鏡合わせのアル、あるいは透き通った陸八魔【ブルーアーカイブ×ジャンケットバンク】 作:ていん?が〜
カラス銀行、第12観測室。
密閉された空間には、電子機器が発する微かな駆動音と、陸八魔アルの荒い呼吸音だけが響いていた。
壁面のモニター群は、残酷なまでに正確な数値を叩き出し続けている。
「はぁ、はぁ……っ、もう……本当に、勘弁してよぉ……!」
アルはヘッドセットを抑えながら、机に突っ伏していた。彼女のバイタルデータを示すモニターは、心拍数が140を超え、血圧も急上昇していることを示している。
それは、極限の恐怖と痛みに晒された人間が示す、教科書通りの反応だった。
「陸八魔さん……! もう残り700ポイントですよ!?真神さんはまだ一度もポイントを失っていない……次外したら、本当に取り返しのつかないことになりますよ!」
御手洗の悲鳴に近い声が、無響の間に虚しく響く。彼は手元のサブモニターを何度も叩くが、そこに映し出されるアルのデータは、絶望的なまでに「追い詰められた弱者」のそれであった。
対照的に、真神怜は白衣のポケットに手を入れ、一分の隙もない姿勢で椅子に腰掛けている。彼のバイタルデータは、凪いだ湖面のように静かだ。
【第2ラウンド:親・陸八魔アル】
「うぅ……次は私の番ね。えいっ!」
アルは震える指先で、山札からカードを引いた。カードを覗き込んだ瞬間、彼女の顔がさらに青ざめる。
「な、なによこれ……『鼓膜への高周波攻撃』? 嫌よ、私、耳が聞こえなくなったら音楽も聴けないじゃない!」
「陸八魔様、早く出力を決定してください。ゲームが停滞しています」
ディーラーの羽佐間が冷淡に促す。
アルは「もう、自暴自棄よ!」と叫びながら、コンソールの数値を適当に弄り、決定ボタンを叩いた。
モニターには彼女が自分自身の神経に信号を送ったログが表示される。
「あ、あ、ああ……っ!」
アルは両耳を押さえ、顔を歪めて椅子の上で身をよじった。
真神は、その様子を観察しながら、彼女のバイタルモニターと脳波ログを凝視する。
「(心拍数の跳ね上がり、瞳孔の散大、脳波のベータ波の急増……。痛覚中枢が明確に反応している。演技でここまでバイタルを操作することは不可能だ)」
真神は確信を持ってボタンを押した。
「『リアル』だ。君は今、実際にその耳障りな音を脳に流している」
【裁定:不正解(フェイク)】
親(アル)がフェイクを選択し、子(真神)が「リアル」と誤答。
ペナルティ:子は200Pを失い、本来親が受けるはずだった苦痛の2倍を脳に流される。
真神:1000P → 800P
「……な、に?」
真神の眉がピクリと跳ねた瞬間、彼のヘッドセットが鋭く明滅した。
「ぐ、あああああ……っ!? ぎ、い、ああああ!!」
真神は耳を抑え、椅子の上で激しく仰け反った。高周波の暴力が「2倍」の強度で彼の脳を直接蹂躙する。
彼は歯を食いしばり、脂汗を流しながら、信じられないものを見る目でアルを睨みつけた。
「あはは! 残念でしたー! 私、実はボタン押し間違えちゃったみたい! 信号、流れてなかったわ!」
アルはケタケタと笑いながら、涙目のまま胸をなでおろした。
「(……操作ミスか。あるいは、極限状態による混乱が生んだ偶然のブラフか。どちらにせよ、彼女の精神構造に戦略的な深みはない。ただのノイズだ)」
真神は荒い呼吸を整えながら冷たく鼻で笑い、次のラウンドへと進んだ。
【第3ラウンド:親・真神怜】
「……第3ラウンド。私の親だ」
真神は、長細い指でテーブル中央のカードの山から、一枚を引き抜いた。
カードの表面を眺める彼の瞳に、サディスティックな愉悦が微かに走る。
「カードの内容は……『神経焼灼(ニューラル・バーン)』。指定部位は、頸椎から右腕にかけて。……脳が『右腕を大型のバーナーで炙られている』と誤認するほどの高負荷信号を流す。本来なら、数秒でショック死してもおかしくないレベルの苦痛だ」
「は、はぁ!? なによそれ、そんなの、人間にやっていいことじゃないわよ!」
アルは椅子をガタガタと鳴らして立ち上がった。その膝は目に見えて震えており、必死に机を掴んで体を支えている。
「ふむ。君の反応は、実に『生物として正しい』。恐怖を覚え、逃避を試みる。だが、この装置の出力は、私が決める」
真神は、卓上のコンソールに指を滑らせた。
「……入力完了。さて、陸八魔さん。私は今、自分自身の頸椎に、その地獄のような熱線を流し込んだだろうか? それとも、君を絶望させるための『嘘』を吐いているだけだろうか?」
真神の表情には、依然として一ミリの動揺もない。
