまり、今後のゲームでは、身体に重大な損傷を受けるリスクが公式に発生します」

 

「身体に重大な……。ふふ、それこそアウトローの嗜みね! 面白そうじゃない!」

 

 アルはいつもの調子で拳を握りしめる。

 

「次にこちら。『カラス銀行公認・専用賭博口座開設の通知』です。これにより、あなたの資金は常に銀行の管理下におかれ、いつでも巨額の賭けに即応できるようになります」

 

「私の専用口座! ついに私も一流のギャンブラーの仲間入りってわけね!」

 

「そして、最後が最も重要です。当行の上層部より、『次戦への参加要請(インビテーション)』が届いています。これを受諾すれば、あなたは正式にカラス銀行の『商品』ではなく『プレイヤー』として扱われることになります」

 

「もちろん参加するわ!」

 

 アルは椅子から飛び上がるようにして叫んだ。

 

「断る理由なんてないわ。次はどんな面白い数字が見られるのかしら。それで、御手洗君。次の対戦相手は誰なの?」

 

 御手洗は、ごくりと唾を飲み込んだ。

 彼の脳裏には、先ほどまで見ていた資料に記された、ある男の「異常なデータ」が浮かんでいた。

 

 

「対戦相手は――」

 

 

 

 

 

 

【東京都内・某高級私立小学校・理科準備室】

 

「ふむ……。生命の『価値』を等価交換で測るというのは、実に非科学的な試みだと思わないかね?」

 

 薄暗い室内。ホルマリン漬けの標本が並ぶ棚の前で、一人の男が顕微鏡を覗き込んでいた。

 

 血の色のない白い肌に、剃刀のように鋭利で端正な顔立ち。縁のない眼鏡の奥にある瞳は、知的な光を湛えながらも、生物としての温かみを一切欠いている。

 糊の利いた清潔な白衣を纏い、髪は一房の乱れもなく整えられているが、その立ち姿はどこか死体のように静謐で不気味だった。

 

 彼の足元には、数分前まで生きていたであろう「侵入者」が転がっている。しかし、その男の体には傷一つない。

 ただ、極度の恐怖と精神崩壊によって、呼吸を忘れたかのように動かなくなっているだけだ。

 

 白衣の男は、ピンセットで丁寧に小さな「何か」を摘み上げると、それを口の中に放り込み、飴玉を転がすように味わった。

 

「君の恐怖は、非常に純度が低い。不純物が多いんだ。……金、女、名誉。そんな使い古された価値観で私の実験を汚さないでほしかった。次の検体は、もう少しマシな『魂の輝き』を見せてくれるといいのだが」

 

 男は顕微鏡から目を離し、冷たい微笑を浮かべた。その瞳は、深海のように暗く、光を一切反射しない。

 

「さて。カラス銀行が用意した次の『玩具』は、どんな反応を示すかな? 私のメスで、君の本性が何層あるか、丁寧に剥いであげよう」

 

 男は眼鏡を指先で押し上げ、暗闇の向こうを見据えた。

 

「私の実験に、慈悲(ルール)は必要ない。あるのは、観察と解体だけだ」

 

 氏名:真神 怜(マガミ レイ)

 年齢:32歳

 職業:私立小学校教諭 / 精神生理学者

 

【NEXT GAME:精神解体(マインド・ディセクション)】

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。