モニターに映る彼の脳波は、深い瞑想状態にあるかのように安定している。
一方で、アルのバイタルは、彼が「入力を完了した」と言った瞬間から、さらに激しく乱れ始めた。
「……あ、あうぅ……。そんなの、そんなの分かるわけないじゃない……! でも、でも……真神さん、あなたさっきから一回も『リアル』を選んでないわよね? だから、今回こそは……本当は痛がってるんじゃないの!?」
アルは、縋るような目で御手洗を見た。御手洗は顔を覆い、首を横に振る。
「……『リアル』! 真神さんは、今、右腕を焼かれてるわ! 私の勘がそう言ってるんだから!」
アルが、半ば自暴自棄になったかのような動作で、回答ボタンを叩く。
その瞬間、部屋を冷徹なブザー音が満たした。
【裁定:不正解(フェイク)】
親(真神)がフェイクを選択し、子(アル)が「リアル」と誤答。
ペナルティ:子は200Pを失い、本来親が受けるはずだった苦痛の2倍を脳に流される。
アル:700P → 500P
「……あ」
アルの口から、掠れた声が漏れる。
直後、彼女の頭部を、凄まじい衝撃が襲った。
「ぎゃあああああああああああああああ!!!」
椅子が跳ね返り、アルは床に転げ落ちて悶絶した。
『右腕が焼かれている』という偽の信号が、ペナルティによって「2倍の強度」で彼女の脳へ直接流し込まれたのだ。
実際には彼女の右腕は何の損傷も受けていない。しかし、彼女の神経系は「右腕が炭化している」という激痛を確実に知覚していた。
「あ、が……っ、ああぁぁぁ……!!」
アルは右腕を抱きかかえ、胎児のように丸まって床を転がる。その額からは滝のような汗が流れ、瞳は焦点が合わず、白目を剥きかけている。
「陸八魔さん! 陸八魔さん!!」
御手洗が駆け寄ろうとするが、羽佐間がそれを冷たく制止した。
「御手洗銀行員。ゲームの進行を妨げないでください。彼女の脳機能に永続的な損傷はありません。……今のところは」
「ふむ……。興味深い。ペナルティを受けた瞬間の脳波のスパイク、そして筋肉の収縮。どれをとっても、完璧な『苦痛の標本』だ」
真神は立ち上がり、床でのたうち回るアルを、上から覗き込んだ。彼の眼鏡に、激痛に歪む少女の姿が反射する。
「……陸八魔さん。君の精神構造は、実にシンプルだ。一度『こうだ』と思い込むと、矛盾するデータがあっても自分の感情を優先してしまう。先ほどの『リアル』という選択も、君の願望が生んだ幻想に過ぎない」
「あと二、三回。その程度で、君の持ち点は尽きる。4リンクの清算は、このヘッドセットによる模擬信号ではなく、本物の『外科的処置』によって行われる。……楽しみだよ。君のその右腕が、二度と動かなくなった時の、君の『本性』がね」
アルは、震える左手で床を這い、なんとか椅子に這い上がった。
彼女の顔は、涙と汗でぐちゃぐちゃだ。鼻を啜り、弱々しい声を上げる。
「……ひ、ひどい……。もう、やめたい……。御手洗君、帰りたいわ……。なんで、こんなことに……」
御手洗は唇を噛み締め、震える手でアルの背中を見つめるしかなかった。
だが。
この時、御手洗は気づかなかった。
そして、高名な精神生理学者である真神怜も、完璧な管理システムを誇るディーラーの羽佐間も、決定的な「異常」を見落としていた。
アルのバイタルデータを示すモニター。
それは、彼女が「ギャアア」と叫ぶコンマ数秒前、そしてペナルティの激痛が脳を焼いている真っ最中であっても。
――心拍数 68。血圧 115/75。脳波、極めて安定。
その数値は、彼女が叫び声を上げた瞬間にだけ、機械的に「パニック状態」へと跳ね上がっていた。
【第4ラウンド:親・陸八魔アル】
「……まだ……まだ終わってないわよ……」
アルは弱々しく、しかし執念深くカードを引いた。
「カードは……『眼球への閃光刺激(フラッシュ・ノイズ)』……。いいわ、やってやるわよ! これで、あなたを驚かせてやるんだから!」
アルは震える手でコンソールを操作した。出力設定は最大。
次の瞬間、アルの頭部がガクンと後ろに跳ねた。
「う、あ……あぁ……っ!」
彼女の目からは涙が溢れ、視界を失ったかのように空を掻く。そのバイタルデータは、脳の視覚野が過剰な負荷で焼き切れる寸前であることを示していた。
「(……これほどの負荷を自分にかけるとは。正気の沙汰ではないが、それゆえに分かりやすい。このバイタルの乱れ、この神経の悲鳴。偽装の余地などない)」
真神は勝利を確信し、冷徹に「リアル」のボタンを押した。
【裁定:不正解(フェイク)】
親(アル)がフェイクを選択し、子(真神)が「リアル」と誤答。
ペナルティ:子は200Pを失い、本来親が受けるはずだった苦痛の2倍を脳に流される。
真神:800P → 600P
「なっ……!?」
直後、真神は絶叫した。
「あああああああああ!! 目が、目がぁぁぁ!!」
両目を抑え、のたうち回る真神。脳は「2倍」の光の暴力に焼き尽くされたと誤認し、激しい痙攣を引き起こす。
「……あは、あはははは! また当たっちゃった! 私、意外とポーカーフェイスが得意なのかしら?」
アルは涙を拭いながら、満面の笑みを作った。だが、そのバイタルモニターは、いまだに「心拍数150」という極限状態を維持したままだ。
「(……嘘だ。バイタルは嘘を吐かない。彼女の脳波は間違いなく焼灼に近い刺激を検知していた。なのに、なぜ判定は『フェイク』になる!? 装置の故障か!?)」
【第5ラウンド:親・真神怜】
「……ふ、ふふ。面白い。実に見苦しく、そして素晴らしいノイズだ。陸八魔アル……君は私がこれまで扱ってきた検体の中でも、最高に『壊れがい』がある」
真神は激しい呼吸を整え、血走った眼でカードを引き抜いた。
「カードは……『全感覚剥奪(トータル・ロス)』。視覚、聴覚、触覚、すべてを一時的に遮断し、暗黒の深淵に意識を放り出す。精神的な負荷はこれまでの比ではない。……さて、陸八魔さん。私は今、自分の意識を『無』に投げ込んだだろうか?」
真神は、椅子に深く背を預けた。
その瞳は、虚空を見つめているように見える。瞬き一つせず、呼吸さえも止まっているかのような、完璧な「無」の体現。
「(……さあ、どう来る? 絶望に駆られて『リアル』を選ぶか? それとも、裏をかこうとして『フェイク』を選ぶか? どちらにせよ、君の精神はもう、私の掌の上でひび割れているんだ)」
真神は、勝利を確信していた。アルが何を答えても、彼は自分のバイタルデータを操作し、彼女に「不正解」を突きつける準備ができている。
アルは、ゆっくりと顔を上げた。
その顔には、先ほどまでの怯えの色が、さらに深く刻まれている。
「……あ、あはは……。真神さん、あなた、本当に人間じゃないわね……。あんなに酷いカードなのに、なんでそんなに……平気な顔ができるの……?」
アルの手が、震えながら回答ボタンの上に伸びる。
「……もう、どうにでもなれ。私は、信じるわ。あなたのその、冷たくて、気持ち悪い……『嘘』を!」
アルが、叫ぶように「フェイク」のボタンを叩きつけた。
その瞬間。
ピコン、という、これまでの不快なブザー音とは異なる、澄んだ電子音が部屋に響いた。
【裁定:正解(フェイク)】
親(真神)がフェイクを選択し、子(アル)が「フェイク」と正解。
ペナルティ:親は300Pを失い、本来の苦痛の同等量が親にフィードバックされる。
真神:600P → 300P
「……なっ!?」
真神の顔が、初めて驚愕に歪んだ。
「正解……だと? バカな、私のバイタル制御にミスはなかったはずだ。脳波も、脈拍も、完璧に『無』を演じていたはず……!」
「……あ、あれ? 私、当たったの? 当たっちゃったの!? やったぁぁぁ!! 御手洗君、見た!? 私、当てたわよ!!」
アルは椅子から飛び上がり、子供のように大はしゃぎし始めた。
「やっぱりね! 私の勘は正しかったんだわ! あなた、本当は全然平気だったんでしょ! ざまぁみなさい!」
「……くっ、ふざけるな……! たかだか一回の正解で……!」
真神が激昂し、身を乗り出した瞬間。
今度は、彼のヘッドセットから、耳を裂くような高周波の警告音が鳴り響いた。
「ぐ、あ、あああああああ!!!」
真神が頭を抱え、椅子ごとひっくり返った。
正解のペナルティ。それは、親が「フェイク」を隠していた場合に、その欺瞞への報いとして、本来の苦痛が「親自身」へと流し込まれるシステムだ。
「が、は……っ、あ、あぁ……!!」
彼は、自分自身が設定した『全感覚剥奪』の、さらに強烈なフィードバックを、その身に受けていた。
「真神さん! 大丈夫!? あらら、そんなに悶えちゃって……さっきまでの余裕はどうしたのかしら?」
アルは床に這いつくばる真神に近寄り、無邪気な笑顔で覗き込んだ。その際、彼女は一瞬だけ、自身の横に立つ羽佐間の視線と交差した。
羽佐間は見ていた。
アルが歓喜に沸くその直前、モニター上の彼女のバイタルグラフが、一瞬だけ完璧な「0」という名の調和を見せたことを。
「でも、安心して。次は私の親でしょ?」
アルは上機嫌に微笑み、御手洗に向かってウィンクをして見せた。
【現在のポイント】
陸八魔アル:500P
真神怜:300P